第二章 航過:12
「訓練訓練また訓練の毎日に、みんないいかげん倦み疲れたある日のことだった。
警戒観測員が水平線の彼方にアンノウンを見つけたの。
最初に船影に気付いたのは、ありがたいことにうちのシンクレアだったわ。
口やかましい教導艦じゃなかくて良かったわよ。
だけど教導艦は口やかましいだけじゃなくて驚くべき阿呆舟だった」
クララさんが忌々しそうに吐き捨てる。
「シンクレアさんは昔から高いところがお好きだったんですね」
パットさんの切れのないボケにはまったく抑揚がない。
いつも天然で明るいパットさんの気遣いが精彩を欠く。
「・・・ま、まぁ!
今日もあの日とおなじね。
シンクレアの警戒観測は相変わらず超一流!」
クララさんは自分の物言いが悪かったと思ったのだろう。
慌ててニッコリ微笑んでみせたけれどそれはそれでわざとらしかった。
「・・・それでね。
アンノウン視認時から空海互助戦闘の教則通りに教導艦へ接敵観測情報を出し続けたの。
アンノウンを・・・インディアナポリス号だとシンクレアが同定するところまでは順調だったわ」
インディアナポリス号と言う言葉がクララさんの口から飛び出し座の空気が変わる。
遂にインディアナポリス号が登場したのだ。
するとクレアさんのお話しも佳境だろう。
「だけど、インディアナポリス号がおまけ付きだってことが分かってそれを下に伝えたらその途端。
教導艦が興奮に沸き立ち一気に沸騰点に達したの。
教導艦・・・ブラックパール号の甲板上がお祭り騒ぎよ。
上から見ていてもクルーのはしゃぎぶりが手に取る様に分かったわ。
インディアナポリス号はね。
まぬけな海賊船というか自称私掠船を二隻も拿捕≪だほ≫して回航する途中だったのよ」
クララさんが遠くを見つめるような目をする。
視線の先にはわたしには想像もつかない過去の情景が写っていたに違いない。
「拿捕って、それはいったい何のことですか?
それに私掠船がいっしょだと、なんで教導艦がエキサイトしちゃうんですか?」
わたしは素朴な疑問を口にする。
「アリーはまだ知らないかもしれないわね。
拿捕と言うのは敵対する勢力の船や艦を沈めたりせずに生け捕りにすることよ。
戦時なら通商破壊戦で敵の商船を捕まえたり。
敵艦を降伏させて乗っ取ることは正規の任務になるわ。
平時においては違法行為を働いた船を停戦させて乗員を拘束。
その後、船を接収することが拿捕に当たるかしら。
インディアナポリス号はマストが折れてぼろぼろのブリガンディンを曳航してたわ。
その後ろにはフォアマストを失ったスクーナーも引き連れていたの。
どっちもうちの海軍の退役艦。
今の第七音羽丸みたいなド派手な塗装を施していたから私掠船であることは一目瞭然だったわ。
乗員も大方海軍の退役軍人が中心だったんでしょうよ。
ブラックパール号のおっさんやおばさんたちの戦友や知り合いが居るかもしれないってこと。
その上ご丁寧にもその二隻が海賊行為の戦利品として乗っ取ったと思しき民間のシップがやはり二隻。
後方から付いてくるのも確認できたの。
民間のシップには元老院暫定統治機構の旗が翻っていたわ。
私掠船の略奪を受けていたところをインディアナポリス号に救助されたのね」
「エーッ、それってホントに海賊が出てインディアナポリス号に退治されちゃったことなんですか?
けちょんけちょんにされちゃった海賊船が退役艦で。
おまけにもしかしたら予備役の軍人が乗り組んでいたってことなんですよね。
ひょっとして。
うちの海軍ってば、さっきクララさんが仰ってたように今でも海賊の味方しちゃってるんですか?
それってまずくありません?」
わたしはその時クララさんのやや不快そうな口調にどうも引っ掛かりを感じたのだ。
どこの船だろうと。
誰が乗っていようと。
それが海賊船なら正義はインディアナポリス号にありだよ?
