第一章 解帆:11
わたしは脳天にクララさんの拳骨を食らったアキコさんが少し哀れになってしまう。
『音羽屋≪トワヤッ≫!』
そこでわたしは心の中の大向こうから唸ってみる。
声には出さなかったけれどもアキコさんにお作法通りの掛け声をかけた。
それは地球の東洋で古くからあったと言う。人を茶化すとき使うおまじないみたいなものだ。
起源は芝居小屋の後ろの方から飛ぶ。
感極まった観客が上げる歓呼の声。
大向こうから役者に向けて掛けられる称賛の高唱だったらしいけどね。
「面白そうなお楽しみは骨の髄までしゃぶり尽くしたい。
なんて言うあんたのその精神は良く分かるけど調子に乗りすぎ。
見てみ。
あのアリーの目」
クララさんがアキコさんの暴走を完無視しているわたしに視線を向ける。
そうして大人しくお茶を楽しむわたしに向かって顎をしゃくって見せた。
涙目が妙に可愛いアキコさんが、頭のてっぺんを両掌で摩りながら叫んだ。
「アリー、てめえ。
なんだその冷ややかで憐みに満ちた眼差しは!
クッ。
おぬし拙者を愚弄するか。
そこへなおれ手打ちにしてくれる・・・。
アヤヤ台詞が変・・・」
拳を握り込んだアキコさんが激昂する。
「ちっくしょー、アリーッ。
このおとしまえは今すぐ付けてやる。
覚悟しやがれ・・・」
もう一発クララさんの拳骨が炸裂した。
『アキコさんなんだか台詞がとっちらかってますよ?』
「だから、はしゃぎすぎ!」
クララさんが半眼になる。
「海軍伝統の精神注入鉄拳!
確かにいただきましたっ!」
アキコさんは再び頭のてっぺんを両手で押さえたまま目を潤ませる。
そうして崩れ落ちるように椅子にへたり込んだ。
「そんな伝統ナイナイ。
精神注入鉄拳って、いったいどこからの引用?
微妙に違っているような感じがするけど」
「それって多分精神注入棒のことですよ~」
パットさんが間延びした茶々を入れる。
「あらそうなの?
まあ、アキちゃん。
とにかくあんたはしばらく口を閉じてなさい」
クララさんも腰を下ろすとよく日に焼けた頬を和らげる。
彼女はリラックスすると少したれ目になる。
クララさんは自分のだんまりが場の空気を悪くしたことに気付いたのだろうね。
「ちょっと考え事しちゃって。
みんな悪かったわね。
それでケイコさんからの封筒って一通だったの?」
クララさんはごめんなさいと、みんなに謝ってからわたしに話しを戻した。
「まいまい堂謹製の大ぶり封筒で船長宛に二通です。
乗船の際に手渡すようにと言付かりました」
パットさんの顔からふわっとした笑みがこぼれる。
彼女も音羽村の文具店まいまい堂のレターセットを愛用しているのだろう。
そのことがまる分かりの表情だ。
「その内の一通に北緯何チャラで開けって、開封時期を指定した命令書が入っていたのね。
そう言うことなら。
もう一通の封筒に同封されていた命令書は?」
クララさんがわたしの目を覗き込む。
「行先変更をわざわざ下っ端の武装行儀見習いに伝えるなんてことは普通しないですよね。
何かあるなと思っていたら案の定。
プリンスエドワード島に着いたらキャベンディシュにある惑星郵便制度中央郵便局へ行けと命じられました。
そこで私書箱の中身を受け出してこいって。
鍵と合言葉を書いたカードを船長から渡されました」
わたしはさっき船長から手渡されたアイテム。
古い木札のついた真鍮の鍵とカードの入ったぽち袋を、ウエストポーチから出してクララさんに差し出す。
「それがもう一つの封筒に入っていたもう一通の命令書による命令なのね。
郵便局へ行って私書箱の中身を受け出して来いってことか。
あたしが見てもいいの?」
クララさんはちょっと戸惑いながら二つのアイテムを手に取る。
「どーぞ。
別に秘密にしろとか言われてませんから」
「キーとパスワードか」
「いえ、鍵と合言葉だそうです。船長が念押ししました」
「・・・アイテムの呼び方に何か意味があるのかしら」
クララさんが首を傾げた。
「きっとお宝探しの陰謀ですぜ。
ちっくしょー。
あのくたばり損ないのババァ。
ビッチな孫娘使って欲張りで下衆な船長をたらしこみやがって。
ふたりで上手いことやらかそうって腹づもりに違いありやせん。
お頭。
ここはあっしらも一枚噛んだって、ぜってー損はありませんぜ!」
アキコさんが目をらんらんと光らせながら復活する。
「誰がお頭だって?
