第一章 解帆:12

 なんだか釈然としないけれどね。

わたしが知りたいことは誰に聞いても分からない。

それだけは確かだ。

仕方がないことは仕方がない。

取りあえずはわたしもそのままマドレーヌと紅茶を楽しむことにする。

 

 しばらくすると右舷直第二班最後のメンバーであるリンさんが戻ってきた。

多分どこか別の班の友達のところで道草を食っていたのだろう。

リンさんは席に着くとさっさと自分のカップにお茶を注ぐ。

そうしてマドレーヌを頬張ると早速お茶会の仲間に加わった。

 

 女の子同士の他愛のないおしゃべりは、本当に他愛のないものだ。

プリンスエドワード島の観光スポットの話題で盛り上がり。

グルメ・スイーツ情報でみんなの興奮はマックスに達した。

アキコさんも今ばかりは普通の女の子モードになり姦し喧しタイム全開だ。

 

 いかにもという感じで笑ってしまったのだけれどさ。

パットさんはプリンスエドワード島について異様なくらい詳しかった。

いつの間にか付箋をいっぱい付けた分厚いガイドブックまで持ち出してきたのだ。

パットさんのまるで見てきたかのようなお奨めスポットの講釈は秀逸だ。

それこそ焚き火に油をぶちまける勢いで更にみんなのおしゃべりがヒートアップする。

 騒ぎを聞きつけた他所の班の連中まで参入してきて。

もうなんだかお祭り騒ぎみたいになってしまった。

 

 村に帰るのが大幅に遅れそうだと心配する人なんて誰もいないのには笑ってしまう。

それよりもなによりも。

都市連合の首都トランターより豊かで美しいとされるキャベンディッシュのことだよね。

 空港と中央郵便局があるキャベンディッシュの街は本当に特別だ。

街の大きさからすれば海港のあるシャーロットタウンの方が大きいかもしれない。

けれども空港のあるキャベンディシュの方がお洒落で豪奢。

それは世界中のみんなの知るところ。

 わたしの私事≪わたくしごと≫を考えなければどうだろう。

キャベンディシュへの入港は乙女の憧憬を沸騰させるに足る思いがけないサプライズと言える。

だから今。

血中アドレナリン濃度をマックスにした乙女たちのはしゃぎっぷりは狂乱に近い。

 

 パットさんがガイドブックのイラストを指先で叩きながら瞳を輝かせる。

そうして街で一番と評判の甘味処について熱く語り始めた時だった。

「このカフェ・グリーンゲイブルズのクリームブリュレと。

注文した後に焼き始めてくださるスフレを逃したら。

一生後悔するに違いないと思うの。

それでね・・」


 「みんな聞けー。

注目!」

「わん!わん!」

突然ボーイソプラノの様に凛と澄んだ声が、突風の様に下甲板を駆け抜ける。

スキッパーの吠え声が、注意喚起の号笛さながらに続いた。

一瞬のうちに学校の休み時間に似た喧騒が静まる。

 みんなが声の聞こえた方向に顔を向ける。

その統制の取れた動きは、空を舞う猛禽に気付いたミーアキャットの群れみたいだ。

ラッタルの所には上気した顔で瞳を輝かせた小柄な少女が足を開いて仁王立ちしていた。

 わたしたち右舷直第二班と対になる左舷直第二班のメンバーであるディアナ・ライト・バーリー。

彼女はわたしの幼馴染かつ悪友でもある。

胸を張って佇立するディアナの脇ではスキッパーが分別臭い表情を浮かべてしっぽを立てている。

 

 ディアナはアナポリス島にある都市連合海軍の兵学校を志望している。

非番の空き時間にもご熱心なことに受験勉強に勤≪いそ≫しんでいる。

副長や掌帆長にお願いして数学や地理など兵学校の受験に必要な学科の教えを受けているのだ。

酔狂にも程がある。

 アキコさんとは別の意味で、その正気を疑うわたしの幼馴染みだ。

左舷直第二班もわたしたちと同時に非番に入ったはずなのに彼女は下甲板に居なかった。

大方副長あたりに教科の質問でもしていたのだろう。


 「ダイですか。

どーしました」

騒ぎに加わっていた左舷直第二班班長のサナコ・リー・サカモト予備役兵曹さんが少し顔を引き締めて問いかける。

 サナコさんはクララさんと同期の黒髪がチャーミングな航海士だ。

主な持ち場は水平帆を操作する舵輪がある上後甲板だ。

海図を広げて副長と額を突き合わせている姿をよく見かける。

 「本船の進路直交の海上にアンノウンを視認。

フォアマストトップ台で警戒観測に当たっているシンクレアさんからの第一報でーす」

ディアナがサナコさんの質問にキビキビと答える。

「アンノウンのマストは何本だ。

船種もしくは艦種は?」

「マストは3本。

船の種類は今の所不明」

その場にいる全員が一斉にハッチに向かって走りだした。


 大海原は広大だ。

だから一般商用航路を外れたこの辺りで海の船に行き会うなんてね。

それはとても珍しいことなんだよ?

 所属や船の種類も気になるけれども、そんなことは上が心配すること。

今日は快晴で視程距離も長いから見物にはもってこいだ。

非番のみんなが我先に上甲板に出ようとするのも無理はない。

 空から眺める海洋帆船の巡航ときたらそれはそれは美しい。

三本マストなら結構大きな船に違いないよ。

船によっては海の貴婦人に例えられる位に優美なのだからここで見逃す手はない。

 武装行儀見習いみたいな下っ端に限らずクルーはみんな娯楽に飢えている。

それは殆ど慢性的なもので空舟の退屈は仕舞いには狂気を孕む気がするくらい。

それが証拠に砲撃クラブの発砲なんて、わたしには危険極まりない火遊びに思えるよ。

確かに退屈をしのぐ憂さ晴らしにはもってこいだけどね。

 そんな船上の日常に降ってわいたサプライズイベントの第二弾だよ?

お祭り騒ぎのネタはプリンスエドワード島への寄り道だけじゃなかったんだ。

アンノウンの出現はまるで追加のボーナスイベントみたいでさ。

みんな揃って狂喜乱舞の大盛追加だったよ。

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