第一章 解帆:6

 「お昼の天測でね。

音羽丸が北緯八十度二十七分東経二十三度四十一分付近にいることが分かったわ。

あんたが預かってきたケイコさんの手紙。

あたし宛のやつよ。

開封に条件の指定があったわ。

北緯八十度まで音羽丸が戻ってきたところで開封しろってね。

今日は六月六日。

文面の中にも開封時の日付は、六月の第一週頃だろうと書いてあったけど。

さすがね」

ブラウニング船長は形の整った艶やかな唇をゆがめて話を切る。

 

 船長は至聖堂薬局の日焼け止めを愛用していて、いつもつば広の麦わら帽子を被っている。

そのせいか、船長の面長なちょっと冷たい感じのする美青年顔は船乗りのくせに驚くほど色白だ。

おまけに頬から顎のラインだってすごく滑らか。

髭の剃り残しなんて針で突いたほどもない。

しゃくにさわるけど、わたしなんかより余程の美肌だし顔のフォルムも美しい。


 「おばあちゃんの手紙ですか?

開封条件の指定?

えーっ。

いったい何のことですかそれ?」

そのときのわたしには、船長の何やらいわくありげな目つきと。

ニヤッと片方の口角を上げるその口が。

本当はどんなことを伝えたいのかを全く理解できていなかった。

「アリーちゃん。

あんたケイコさんからやっぱり何も聞いていないのね。

そういやあんた中等学校を終えた後。

本当はすぐにでもポストアカデミーに行きたいって。

そう言ってたもんね」

「そうですよぉ。

だけどおばあちゃんってば。

うちは貧乏だから渡航費用は自分で稼げって。

・・・でも知ってます?

ポストアカデミーは学校推薦があればですよ。

渡航費用と諸々の経費を、お得な無利子分割払いで受験生に貸してくれるんですよ。

試験に受かればそれもチャラになるし。

学校推薦もらって願書も書いて、郵便局長さんに紹介状までしたためて頂いたっていうのに。

ふと気がついたらわたし、第七音羽丸の甲板磨いてました」

 

 わたしはアーサー・レイ・デュシャンに小さいころから憧れていた。

デュシャンは大災厄後のロージナに郵便業務を立ち上げた伝説のポストマンだ。

 彼はごく若い時分から、互いに孤立してしまった地域や集落間に於けるコミュニケーションの再構築に関わった。

デュシャンは多次元リンク喪失後のロージナに郵便と言う新たな情報インフラを築き上げた立役者だったのだ。


 郵便の事始めは行商人だったデュシャンが顧客から手紙を託されたことにある。

「にいちゃんよぉ。

にいちゃんが次に行くアンノウン村まで手紙を届けちゃくれまいか。

アンノウン村のジョンスミスって知ってるか?」

「知ってるも何もジョンスミスさんと言えばお得意様ですし。

いいっすよ。

お手紙は品物と一緒にお届けしときます。

俺に任せといて下さい」

郵便配達はそんな調子で始まったのだろうって思う。

 

 そんなデュシャンの何気ないサービスがいつしか評判を呼んだのは歴史の必然だったろう。

彼は商売で訪れる村から村へと親切心から手紙の配達を請け負った。

互いの消息を伝えあう声。

愛する人に当てた言葉。

社会を再びまとめ上げるための相談。

そうしたかけがえのない便りを託され送り届けることにどうだろう。

いつしかデュシャンは大きな意義を感じるようになったのだ。

 

 やがてデュシャンは同志と共に郵便制度の構築に生涯を捧げることとなる。

デュシャンと彼の同志達は活動を始めた早い段階から、政治的中立を組織の掟とした。

 例え仲違いをしている者同士だとしても対話の窓口さえ残っていれば仲直りできる。

お手紙は冷静に対話を進める手段としてはもってこいのアイテムだからね。

誰の敵にも味方にもならず淡々とお手紙を預かり届ける。

そんな地道な郵便配達の経験から彼ら彼女らは、中立の重要性を信じるに至ったのだろう。

なんとなれば政治的中立は今でも、全てのポストマンが命に代えて守らなければならない誓約のひとつだ。

 彼ら彼女らは、初期の過酷な郵便配達業務時代を経て徐々に組織を大きくしていった。

そうして人々の信頼をしるべにして、貨物輸送、為替や金融業にまで事業を拡大し今日の地位を築きあげたのだ。

 

