第5話 決断 ~Bacosoin~
ねねの耳に小鳥のさえずりが聞こえてきました。涼しげな風がねねの髪を撫で、むずがゆさでぼんやりと目を開けます。
「ん……」
身を起こしたねねはぼんやりと周囲を確認します。知らない天井に見慣れない机、大きな本棚。そしてふわふわのベッド。
「私……寝ちゃってたんだ……」
ぼやけた思考で昨日のことを思い出します。知らない森に迷い込んで、シルイという女性に助けてもらって、本がしゃべって、お風呂に入って……。
それ以降の記憶は覚えていません。どうやってお風呂から出て、どうやって寝たのか記憶が抜け落ちています。
ゆっくりと自分の姿を確認してみれば、知らない寝間着に身を包んでいました。袖のふわっとした真っ白なネグリジェです。
「~~……」
小さな窓へ視線を動かし外の天気を確認しようと試みますが、生憎木々に阻まれ日光は確認できません。時計もないせいで時間がわかりませんが、普段起きる時間よりかは遅い気がします。
「起きなきゃ……」
ベッドから降り、ねねはふらふらと廊下へと歩いていきます。ねねが寝ていた部屋と違って、廊下からは美味しそうな食事の匂いが漂っていました。
朝起きて、食事の匂いを嗅ぐ生活はねねにとって久しぶりです。自分の家に家族はいましたが、基本的に自分の食事は自分で作っていましたから。
「あ、ねねさん!起きれたんですね!食欲はありますか?朝ごはん、できてますけど……」
一階へ降りていくと、キッチンで料理を作っていたシルイがぱたぱたとねねに駆け寄ってきました。ぺたぺたと顔やおでこを触ってきて心配そうな目で見てきます。
「あの、私、昨日……」
「お前、昨日風呂で伸びてたんだよ」
シルイに昨日の風呂の後について尋ねようとしていると、すぐ真横からなれない男の声が聞こえてきました。少し身を引きそちらへ視線を向ければ、本が一冊浮かんでいました。
「全然でてこねぇから見に行ってやったら顔真っ赤にして湯船に沈みかけてたんだ」
ねねは寝起きでまだぼんやりとした頭のまま状況を整理します。きっと疲れや考えすぎでのぼせてしまったのでしょう。それをこの本が発見して……。
「~~っ!?」
ここでようやく状況をつかみ、ねねは急激に目が覚めました。一度ならずに度までも異性に肌を見られたことになります。本ですが。
「ま、ままさか服も……?」
ねねはぎゅっとネグリジェの裾を握ってにらみつけます。
「冗談言うなって。腕が生えてるように見えるか?」
対して本は、馬鹿なことを言うなと言わんばかりの声色でふわふわと浮かんでいます。
「私が着せました。……嫌でしたか?」
「いえ……」
シルイが心配そうに見つめてきたので、ねねは軽く首を横に振ります。その反応を見て、シルイは少し安堵したような表情になりました。
「よかったです。少し遅いですけど、朝食にしましょう。オミソシルも作りましたから」
「味噌汁……?」
ねねは昨日シチューを食べた机へ移動し、昨日と同じ席に座ります。ちょこんと座って待ってると、シルイがお皿をもってやって来ました。
「はい、どうぞ」
シルイがにこりとほほ笑み、ねねの目の前に食事が並べられていきます。
味噌汁、白米、焼き魚、大根おろし。箸までついて和食フルセットです。
「……いただきます」
両手を合わせ静かに呟き、味噌汁に口をつけます。ねねが食べなれた味ではありませんが、確かにみそ汁の味です。
「……こっちの世界にも、和食ってあるんだ……」
「あ、いえ……。どうなんでしょう……」
ねねがぽつりと漏らすと、シルイは少し困ったような表情をしました。
「確かにこういう料理を作る国はありますが、おそらく少し違うんじゃないかなと……」
いまいち要領を得ない説明をしているシルイを見て、ねねが少し不思議そうな表情をすると、シルイは魚の骨を綺麗にはがしながら答えます。
「これは、ねねさんのように外から来た人たちに教えてもらった料理です。どうしても食べたいとせがまれまして……」
シルイの言葉を聞き、ねねはがたりと席を立ちます。食事中だということはすっかり忘れてしまっています。
「他の日本人もいるんですか!!」
「へ、は、はい。二人ほど私が保護しました……」
身を乗り出し食い気味で聞くねねに、シルイは少し身を引きびっくりしたような顔で答えています。
ねねはそれを聞いて自分の椅子に座り直し、食事も忘れて考え始めました。
何故思い出さなかったのでしょう。自然公園での行方不明者が多いという話だったではありませんか。
