3章 記憶の中④
その日、ユナイスは覚悟を決めた。2人を部屋に呼んで、緊張したぎこちない笑みを浮かべている。いつもの飄々としているというか、どこか軽薄であるというか……兎にも角にも、普段の彼女"らしさ"はどこにもなかった。
「……いらっしゃい、ふたりとも」
いつもどおりに座ってユナイスを見る。テーブルの上には菓子とカップが並べられている。ジェルアには紅茶を、サキァルにはココアを。自分用に、今日は紅茶ではなくブラックコーヒーを淹れていた。
「今までではぐらかしてきたけれど、ようやく覚悟が決まった。キミたちを利用する覚悟、真実を話す覚悟、それから……平和を壊す覚悟だ」
「平和を壊す…………?」
「……話を聞こう。具体的に何をするつもりなんだ」
サキァルはわかり易く動揺し、ジェルアは眉間にシワを寄せた。立ち上がりかけたソファに大人しく腰を落とす。
「……わたしは、戦争を起こすつもりだ」
目を見開くふたりを横目にユナイスは話を続ける。
それは10年も前のこと。
ヴィオラの街が壊滅したときの話。あの戦争は仕組まれたものだった。今の王が王位を引き継ぐためだけにあの街は潰された。そしてヴィオラの街の住人たちは口封じのために一人残らず囚えられるか殺されるかでこの街には居ない。ユナイスが、ユナイスだけが異分子だった。この平和なマリオネイティスは偽りでできている。
「そんな話。詳しいことはあとで本を出すつもりだ。……わたしは、雨に凍え、月の光に怯えて、風に脅されて、それでもなんとか生きながらえた。それはこの街を、王を、偽りの平和を全部まとめて壊すためだ!!! ……たしかにあの街はもとから平和とは遠いところだったよ。だけど……だけどっ! みんな必死で生きていた! 自分の一生を恥じないために、生を全うするために!!!」
カップを作業机の上に置き、震える身体を掻き抱く。話す声に嗚咽が混じり始めた。その奥に底知れない闇と殺意を感じ取ったジェルアとサキァルは息を呑む。
「……なのに、王の支配下だった兵士たちの手が火を放った!! そしてヴィオラの人々が反乱を起こしたって歴史には書かれて……真実なんてどこにもなかった。わたしは、キミたちと過ごす日常を犠牲にしてでも復讐の剣を取る」
涙を拭い、空を睨むユナイス。耳が痛くなるほどの沈黙の後、彼女のラベンダー色の瞳がふっと和らいだ。
「本当は、本当はキミたちを冷酷に、復讐のためだけに利用するつもりだった。素性を調べて、能力を見て……でも、なんだか絆されてしまってね。……協力をしてくれるなら、ありがたい限りだが、キミたちは逃げてもいい。こんなことに付き合わなくてもいいんだ」
「……………お前、本当バカだな」
ジェルアが感情の映らない瞳に少しだけ失望の色を滲ませる。サキァルも普段のヘラヘラした態度から一変してユナイスを見ている。
「そうだよお嬢。……友だちが友だちを助けるのなんて当たり前じゃん! おれら、逃げたりしないよ」
ユナイスが驚いた顔をして、遅れて涙が溢れた。わがままだの、無理強いだのといろいろ考えていたことが全部溶けていってしまう。友情のなんたる深さ。たかが数年の月日はいつの間にかこんなところまできていた。
「……ジェルア、キミと出会ったときにあの兵士たちと同じ、あの街と同じ血の臭いがしたんだ。洗ってもら洗っても落ちることはない染み付いている」
「……そうだな。でも、俺はこの職から足を洗う気はないぞ」
「それはキミの自由だ。ただ……あの日、わたしを訪ねてきたあの日、なぜわたしを殺さなかったんだろうと思ってね」
ジェルアは頭を巡らせたが首を傾げてしまった。微笑みを浮かべてこう答えた。
「……わからん。わからんが、ただなんとなく殺したくなかった。お前を殺さなかった選択を、俺は間違いじゃなかったと思ってる。……なんだかんだ楽しかったからな、お前らとバカやって過ごすのは」
サキァルがユナイスにムギュッと抱きつく。ユナイスの震えは治まっていた。
「おれも! お嬢たちと一緒にいるのすっごく楽しかったし、これからも楽しいと思うよ!! 協力するって決めたからにはできる限り頑張る!! なんでも言ってね!!」
「サキァル……ふふ、そっか、ふたりが協力してくれるなら百人力だね。……もうごめんとは言わないよ」
その代わり、『ありがとう』。
ユナイスがふたりに協力を仰ぎ、歯車は勢いを増した。ひとりでピースを集め、水面下で動いてきたことが、形になっていく。
ユナイスは自らの血をインクにして手記を完成させようとしている。街の住人たちを煽って戦争に協力させるためだ。洗脳に近いといえばそうだが、ユナイスの悲願を達成するために、無情になろうとしている。
若き天才小説家の壮絶な過去、嘘の歴史、街の崩壊……平和に飽きてきた人間が食いつきそうなネタではある。
ジェルアは闇に潜み、いつものようにヒトを殺す。たくさんの血を浴びたナイフは研ぎ澄まされている。これからもっとヒトが死ぬ。戦争がいいとも思わないし、ヒトに死んでほしいとも思ってはいないが、平和な街の始まりも終焉も戦争だなんて皮肉なものだと月を見上げている。王家はきっとまだ何も知らない。突然始まって突然終わるのが世界の運命だ。……そういうものだ。
サキァルは馬車を東奔西走させている。平和な街には存在しない武器をかき集めるために。銃に剣に槍に弓矢。必要ならば大砲も。できる限りやると啖呵を切ったからには走らなければ。もっともっともっと!! 多くて困ることはない。平和な街のどれくらいの人間が戦ってくれるのだろう。戦争なんてわからない子どもの自分だからユナイスの激情に感化されたのだろうか。戦争を知っている人間なら逃げるだろうか。
一方その頃。
重く冷たい鎖の音がする。此処は王が居住している城の地下。ヴィオラの街の人間が生け捕りにされている。ある者は兵士たちの慰み者に、ある者は非道な実験のモルモットに……ある者は嬲り殺されて腐っているところだ。
「……………あぁ」
月の光も差さないこの場所で、何かを察しながら久しぶりに声を出した老父。目も潰れ、手や足をもがれながらまだ生きている。残り数秒の命だった。
もう直終わる。
街の終焉がやってくる。
灰と血と屍肉の臭いがしたんだ。
平和の時間は終わりだよ。
「………あの子がやってくる。あの子は悪魔だ……我らの天使だ」
それでいい。
朝になるころには、命は尽きた。埃っぽい牢屋の中で笑みを浮かべながら無様に転がっている。死神の哄笑が聞こえてきそうな、不吉にも思える屍を、何も知らない兵士が踏みつけていく。
行く先は地獄。
行く先は地獄。
行く先は地獄――――――。
貧血気味の少女は無邪気に笑う。
「役者は揃った!!!!!!!」
舞台ももうじき整う。この本を街中に広げるんだ。不和、不和、ヒトからヒトへ。不吉を感じ取ったカラスが喚く。犬が騒ぐ。猫が走る。鼠が逃げる。
さぁ。
少年少女よ、平和な者たちよ、
武器を取れ。
復讐劇は始まった。
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