 けれども、事業が全惑星規模にまで大きくなる途上で困難もあった。

遅ればせながら成立しつつあった大陸や島しょの様々な統治組織から次第に圧力が掛かるようになったのだ。

乱立した各地の統治組織はデュシャンと仲間たちが立ち上げた郵便業務を欲した。

郵便局を行政機関の一部門として自分達の支配下に入れたいと考えたのだった。

情報が権力の源泉であることは古代から変わらぬお約束なのだろうよ。

 

 だけどデュシャンの後継者たちは偉かったね。

彼ら彼女らはそうした権力の干渉を嫌い、当初から変わらぬ政治的中立を守ろうと考えた。

彼ら彼女らは大陸から遠く離れた島に本拠地を定めて独立不羈≪どくりつふき≫の結社を組んだのだよ。

 デュシャンの結社は最初、人々から単に郵便局と呼ばれていただけだった。

けれども組織が大きくなると結社は自ら惑星郵便制度と名乗るようになった。

公式の名前こそ惑星郵便制度になった。

それでも人々は敬意をこめて郵便局という名称を使い続け職員をポストマンと呼ぶ。

 ポストマン。

なんてカッコいい響きだろう!

時代が進むと、結社は独自にポストアカデミーという教育機関も立ち上げた。

そうしてポストアカデミーは、デュシャンに憧れポストマンを志す少年少女の登龍門となった。

 

 わたしは大災厄を生き残ったみんなの為に郵便業務を始めたポストマンに恋をした。

図書館でアーサー・レイ・デュシャンの伝記を読み返しては小さな胸を熱くしたものだ。

村の脳天気な小僧どもなぞわたしの眼中になかった。

 彼はまんまわたしの英雄だ。

だから。

わたしは権力からの自由を何よりも大事にする惑星郵便制度にもぞっこんだ。

 

 デュシャンへの盲目的恋心が理性的な憧憬に変わった頃、わたしは少し大人になった。

子供時代から一歩未来へ踏み出せば、世の中の現実を見て自分の将来に思いを馳せる様にもなる。

 すると事実として分かる事ができてくる。

わたしにとりポストアカデミーに進学するということは、そのまま自由を意味することに気付いたのだ。

口やかましいおばあちゃんや仲良しごっこみたいな村のしがらみから解き放たれる。

進学は文字通り心身ともにわたしが自由になることを意味する。

 そうして同時に、小さいころから密かに温めてきたポストマンという理想の生き方を手に入れることにもなる。

ポストアカデミーへの進学は、わたしにとって希望の未来を自分のものにする唯一のチャンスなのだ。

 

 もしもだよ。

ポストアカデミーへの入学が叶えばさ。

お小遣いを頂きながらお洒落な都会の学校に通えるんだよ?

そうして無事卒業できれば、ポストマンというエリートの地位を約束されるんだよ?

理不尽な権威に束縛されることなく高いお給料だってもらえるんだよ?

わたしみたいな欲深い女の承認欲求を存分に満たせるくらい重要なお仕事にもつけるんだよ?

おまけにみんなから尊敬されて子供たちからは憧れのまなざしをむけられるんだよ?

こんな立派で美味しいお仕事なんて他にはない。

 

 田舎娘には過ぎた夢だと笑わば笑え。

今は武装行儀見習いなんて訳の分からないバイトに身をやつしているけどさ。

お給金をためて受験に備えるんだ。

そしていつの日か、わたしはポストアカデミーのカッコイイ制服に腕をとおすんだ!


 「あんたの学校推薦状。

実はこっちにも回ってきてるのよ。

アナポリスの海軍兵学校はやっぱり受ける気ない? 

あんたなら十分やっていけるわよ。

あたしも推薦状書くし」

ブラウニング船長は本当にしつこかった。

「わたしは自分の意志とは無関係に、おばあちゃんにはめられたんです。

こんな武装行儀見習なんて。

海兵の幼年学校みたいなバイトを押し付けられちゃってですよ。

イヤイヤ第七音羽丸に乗り組んでいるんです。

わたしはここで貰ったお給金を使ってポストアカデミーを受験するんです」

「バイトって・・・イヤイヤって・・・吐き捨てるみたいに。

あんたねぇ」

わたしはそれ以上船長に何か言わせないため、畳みかけるように抗議を続ける。

「船長や副長、それから掌帆長の母校になんら含むところはありません。

だけど何度お勧めを受けようと嫌なものは嫌です。

年期が明けて晴れてお給金を頂いたら。

わたしは何が何でもポストアカデミーを受験するんです!

