第一章 規格外の少年 2

「――何だ?」

 一ヶ月後。隠者の黒森に住み着いて慣れた頃だ。アッシュは妙な光景を目にした。

 煙だ。山の遥か東側の平原から火の手が上がっている。

「爆炎の煙……? まさか、戦か?」

 すぐに悟る。里では稀に、野盗が襲ってきた時、同じ光景を見たことがある。

 火炎魔術などで草木が焼け、立ち上る煙だ。

「一体何が……野盗?」

 すぐさまアッシュは護身用の木刀や、聖剣シルヴァルガを携え、小屋を出た。

 黒々とした森を駆け、中腹を越えて下腹辺りを目指す。

 途中、背の高い木に登り、物見櫓のようにしてアッシュは平原の様子を見てみた。

「集団が……別の集団に、襲われている……?」

 遠すぎるためよくは視えないが、平原では多数な人間が追われていた。

 およそ五百人あまり。追っ手の方は――それより遥かに多い。一万人といったところか。規則的な列を成す軍団。アッシュは一瞬迷った末、追われる方を目掛けて走った。

「――こっちだ! こっちへ来い!」

 山の下腹に降り、まずアッシュは火打ち石を叩いて魔道具で大声を上げる。

 魔道具とは、誰にでも扱える道具、回数制限はあるが魔力があればアッシュも使える。

 これでアッシュは拡声具と火打ち石を用いた。

 どちらも森小屋にあった魔道具の一つだ。この内、火打ち石は力強く叩けば火が発生し、煌びやかな炎の柱を発生させる。

 眩い炎が山の上空へと登る。朝にも関わらず炎は追われる五百人に見えたらしい。先頭の人々が方向を変え、アッシュのいる山へやってくる。

 便利なことに、この火打ち石は真っ直ぐ上空へ火炎を発すると、すぐに消えて森に燃え広がらない。

 時折、木々の間に何度も火打ち石の火柱を立て、高い木から様子を見てみる。

 追っ手の一万の軍勢は、全員が武装し、強力な武具を備えている。

 明らかに戦争に特化した猛者たちだ。全身が金属鎧や紋様の入った外套を着ており、魔物すら容易く蹴散らせる装備。

 アッシュは一瞬考え、森の各所に設置していた魔道具へ励起の命令を発した。

「――迎撃魔道具、起動! 条件付きで追っ手を撃て!」

 木々や葉、地面の茸などに擬態したそれらが硬質化した木の枝や毒鱗粉を噴出する。

 元は獣や野盗に対抗するため設置していた代物だ。

 森の各所、総数百二十五個の魔道具が、防衛のための力を発揮させていく。

 アッシュは追われている連中のそばに走った。森のいくつかのルートを選定しつつ、急いで再度火打ち石の魔道具を使う。意味は『中腹の洞窟で待つ』――という内容。もし追われている五百人側のリーダーが理解できれば、こちらに来るだろう。

 洞窟に隠れ、アッシュが緊張と不安を覚えたまま、数分待った後だった。

「――まさか、このような場所で貴方に会うとは……これも神のお導きでしょうか」

「そんな……ロス神父さま!?」

 アッシュは驚愕の表情で、洞窟の中から顔を出した。荒い息で森を走ってきたのは、里にいたロス神父だった。

 神秘的な法衣、青い教会の衣装。しかし彼の服についているのは土や泥や煤ばかりで、中には武器で破かれた箇所もある。白髪混じりの髭には血の痕すらあった。

「神父さま、これはいったいどういう……?」

「説明は走りながら行いましょう。ともかく、今は安全な場所へ行くべきです」

 ロス神父が振り返ると、他にも何人もの人々が列を作って逃げてきていた。

 里の人間だ。見知った顔ばかりが視界に入ってくる。

「――アッシュ!」

 驚いた顔のまま彼が振り返ると、群集から金髪の少女が抱きついてくる。

「……シャルナ!?」

「良かった……っ! 良かったわアッシュ、無事で……っ!」

 彼女も土や泥が所々についていて、服の裾が刃物で切り裂かれている。

 シャルナは、感激のあまりに泣いていた。美しい顔が涙と嗚咽によってぐしゃぐしゃになって、緊張の解けた声がアッシュの耳に届く。

「いったいどうしたんだ? みんな逃げて――」

「里がっ! 里が襲われたの……っ! わたしたちは逃げてここに!」

「……なんだって?」

 衝撃がアッシュに走る。里に襲撃? そんな馬鹿な! なぜ?

