飛び降り自殺

 俺は屋上へ自殺をしに来た。

 理由は、先週に会社をクビになったからだ。そして、次の仕事を探せばいいのに、怠惰に虚無な日常を過ごす俺自身を、心底嫌になった。

 スーツに着替え、鞄を持ち、朝8時半に家を出る。そして夕方まで公園や車の中で過ごす。そんな生活を送っている自分が嫌いになって、もう全てを投げ出したかった。

 手すりを乗り超える前に靴を脱ぎ、その上に遺書を置く。

 そういえば、もう死ぬというのになぜ人は飛び降り自殺の前に靴を脱ぐのだろう。

 まあ、どうでもいいか。

 手すりを乗り越えて端に立ち、道行く通行人や走り去る車の列を見下ろす。

 俺は目を閉じ、足を踏み出した。


 ――浮遊感がない。風もない。先ほどまで鳴っていた車のエンジン音や、タイヤがアスファルトをこする音も聞こえない。

 ただ、嗅いだことのある匂いがする。

 俺は目を開いた。

 眼前に広がる光景に、見覚えがあった。


 ここは、俺の家の玄関だ。

 廊下の奥から妻が歩いてくる。

「おかえり」

「……ただいま」

 靴を脱いでいたこともあって、俺は反射的にそう答えてしまった。

「夕飯ならあと少しでできるから、ちょっと待っててね」

 俺が脱いだ靴を端に揃え、相も変わらず、笑顔で俺を出迎える妻。

「ごめ……ごめん、なぁ……俺、俺が……」

 俺は何度もしゃくりあげ、涙を流した。胸の奥から湧く後悔や自分への怒りや罪悪感が、嗚咽おえつとなって口かられる。

「どうしたの?」

 妻は心配そうな目を向けながら、俺の手を取る。

 俺はどうにか深呼吸を繰り返し、数分経ってようやく落ち着きを取りもどした。

「……ごめん。会社に忘れ物した。すぐに戻る」

「ちょっと、嘘でしょう?忘れ物して泣いてたの?」

 滲んだ視界の中で、妻がからかうように笑う。

「ああ。大事な物だから」

 俺は靴を履き、玄関のドアを開けた。


 ――気づけば、俺は靴を履いて屋上に立っていた。

 足元で風になびく遺書を鞄に戻し、屋上を後にする。

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