第6話 地理 ~Gaigrephoe~

 シルイとの少し遅めな朝食の後。ねねは机に向かって座りながら宙に浮かぶ本とにらめっこしています。


「~~~……」

「なんだよ、そんな睨むなよ」


 食事の後、シルイは魔法を教えるために必要なものを買いに行ってくると外へ行ってしまいました。


『近くの村まで行きますけど、少し寄り道して森の見回りをしてから帰ってくるので遅くなると思います。なので、それまでの間彼にこの世界の基本的なことを教わっててください』


 と、言い残して。

 その結果が今の状況です。睨むねねに対し、本ははぁと小さくため息をつきました。当然本なので息は出ていませんが。


「まだ怒ってんのか?風呂のこと」

「怒ってない。……というか思い出させないで」


 むすっとした顔で本をにらみ続けてると、仕方ないなと言わんばかりに「はいはい」と返されました。


「それじゃあまずこの国について簡単に教えてくぞ」


 本がこほんとわざとらしい咳払いをして喋り始めました。

 声を発しながら浮かんでいた本ががばりと大きく開き、ページが勢いよくめくられます。ぴたりとそれが止まったので、ねねはそのページを覗き込みました。中には簡単な地図らしきものが書いてあります。


 大きな丸で囲まれた中に木や家のマーク。山や川が大雑把ではありますが書かれていて、ついでに土地の名前もしっかり書いてあります。


「これがこの国の地図だ。ここにいるのが俺たちだな」


 本がそういうと、丸の左下にある木のマークが集まった場所に矢印がひとりでに引かれました。「Solveaソルヴェア」とやはり癖のあるアルファベットで書かれています。


「じゃあ王都は?」

「王都はここだ」


 朝食の時にシルイの口から出た王都について尋ねると、再び地図に矢印が引かれます。丸の比較的真ん中上半分、地図の上側が北であると仮定すれば、矢印の場所は中央北部と表現するべきでしょうか。矢印の先には「Nostalgioノスタルジオ」と書かれています。


 地図上の距離がどの程度かわかりませんが、うっすらと書かれた道を眼で追ってみてもここから王都は距離がありそうです。近ければシルイの言っていた日本人に会うのもありかもしれないなとねねは考えていましたが、やはり現実的ではなさそうです。


「これ、国の地図なんだよね」

「そうだな」

「他の国はないの?」


 ねねが疑問を口にすると、ページがまた勢いよくめくられ、違うページが開かれました。そこには先ほどより小さな円が九つ並んでいます。大きい円が左右上下と真ん中。小さな円が斜め右上右下、左上左下に書かれています。


「……これが世界地図?」

「まぁ世界地図っちゃ世界地図だな」


 あまりにも簡素な図を見てねねがじとりと本をにらみますが、別にからかってるわけではなさそうです。


「真ん中のが俺たちの国、ノスタルジオ。その上が北の国フロアゴーヴァ。そっから時計回りにスミルチボルグ、アズマ、セルト、メレア、エレイネ、ナギトウム、アラクトロ。計九国だな」


 知らない単語を一気に九個もまくしたてられねねが困惑している中。本はぺらぺらと説明をしていきます。北は宝石がどうだとか、南は海が綺麗だとか、北西は凍ってるだとか。

 正直最初の国の名前の時点でねねの脳みそが理解を放棄してしまったせいで、その後の話は一割程度しか情報が入って来ませんでした。


「それでここの森ではうまい木の実がとれてだな」

「もういい、わかんない……」


 ぺらぺら話し続ける本を遮って説明を止めさせると、本が「なんでえ」とつまらなそうにつぶやきます。何となく唇を尖らせて詰まんなそうな顔をしている様子をねねは想像しました。


「まぁいいか。次は言語だ」


 ページが再び激しくめくれ、今度は情報量の多い文字ばかりのページが開きました。ただでさえ変な形をしたアルファベットで書かれているのに、大きな本のページいっぱいに書かれてはなかなか読む気にはなりません。


