4章 復讐の少女②
街がざわめいている。たったひとつの本によって平和が掻き乱されたのだ。著者はかの有名な若き天才ユナイス・ミッドナイツだ。原稿は彼女の血で執筆されたという、まさに身を削った作品だ。
この街の平和は嘘だらけ。そんな内容だ。自伝だと言うが本当のことはわからない。しかし、街は乱れた。平和の時間はもう終わり。傀儡都市は崩れ始めている。
「ユナイス! お前……」
「やぁ、ジェルア。……おはよう」
いつも通りではない朝の、いつも通りの微笑み。ユナイスの顔は青白く血の気が失せている。ふわりとしたロリータ服の袖の陰から包帯が覗く。それに顔を歪めたジェルアに困ったような、心配しないでというように微笑みを返す。
「……本当に、血で書いたのか」
「うん、そう、わたしの血だ。……おかげで貧血気味さ。困ったね」
「……街は混乱状態だ。……始めるんだな」
「ああ。始める」
遅れてやってきたもうひとり。
「ユナイス! ジェルア!! ……おれ、こんなことくらいしかできないけど……武器を、武器をいっぱい持ってきたから……!! 街の、大人たち分くらいは、あると思う………役に立てるかな……」
「サキァル! ………充分なくらいだ、ありがとう。ありがとう、わたしの愛しい友人たち。……さぁ、広場に行こう。わたしはそこで話さなければならない」
ユナイスはあの日を思い出す。燃える赤、血の赤、サビ臭さと肉の焼ける臭い、死臭を運ぶ熱風。恐怖、空腹、孤独……昼も夜も眠れぬ日々。ユナイスは唇を噛みしめる。
もう引き返せない。引き返さない。
人だかりができている。前代の王が処刑された日のように。そして、混乱する民衆に向かって高く叫ぶユナイス。
「わたしはユナイス・ミッドナイツ!! わたしの話を聞く気はあるか!!!!」
広場に民衆が集まってきた。百人はいるであろう人だかり。ざわめき、視線、困惑と好奇。ユナイスは続ける。
「この街は平和だ! けれど、平和に犠牲はつきもの。この平和を作るためにひとつの街が潰された。10年前、ヴィオラの街で何人が死んだ?」
民衆のざわめきが小さくなる。ユナイスの話に耳を傾けている。
「10年前、わたしはまだ7歳だった。ヴィオラの街にはわたしの家族も住んでいた。確かに平和とは言えない街だったけど……でも、それでも、必死に生きていた!! 生きていたんだ!!! 火を放ったのはヴィオラの街の住民じゃなかった!! 今の王の支配下にあった兵士たちだ!! 瓦礫の山を作り上げたのも、たくさんの死体を生み出したのも!! 自作自演だったんだ!! わたしは逃げた。生きるために……そして………この、平和を壊すために……」
貧血気味の少女は、どれだけの思いで今ここに立っているのだろう。悲痛な叫び、その涙に、過酷な人生に、平和でぬくぬくと育ってきた人間たちは胸を撃ち抜かれる。痛々しい、まだ二十歳にもならないような少女が、顔を歪めて吼えた。その目には涙が浮かんでいる。悔しさ、哀しさ、怒り……そして逃げることしかできなかった自分の弱さへの失望と、これから始まる戦争へ、彼女は前進しようとしている。
「────この平和は嘘だらけ。王の城には今もひどい扱いを受けている"真実を知る者"たちが囚われている。平和を壊すのが怖いか? 王の傀儡でありたいか? ヴィオラの街のことなど闇に葬り去るのか? 偽りの平和など……わたしは認めない!!! 許さない!! 武器を持て!! 己のすべてで!! 偽りの平和を壊せ!!! この街は、理想都市ではないのだから!!!」
ユナイスが剣を掲げる。アザミの装飾が施された銀の剣。風に花びらが舞い上がった。ひとりが剣をとり、ひとりが銃をとった。雪崩のように人々が武器を取り咆哮する。
ジェルアは血と罪に塗れた己がナイフを、サキァルはユナイスと同じ型の剣を手に取った。
───これは、聖戦ではない。
ただ壊したいだけの、醜い戦いが始まる。
また、城でも混乱が抑えられずにいた。たかが本一冊、『創作物』としてさえ処理できずに暴動が始まった。
「も、申し上げます!! 住民たちが暴動を起こしています!! 先導者はユナイス・ミッドナイツ…………ヴィオラの街の生き残りです!!!!」
「何だと……!? まさか捕らえ損ないがいたとはな………ありったけの兵を出せ! 殺しても構わん!!!」
「はっ!」
こんなはずではなかった。王が作り上げた理想の街、理想都市が、この国が、ちいさな亀裂によって崩壊しようとしている。ヴィオラの街を失くしたあとに別の街から移民として受け入れた、思い通りに動く傀儡の住民たちも今や王の手を離れ、王を殺すべく牙を剥いている。
「…………これで終わるわけには……」
その瞬間、大きな揺れとともにドゴォォォっと崩壊音がした。城壁が大砲によって打ち砕かれたのだ。
「っ!?!? くっ、本気でこの俺を殺しに………!!」
だが訓練を受けている兵士たちが素人に負けるわけがない。心配はいらない……。
混乱の中、王はにやりとほくそ笑んだ。戦争は始まったばかりである。刃向かうのなら刃向かう気力が失せるまで叩き潰せば良い。平和に甘んじてきた住人たちなど、象に立ち向かおうとする蟻のような無力なもの。いくら集まろうとこちらに勝つことなどありえない。一方的な蹂躙になったとしても構うことはない。あの街のように殲滅して新たな住人を置けば良いだけの話なのだから……。
交錯する思考。偽りの平和を壊しヴィオラの街の復讐を遂げたいユナイスと、傀儡を傀儡のまま思い通りの都市に君臨していたい王。勝利の女神がいるとするのなら、彼女はどちらに微笑むのだろう。
勝利した先、その未来の果て―─。
……それはいまだ不明。
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