2章 カクシゴト④

 

 「急で悪いんだけれど、2人ともまた頼まれてくれないか?」

 ユナイスが少し眉を下げた。留守番をしておくれ、と少し申し訳なさそうに言う。ジェルアもサキァルも、もちろん快く承諾した。しかし彼女は数日前にも外に出たばかりで、訝しく思った。それが伝わったのかユナイスは若干、苦笑してみせた。

「とある知り合いに話が聞けることになってね。いい機会だからわたしから訪ねようかと。なかなか話せない人だからね」

「……そうか」

 危ないことはするなよ、と釘を刺しておく。ちらりと表情を窺うが、彼女は笑って返しただけだった。

「客などはどうせ来ないだろうし、食糧やら飲み物やらは勝手に食べていいから。もちろんお菓子も。本も読んで構わないし」

「わかった」

「はーい」

 ジェルアとサキァルが頷いたのを確認して、ユナイスは小さく手を上げた。

「それじゃあ、行ってくるよ」

 扉が閉まると同時に、その表情が硬く強張った。息を大きく吸い込んで、一歩、街へ踏み出す。怖れるな、これから悪の道を進むのだから。争いを往くのだから。ユナイスは自分に言い聞かせて早足で街を進んだ。


 時計の秒針が静かに時を刻む。サキァルは趣味の絵描きに没頭している。なにかのキャラクターらしい人物が、デフォルメ化されて描かれている。ジェルアは紅茶を飲みながら小説を読んでいる。前に借りたもので、途中に挟んだ栞をとり、続きのページから読み進めていた。


 カリカリ。ペラリ。チクタク。


 緩やかに時間が過ぎていく。心地がいい。濃茶とクッキーの匂い。天窓から光が差す。

 そうして、しばらくの時間を過ぎると、ジェルアは本を一冊読み終えた。ソファを立ち、書斎に向かう。新しいものから古いものまで、ジャンルも幅広いものがある。選ぶのもまた楽しいのだ。

「……迷うな」

 どれもこれも面白そうで、どれがいいかと迷っているとサキァルが覗きにきた。

「なに読むのー?」

「まだ決めてない。にしても、すごい数の本だな……。アイツ、これ全部読んだのか。サインが入ってる本もある……」

「コレクターなところあるよね。おんなじ作家さんの本ばっかり集めてる」

「そうだな。……お、これ面白そうだな」

 本棚の隅の探偵ものらしい本を手に取る。その拍子に、1冊のノートがパサリと落ちた。隠すように置いてあったようだ。

「これ、は……?」

「ジェルア? 本決めたんじゃないの? ……なんかあった?」

 サキァルがジェルアの手元を覗き込む。ノートの表紙には何も書いていない。

「ユナイスのかな?」

「……だろうな。…なんでこんなところに?」

「中身、見る?」

「いや……他人のものだしな」

「見たってユナイスは怒ったりしないよ? 多分ね!」

 呆れた顔でサキァルを見る。

「お前なぁ……。っていうか、お前が見たいんだろ?」

「ご名答!」

 ニッと笑ったサキァルに、後で怒られても知らないからなと返す。いくつかの本と、そのノートを持って部屋へ戻った。


 ノートを捲る。初めのページには幼い子どもが書いたようなくしゃくしゃの字で、“わたしは忘れない”とだけあった。なんのことかはさっぱりわからなかった。ページを捲る。“愛しき友人たちへ、すまない”と下の隅に書かれていた。これはサキァルとジェルアのことだろうか。おそらくそうだろう、しかし謝られることなど特に思いつかず、これにも首を傾げた。……このノートはいったい、何なのだろう。

 それから2、3ページは白紙で、その次に、『ヴィオラの終焉』と赤いインクで書かれている。筆圧が強く、裏に滲みている箇所が見られた。……どんな思いで書いたのだろう。怒りや苦しみのようなものを感じ取って、顔をしかめたジェルア。ユナイスの考えがわからない。ユナイスとヴィオラの街、なんの関係があるんだ。

