3章 記憶の中③
物書きの少女と暗殺者の少年が出逢ってから早数ヶ月。さて、そこに運び屋の少女が飛び込んでくるのだが……運命というのは全く分からないものである。
冬が深くなってきた頃。冷たい風が体の芯まで凍えさせる。暖房のきいた部屋で、ユナイスは悩ましげな表情をしたあとに筆を机の上にぽーいっと放った。
「少年…………」
「………同い年だろうが。それに名前は教えただろ……」
「ゔー…………あのね!! 驚くほど筆が進まないのだよ! 全く困ってしまうね。別にネタが思いつかないとかそういうのではないのだけれど、行き詰まっているとしか言いようがない……はぁぁ………物語は進めたいのけれどダラダラ引き伸ばした文章にはしたくないのだよ。…………うーん」
物書きというのは、やはり何かを語らなければ生きていけない生き物なのかもしれない。口から先に生まれてきたような、とはよく言ったもので、そのよく回る口はどうやったら止まるのかとジェルアは眉間にしわを寄せた。相槌も言わずにいるとより一層不満げな声が降ってくる。
「少ね………ジェルア、わたしの話聞いてるかい?」
「聞いてない」
ユナイスが淹れたレモンティーを飲み、たまに菓子を口にするジェルア。汚さないように気をつけながら、ユナイスの所有する大量の本の中から気になったものを適当に拝借して暇をつぶしていた。執筆活動の邪魔になりそうなら彼はこの部屋を訪れなかったであろうが、そもそも今日はユナイスがジェルアを呼んだのだ。頼みたいことがある、と言っていたのに、どうもユナイスはそれを忘れているらしかった。
「ユナイス、頼み事ってのは何なんだ」
「え? あ、あぁそうだった! それで今日はキミを呼んだのだった。も、もちろん忘れていたわけではないとも!」
「わかった帰る」
「うわぁぁ、ごめんよ!! ほんと、真面目に話すから!! ……えっとだね、留守番を頼みたいんだよ」
今まで一人暮らしだったくせに何を今更、と表情に書いてあるジェルアに、ユナイスはにっこりと笑った。
「留守の間に、これを読んでくれないか?」
ジェルアに留守を頼んだユナイスは、買い出しと見聞広げ……と言う名の気分転換に街へ出向いていた。平和を甘受した絢爛豪華な街は、どこか人の温もりを欠いているように思えて、それはそれで居心地がよかった。街が平和ならそこにどんな異分子が居ようとも気にも留めないのだから。マリオネイティスはダイヤのような街なのだ。
ある程度の食料を買い、何に使うかわからない置物なんかも入手したユナイスは少し浮足立っていた。これで面白い出来事などあればもっと良いのにと上機嫌なユナイスの前に、"面白い"どころでは済まない事件が飛び込んできた。
「……………助けて……!」
路地から出てきた少女とユナイスがぶつかった。ふらふらしていたところに衝撃が加わって、もうダメだった。ローブのフードが脱げて、緑色の髪が路上に横たわる。
「え……ちょ、キミ、大丈夫かい!?」
混乱するユナイスを余所に、緑髪の人物は小さく口を開いた。
「おなか……すいた……」
きょとんとしたのも一瞬。ユナイスは盛大に笑ったあと、その人物を拾って帰ることにした。
閑散とした部屋に騒々しい家主が戻ってきた。ユナイスから渡された原稿を捲っていた手を止め、ジェルアは顔を上げた。
「おかえ……はぁ!? お、お前っ、なんつぅもん拾って……!!!」
「や、やぁ。ただいま……わたしも少し状況がわからないがどうやら空腹で倒れたみたいで……これも何かの縁だし……わたしは食事の用意をするよ……」
さて、と言って背負っていた"大荷物"をソファーにゆっくりおろす。食事ができるまでの食いつなぎ……らしい菓子を大量にテーブルに並べた。クッキー、ドーナツ、マドレーヌ、その他諸々。