精神注入鉄拳だっけ?
もう一つあげとく?
それに船長に対するあんたの素直な人物評は色々問題かも。
欲張りで下衆ですって?
それ、ボースンにお恐れながらって御注進申し上げちゃう?」
クララさんが冷たい笑顔でアキコさんに笑いかける。
「ヒエーッ。
マリア様に掌帆長様にチクルのだけはご勘弁を。
裸にひんむかれてヤードの端から逆さに吊るされちまいます。
おとなしくします。
今すぐ、うでる前のコンソメ貝のように黙りこくって静かにいたします。
みなさんのお手本になるくらいの良い子になりますからどうぞご慈悲をー!」
掌帆長という単語一つでアキコさんの顔は荒神に怯える生娘のそれになる。
脳内妄想が吹き飛んで正気に戻ったことがまる分かり。
「どういうことなんでしょうかね。
たぶんわたしは当事者なんだと思うんですけど。
何の説明もなくて。
・・・何度か船長が意味深な感じでニャって笑ったんですよ。
ニヤって。
たかだか田舎の今にもつぶれそうな手芸品屋の店主が書いた手紙ですよ。
そんな手紙にいったい何が書いてあったって言うんでしょう?
船長は手紙で何を知ったのでしょう。
それに、命令書って何なんです?
そもそもケイコばあちゃんごときのモブな村民にどんな権限があるって言うんですか」
わたしはカップを取り冷めた中身をごくりと飲み干す。
手が少し震えていた。
「中等学校を卒業したら進学資金は自分で稼げってケイコばあちゃんに言われたんです。
それで嫌も応もなくいきなり第七音羽丸に奉公に出されたんですよわたし。
武装行儀見習いはお給金が良いからって。
・・・右も左も分からないまま甲板で追い使われる内。
日焼けはするし髪だってこんなに潮焼けしちゃって。
幼馴染の先輩は全然頼りにならないし」
わたしはお淑やかなご令嬢のふりをしているアキコさんにジト目をくれる。
アキコさんは左の中指を立てて応えてくれた。
「わたしってば、自分で言うのもなんですけどやさぐれちゃってるんです。
それでです。
やっとこさ村に帰れると思っていたらどうです?
なにやら陰謀めかした秘密指令で船は寄り道だし。
わたしったら不気味なおつかいのミッションまで仰せつかったんですよ?
それもこれもぜーんぶっ。
・・・おそらくケイコばあちゃんの企みで。
アキコさんじゃないですけど悪巧みに決まってます。
わたしだって自分のおばあちゃんのことを悪くは言いたくないですけどね」
わたしは一旦言葉を切り、クララさんの目に視線を合わせる。
「中等学校を卒業して以来がっちり型に嵌められているみたいなんです。
わたしにとっては訳の分からないことだらけなんです。
わたしは一刻も早く村に帰ってお給金を頂き、すぐにでも村を出たいんです。
そうして憧れのポストアカデミーに進学したいんです。
何だったら間も良いのであれです。
プリンスエドワード島で船からそのまま降りちゃったって良いくらいなんです」
わたしが一気にまくし立てるとクララさんは困ったような顔で溜息をつく。
「それじゃあアリーはこの件については本当に何も聞いていないんだね。
申し訳ないけれどあたしの口からは推測にせよ迂闊なことはいえないよ。
必要なことならケイコさんが前もってあんたにお話ししたろうし。
船長もおそらく事情はご存知なんだろうけどね。
アリーに一言の説明も無かったのならそれはそう言うことだよ。
アリーは知らなくても良いってこと。
プリンスエドワード島で私書箱を開けばそうね。
傍から見たってなんだか回りくどい。
あれやこれやについての理由もきっと明らかになると思う。
あんたがはめられた型がどんな形なのか分かるんじゃないの」
スッとクララさんが肩の力を抜いた。
「いやー、アリーには申し訳ないけどね。
アキと同じようにあたしもちょっとワクワクかも。
どうやら冒険活劇の臭いがするわよー。
これは」
クララさんは再びたれ目の笑顔になってポンとわたしの頭に手のひらを乗せる。
アキコさんが我が意を得たりとばかりに、今度は懸命にも口を閉じたままうんうんとうなずく。
その向こうではマドレーヌをかじりながら幸せそうに微笑んでいたパットさんすらやれやれ。
ビカビカと瞳に星を散らしていらっしゃる。
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