第一章 解帆:5
大災厄以降、高度な技術を利用して行う鉱物資源の地下採掘は不可能になった。
だけど例え鉱石があっても金属の精錬を行う知識も設備もまた存在しなかったからね。
どうしようもなかったと言えばその通りだ。
大災厄から最初の百年位は、精錬というプロセス自体が古代の失われた技術という位置付けだった。
考古学者の一部はそう考えている。
タタラっていう超古代の製鉄法を研究する極マイナーなオタク達がいたらしいんだけどさ。
大災厄がもたらした混乱で彼ら彼女らも生き残ることで精一杯だった。
仲間で連絡を取り合いさてどうしたものかってね。
金属の精錬について考える生活の余裕が生まれるまでに、なんと五十年近くかかったって言う。
オタク気質を五十年も封印できたのだから大災厄のもたらした被害は尋常じゃない。
わたしたちの平均寿命が百五十年と言ったって五十年は長すぎるよ?
苦難の時代を生き延びた鉄オタはタタラ製鉄を再開した。
そうして再び細々ながら冶金や鉄器制作のまねごとを始めたわけさ。
するとどうだろう。
鉄オタの超絶マイナー趣味が科学文明を失った社会には必要不可欠な技術であることが明らかになった。
実際に人が機械を使わずに農業や手工業、大工仕事を始めようと思ったら道具が必要になる。
それは人が経験と技術を活かし、自分の身体を動かして使う道具だ。
みーんな鉄でできている。
要するに精錬と鉄を加工する技術は人類の生存に不可欠ってことだよ?
鉄オタ改め元祖鍛冶屋さんが見よう見まねで仕事を始めた時。
少なくとも標高300m以上の高地で隕鉄を利用できたことは幸いだった。
フィールドより上の世界では素材が比較的簡単に手に入るってことだからね。
元祖鍛冶屋さんは隕鉄を使って製鉄も手掛けた。
道具の材料からして手作りだった。
オタクの底力は計り知れないよ?
因みに航空帆船の港町は当時鍛冶屋さんが仕事を始めた所が多い。
農地が作れて人が沢山住める平坦な高原の端っこだよ。
鍛冶屋さんの仕事場を中心にして街ができ、やがてそんな街では造船業も栄えたってこと。
そもそもお百姓さんが使う農機具を作る鍛冶屋さんを中心としてできた街だからね。
農地の近くなら食物や水の補給も容易だし造船所もあるから港町としては理想的なの。
音羽村みたいに後付けで小さな港を作った所もあるけどさ。
山の中腹にある船着き場って域を出ないかな。
船着場じゃ補給がせいぜいで船のメンテなんかできないからね。
第七音羽丸も修理や整備は近隣の大きな街の港や巡空の途中で立ち寄る港でやってる。
空の岸辺に打ち上げられた隕鉄は百年ほどで使い尽くされちゃったけどね。
鉄の精錬や鋳鍛造については多少の知識と技術の蓄積ができた。
そうした技術情報はどんどん標高300m以下の下界にフィードバックされていったからね。
やがて下界でも徐々に金属の再利用、発掘や採掘が再開しはじめたんだってさ。
歴史の教科書にはそう書いてある。
フィールド上に残された隕鉄を回収して回る第七音羽丸みたいな鉱石スイーパーの登場はごく最近のことだよ。
下界で海洋船舶が再発見再発明再開発されて。船の構造や運用技術が発達してからのことになる。
航海帆船の技術が確立した後で航空帆船が発明されたわけさ。
航空船舶の開発は、フィールド下の世界からフィールド上の世界への技術的フィードバックと言うことになるかしらね。
飛行機械が失われて久しいけど航空帆船は墜落しないし動力はいらないし安全安価な乗り物だよ。
進み過ぎた人類の文明は同時代人にも、こと物作りに関してはブラックボックスだったに違いないと思う。
いわゆる工業製品と呼ばれる代物は、原材料を用意し加工し組み立てる。
そんなプロセスが必要だけれどもこれは古代と現代にだけ言えることだ。
大災厄以前の人類の文明はテラフォーミングみたいな神の領域と思える技を使いこなしていた。
それは今のわたし達が持つ知識や技術レベルでは、想像することすら難しい超文明の神業ってことだ。
大災厄以前の人類がモノに価値を感じていたかどうかはなはだ疑問だ。
それこそパンツから宇宙船に至るまで。
ありとあらゆる工業製品はカスタムメイドの完成品として人々が望むままに供給された。
モノというモノは何でもかんでも多次元リンクで制御されるナノマシーン群を駆使して製造していたと言うからね。
これはホントの驚きだ。
栽培だか培養だか本当の所はよく分からないけれどさ。
とにかく大きなタンクに原材料をぶち込んで後はおまかせ。
なんて便利なシステムだったらしい。
ナノマシーン群のタンクは当時ですら俗に魔女の大釜と呼ばれていたそうだからね。
今となってみれば、それは文字通り魔女がかけた魔法の技としか言いようがない。
残念ながら、多次元リンクとマザーシップが失われることで、あっさり解けてしまった魔法なのだけどね。
そんな魔女の大釜なんていう非常識なシステムが地球から持ち込まれてロージナの産業界でブイブイ言わせていた。
いやいやそれを産業と言って良いのだろうか。
身体を使い頭を使い汗水たらして人の役に立つ製品を作る。
そうして作られた製品を相応の対価を支払って手に入れ大切に使う。
作る人も使う人も相互に立場を入れ替えながらみんなが幸せで豊かな社会を目指す。
作って売って買って使うというダイナミックな人の喜び全体を産業と言うのじゃあるまいか。
生産は魔女の大釜にまかせて人間は製品を消費するだけ。
そんな滑稽な有様を産業なんて呼んで良いのだろうか?
