第一章 規格外の少年 1

 ――世界は、かつて【魔王】と呼ばれる存在に脅かされていた。

 体長六百メートルを超え邪悪な瘴気を発し、万を超える魔術を操る闇の帝王。

 各地では忠誠を誓う配下の軍勢が暴れ、その猛威により数百の都市や村が滅ぼされた。

 それを、今から八百五十年前、一人の『英雄』が討ち滅ぼした。

【大賢者ディアギス】――それが偉業を成した者の名だ。老賢者であった彼は一騎打ちの末、手酷い傷を置いながらも魔王を打倒。そして各国にこう言い残した。

『私は、魔王をこの手で討ち果たした。――だがそれで終わりではない。いつの日か奴は再び蘇り、さらなる脅威となって襲いかかってくるだろう』

『その時、私は寿命により生きてはいまい。ゆえに天界の【女神】に願いを託した』

『一つ。人々には《恩恵》によって超常の力を与えること』

『一つ。人間に多大な力をもたらす、大いなる《神樹》を生み出すこと』

 天界に住まう女神はこれを了承した。全世界の人々と、これから生まれる全ての人々、彼らに恩恵ギフトという贈り物を授けたのだ。

 同時に、霊神樹と呼ばれる大樹を創り出した。

 武器を無数に生み出す特殊な大樹。伝説級の武具を無限に生み出す効力の樹。

 恩恵ギフトと霊神樹――この二つを以って、魔王へ対抗する。

 それが大賢者の願いであり、以後八百五十年間、人々は女神から与えられた力を使い、平穏のため戦った。

 七百年前、【魔王ウルドガーム】が現れた時は三人の英雄と一万の軍勢が戦って。

 五百五十年前、【魔王エスベルド】が現れた時は、六人の英雄と四万の軍勢が応じて。

 四百年前、【魔王ヴァルズ】が現れた時は八人の英雄と七万の軍が死力を尽くした。

 けれど、それでも闘いは終わらない。大賢者の預言によれば、魔王は何度も復活を果たし、その都度に名を変え、姿を変え、性質を変えて襲いかかると言う。

 人々は女神に与えられた力を用い、対抗しようとした。しかし――。


「――人々は、やがて人間同士で争うようになりましたとさ。情けない」

 鬱蒼と茂った森の中をアッシュは歩いていた。

 荷物は軽装、懐の財布は軽く、今日の晩飯も心もとない。

 理由は単純だ。先ほど野盗に襲われたばかり。一対一ならともかく、多勢に無勢では勝つことは出来ない。無祝福ノンギフトの辛い所だった。

 家から持ってきたなけなしの銀貨や、金貨をばら撒き、ようやく逃げ延びたが苦しい。

「まったく世も末だ。人間同士で団結、ってところにそもそも問題があるんだよ」

 八百五十年前、大賢者ディアギスは単身で魔王を倒したという。

 それは立派な偉業だが、その後が頂けない。人間は様々な欲望を持つ生き物だ。それゆえに富や名声、酒や女を求めて力を扱った。

 魔王が出現している時はいい。しかし平時では違う。強い恩恵ギフトを得た人間は、私利私欲のため力を使い、弱小な恩恵ギフトを得た者は利用されるか爪弾きものにされる。

 それが現実だ。女神から与えられた力は、多くが自身の欲望に使われている。

 次の魔王の復活は五十年後。この有様では、世界は人同士の争いを止めないだろう。

 だからアッシュは失望する。人間なんてこんなものだと。力を授けられても、無益に使い、弱者を蹴落とす事に使う。

 ダストたちに馬鹿にされたせいもあるためか、アッシュは陰鬱な表情で、山の奥地へ歩いていった。

 ――そうして、七日が過ぎた。

 深い森や厳しい荒野を歩くと、心身が疲れてくる。脳裏にシャルナの顔が浮かぶ。会いたい、話したい、もっと色々なことを語り合えば良かった。

 だがもう後の祭りだ。アッシュは眼前に広がる荒野を前に嘆息した。

 さらに十三日が過ぎた。空腹にあえぎ、財布の中も尽きた。たまに通り掛かる行商人から食べ物を分けてもらい、護衛として付き添っては駄賃を貰っていくが一時的なもの。

 行き先が別れればその後はまた一人旅。空腹と夜の暗闇、寂しさがアッシュの友人だ。

 さらに、それから二十日が過ぎた。

 当初の予定で二週間だった隠者の黒森に着く、という期間はとっくに過ぎていた。

 馬車を手配出来なかったのは痛い。

 はじめの頃は馬車に乗って旅をしたが、野盗に襲われてからは徒歩に切り替えるしかなかった。強い恩恵ギフト持ちには敵わない。泣く泣く選んだ結果だった。

 ――そしてさらに、三十日が過ぎる。

 この頃となると、またアッシュの様子も変わってくる。

 彼は心身とも落ち着いていた。いや、旅に慣れたというべきだろう。心や体は傷つきやすいが、慣れもまた早い。皮肉にも、アッシュは逆境の旅で強くなれた。

 そして――旅立ちから五十七日目にして、ようやく隠者の黒森にたどり着く。

 見た目は鬱蒼と茂った陰気な森だった。

 全体が黒い木々で覆われており、幹も葉も真っ黒。どうすればこんな黒くなるのか判らないほど、墨のような木々が連なっている。

 黒い森のため薄暗い。爽快さより不気味さがあり、アッシュは幽霊が出そうと思った。

 山の頂上に、アッシュは三日かけ登ると、そこには古びた小屋がある。

 朽ちかけた木屋だ。全体がひびやカビに覆われており、虫食いにやられて穴の空いた場所がある。けれど不思議なことに、中には獣などが立ち入った様子がなかった。

 アッシュはすぐに総毛立つ。この小屋、相当な強い『魔術』が使われている。

 恩恵ギフトは、大きく分けて二種類に分けられる。『魔術』と『スキル』だ。

 魔術は、自分や周囲の魔力を消費し、様々な超常現象を起こす秘術。ダストの使った『風魔術』や、ロス神父の使った『回復魔術』がこれに該当する。

 対して『スキル』は、常時発動、または一日に回数限定で使える奇跡の総称だ。

 例えばアッシュの故郷なら、自警団の人たちが『腕力増強』のスキルを持っており、教会のシスターは『聖属性強化』というスキルを持っていた。

 そのうち、小屋に使われているのは『破邪魔術』だ。邪悪な生物を追い払う力。

 噂によれば隠者の黒森の主は剣士だったはずだが、その後、誰か偉大な魔術師が住んだのだろうか?

 いつの世も、はみ出し者はいるものだ。昔の魔術が今も効果を保ち続けていることにアッシュは驚きつつ、しばらくその小屋で暮らすことにした。

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