二 恋文
僕は他人の視線に敏感だった。些細な事を大きく捉え、ありもしない恥をかいていた。小学3年生でサッカークラブに入った時、サッカーの練習着を持っていなくて自分だけ私服で参加した際も、周りと違う自分を恥ずかしく思った。
記憶があるか無いかの幼い頃を思い出しても、両親を見て、僕もいずれは女の子と結婚して暮らすのかと憂鬱になった。女の子に対する渇きはあったが、それを上回る女の子への見栄と、自分の作り出した恥が僕をそう思わせた。5歳頃だろうか自分の尿の香るオムツを着替えながら、こんなみっともない姿は誰にも見せられない、ましてや気になるあの子になんて見せられるわけがない、と感じた印象深い記憶もある。
他人からの評価を気にするあまり、自意識過剰に陥り、その被害妄想がありもしない恥を作り出し、それを隠すためにつく見栄や嘘、この一連の流れが僕の生きる癖だった。そしてこの癖は徐々に本来の自分を秘め、偽りの自分を表すことになった。
初恋をした相手から好かれた際に、取った行動が、近寄らないことだったのも、好かれたのが偽りの自分だと思い込んでいたからで、等身大の自分を隠すためだった。
当時の自分の無意識下での思いを補足すると、偽り続けて好かれるという果てしない道のりへの絶望もあったと思う。
クラスメイトの女の子になぜマリを避けるのかと問われた時は驚いた。避けているのは嫌っているからという安易な誤解を招きそうで気づかれたくなかったからだ。否定をするも、案の定、僕がマリを嫌っているという噂は流れてしまう。僕はそれに焦ってラブレターを書くことにした。10歳の僕にとってそれは一大決心だった。
その時を思い返すと、やけに鮮明な情景が思い浮かぶ。机に用意した紙と鉛筆。
記憶に焼き付いているのは、その紙をあてどなく眺めていたからだろうか。紙は自分でちょうどいい大きさにハサミで切ったもので、しかもある箇所だけ自分が切るとよりそこが目立つだろうと思いわざわざ四方をすべてを切っていた。思えば、その足掻きこそが不格好で、できあがった紙は僕のそれを寸分違わず表していたように思う。それを自覚するのは書き終わってからで、その時の僕はラブレターを作ろうと必死に紙を凝視していた。
静寂に窺われていると、いつの間にか、窓の淵を指でなぞり指の腹についた埃を床に落としていた。
やるべきことに向き合えず、その間を埋める手の遊び。
マリの顔が浮かび、それを止める。
マリの顔はいたずらな笑みを浮かべていた。
僕がノートに書いた文字や使っていた筆箱を話題にして、話に誘うマリに自分が変に思われているのかと落ち込んだこともあったが、あれは気を引きたかった好意だと気づく。
からかうような口調なのに、どこか控えめで常に僕の反応を気にしていたのは、僕もそうだから分かった。
その気遣いの実感が愛おしく、思わず白紙に黒鉛をぶつけた。
『好きです。』と書かれた紙。
不格好な紙に綺麗とは言えない文字。
その出来の悪さに思わず笑う。
何とか気持ちを立て直し、手紙に向き合うも、何か相手を喜ばせる言葉を最低3行くらい書かなければ手紙にする意味がないのではないか、という思い込みに囚われ、ではどう書けばいいのだろうと引き下がる。
あれは、違う。
これも、違う。
もう一言でいいか。
いや、何か相手を喜ばせる言葉を最低3行くらい書かなければ、と同じ道を回り続ける思考回路に、とうとう無い出口を察すると、消しゴムで白紙のラブレターを完成させ、ゴミ箱に投函した。
一大決心の崩れ様を慰めるように視線はぼんやりと窓の淵を撫でた。
僕は独りの空間で、嘘をつくことができなかった。人との空間でその目を気にしてつく誘発的な嘘と自発する嘘に曖昧ではあるが線引きがあった。それは嘘をつく偽りの自分へのささやかな抵抗だった。相手を喜ばせる為に作る言葉は、作るほど本来の自分と乖離しその本来の自分が抵抗する。かといってありのままの本音をさらけ出せるほど勇敢でもなかった。被害妄想が他人を恐れさせ、その他人を不快にさせないことは自分を守る最高の手段だと思っていたからだ。
自分を守り、あわよくば好かれたい、そう願う見栄とその嘘に抵抗する僕の拘りが手紙を書く筆を止めた。僕は自らの手で行く道を塞ぐ壁を作り、その壁に絶望していた。しかもそれをごく自然に遂行していたのだ。誰に教わるでもなく青虫が青葉をかじるように、産まれた小鹿が立ち上がるように、僕は孤独に向かった。
マリの想いを知った僕はその限りなく尊い想いを踏みにじりながら、その足を動かせずにいた。足を動かせば、その凄惨な現実を直視できただろうに。
ぼくは無力にも、ただ立ち尽くしていた。
その居心地の悪さは、慣れとともに薄まっていくも、度々僕に不快感を訴えかけた。
小学4年生の冬、月に1回くじ引きで行われる席替えで、マリと2か月続けて隣の席になった。
その出来事は僕を天に舞わせ、そして地の底に落とした。
小学生の僕はマリと近くにいるだけで、まるで抱き合っているかのような満足感だった。それ以上の喜びはなかったし、今もないだろう。
その恵まれた環境に対して真っ向から向かえなかったのはそれが僕だからとしか言えない。
僕のマリを避ける行為は近くにいればより鮮明になってしまい、彼女を落ち込ませ続けてしまったのだ。
察しのいいマリも嫌われていると思ったのか僕に絡まなくなっていった。
さらに僕を悲しくさせたのはマリが僕に避けられながらも僕のことを気遣っていたことだ。
休み時間、僕がマリの友達に2か月連続で隣の席になるなんて運命だねと冷やかされた際、マリはその子に、僕に迷惑かけるのはやめるように言った。
それを目の当たりにしても気の利いたこと一つ言えず、マリの誤解を解くような言葉は掛けられなかった。
僕の存在がマリを苦しめていること、そしてそれに向き合えず自分の非道を止めることなく、やはり僕はただ立ち尽くす。
マリを避けるようになって1年が過ぎた小学5年生の梅雨の時期、マリが6年生の男の子に告白したという噂を聞いた。それは僕が踏んでいたものの尊さを実感させてくれそうだったが、やはり直視することはできず、その正当な負荷を受けきれなかったように思う。
できることなら今一度、在りし日の負荷を蘇らせ、それを抱こう。
そして成り行きに哀を、愚かさに愛を送ろう。
春風よ 巡らぬ君の 手を取りて 交わるここは 楽土か夢か
喰われるは 膨らむ自我の 愚かしさ 差し出すこの身で 足りようか
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