「基本的に全部の国で五界語が話されてる。俺たちが今喋ってる言葉だな」

「……?私日本語しゃべってる」

「あん?お前がしゃべってんのは五界語だ。目の前の文字と同じ言語だよ」


 これだといわんばかりにページの端をピロピロ動かします。よくよく文字を見てみますが、綴りもほとんど英語と変わりません。


「これは英語じゃないの?」

「英語ぉ……?そりゃ外の言葉か?」


 いまいち本の言うことが分からずねねは小首をかしげます。本もよくわかってないような声色です。

 ねねとしては日本語を話し英語を読んでいる感覚ですが、本は同じ言語を読み話していると言うのです。

 本の言っていることがねねにはどうにも理解できませんでした。


「まぁいいや。次、この国の現地語、魔術語だ。普段は使わない言葉だけどな」


 ページが一つめくられ、また文字がたくさん書かれたページが開かれました。使っている文字は同じですが、次は知らない単語ばかりです。


「……読めない」

「魔術師になるんだったら知っとかないといけないぞ。ここの地名のソルヴェアっつーのも魔術語だ。森って意味だな」


 単語の羅列の中から一文字だけ色が変わりました。先ほど地図に書かれていた「Solveaソルヴェア」の文字です。

 本の言う通りなら、誰かが森に「森」という名前を付けたということになります。確かにわかりやすいですが、他の森はどう名前つけていたのでしょうか。ねねは何となく雑だなと感じました。名前を付けた人は名称に興味がないのか、と。


「じゃあこれは?」

「あぁ、それはリークス。所在とか居場所とか……自分のいる場所を指す言葉だ」


 ねねは知らない言語のことが気になって単語を指さしては質問していきます。適当に指でさししめした「Licusリークス」について本は答えてくれます。


「……じゃあ、みとぅす……は?」


 ふと、いろいろな文字を見ていて夢のことを思い出しました。自然公園へ来る前の不思議な夢です。ぼんやりとした記憶ですし夢で聞いた言葉だったので片言になってしまいましたが、本はきちんと理解してくれたようで単語の中から一つを別の色で示します。そこには「Mitusミトゥス」と書かれています。


「ミトゥス。魔術語で動かすとかいう意味だな。よく魔道具を動かしたり大規模な魔法を使ったりすんのに使う言葉だな」


 本が発音した言葉は、確かにねねが夢で聞いたものと同じです。何となくの思い付きで聞いたことでしたが、思いがけない発見がありました。


——夢で私、この世界にいた……?


 変な言葉に森。そしてそんな夢を見たその日のうちにこの世界に迷い込んだのですから、偶然とは到底思えません。


「んじゃ次は北方の現地語だな」


 ねねが夢について考えを巡らせていると、本が次のページへ進みました。今度はアルファベットですらなく、どちらかというとキリル文字のような形をしています。


「……これ九個の国の分全部やるの?」

「当たり前だろ?」


 恐る恐るねねが尋ねると、本は至極当然といった声色で返します。英語だけで嫌になっていたところに魔術語が加わり、その上次から次へと知らない情報が飛び出てきます。


 ねねはもともと国語などの文系科目は得意な方でしたが、これは流石にねね脳みそのスペックを優に超えています。


「まずシクリヴォースカっつって、魔法を使うために使う宝石全般に……。おい、俺が説明してんだからこっち向け。おい、聞いてんのか?ちびっこおい」


 ぼんやりと窓の外を見だしたねねに、本が怒ったような声色で叫んでいます。最も、現実逃避をし始めたねねにはもう本の声なんか耳に入ってきていないようですが。


——私……。なんで異世界に来てまで、学校より難しい勉強してるんだろう……。


 日本でよく目にした異世界が舞台の小説は、華々しい冒険や美しい出会いばかりだったのに。外を見ながらねねは思い出しますが、現実はそう甘くはないようです。


 学校に通っていたころは数学や化学が面倒くさく感じていたねねでしたが、今ならあれくらい簡単にこなせそうかもと、ページをばさつかせて怒っている本を横目にねねはぼんやり考えてました。

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