第10話
約束の時間よりも30分早く、俺は指定された学部棟の屋上広場に来ていた。
快晴で、少し風が吹いていた。
少し古びたベンチに座ってぼんやりと頭上の青い空を見上げた。
俺と宇宙との間には空気とうっすらとした雲しかないのだなあ、などと考える。空気と雲のその向こう側には宇宙空間が広がっていて、俺の視覚では見ることはできないだけで、そんな宇宙空間に放り出されずに呑気に座っていられるも重力があるおかげであって、万有引力万歳、みたいな、そんなことをぼんやりと考えていた。
ふと、翼を広げた鳥の姿が風に流されるように視界の上から現れから下へと消えた。カラスだろうか、高い位置を飛んでいる。それでもあえて、頭上の宇宙をまだ見ていた。するとまた、もう一段小さくなった姿が現れた。どうやら円を描いて上へと上昇しているらしい。カラスではなく、きっと鳶だ。あれほどの滞空時間はカラスには難しいはずだ。猛禽類の特徴的な飛び方で、でもこの辺に鷲も鷹も飛ぶはずがない。飛ぶとしたら鳶くらいだ。確か尾の形がM字なのが鳶だ、と聞いたことがある。でもあんなに高く小さくなってしまったらM字だかなんだかわからない。今、あの鳶があんなところを飛び回れるのも引力のおかげであるなんてことを考えているのは世界中で俺だけなのだろうなあ、と考えた。
「あ、あのう。」
俺はびっくりして少しベンチから体が浮いたと思う。
女性にしては少し低めの声の主は、佐鳥さんだった。
俺は首をさすりながら立ち上がった。
「あ、あの、こここんにちは。」
俺のどもり気味の挨拶に彼女は愛想笑いをしてくれた。昨日ほどの警戒心はない様で俺は心のそこからほっとした。
ベンチに横並びになって少し会話を交わした。出身地とか生活圏とかある程度の基本情報は互いに箭本から入手してあったこともあり、なんとなく話は途切れずにできた・・・のだが。
「さっき、鳶が飛んでたでしょ?」
と佐鳥さんが言った。
「ああ、うん。上昇気流に乗って上がっていったけど、上空は風があるみたいであっちの方に流されて行ったね。」
すると、彼女は初めて横を向いて、俺の顔を見た。
「私の名前、佐鳥って、どういう意味かわかる?」
俺は名前の話をされたので物凄くドキリとした。どうして彼女から苗字の話をし始めたのかわからなかった。俺が苗字についてヘンなこだわりを持っていることを箭本から聞いているのだろうか。
俺が首をかしげると、彼女はほんの一瞬だけ悲しい光を灯して瞳を閉じ、首を正面に向けた。
「小さな鳥、って意味なんだよ。」
「・・・へえ。そうなんだ。」
俺がそう受け答えると、急に沈黙に襲われた。彼女は何を言おうとしているのか俺には皆目見当がつかない。
「・・・わしもりさん、鷲の森って書くんでしょう?」
言いにくそうに彼女が言った。
「うん、そう。鷺と間違われやすいけど、鷲。」
すると、溜息交じりに彼女が言葉を継いだ。
「鷺なら良かったのにね。」
・・・?
「えっと・・・え、何が?」
俺は正直にそう聞き返した。すると彼女は急に立ち上がって俺の真正面に立つと、わずかに頭を垂れて言い放った。
「小鳥が鷲に喰われるみたいでちょっと無理です。ごめんなさい。」
彼女が走っていく様はまるでスローモーションのようで、俺は長い映画を見ているみたいだった。
時間差で涙が出たのは、驚きすぎて瞬きを忘れていたからだ。・・・きっと、そうだ。
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