第二章 航過:1

 非番で中甲板に居たクルーの興奮は頂点に達した感がある。

アンノウンの発見は更なるお祭り騒ぎの幕開けを予感させたからね。

焚き火に爆燃葡萄を一房放り込んだみたいなものだよ。

 クララさんの言ではないけれど。

「お楽しみは骨の髄までしゃぶりつくせ- !」

ってのがモットーのわたしたちだぜ。

逸≪はや≫る気持ちに急かされてレッツゴーってなもんだ。

我先と上甲板へ駆け上がったのは言うまでもない。


 上甲板に出ると左舷にはもう既に仕事を放り出した当直の連中がいた。

彼女達は手摺から身を乗り出すようにして大騒ぎしている。

中甲板から全速で駆け上がったわたしたちのお祭り気分も負けじとばかりにヒートアップする。

それこそ息つく暇もない。

 ベテランのお姉様方の中にはシュラウドをよじ昇ってトップ台に上がる人もいる。

ヤードに取り付いて文字通り高見の見物を決め込もうとしている人達もいた。

 

 シュラウド?トップ台?ヤード?

ここで帆船の構造についてひとくさり。

 お姉様方がアンノウンを良く見るためによじ登ったシュラウド(横静索)ってのはね。

マストを引っ張って支える放射状に広がる何本かの太いロープの総称。

上から下へ扇形に張られたロープの間には横向きロープ(段索)が等間隔で取り付けられている。

段索は丁度、梯子≪はしご≫の段々みたいな感じに見える。

事実、わたしたちがマストの上の方まで登る時はこの段索を梯子として使うことになる。

今、お姉様方がやったみいにね。

 

 シュラウドの下端は裾広がりの裾の部分でキール(竜骨)に連なる船の構造材に固定される。

扇形に広がる何本ものシュラウドは上に行くに従い徐々にすぼまっていく。

そうしてシュラウドの上端はロアヤードの下で一カ所に集められしっかり締結される。

ロアヤードってのはマストの一番下取り付けられた帆を吊る横桁のこと。

詳しくは後で説明するね。

シュラウドでガッチリ支えられたマストは帆が受ける風さんの力を船体に伝える。

こうして風さんは海の果て空の果てまで船を連れて行ってくれるのだ。

 

 現在就航している航洋性能が高い大型商船や軍艦などシップ型の航海用帆船には、三本のマストが装備されていることが多い。

ちなみに軍艦とは言っても小型のスループ艦だった第七音羽丸のマストは二本だけだ。

 マストは船首より順にフォアマスト、メインマスト、ミズンマストと名付けられている。

(第七音羽丸にミズンマストは無いよ)

シュラウドがそれぞれのマストを支えていて、梯子としても使われているというのはさっき説明した通り。

 

 シュラウドの固定位置に接して、マストに直交する横桁をヤードと言う。

今マストの上に登ったベテランのお姉様方が取りついた見晴らしの良い場所だね。

十字架に例えると縦の棒がマストで横の棒がヤードに当たる。

 けれどもヤードの役割は、かじり付いて遠くを眺める為にあるんじゃない。

ヤードは帆を張る為に必要な横向きの頑丈で長い丸太なのだよ。

 ヤードは左右の先端に取り付けられたブレースと呼ばれるロープを引っ張ると回転させることができる。

皆んなで力を合わせて綱引きするのはヤードを回転させるために他ならない。

そうやってブレースで綱引きしてヤードを回転させれば帆の向きも変わる。

 ブレースの綱引きは帆が風を捕まえてパンパンに膨らむようにヤードの位置を調整するってことなのさ。

 

 ヤードは各マストに三本取り付けられていることが多いわね。

さっきも話に出たロアヤードはマストの一番下に取り付けられている一番長いヤード。

ロアヤードからすぐ上にはまるでロフトみたいな、トップ台と呼ばれる待機所が設えてある。

 トップ台までならわたしたちみたいな武装行儀見習いの新人でも登るのは簡単だ。

それ程高い位置にあるわけではないので下を見てもあまり怖くない。

 トップ台は警戒観測の当直が張り付く見張り台であり。

ヤード上で帆を張ったり畳んだりする要員の溜まり場であり。

接近戦の際に狙撃手が戦闘配置につく銃座でもある。

 