「――『帝国』の、軍隊です」

 傍らで様子を伺っていたロス神父が語った。

「『神聖ヴォルゲニア帝国』が、軍を私たちの里へ差し向けてきたのです」

「ヴォルゲニアが!? どうして……っ」

 通称、帝国――正式には神聖ヴォルゲニア帝国と呼ばれる大国だ。

 遥か西方の大陸に位置する巨大な軍事国。全大陸の中で最強の力を持つ。

 自らを神の使徒と言ってはばからず、魔王を打ち倒すためなら手段は選ばない。魔王を倒すことに協力しない国は悪である、そう断言すらしている。

「しかし、どうして帝国が!? あの国は遥か西の国だ。俺たちの里とはいくつもの山脈や海があるはずなのに――」

 神父は鎮痛な面持ちで首を振った。

「いえ。確かに帝国は遥か西の大国です。ですが我々の集落は、『英雄の子孫が集まる里』です。その戦力を得るために、彼らは遠征して来たのでしょう」

「そんな……」

 アッシュたちのいた里――正式名、『聖者の里』は、歴代の英雄の子孫が集まる里だ。

 世俗のしがらみや王家の陰謀から逃れるため、あるいは武技を極めるため、様々な理由で、普通の生活を送れない者たちが集まって出来た集落。

 アッシュも以前、魔術の鑑定で三代目魔王を倒した英雄の末裔と判定を聞いた。

 ロス神父やシャルナも似た出生だ。

「む、無茶苦茶だ! 英雄の末裔でも力があるとは限らない。そんな横暴が通るか!」

「その通りです」神父は頷いた。「ですが彼らは、自らを神の使徒と称し、他国の人間を拉致、奴隷として支配する事を使命としています」

「そんな……っ!」

 後方を一度振り返り、神父は多少の時間があると思ったのか、再び顔を寄せる。

「あなたも、教会の授業で私から習ったでしょう? かつて、百年前、【魔王アヴラス】により、世界は大変な被害を受けました。大地は焼け、都市は壊滅し、女性も子供も大虐殺されたと記録にあります」

「それは……確かに神父さまからそう教わりました」

「その話には、続きがあるのです。先代魔王に痛手を被った帝国は――戦士の数と質を揃えるべき――その信念のもと侵略を続けているのが、神聖ヴォルゲニア帝国です」

「そんな……!?」

「帝国は、魔王を倒すためなら僻地も襲うでしょう。そして手駒に加える気です」

「……っ」

「魔王は、邪悪な存在です。一度倒しても名前や性質を変え、『前回より強くなって』蘇る。つまり、以前と同じ戦力では敵わない。――【初代魔王】アルヴォスが現れた時は大賢者ディアギス一人で倒せました。しかし【二代目魔王】ウルドガームは、三人の英雄と一万の軍勢で倒し、【三代目魔王】エスベルドは、六人の英雄と四万の英雄で倒しました。――段々と、魔王の戦力は増えているのですよ。だから帝国は、魔王を倒すため、さらなる戦力を集めるために、人間狩りを始めました」

「無茶苦茶すぎる! 人の命を何だと思っている!」

 神父は痛ましそうに頷いた。

「同感です。帝国は人々を拉致し、奴隷とし、兵士として育てあげている――大人も、子供も関係なく。魔王に対する手駒として。その対象は国だけではありません。我々のような、英雄の力を持った里の人間すら襲撃し、拉致・兵士化しようとするのです」

「ふざけている! そんなこと許されるわけがない!」

「ですがそれが現実です。今、帝国軍の司令官は、いくつもの策を講じているでしょう」


 同時刻。隠者の黒森の下。平原のとある場所にて。

 帝国の東方制圧軍総司令室。大仰な馬車に乗る一人の男が、甲高い声で叫んだ。

「ああっ! 聖者の里の連中はまだ捕まらないのですか? 無為、無意味! 我らから逃げても無駄なのに! じつに愚かな輩ですね!」

「まったくでございます、総司令官殿」

 副官である壮年の魔道士が、禍々しい形相と共に語る。

「かの聖者の里の者は、一騎当千の素養。名だたる英雄の血筋を持つ者たち。さすがというべきですが……このままでは時間の無駄。そろそろ決着をつけたいですな」

「仕方ありませんね。聖者の里の人間は、貴重な資源です。資源はいくらあっても困らない。全て帝国のものです。私が出ましょう!」

 異形の入れ墨を、体のあちこちに施した男――総司令官が魔道具を備え馬車を出る。

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