わたしの幼稚な正義感と無意味な反骨心が首をもたげたのだ。
クララさんの気持ちには思いが至らなかった。
わたしは黙ってれば良い要らぬことをわざわざ口にしてしまっていた。
「アリー!
てめえ敵の肩をもちやがるのか。
この国賊が!
そんでもって、お頭にあや付けようってか?
あっ?
売国奴のカスめ!
そのろくでもねえ口を慎みやがれ!」
『しまった。
怯えてちょっぴり可愛くなっていたアキコさんに復活のきっかけ与えてしまった』
わたしが後悔のほぞを噛んだ時にはもう遅かった。
どこかほっとした表情のアキコさんにぐわりと胸ぐらをつかまれる。
「まあ、そういきり立つなアキ。
アリーも無邪気に痛いところを突いて来るね」
クララさんが苦笑しながらアキコさんをなだめて話を続ける。
「海賊行為は現在では当たり前に違法だし摘発されれば重罪を科せられる。
もちろん私掠船の常軌を逸した振る舞いを海軍委員会も都市連合政府も昔から公式には非難している。
艦隊に対してだって以前と違って最近はね。
正式な任務として私掠船の追討殲滅を命じているくらいよ。
都市連合は戦争中だって古代の王様が出してた私掠船免状は発行していなかったわ。
だから『ロージナに私掠船などは存在しない』というのが変わらぬ公式見解ね。
『暴れているのは都市連合の免許を持った私掠船などではない。
どこの馬の骨とも知れぬ海賊船だけだ』
と、そんな風にことあるごとに言ってきたしね」
そういえば武装行儀見習いが受けなければならない座学のお教室で耳にしたことがあるかな。
モンゴメリー副長がそんなことをおっしゃっていた。
・・・ような気がする。
「だけどアリーも未だに海賊船が、変な話、跳梁跋扈≪ちょうりょうばっこ≫しているなんてことは知らなかったよね。
都市の新聞も地方の瓦版もニュースにしないし。
むしろニュースにしようと思わないみたいだからね。
一般市民は最近の海賊船のことなんて知らないのが普通だと思う」
確かに村でも海賊の話題など耳にしたことがない。
昔は船乗りだったケイコばあちゃんですら。
そんな話題は一言だって口にしたことはないよ。
「何か政治的な意図でもあるのかしらね。
当局か力のある誰かの意志が働いている?
情報の制御?
不都合な真実が明るみに出ないようマスコミに圧力をかけているってこと?
本当のところどうなんだろうね。
海軍でそれなりの時間を過ごしているとさ。
娑婆じゃ耳に入らないダークなあれこれも聞こえてくるからこんな話ができるけどね。
あたしみたいな脳天気な女にとっちゃ心底胸糞悪い話よ。
けどね。
あの戦争を知る世代の人達。
特に家族や知り合いにジェノサイドの犠牲者がいる人達にとっては話も違ってくる。
もしかしたら元老院暫定統治機構の地域や船に対する海賊船の執拗なまでに残酷で惨い仕打ちはね。
その人たちにとってはちょっと溜飲の下がることなのかもしれないわ」
『それは海軍にまったく関心の無い一介の美少女に取っても。
サラッと受け流せない衝撃の闇黒話ですぜ、ボス。
ほんとに?
人の恨み辛みって。
そんなにもそんなにも執拗で悲しいものなの?』
わたしはクララさんのお話をにわかには信じることができない。
「要するに海賊船の情け容赦の無い畜生働きはね。
表向きには話題にならなくても。
今だ戦争を引き摺った人達の苦しい心にとっては一服の清涼剤なんだよ。
遺恨を晴らす暗い喜びを妄想したり。
持て余した怒りや嗜虐心を満たす。
海賊船の暴虐はそんなことの為に恰好なイベントに成っちゃってるんだと思うよ。
「海軍は海賊の味方?」ってアリーがさっき聞いてたけどね。
ほとんどの海賊船は払い下げられた海軍の退役艦が巡り巡って成り下がった船だっていうこと。
そのことを忘れちゃいけない。
海兵にとっては公然の秘密もいいとこだよ。
だからあの時。
インディアナポリス号の拿捕した海賊船がうちの退役艦だってのは初めから分かりきったことだったの」
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