アナポにはぜーったい行きません!

軍人なんかになりません!。

ポスアカはわたしが小さい頃からずーっと憧れていた学校なんです!

わたしはぜーったいにポストマンになるんです!」

 鉄のように冷たく硬いはずのわたしの意思は、感情の高ぶりを上手く制御できなくなった。

キャンディーみたいに甘甘媚び媚びの女の子みたく盛大に涙ぐんでしまったよ。

どうやら今日はいつもよりずっと涙腺が緩くなっているみたい。

「何も泣かなくったっていいでしょうに。

これじゃまるであたしが子供を苛≪いじ≫めてるみたいじゃない。

分かったわよー。

あんたの思い通りになるかどうかはともかくとして。

あたしだって意地悪で言ってるんじゃないんだからさぁ。

・・・なんか盛大に脱線しちゃったみたいなんでケイコさんの手紙に話しを戻すわよ。

まあ何はともあれ、あんたには真っ先に言っておかなけりゃならないんだけどね。

これから本船はプリンスエドワード島に寄り道することになったわ」


『プリンスエドワード島に寄り道するですって?

わたしに真っ先に言わなければならないってどういうこと?』


なんだかろくでもない裏がありそうだった。

いぶかしげと言うよりストレートな恐怖心が顔に出たのだろう。

わたしの顔を覗き込んでいた船長はまたもやニヤリと笑った。

「そんな罠にかかった狸みたいに目ぇ丸くして怯えなくてもいいわよ。

なにも捕って食おうって訳じゃないんだから。

あんたへの言伝と預かりものがあたし宛の封筒に入ってたのよ」

船長は手にした書類を無造作に振った。

「ケイコさんから託された書類にはこうあったわ。

『アリアズナ・ヒロセ・ムター武装行儀見習いはキャベンディッシュの中央郵便局へ赴き、私書箱“への六番”に在中のファイルを受けだしルートビッヒ・マオ・ブラウニング退役海佐に復命のこと。

ブラウニング退役海佐はファイルに封入されている命令書の指示を厳守すること』

以上よ。

今からあんたに私書箱の鍵と合言葉を預けるわ。

島に着いたらケイコさんの指示通りあんたには中央郵便局までお使いに行ってもらうわよ」

「キーとパスワード?

なんでわたしがお使いに?

おばあちゃんったらえっらそーに誰に指図してるんだか。

いったい何様のつもりですかね。

開いた口が塞がりませんよ」

ブラウニング船長はちょっとSが入ったイケメン顔をいつもの軽薄なズべ公顔に改めた。

再びニヤリと唇を歪めると大きな封筒からアイテムを取り出す。

“への六番”と書かれた古い木札の付いた真鍮製のキーとお年玉用のポチ袋だ。

きっとポチ袋の中にパスワードが入ってるんだろう

「いーえ。

キーとパスワードじゃなくて鍵と合い言葉よ。

なんであんたがわざわざお使いに行かされるのかは、おいおい分かって来るでしょ。

ケイコさんは無意味な命令を出す人じゃないからね」

「命令って・・・」

『ケイコはアンタのなんなのさ?』

心の中で思わずツッコミを入れちまいましたよ。

 

 船長の左手では封筒と何枚かの便箋が船上の風でバサバサと音を立てている。

『船長うかつだな。

手紙、風で飛ばされたらどうするんだろ』

わたしは話の急展開についていけず、ぼんやりそんなことを思いながらアイテムを受け取った。

「プリンスエドワード島と言えば、惑星郵便制度の本拠地じゃない。

ポストマンのメッカよ。

あたしはね。

島に着いたらとっとと上陸して中央郵便局で私書箱の中身を受け出して来なさいってあんたに言ってんのよ。

あんたが行きたがってるポストアカデミーのあるところじゃないの?

自由時間とお小遣いも上げるから、ちょっとは嬉しそうな顔しなさいな。

・・・色々とできそうなことあるでしょ?

話はここまで」

午後直(アフタヌーン・ワッチ:12時~16時までの当直)の三点鐘の鳴る音が聞こえた。

「よし、アリー。

配置に戻れ」

モンゴメリー副長の命令は、いつものハスキーで歯切れ良い美声だ。

「アイアイマム」

急いで鍵とぽち袋をウエストポーチにしまう。

わたしは後部甲板のお偉いさん方に頭を下げ、自分の持ち場であるフォア・マストに駆け足で戻る。

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