第二章 航過:13
そこにいたみんなには言葉も無い。
ぽっと出の武装行儀見習い風情が何か物申すことのできる話題ではないのは確かだ。
今だわたしの胸ぐらを掴んだままのアキコさんですら無言。
表情だけは完全にアキちゃんモードにシフトしているありさまだった。
「海賊の連中は自分達の船を今でも私掠船って自称している。
それってさ。
『俺たちゃ郷土≪くに≫のみんなに応援されてるんだからね。
私掠船免状を持ってるみたいなもんなんだぜ』
って言う気概?
自負?
勘違い?
そんなものが根底にある名乗りなのかも知れないよ?
ほんと、戦後生まれのあたし達にしてみれば突っ込みどころ満載。
夜郎自大の了見違い。
最早性質≪たち≫の悪い冗談みたいなものだけどさ」
クララさんはそれまでわたし達には一度も見せたことのない昏い目をして言い切った。
『そんな・・。
そんなことちっとも知らなかった』
空の色を映した海の青と空の力を示す風をはらんだ帆の白さ。
そこに濁った不浄の無色が飛び散ったように感じられる。
音羽村の親切で優しいじいちゃんばあちゃんたちの顔が頭に浮かび。
気持ち悪くなった。
折り合いが付きそうにない嫌悪感でわたしの心がすくみあがる。
『世界の説明文に注釈を付ければ薄汚いことわり書きでいっぱいってか?』
などと。
いつものわたしなら斜に構えて受け流すところだったろう。
けれどもクララさんの目を見てしまい、そうはできなくなった自分がいた。
そうはできなくなった自分の心がまるで理不尽ないじめを受けた小さな子供のように悲鳴を上げる。
おぞましく汚らしいものは実は色を持たずほんの身近にある。
アキコさんもわたしの胸倉を掴んだままで唇を噛んで震えている。
「肯定も否定もしなくていい。
理性で抑えることができない残酷で悲しい憎悪に満ちた大人たちを分かってやれとも言わないよ。
だけどあたしたちはあたしたちの頭で考えないといけない。
結果には必ず原因がある。
だからいつだって、なぜ、どうしてと、考えないといけない。
そうじゃないと、何も良い方に変わらない。
それは違うだろうと自分の心が叫んだらね。
変えなければ成らない何かがそこにはあるはずなんだ。
あたしはそう思う。
アキ。
アリーを離してやれ」
クララさんは少し顔色が良くなって、照れたように咳払いすると話しを元に戻す。
「そんな訳で、シンクレアが取った情報を・・・艦種の識別や方位だな。
<敵艦見ゆ>の信号旗を流した後で随時。
発火信号と手旗信号を使って下を走るブラックパール号に送り続けた。
ブラックパール号は手順を踏んで戦闘準備を整えたの。
ベテランの艦だからね。
ここまではみんなのお手本にしたいくらいの出来だったわ。
やがてこちらの観測情報をブラックパール号が自ら視認した。
その後の手順も本当はちゃんと決まっていたのよ?
戦闘要務令に従えばピグレット号は帆の開きをいっぱいにして。
全速でインディアナポリス号に先行接敵しなければならなかったわ。
先行接敵は教程通りなら敵艦上空の高速航過による強行偵察となるはずだったの。
・・・何もかもが大失敗」
クララさんの表情がちょっと怒りを含んだ悔しげなものになる。
恐らく教程通りに上手くことが運ばなかったのだろう。
大きな失敗。
それは多分、予想出来ていたのに止められなかった過ちのことではないか。
防げたはずの大失敗はピグレット号が退役する遠因になった出来事か?
それは陽気で明るいお姉さま方をこれほどまでに打ちのめす記憶の原点に違いなかった。
「はずだったですか?
それと・・・大失敗?」
リンさんが息を呑むように聞き返す。
パットさんも、らしくない緊張感出まくりの引き締まった表情で生唾を飲み込む。
アキコさんに至ってはわたしの胸倉から手を離した後ラスカットを取り落とし。
握りしめた両の拳を口に押し当て大きな目を見開いて固まっている。
「ブラックパール号は先の大戦からの生き残りで老朽艦もいいところだけれどね。
歴代の艦長はイケイケどんどんな好戦的な人ばかり。
見敵必戦はあの艦が就役して以来の伝統だったからね。
ブラックパール号は高速で操艦し易いカゲロウ型フリゲート艦の四番艦。
姉妹艦のユキカゼ号とペアを組んで戦列艦を葬った事もあるくらいだから結構自信満々。
それでもインディアナポリス号を自分で視認するまでは戦闘要務令通りの対応で進んだのよ。
うちからの観測結果を知って甲板上は艦首から艦尾まで水兵たちがお祭り騒ぎだったけどね。
ブラックパール号の後部甲板は特に変わった動きは無かった。
市民感情はどうあれ外交関係はもう一昔前とは時代が違うからね。
艦長以下の士官たちは水兵みたいにはしゃいだりしない。
軍令部から出ている要務令通り冷静に状況を進めていると思ったの。
ピグレット号の強行偵察の報告を待って対処を考える。
交戦規則にだって書いてある流れを守ってると思ったの。
だけどね。
続報で<インディアナポリス号は海賊船と思しき拿捕船を曳航中>と発火信号で伝えたらね。あっという間に事態は急展開したわ」
クララさんは薄く瞬きして苦々しげな表情を浮かべる。
「ブラックパール号は<詳報を伝えよ!>や<再確認せよ!>の信号もこちらに寄こさなかったわ。
まるで待ってましたと言わんばかりの勢いだった。
いきなり黒地に白く髑髏が染め抜かれた旗をハリヤードに揚げて総帆展帆だよ。
驚くほど素早い戦闘状態への移行だったわ。
噂には聞いていたけれど、非正規の髑髏印戦闘旗ってあの時初めて見た。
上から見ていても交戦準備の太鼓連打。
楽隊の軍艦マーチや突撃喇叭。
そんな勇ましい喧騒が聞こえそうなくらいに艦全体が奮い立って闘気がみなぎるのが分かったわ。
後部甲板に立つ艦長以下の士官は頭のネジが飛んだうつけた戦闘狂だったってこと」
クララさんは馬鹿につける薬は無いと頭を振る。
「相手はあのインディアナポリス号だし。
拿捕されている船が海賊船なら間違いなくこっちの船だしね。
海賊船の乗組員には退役軍人もたくさんいるはず。
『義を見てせざるは勇無きなり』
なんて見当違いもはなはだしいとんちんかんなノリだったんでしょ、きっと。
もしかしたら原理主義的な右寄りの艦長達は私掠船を犯罪者の船ではない。
仲間内の特殊作戦担当艦くらいな感じで認識しているのかも知れないわね。
インディアナポリス号が合法的な警察活動で拿捕した海賊船によ。
身内意識だかシンパシーだかを感じちゃって。
瞬間的に脳みそが湧き立ったったのよ、きっと。
是是非非関係なしで問答無用。
『拳骨で真っ向勝負だ!』
なんていう風に思考回路が短絡したんだから始末に負えない。
とてもまともな海軍士官。
いいえまともな大人の振る舞いとは思えないわ」
クララさん実はインディアナポリス号よりも。
味方のペア艦だったブラックパール号への怒りの方が大きいのではないかと思う。
目の奥に炎がチラチラと燃えて。
まるで講釈師のように淀みなくスラスラと悪口がほとばしったもの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます