第4話 遭遇 ~Iccursus~
ねねは尻もちをついておびえることしかできていません。いったい目の前で何が起こっているか理解できていませんでした。
今のねねにわかるのは、手に取った本がひとりでに動き出し、中年男性のような声を上げながら叫んだということです。
「ったく、いくら何でも縛り付けるこたねぇよなぁ。えぇ?」
ねねの手から飛び跳ねた本は、しかし地面に落下することはなく。その場を浮遊しながら流ちょうに話し始めます。ばっさばっさと開いたり閉じたりしているさまは確かに口っぽいのですが、本来一人でに動くはずのない物体が生命体のように振る舞うことがねねに違和感を与えていました。
「な、ななななっ……」
「お?なんだ、しらねぇチビだな。ようチビ、新入りか?」
その上語り口はなれなれしく、口もあまりきれいとは言えません。今まで男性と話す経験がねねにはあまりありませんでしたが、口が悪い男性はねね的にはNGだったようです。本がしゃべる違和感に生理的嫌悪がちょっぴり追加されました。
「なぁおいチビ、聞いてるのか?」
ふわふわとねねに近づく本を見て、ねねはふるりと震えます。周囲に武器になりそうなものはないか必死に探して、ベッドに置かれていた枕を手に取りました。そして。
「いやぁぁぁっ!?」
「ふぎゅぁっ!?」
情けない悲鳴とともにフルスイングした枕が本にクリーンヒットし、本は壁に激突して沈黙しました。部屋の中はぜーはーと息を吐き枕を構えるねねと、部屋の隅でぷるぷると震える本というわけのわからない状況の出来上がりです。
「大丈夫ですかねねさん!!」
悲鳴を聞いてかばたばたとあわただしい足音を立ててシルイが部屋へやって来ました。きっと一階にもさっきの悲鳴は聞こえていたのでしょう。ドアを開けて状況を確認して、シルイは困ったように固まってしまいました。
「え、ええと、なにが……」
「ほ、本っ……。本がしゃべっ……!」
必死にぱくぱくと状況を説明しようと必死になっていると、吹き飛んだ本がうめき声にも似た鳴き声を上げてよろよろと再び浮かび上がりました。
「ったたた……。おい……いきなり殴ることねぇじゃねぇか……」
「ひっ……!」
またしゃべりだした本を見て、ねねは枕を盾のように構えますが、どうやら襲ってくる様子はないようです。ねねは恐る恐る枕の影から本をちらりと見て、助けを求めるようにシルイのほうへ目線を動かします。
「あぁ……。大丈夫ですよ、危ない生き物じゃありません。ただの魔導生物です」
「ま、まどうせいぶつ……?」
シルイがねねの横まで来て、枕を下させました。ねねは少しおびえたようにシルイに近づいて、本をじーっとにらみつけています。
「そうそう。チビは見た感じ外の人間だろ?向こうの本は話さねぇってホントか?」
「普通、本は話さない……」
「はーん……。あっちは行儀のいい本ばっかなんだな」
ばさばさと音を立てながら喋る本は、かなり表情豊かな声をしていました。まあ、本なので実際の表情などはありませんが。
「ねねさん、彼はルダルという魔道生物の一種です。それで、こちらは今日この部屋に来たねねさん。チビじゃありませんよ」
「いやチビではあるだろ」
シルイが二人の間に立ってお互いのことを紹介します。シルイのほうをちらりと見ると、挨拶してあげてと言わんばかりにほほ笑み返してきました。
「ぅ……。ね、ねね、です……」
「おう。俺は名前ねぇから好きに呼んでくれ。名前っつーのは人や動物に使うもんだ」
くるりと気さくに一回転する本を見て、ねねはとりあえずぺこりと頭を下げます。シルイが「仲良くしてくださいね」とにこにこしているので、ひとまずねねも無理やり笑っておきました。本がしゃべるという強烈な違和感はぬぐい切れないので、うまく笑えてはいないでしょうが。
「そうだ、お風呂。もうすぐあったまりますから、行きましょうか」