「なんてもの拾ってくるんだ、お前……元あったところに返してこい! 俺は面倒事は御免だからな!!!」
「おやおや、そんなことを言うものではないよ? 良いじゃないかべつに。人生の中で"空腹による行き倒れ"と遭遇することがどれほど数奇なものか……ああ、キミとの出逢いもわたしにとっては数奇なものには違いないのだけれどね!」
大荷物ーーそう、行き倒れの人間が目覚めたらしくもぞもぞと動いた。ジェルアは頭を抱え、ユナイスは好奇の目を向けた。
「やぁ、お目覚めかい? 見たところわたしたちと似た年頃の人間に見えるね。おなかが空いているんだろう? ほら、お食べ」
行き倒れは目の前の菓子と、ユナイスが持ってきたパンに、それからサラダも平らげるとようやく息をついた。ジェルアとユナイスも昼食を取ったが、行き倒れの食欲は凄まじいなといったふうだ。
「はー、おなかいっぱい! 御馳走様!」
声を聞くに、どうやら少女のようだ。
「そりゃあそんだけ食えばな……」
食休みも終えて、空気が和む。ユナイスはジェルアにレモンティーのおかわりを、自分用にストレートティーを、そして行き倒れにココアを淹れた。
「お嬢、ありがとう!」
「お嬢って……ユナイスのことか。変わった呼び方をするんだな……」
「"お嬢さん"のお嬢だよ! おれはサキァル・スクィル! 運び屋の仕事やってるんだー! お嬢たちは?」
「わたしはユナイス・ミッドナイツ。文才はないが物書きをしている。生活するのには困っていないから、おなかが空いたらいつでもおいで。この部屋の入り方、あとで教えよう」
「おい……警戒心ってもんがないのか……。俺は知らないぞ」
「彼はジェルア・ウメツ。東洋の血が入っているらしい」
「ユナイス!!! 人の情報を勝手に喋るんじゃない」
サキァルは声色からして少女のようだ。ユナイスとジェルアを交互に見る。
「お嬢は優しいね!」
「そうかい?」
「お人好しすぎるんだよ……」
「ジェルアは……捻くれてるね!」
サキァルの言葉にユナイスがこらえきれずに笑った。
「っ、ふ、あははは! そうだね! 同感だよ!」
「悪かったな!!!!」
そんなジェルアを見て余計に笑うものだから収集がつかなかった。
翌週。
「お嬢〜! おなかすいた!!」
「やぁ、サキァル。それじゃあどこかに食べに行こうか。キミもおいで、わたしが奢るよ?」
苦虫を噛み潰したような表情。借りを作るのがあまり好きではないジェルアは、ホイホイ奢るユナイスの気持ちも、奢られるサキァルの気持ちもわからない。
「……一緒に行くのは構わんが、自分の分は自分で払う」
「そう? ふふ、キミのそういうところがわたしは結構好きだよ」
なんとなくそれが嘘だということがわかってしまった。"嫌いじゃない"ことを"好き"という、小さな嘘。ユナイスはよく嘘を吐く。平然とした顔で、さも本当であるかのように笑うのだ。それに何も言えないジェルアもジェルアだが。
こうして3人は出逢った。この奇妙な縁は思った以上に平穏に、長く続く。永遠なんて思ってはいないけど、それでも少しでも長く続いたらいいなとみんな思っていたに違いない。3人でくだらない話をして、ユナイスが淹れた紅茶を飲む。サキァルにはココアを。どんな小さな出来事もユナイスが大げさに語り、小説のネタにして広げていく。ジェルアはそれを眺めて、ユナイスの世界を少しだけのぞかせてもらうのだ。
そんな日常が続くと本気で思っていたし、実際くだらない日常は続いていた。変わっていくことを恐怖し、その恐怖を日常の裏へと隠してしまったのはいったい誰だったのだろうか。
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