第一章 解帆:4
多次元リンクとライブラリーが失われる。
その時点でもちろん、フィールドの作動原理や管理技術も全てが謎となってしまった。
地球から大事に持ってきた高度な文明のシステム全てが失われたわけだ。
なぜフィールドだけが生き残っているのかは誰にも分からない。
有り体に言えば、超科学文明の見るべき遺産はフィールドしか残ってないってことだよ?
そうした事態を分かり易く説明するために読み書きに話を戻すとこうなる。
ご先祖様達は大災厄以前には、ちょっとしたことを紙にメモする。
そんなことすらしなかったってのは本当らしい。
いや、その時点で紙というマテリアルはね。
特殊な趣味を持った人達のオタク的手工芸品に成り下がっていたのだとさ。
そのことはほぼ確かだからね。
普通の人にとっては筆記と言う作業自体が既に稀有≪けう≫なことだったみたいだよ。
そもそも字を読めたのは確実としても書く技術はどうだったんだろ。
万能の多次元リンクが今でいうペンや紙の機能を果たしていた時代にだよ。
初等学校で面倒な書き取りの授業があったなんてとても思えない。
昔の地層からはご先祖様が文字を刻んだり書いたりした粘土板や木簡が見つかる。
だけど粘土板や木簡がある程度まとまった形で出土するのはね。
大災厄から一世代以上後になってからの地層なんだってさ。
文字を書くことが人々に広まったのいつ頃のことなのか?
それは考古学者の間でも意見が分かれるところらしいよ。
大災厄以前にはこれまた驚きなんだけどさ。
通信や情報検索は生体脳に組み込まれた補助電脳で処理されていたんだと。
補助電脳ってのは卵子が継代していくナノマシーン群が構築する外付けの脳みそらしい。
なんだかミトコンドリアみたいだけどね。
補助電脳は多次元リンクと常時接続していてシステム全体はライブラリーが制御していた。
学者の皆さんはそう考えているそうだよ。
ナノマシーン?
補助電脳?
ライブラリー?
概要は学校で習ったけど、魔法と言われる方がまだしも納得がいく気がするわね。
補助電脳の便利さがどれほどのものだったかは、今となっては妄想することすらできない。
こいつはちょっとメモっておこうと考える。
それだけで補助電脳のメモリー領域に情報を貼り付けておけたんだってよ?
それってコルクボードにメモを張り付けておくって感覚なのかしらね。
大災厄以前には伝統的な手書きのメモにこだわる筆記著述オタク達もね。
日常生活では貴重な紙ではなく紙の様に薄い電子クリップボードに指で手書き入力したのだと言う。
千年も時が経ってしまえば何でもかんでも<土は土に、灰は灰に、塵は塵に>ってことになるわね。
情報を記録した電子クリップボードみたいなメディアも例外じゃない。
発掘品も当時の機能を失って久しい。
まあね。
多次元リンクもないし、まして電気が存在しない世界だからね。
大災厄まえの機械が作動するわけがないけどさ。
わたしは修学旅行で行ったトランター市の博物館で、電子クリップボードの実物を見たことがあるの。
それは白くてつるつるぺらぺらしたただの紙のようにしか見えなかった。
ただの紙にしか見えない電子クリップボードがどのように動作しどのように使われていたか。
考古学者の解説はもっともらしかったけれども本当の所は謎だ。
粘土板や木簡の出土数と比べても、学者の言う電子クリップボードはほとんど発掘されていない。
手書きの廃れた世の中だったと言うからね。
電子クリップボードは筆記著述オタク御用達の趣味的装置だったのだろうね。
蛇足ながら、わたしたちの生体脳には先祖伝来の補助電脳ナノマシーン群がちゃんと受け継がれている。
母から子へと伝えられた小っちゃいマシ―ン達は健気だ。
ナノマシーンは多次元リンクの起動を待ちながら、今でもスタンバってると言うからね。
ちょっと可愛い。
ある日突然多次元リンクが復活したら、どんなだろう?