行方不明者の何割がこの世界へ迷い込んだのかはわかりませんが、ねねだけということはきっとないでしょう。
「その二人には会えますか!!」
「え、ええと……。一人は王都があるという説明したらそこへ行くといったので、王都の友人に任せました。騎士になるとかなんとか……」
シルイの言う王都がどこかは分かりませんが、語り口的には遠くにいるということでしょう。
「それじゃあもう一人は……!?」
「その、もう一人は……」
シルイの顔がだんだんと曇り、声のトーンが沈んでいきます。
ねねはふと昨日のことを思い出しました。家を見つけた時は喜びで耳に入っていませんでしたが、シルイは「襲われなくてよかった」と言っていたような気がします。つまりこの森には人を襲う何かがいるということです。熊や野犬の類かもしれませんし、喋る本のような不思議な生き物かもしれません。何となく、シルイの表情が曇る理由が察せました。
「……嫌なことを聞いたみたいで……」
「いえ……。私が悪いので……」
ねねが謝り、シルイが静かに否定します。何となく、気まずい空気になってしまいました。重い空気のまま二人は食事を再開します。
休憩、睡眠、食事のすべてをしっかりとったからでしょうか、昨日よりもねねの頭はよく働きます。魚の骨を一本一本丁寧にはがしながら、ねねは昨日シルイがしてくれた話を改めて自分なりにまとめなおし始めました。
まず一つ目、今いる場所がねねといた世界。すなわち日本ではないという話です。
これ自体は多少の疑問点は残るものの、今となっては疑いようのない事実です。日本で本が浮かび喋ったという話は聞いたことがありません。道中見かけた不思議な虫やオコジョのような生物も、この世界だけに存在する生き物なのでしょう。
二つ目に、ねねがいる国はノスタルジオという名前であり、その南西に位置するソルヴェアという森にシルイは住んでいるという話でした。
こちらは全く新しい情報でしたので疑問点だらけです。とはいえ、知らない国の知らない地名の話をされてまったく理解できないのは元の世界でも同じです。急に知らない外国へ連れてこられたようなものなので、今すぐこの疑問を解消する必要はないでしょう。
最後に説明されたのが、日本に戻ることが難しいという話。
「あの、シルイさん」
「は、はい。なんですか?」
「日本……。向こうに帰る方法って、ないんですか?」
あの時、シルイは確かに「不可能だ」ではなく「難しい」と表現していた気がします。不可能だと断言しないのであれば、帰る方法は全くないというわけではないはずです。
質問され、シルイが少し考え込みます。数分経って、シルイがゆっくり話を始めました。
「方法がないわけでは……ないと思います」
シルイの返事はねねが考えていた通りでした。シルイはそのまま説明を続けます。
「魔法の中には空間を移動するものや、入り口と出口を繋いで空間的につなげるものがあります。そういったものの応用でできないわけではないと思いますが……」
シルイはその後もぶつぶつと専門用語のようなものを使いながらつぶやき続けていますが、つまるところ魔法でできるかもしれないという話でしょう。
何となく、ねねのこれからの方向性が決まったような気がします。
「シルイさん」
「……あ、はい。すみません、考え込んでしまいました……」
声をかけるとようやく独り言をやめ、シルイはねねの方を向いてくれました。
「私、魔法を勉強したいです」
短く自分の意見を告げると、シルイは少しきょとんとした顔で瞬きをし、そして少し真剣な顔になりました。
「それはあちらへ帰るためですか」
「はい」
「……難しいかもしれませんよ?」
「それでも、何もしないよりかはいいと思って……」
真剣な目でねねがシルイを見つめ返して数十秒。無言のまま見つめあって、やがてシルイがふにゃりと眉を下げて微笑みました。
「わかりました。私も魔術師なので魔法は教えられますし……。ねねさんがそう決めたのなら、私も全力でお手伝いしますね」
「ありがとうございます」
にこりとほほ笑んで快諾してくれたシルイに、ねねは頭を下げます。こちらでねねがこれからやるべきことが決まりました。
決意に満ちた瞳で食事を再開するねねを、シルイはほほえましそうに見つめてました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます