2章 カクシゴト③
サキァルは風邪をひいて、ここ数週間、姿を見せていなかった。しかし、それは表向きのことで、実際はユナイスの頼みで情報を集めていたのだ。この前、ようやく三人揃ったのが嬉しかったのは随分久しぶりだったからだろう。
「こんなこと調べて、なにするの?」
「ん? いろいろさ。……といっても小説のネタにするくらいだよ」
サキァルが集めた情報は資料化され、分厚いバインダーに綴じられた。写真や小さな記事まで、随分事細かに調べられている。
「随分前の記録まで……手間をかけさせてごめんよ、サキァル。おかげで、いろいろ、私もできることが増えそうだ」
「そう? よかった! おれ天才だから! いろんなこと調べられちゃうの!!」
ユナイスは頷き、微笑んだ。サキァルの顔はなかなか広い。裏も表も歩き慣れているからこそ多方面から情報を得ることができるのだ。彼女の強みである。
「ジェルアにはなんか話すの?」
「ん? ……そうだねぇ、彼をモチーフにしたわたしの小説はなかなか多いから、彼にも何か聞こうか」
悪戯っぽく笑ってみせた。ユナイスはよくこういう表情をする。目を細めて口角をあげる。初めはなんだか奇妙な表情に見えたが、サキァルはもう慣れていた。ジェルアもきっと慣れているだろう。
「さて、情報もかなり纏められたし……おや、もう23時か……。サキァル、今日は泊まって行きなよ。人殺し、あったばかりだし」
「んー、わかった! 泊まってく!」
同じベッドに入り、少しの間クスクスと笑って、それから眠りにつく。小説家でもなく、運び屋でもなく、なんの変哲もない10代中頃の少女たちの姿。いつかは大人になってしまうけれど、今は確かに少女なのだ。少し夢みがちな少女たちの真上、星空が微笑むように広がっていた。やがて輝かしいほど爽やかな朝が来て、そうやって月日は流れるのだ。
昼ごろ、ジェルアがユナイスのもとにいつも通り、訪ねてきた。珍しくサキァルはすでにいて、ユナイスと向かいのソファに座り、くだらない話をしていた。ユナイスはジェルアをサキァルの隣に座らせた。
「…珍しい、な」
慣れない位置でジェルアが戸惑うが、彼女たちが気にしている様子はない。
ユナイスの作業用のテーブルはきれいに片付いていて、何百枚あるか知らない原稿用紙が整えられて置かれていた。一冊分を書き終えたのだろう。
「書けたのか」
「うん、筆が乗ってね。書けたよ。なかなかに良い作品だと思う」
自信作のようで、ユナイスは満足げに笑った。鼻歌が聞こえそうなほど上機嫌で、嬉しそうだ。
「サキァルに出版社へ届けてもらうんだ」
「そうそう! おれ、デキる子だから! 今回もちゃんと届けるね!」
「毎回そうだったんだな。サキァルが来る前まではどうしてたんだ?」
ユナイスは肩を竦める。
「あぁ、仕方なく出歩いてたね」
「そんなに外出るの嫌なのか……」
呆れはするが、彼女らしくてそれはそれかとジェルアは思った。ユナイスはユナイスの世界で生きている。そこに、自分たちが少し入り込めているのが少し嬉しかった。小説のモデルにしたり、家に招いてくれたり、くだらない話をする“友人”として扱ってくれる。
「ところで、ねぇ」
静かな声だった。和やかな雰囲気が一瞬で凍る。ジェルアとサキァルが息を飲む。ユナイスは笑みを消していた。ラベンダー色の瞳が闇色に見えてゾッとした。
「……キミたちは、わたしが“協力してくれ”と言ったら、何も言わずに、何も聞かずに、頷いてくれるかい」
——沈黙。
体感にして何時間……実際はほんの数秒。時計の針の音、呼吸の音、心臓の音がやけに大きく聞こえた。サキァルとジェルアが冷や汗をにじませる。どちらも返事ができずに固まっていた。どんな返答が正しいのか、ユナイスの望む答えは何なのか、わからずにいた。ひどく苦しく感じた。
張り詰めた糸を切ったのは他でもないユナイス本人だ。小さく息を拭くようにふっと笑う。
「そんなに固くならないでよ。……まあこの話題はまたいつか話そう。なぁに、小説の題材にしようかと思ってただけだから。今度の話はねぇ、友人たちの駆け引きの物語だよ。友人、自分の意思、社会的な立場……さまざまなものを抱えながら、彼らはどう向き合い、どう成長していくのか、そして、その果てに残ったものとは……という、ね!」