 トップ台から上にもマストは伸びている。

そこを登るためのシュラウドはトップ台を下端の固定部としている。

トップ台から上に伸びるシュラウドは、トップヤード(下から二番目のヤード)の下でその上端をまとめられている。

トップヤードは一番下のロアヤードより少し短い横桁だ。

 トップヤードまで登ってくると、ここにも人が待機できる踊り場が設えてある。

この踊り場はトップ台よりかなり狭いけれどそこで一休みできる。

この場所まで登ってくると甲板が遥か下の方に見える感じになる。

慣れるまではわたしも足がすくむほど恐かった。

 トップヤードの踊り場から上にも更にマストは伸びている。

そうしてマストのてっぺん。

マストトップまでへとへとになって登るとトゲルンヤードに辿り着く。

第七音羽丸で一番高い位置にある横桁、三本目のヤードだ。

 梯子代わりのシュラウドと一番短いトゲルンヤードの構造的設えはトップヤードと同じだ。

トゲルンヤードの位置は本当に目もくらむ高さだ。

そこから落ちれば一貫の終わりだとまんま実感できるよ。

 

 航空船はただでさえ空に浮かんでいるのだからね。

マストトップから見下ろすと甲板がとても小さく見えるし。

海面や地表なんか甲板よりうーんと下の方にあるような感じ。

視界の中になまじ甲板が入るせいで怖さ倍増だよ。

 わたしはこれを遠近法的恐怖と名付けている。

落下傘降下の訓練を何度かやったけれどもそんなに怖くなかった。

それって地表までの距離を比較する甲板みたいな対象物が無かったからだろうね。

そういったこともあってね。

トップヤードとトゲルンヤードは武装行儀見習いのペエペエにとっては作業番外地になってる。

見学や連絡で上がったことはあるけどね。

作業を命じられるのは三年目からと決められている。

 

 事程左様に。

いかに知力体力に秀でていようとも帆船のクルーは高所恐怖症では務まらない。

惑星郵便制度の郵便船にだってマストはある。

だからわたしだって恐怖心を押し殺しながら操帆業務には真面目に励んでるんだよ?

 船上のお仕事にはどれ一つとっても手を抜いてよい作業なんてない。

一つ間違えれば自分ばかりか仲間の命も危険にさらすことになるからね。

 

 第七音羽丸に乗り組んでからわたしも少しは大人になったかも。

それまでは義務や責任っていう人の理は頭だけで理解していた。

今のわたしは義務や責任を頭ではなくて日々身体で覚えつつある。

 武装行儀見習いの奉公はわたしの自儘な了見を根っこのところから変えつつあるのかもしれない。

認めたくはないけれど、それもケイコばあちゃんの企みの内かもしれないよ?

 

 ヤードに張られる帆の内で一番大きな横帆は、ロアヤードから吊られる帆でコースと呼ばれる。

中くらいの横帆はトップヤードから吊られるトップスル。

一番小さな横帆はトゲルンヤードから吊られるトゲルンスルだ。

 各マストには以上の帆とヤードが三つで一組ずつあるので個々を区別する必要がある。

第七音羽丸の船首側のマストはフォアマスト。

船尾側のマストはメインマストと言う。

三本マストの船ならもう一本のマストはミズンマストになる。

だから場所の区別が必要な時は、フォアトップヤードやメイントゲルンヤードといった具合に頭にそれぞれのマストの名前をつけて呼称する。

「アリー!

今すぐメインロアヤードに取り付いて指示を待て!」

なんて具合に命令が飛んで来てもね。

メインマストのロアヤードに行けって事だとすぐ分かる。

船のパーツ名の組み合わせで、どこへ行けば良いのか分かるようになってる。



 昼も夜も風の吹く限り、乙女たちは猿≪ましら≫のようにシュラウドを上り下りする。

そうして見下ろせば。

目もくらむような高みにあるヤードに取り付いて仕事をこなす。

 乙女たちは例え荒天であろうと怯むことなどない。

風雨に叩かれるヤードの上で左右に広がり力を合わせて大きな帆を開いたり畳んだり。

そうやって必要十分な風の力を集める。

 乙女たちは雨にも負けず風にも負けず。

足場の悪い高所で命を懸けて己に課せられた本分を尽くす。

磨き込まれた甲板の上で力の限り綱をひく。

 

 恐れを知らぬ風使いの乙女たちはそうやって第七音羽丸に魂を吹き込む。

魂を得たこの小さな船は勇躍。

今日も雲海を切り裂き天穹を渡って行く。

 

 そんな命掛けの3Kな毎日を送るわたしたち風の乙女にね。

ちょっとしたお楽しみが訪れようとしている。

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