そういうとシルイが廊下に出てねねを手招きします。一応ねねはこの家に上がったときにあらかたシルイに体の汚れを拭いてもらいましたが、歩き回った汗や土の汚れなどは落ち切っていません。お風呂と聞いて少し体の活力が戻ったねねはシルイの後を追います。
「あの……魔道生物って、何ですか……」
「そうですね……。呼吸や食事ではなく、空気中の魔力を消費して生きている生命体……でしょうか」
「魔力……?」
廊下を歩きながらシルイに先ほどの本のことを尋ねると、シルイはゆっくりと説明してくれました。聞いたことはあれど日常的には聞かない単語が出てきて困惑していると、シルイははっとしたような顔になりました。こちらも随分表情豊かです。
「ねねさんのいた世界には魔法や魔力といったものがないのでしたね」
「こっちにはあるんですか?」
「はい、ごく普通に。ねねさんの部屋のランプだって魔法で動いているんですよ」
思い返してみればシルイが部屋の明かりをつけた時、火をつけるような動作もスイッチを入れるような動作も何もしていなかったかもしれないとねねは思い出します。
「逆に魔法なしでどう生活してたんだ?」
「ひっ……!」
いつの間にか隣を浮遊している本に気づかず、声にびっくりしてねねは軽く飛び上がってしまいました。先ほどからバクバク言っている心臓がより早くなった気がします。
「脅かしちゃいけませんよ」
「脅かしちゃいねぇよ。足音っつーもんがないだけだ。なんせ足がないもんでね」
本が言う通り、浮遊しているせいで足音はしませんし呼吸もしていないようなので気配もありませんでした。ねねが気味悪がって本からほんの少し離れると、本は逆に面白がって近寄ってきます。
シルイは本がしゃべって浮遊することがごく当たり前のようにふるまっています。ねねはこの世界で生きていくことがさらに不安になりました。
「ここがお風呂場です。一人で入れますか?」
「……はい。大丈夫、です……」
「わかりました。タオル、ここに置いておくので使ってくださいね」
「ありがとうございます……」
にこりとほほ笑んでシルイはお風呂場から出ていきました。未だばくばくする心臓を落ち着かせるために一回深呼吸してから、泥にまみれた制服をゆっくりと脱ぎ始めます。背中がまだ少し鈍く痛いのでいつもよりゆっくりです。
「ガキのくせに一人で入れるんだな」
「ガキじゃない。もう十五歳」
「十五ぉ?みえねぇ。一桁歳だろ」
下着も脱いでお風呂場へ歩こうとして、自分が今会話していたことを思い出しました。
「なんでいるの!?」
ばっと体を隠し顔を赤らめるねねに対して、本はどこ吹く風です。
「なんでって……なんででもいいだろ」
「良くない!出てって!スケベ!!」
「んだよ。他種族のガキの体見たって興奮しねぇよ。そもそもそんな体じゃ人間の雄だって興奮しないんじゃねぇの?」
本に目らしき器官がついているようには見えませんが、語り口的に確実にねねのことを視覚的に認識しているようです。ねねは見られているという事実と、コンプレックスを馬鹿にされたというので怒りだか羞恥だかわからない感情で風呂場へ逃げこみます。
「そもそも俺等に生殖本能とかねぇから……」
「いいから出てって!お湯かけるよ!!」
「それだけは勘弁……!」
ねねが手近な桶を手に取り風呂のお湯を掬うと、本は慌てた様子で風呂場から出ていきました。
本が出ていったのを確認して、へたへたとねねは座り込みます。
「見られた……。初めて異性に、裸……」
ねねは女の子座りでへたり込んだまま、羞恥で顔を真っ赤にして顔を手で隠してしまいました。
折角のお風呂でしたが頭はあまり休まらなかったようです。ただただ異性にみられたのが本相手に適用されるかされないか、ぐるぐると考え続けていました。
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