魔女の大釜?
めちゃくちゃ便利そうだし。
わたしみたいにこうして素朴な生活に甘んじている身としては目が眩むほど贅沢な話だよ。
・・・正直言って羨ましいよ?
ナノマシーンにお任せすればイメージできるものなら何でも作れちゃう。
だからね。
大災厄以前のロージナでD.I.Y.が完璧な死語となっていたってことはいまさら想像するまでもないよね。
結果として大災厄以降の物作りは一気に退化した。
冶金や金属加工に限らず、古代のやり方を趣味で研究していた変わり者。
カルチャーセンターに同好会。
そんないわばオタク的草の根シンクタンクだけが頼みの綱となった。
要するに、現代のわたしたちが享受するロージナの細やかな現代文明はね。
オタクやマニアや趣味人を新たな導き手として始まった。
とってもキッチュものなのだよ。
だけどどうだろう。
魔女の大釜に頼っていた超文明人より。
頭と身体を頼りに今を生きる現代文明人の方が、わたしには余程進化した人類に思えるわね。
魔女の大釜・・・羨ましいけど。
大災厄で文明が退化したロージナにまつわる四方山話へと脱線した話題をわたしの今。
・・・現在わたしが乗り組んでいる航空帆船へと戻そうと思う。
第七音羽丸の様な航空船舶の基本構造は単純そのものだ。
河川や海洋に浮かぶ水上船舶の下部甲板か中部甲板をまっ平に作り込む。
そうして平板な甲板の表面に銅や鉄の薄い板を貼り付けて。
まんま、フィールドの上に乗っけただけという代物にすぎない。
どういうことかと言うと、木はフィールドの制限を全く受けない。
木造の船底部は当然フィールドに邪魔されることなくフィールドの下に出る。
一方、銅や鉄板を張り付けた甲板はフィールドを通れない。
だから作った航空船舶を進空(海上船舶でいう進水ね)するとあら不思議。
鉄や銅版を張った甲板がフィールド面にドシンと乗っかってしまう。
銅や鉄板を張った甲板面が航海船舶の喫水に対応すると考えれば分かり易いかしらね。
フィールドは海面に相当することになるってこと。
船は木造なので造船所で組み上げ進空を果たせば。
銅や鉄板を張り付けた甲板でフィールド上に浮かぶ体裁となる。
艤装は進空後だからね。
船底構造物内の金属を使った造作はフィールド下の下界から調達した部品で行うことになる。
進空後は船底と上部構造物の間で金属の移動はできなくなる。
よってハンマーや金物の類は上下階で別々に用意しなければならない。
こうして順次船底構造物には水平帆や各種の装置が艤装され、バラストや倉庫のスペースも設けられる。
慣性重量の関係から操作性を考えると航空船は大型化できない。
水上船と違い水の抵抗を利用する舵を使えないからね。
航空船は通常、船底の大きな水平帆を左右に傾け、縦帆と横帆の角度を調整して進路を決める。
そして、ここぞと言うところでは超文明の発掘遺物である小型のスターリングエンジンを使う。
スターリングエンジンでプロペラを回し少し精度の高い操船を行う。
航空帆船が出す順風時のスピードは、水という摩擦抵抗がない分すばらしいものがある。
だから航空船は航空艦に姿を変え、先の大戦時には連絡や偵察目的で大活躍をしたんだってさ。
戦争で大活躍したからってそれが何?って感じ。
人殺しの片棒を担いだからって、そんなことが何の自慢になるんだろうか?
航空船や航空艦についての知識はアレだ。
わたしがイヤイヤ受講させられている座学で教わったものだ。
第七音羽丸に無理矢理奉公に出されてから、肉体労働の他にはそんなことも仕事の内なんだよ?
なんで行儀見習いじゃなくて武装行儀見習いなのか。
それは第七音羽丸が予備役に編入された軍艦だからだ。
ぺーぺーの下っ端船員。
それもなぜか女子は伝統的に行儀見習いという名で呼ばれる。
だけど予備役でも軍艦は軍艦。
第七音羽丸の行儀見習いは武装行儀見習いってことになる。
海軍の下っ端女子水兵とおんなじだ。
一朝事あれば第七音羽丸は現役に復帰して軍艦にもどるらしい。
そしたらわたしも水兵になって戦うんだってさ。
冗談じゃない!
殺されるのは嫌だけど殺すのはもっと嫌。
その時がきたらわたしは何が何でも脱走しようと思ってるよ?
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