4章 復讐の少女④

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 少女は、家族の顔も覚えていなかったし、自分の名前さえも分からない。紙とペンだけが少女の世界で、それで生きていけるなら剣なんて取らなくていいや、なんて小さく笑えていた。それでも『復讐』なんて格好つけた名前で剣を取った。取ってしまった。


 復讐なんてどうでもよかったんじゃないだろうか。家族より大事だって嘯いた友人たちのことだって、全部本当に自分のエゴで巻き込んで結果的にこんなにボロボロにさせて。

 本当は、ただ気に食わなかったから、自分たちのことを忘れてのうのうと生きてる街の連中にムカついたから、壊してやろうと思っただけ、めちゃくちゃにしてやりたかっただけ。子どもの癇癪だって自覚もあった。


 それから、3人ともきっとわかっていた。

 『わかっていないこと』をわかっていた。

 戦争がどういうものかも、死臭がどれだけ吐き気を催すのかも、剣の重みも、人を生かす難しいさも……死ぬ、とはどういうことなのかも。


「──お、おお、王の仇ぃぃ! うち、う、ち、討ち取ッ」

「クソ!!!」

 ユナイスが放った剣でジェルアが首を斬る。潜んでいた兵士だった。囚われた人々を逃し、王を倒し、安心しきったその背中に投げた槍は、サキァルを庇ったユナイスの心臓を突き破っていた。

「あはは……」

 ユナイスが乾いた笑いを溢す。

 なるほど、死ぬとはこういうことか。自分の体のことは自分が1番よくわかる。これはもう助からない。傍目から見てもそうだろうけれど。突き破られた心臓はポンプの役割を果たせない。こぽっと口から血と泡の混じったものが垂れた。次第に視界も霞み、友人たちの声も聞こえなくなっていく。もういいかな、とユナイスは背中の槍を無理矢理引き抜く。途端に血がベシャベシャと地面を汚した。ふらり。

「おじょ、なんで、おれ、おれを庇ったりしなきゃ、お嬢、これから、だって、お嬢いないのに、どうやって、しあわ、しあわせに」

「…かひゅっ、ごほっ、………、…………………、………………」

「お嬢、お嬢、わかんない、聞こえないよ……お嬢のこえ、わかんないよ、ジェルア、ジェルア、お嬢のこと助けてよ、ねぇお嬢の」

「もういい……! もう、いいんだ。ユナイス、もう休んで、いいから……」

 ジェルアも声を絞り出す。なるべく普通の態度で、笑ってやりたくて、でも結局震え声に無理やり笑おうとした歪な泣き顔で。ユナイスは助からない。何もしてやることができない。戦場で気を抜いた愚かさ、友人を優先して自分の命を放うった哀れさ、救えない無力さ。それを飲み込んで一言だけ。

「……またな、ユナイス」

 ユナイスは笑った。思い残しがなくたって、後悔がなくたって、死ぬのは怖い、誰だって死にたくない。それでも笑って、真っ青な身体を真っ赤な血で飾って、笑って笑って去っていった。


 ──うん、またね!


 もう二度とその瞼を開けることはない。動かない。声も上げない。綴らない。その瞬間からユナイスの大げさな身振り手振りも仰々しい演技掛かった喋り方も笑顔もすべてが過去のものになっていく。あとは朽ちていくだけ、何も生まれない。

「…………お嬢、眠っちゃったんだね、ねぇ、やだよ、こんなのってないよ……おれのせいなの? お嬢、ねぇ、起きて、起きてよ……こんなところで眠ったらさ、風邪ひくよ? ……ねぇってば…………」

「サキァル。……ユナイスも、帰ろうぜ」

 ぽつ、ぽつと雨が降ってきた。

 こんなはずじゃなかった、とは言えない。こうなる可能性があることもわかっていたから。戦争が起きれば誰もが命を踏み躙る。正義や大義を掲げた人殺し。3人で笑いあえていた日常が狂うことなんて。ユナイスが覚悟を決めたその日から分かっていたことじゃないか。

 ユナイスの冷たくなった体をさらに冷たくしていく雨。雨足は強くなっていき、痛いほどにうちつける中、遺された二人は……帰ろうと言ったジェルアでさえ、しばらくその場から動けなかった。



 ユナイスは街の葬儀場で火葬してもらった。灰と骨になったユナイスを骨壷にいれて、ああ随分小さくなったんだな、なんてジェルアは思った。

「お前の住処なんだから、家主がいないと困るだろ、ユナイス」

「そうだよ、お嬢、あのね、おれたちまた遊びに来るから。死ぬまで何回だって遊びに来るから、いつもそこで待ってて」

 取り乱していたサキァルも冷静さを取り戻していた。ふたりとも、まだ身体の傷も心の傷も癒えていない。前に進めなくても時間は流れていく。

「……なぁこの剣、俺がもらっていいか?」

「それ、お嬢が使ってた……いいと思うよ。お嬢も『死人が使える剣があれば面白いのだけれどそんなものは小説の中にしか見たことがないからね! うんうん、使えるものは使える人が、だ。ジェルア、その剣はキミがもらってくれ。……大事にしてくれないと祟るよ?』って言ってる!」

「うわなんだそれ…っふ、はは、似てる。アイツなら言いそうだな」

「でっしょー! お嬢なら、そう言うよ、あははっ」

 ユナイスは自分が傷になることなんか望まないだろうから、ここでは笑うつもりでいたジェルアとサキァル。痛い、今も苦しい、呼吸だって忘れてしまいそうなほど。でも忘れたりはしない。生きて、と願われたから、ユナイスのぶんも世界を見て楽しいを積み上げなくては。かと言って、背負い過ぎたりもしない。ただ、死んでも友人、というだけだ。


 平和に犠牲はつきもの。


 そしてマリオネイティスの戦争は終結した。

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