わたしなんか発狂してしまうかもしれない。
便利だなんてとても思えない。
書き取りや作文も読書も好きじゃないけれどさ。
ノートはペンで取りたいな。
遠くの人とは手紙で遣り取りしたいな。
情報は新聞や本を読んで自分のものにしたいな。
って思う。
全人類が生まれてから死ぬまで補助電脳と共に暮らした。
そんな千年にも渡る歴史は正直なところ、わたしにとっては御伽噺の世界だよ。
三千年以上昔の人類は補助電脳の助けを借りず地球上だけで生きていた。
ロージナ人のご先祖様よりそんな古代人の方がずっとリアルだし、近しい人だとも感じる。
そういえば古代の作家が『進みすぎた科学技術は魔法と見分けが付かない』と言ったそうだ。
わたしもそれは全く当たっていると思うよ。
例えばロージナの空に隈なく張り巡らされたフィールドがそう。
普通に身一つならフィールドを通り抜けるのは自由自在。
だけどナイフ一本釘一つでもポケットに入っていればもう駄目だ。
無理して通ろうとすればポケットが破けてしまう。
こんな理屈も仕組みも説明できない現象は『魔法です!』って断言された方がストンと腑に落ちるよ?
かなり話が脱線してしまったけれど話を戻せばね。
鉱石スイーパー第七音羽丸は、そんな訳の分からないフィールドの上を巡航してまわっている。
まるで水面を走るミズスマシのようにあてどもなく港から港へと航空を続けている。
そうして、さっき話したみたいに宇宙から落ちてくる隕鉄を集めて回っているのさ。
重金属、特に鉄ニッケル合金を多く含んだ鉄隕石は、フィールドにぶち当たると盛大に砕けて飛び散る。
一センチ以下の小さいかけらや氷、その他の軽い鉱物は地表に落ちていく。
けれど鉄や時にはイリジュウムを含む隕鉄(鉄隕石)の大きな破片は、フィールド面の四方に散らばっていく。
なんとなればフィールド面は摩擦係数が限りなく0に近いという非常識な性質を持っている。
この性質のおかげで航空船もするすると走って行けるのだけれどね。
勢い良く砕け飛び散った隕鉄もまた、各々のベクトルに従ってフィールド上を滑走していくことになるわけだ。
そういうことで一部の隕鉄は陸地の海抜三百メートルの部分(船乗りは空の岸辺と呼んでいる)に漂着する。
隕鉄は空の岸辺にまるで氷河の終堆積のように溜まることもある。
こいつの回収は一番楽だ。
山での隕鉄集めは子供の小遣い稼ぎにはもってこいさ。
空気抵抗で行き足を殺されるまで、多くの隕鉄はフィールド上を滑走し続ける。
あっちの岸辺こっちの岸辺で跳ね返りながらフィールド上をほっつき歩く。
いつか隕鉄もフィールドにぶつかった時に始まる慣性運動を止める日が来るけどね。
いったん動くのを止めたって隕鉄は落ち着きがないんだよ。
フィールドには摩擦係数ほぼ0という非常識な性質があるからね。
そのせいで隕鉄は空の岸辺に乗り上げない限り同じ場所に留まることがまずできない。
空ではいつだって風が吹いている。
フィールド面上の隕鉄は、やがて文字通り風の吹くまま気の向くまま。
あっちへフラフラこっちへフラフラと逍遥≪しょうよう≫する運命にあるのだ。
なんとなれば地球の伝説フライイングダッチマンは大海原を永遠に彷徨≪さまよ≫う幽霊船だ。
鉱石スイーパーも高度三百メートルのフィールド面上をあてどもなく彷徨う船には違いない。
だけど鉱石スイーパーはフィールド面上でずるずると網を引きずっている。
そうして引網で魚を取るようにして貴重な金属資源となる隕鉄を集めて回る。
鉱石スイーパーのお仕事ってのはそういうことだ。
ただフラフラしてるだけの幽霊船とは断然ちがう。
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