「……ヴィオラの街、か。10年くらい前の話だよな、滅んだのって。確か街の奴らが暴徒化して……王の首を切ったっていう……」

「小説のネタかなぁ。けっこう詳しく調べてあるみたいだよ?」

 サキァルが指でなぞったところに目をやる。確かに、記事の出所や、関わった人物の正式名称、日付、時間帯や間違っている文献には赤線を引き、訂正してある。事細かに書かれた文や印は、ただの小説の資料とは思えなかった。

 またページを捲る。

「……?」

ジェルアが首を傾げた。ヴィオラの街の次は、王家についてだ。血筋が云々とか王位継承の時期云々と細かい。血縁関係から行事なんかまで、ずらずらと書かれている。そして、最後の行には、“わたしは王家を許さない”と記されていた。ユナイスの、文字だ。

「……王家、ヴィオラの街……ユナイスになんの関係が……?」

「だーかーらー! 小説のネタかもしれないじゃん! 王家を許さないとか、ほら、登場人物のセリフかも!」

 胸騒ぎがしていた。なんとなく不穏で、ユナイスが遠いところにいる気がした。サキァルも何か感じているのだろう、余所余所しい仕草で手をワタワタさせている。訝しげな表情のまま、また次のページを捲る。そこでジェルアは今まで以上の衝撃を受けた。ぐわんと視界が歪む。

「こ、れ……は……」

手からノートが滑り落ちる。


 チク、タク、チク、タク、チク、タク。


 静寂に秒針の音だけが寂しそうに鳴っている。誰もなにも口にできなかった。その時間はひどくゆっくりで、自分の呼吸の音すら耳障りに感じるほどの静寂で、まるで深海にでも沈んでいるように苦しくあった。


 ユナイスはまだ帰ってこない。


 ノートをテーブルに広げて、お互い一言も喋らずユナイスの帰りを待つ。扉が開くとともに、場に似合わない軽いステップが響いた。ユナイスのブーツの音だ。

「やあ、留守番ご苦労! ……おや、何かあったのかい? ふたりとも表情が沈んでいるが」

きょろきょろ、と視線を左右させ、首を傾げた。それからテーブルの上に視線をやり、合点がいったような顔をした。

「……なるほど? ノートを、見てしまったんだね。わたしの資料ノートを」

「…………これは……いったい何なんだ。なんで、どうして調べた。これは!! ……いったい、何のためのノートだ」

 視線をノートに落としたまま、ジェルアが静かに尋ねた。開かれたページには、ある人物の個人情報が載っている。

「どうして暗殺者の——俺の、情報を調べていたんだ」

「見たならわかると思うが、キミだけじゃないよ、サキァルの情報も集めてある。そのほかにもたくさん」

 淡々と答えるユナイス。部屋の気温が重い。この前よりもずっとずっと重い。

「いつからだ? いつから、俺が暗殺者だと知っていたんだ! ……ここには、俺が請け負った依頼の一覧まである。そのなかにユナイス、お前も入っていた。知ってたんだろ? 俺が、俺が何度かお前のことを……」

「知っていたさ。いつ、と聞かれれば、つい最近だと答えておこう。……別に、キミに殺されたってそれはそれだ。恨みもしないし、哀しくもない。キミは結局わたしを手に掛けていないわけだし、その件については、正直なところ、どうでもいい。わたしにとって重要なのは、キミやサキァルがどういった能力を持った人物であるか、だ」

 ユナイスはテーブルの上のノートを手に取り、パラパラと流していく。ラベンダー色の瞳に何が映っているのか、ジェルアにもサキァルにも、もう分からなくなっていた。何かに利用しようとしていることはわかるが、その“何か”が微塵もわからない。霧のように、見えはするが掴めない。それから、腹に氷を押し付けられている気分だ。

「……お前は、何を企んでいるんだ…ユナイス。前に言ってた事と関係があるんだろ」

「そうだよ。……まだ、もう少し時間が欲しいな。キミたちも、答えを考えていておくれよ。わたしに“協力”するか否かを——」

 この時点で気付くべきだった。3人の歯車がずれ始めていることに。妙な歪みがうまれて、不穏な音を立てていることに。


 それでも3人は、かけがえのない友人でありたいと、そう望んでいた。

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