嘘だ。しかしユナイスがそういうならそれ以上は踏み込めない。この話題はここまで、なのだろう。空気はまだ少し硬かったが、サキァルがユナイスの元へ移動し、勢いよく抱きついた。
「お嬢ー! 今度おれと何か食べにいこ! おいしいのがいい!」
「奢るよ?」
「え、ほんと? やったー!」
いきなり抱きつくサキァルに怒るでもなく、ユナイスはいつも通りに笑って甘やかしていた。さらさらだね、と髪を梳いてやっている。
空気が戻ってきたように軽くなった。二人の会話にジェルアが顔を少し顰める。そしていつも通りに呆れてみせた。
「奢り癖も奢られ癖も大概にしろよ……?」
「ジェルアも一緒に行こー!」
「そうだね、せっかくだしどうだい?」
「話を聞いてるのかお前ら」
「聞いてる聞いてる!」
二人の様子を眺めていたユナイスは、微笑みを浮かべている。慈愛にも似た、あたたかみのある視線。そう、ユナイスにとっては“愛しの友人たち”なのだ。彼ら以上に愛おしいものはない。尊いものもない。
どんな小説を読んでも、書いても、この三人ほど奇妙で面白くて幸せそうなものはない。現実は小説よりよっぽど奇妙で、愉快なのかもしれない。
「ふふっ3人で食べに行こうよ」
「……まあ構わんが」
「3人だと楽しいよね!!」
そうして時間が過ぎる。楽しい時間ほど短く感じてしまう。もっと一緒に居たいけれど、でも、明日も会える……きっと。
「じゃあまた今度ね。ジェルア、サキァル」
「おう、またな」
「またねー!」
扉の向こうに二人の影が消えたのを見届けたユナイスは、小さく息をついた。
「本だったら、栞を挟んでおけば好きな場面を読み返すことができる。わたしたちは、戻ることも止まることもできない。……知ってるだろう、否が応でも進むしかないんだよ……」
過ぎてしまえば後戻りはできない。でも今ならまだ取り返しがつくのだ。
ユナイスは迷っていることがある。
二人にそれを話すべきかは検討しなければならない。何も言わずに協力してくれとは、はやり言えないなと反省をしていた。親しき仲にも礼儀あり、ともいうもの。
「……わたしには…………」
書斎に足を踏み入れる。サキァルに集めてもらった資料を見返して、それからその隣の歴史書も開く。赤いペンや付箋で印がつけられている。それらをまとめたノートは3冊や5冊では足りない。処分してしまおうかと思っていた手が止まる。ここでやめるわけにはいかない。
「……此処は、マリオネイティス」
理想都市。誰もが幸せに生きている。平和で、煌びやかで、美しい街。素晴らしい。誰もが憧れる都市なのだ。しばらく見ていたがすべて仕舞うと、新しい原稿用紙に、なにやら書き込んでいる。
「……を手に入れた役は……だったかな……せな……を……は迎える……」
呟きながら、文字を綴っていくのだが、赤いインクが血を思わせた。どこか不穏なその文章は誰にも見られることはないだろう。
——ジェルアやサキァルにさえ。
でも、いつか見せる時が来たらそれは、
「……わたしの覚悟が決まった日」
そのときは何も言わず、最後まで聞いて、読んでほしいと願う。ユナイスの全てを賭して行わなければならないことがあるのだ。誰も望まない、ユナイスのためだけの戦争。
「わたしが悪党になってしまっても」
ラベンダー色の瞳はどこか輝きを灯していた。そこに宿っているものは“覚悟”と呼べばいいのか。やることが、なすことが、たくさんあるのだろう。一度始めてしまったらやめるわけにはいかなかった。
ユナイスは静かに目を閉じる。ベッドに倒れ込んで、そのまま体を沈める。夢に溶ける間際、心のどこか遠くに思いを飛ばす。ユナイスは神にも悪魔にも祈らない、願わない。血だらけになったって、いっそ死んだって構わない。人間だからこその争いをしよう、なんて小さく笑った。
聖戦ではないことをユナイスは知っている。
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