第2話 風の精霊の歌
緩やかに丘が連なる美しい草原。
風が強く吹いていた。
姉はこの世界のどこかにいて、風の精霊とやらの歌を聴いているにちがいない。
びゅうううぅぅぅ、ごおぉぉぉぉぉぉ、ひゅーん、ひゅうぅぅぅーん、こおぉぉぉぉん、と豊かな音色で風が鳴っている。
草原には岩がところどころに転がっていて、特徴的な三角形の大きな岩が近くにあった。三角形の岩に触れたら、私は姉の部屋のベランダに戻っていた。
わたしたちの世界に戻る方法が早速見つかったのは幸運だった。
わたしはコンビニに行って、スポーツドリンクのペットボトルとカロリーメイトを二箱買ってショルダーバッグに入れ、またベランダに立って強い風を待った。
風はすぐに吹いて、わたしを異世界に連れていった。
草原を歩いて、姉を探していたら、男の人が突っ立っているのを見つけた。金髪天然パーマのイケメンだが、これは人間じゃないとすぐにわかった。姿が少し透けていて、向こう側の草原が見えるのだ。これが姉の言う風の精霊なのだろう。
上半身は裸だったが、幸いにもズボンは穿いていた。
彼は口から風を吹き出していた。その風音がメロディを奏でていて、歌のようだった。
心に沁みる泣けるメロディで、わたしは姉を探すのを忘れて聴き入ってしまった。
いつまでも聴いていたい。
この世界オリジナルの曲だと思う。
姉はこれにハマってしまったのだろう。
わたしたちの世界より、この異世界を選んだのだ。
金髪の風の精霊はときどき歌うのをやめて、草原に生えている野イチゴを少しだけ摘んで食べた。
わたしも思い切って野イチゴを食べてみた。甘酸っぱくて、美味しかった。
美しい音楽があり、食べられるものがある。
姉の失踪先はこの世界だ、という確信が固まった。
わたしは草原を歩き回った。
念のため野イチゴは二度と食べず、カロリーメイトを食べた。
緩やかな丘がどこまでもつづいていて、姉は簡単には見つかりそうにない。
迷ってしまって、三角形の岩を見失ったら、帰れなくなってしまうかもしれない。
あまり遠くへは行けない……。
風の精霊はひとりではなかった。
見えている範囲内でもちらほらといた。
直毛銀髪の美女精霊はハードロックのような風の歌を叫んでいた。その前に立つと、台風みたいな激しい風が吹いていて、倒れそうになった。
黒髪ショートヘアの美少女精霊が現代音楽のようなメロディをとらえがたい風の歌を歌っていた。でもちゃんと音楽だった。彼女は不規則に変化する風を口から吹き出していた。
女性型の精霊はビキニの水着のようなものを着ていた。
オレンジの髪のハンサムな男性精霊が童謡っぽい風の歌を奏でていた。彼は微風を吹いていた。
歩き回ると、かなりたくさんの風の精霊がいることがわかった。
この世界がどれだけ広くて、どれだけ多くの精霊がいるのか、見当もつかなかった。
精霊たちは自分の歌を歌うのに夢中で、コミュニケーションを取り合っているようすはなかった。
わたしが話しかけてもなんの反応もしなかった。
ひとしきり姉を探して、風の歌をいっぱい聴いて、わたしはひとまずわたしの世界へ戻った。
風の精霊たちがいる異世界のことは秘密にしておいた方がいいという気がした。
人間たちが殺到して、美しい草原を踏みにじり、精霊たちの心を乱すのはよくない。彼らに心があるとすればだが。
でも誰かに話したくてたまらなかった。
あの印象的な世界のことを話したい。
両親に話すのは、とりあえずやめておくことにした。警察官が異世界に侵入するのは避けたい。
わたしは何回か異世界に通って、安全に帰れることを確かめた。
そして、親友に風の精霊の世界を話すことにした。
幼いころから親交のある同い年の女の子、鎌切音乃(かまきりおとの)。
腰まで届く直毛茶髪の小悪魔的な美少女だ。多数の男の子を惑わしているが、幼馴染のわたしには誠実な態度を取ってくれている。音楽の趣味がわたしと合っていて、エレクトロニカが好きだ。
彼女の趣味はデスクトップミュージック。パソコンを使ってオリジナルの楽曲制作を行っている。インストルメンタルをネットに投稿しているが、再生回数はいつも二桁止まりだ。
わたしが好意的に聴こうとしても、あまりパッとしない曲だと思うのだから、人気がないのも仕方ないと思う。
でも音乃は「あたしの天才的な音楽をなんで理解できないのよ。この名曲がどうしてバズらないの? きーっ!」とよく叫んでいる。
わたしは彼女に異世界のことを話した。
「信じてもらえないかもしれないけれど」と言って話しはじめたのだが、音乃はすぐに信じた。
「あたしを風の精霊たちの世界に連れていって! 風の歌が聴きたい!」
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