第15話 15、綾姫
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水虎の道場の向かいは立派な屋敷だった。
ロンは門の前に馬車を止め、横のくぐり戸を2度叩いて「頼もう」と叫んだ。
くぐり戸はすぐに開き老人が顔を出した。
「どなたじゃな。」
「ロンと申す。街之慎殿からここに来るように言われた。」
「護衛の方ですか。」
「左様。」
「どうぞお入りください。皆様お待ちです。」
「拙者、遅れたのか。」
「いえいえ。お嬢様がいつもより早く起きましたので。」
ロンが老人について門からの石畳を進むと玄関に一人の娘が腰掛けもう一人の娘がその横に立っており、玄関には中年の男女が立っていた。
ロンを案内した老人が「旦那様、護衛の方だそうです」と玄関の男にロンを紹介した。
ロンはその男に頭を下げて言った。
「拙者、ロンと申す。武者修行の者です。路銀調達のために護衛の仕事を引き受けました。」
「そうか。路銀調達のう。正直でよい。腕は立つのか。」
「わかりません。街之慎殿は護衛ができると判断したようです。」
「街之慎の推薦か。あやつがいいと思ったのなら大丈夫だろう。貴公の仕事はここにいる二人の女子を石動藩の家まで守ることじゃ。腰掛けているのがワシの娘の綾(あや)で立っているのは侍女の町だ。」
「分かりました。命をかけて護衛いたします。」
「うむ。頼む。」
「ロンと申したか。街之慎殿はお元気だったか。」
玄関に腰掛けていた娘がロンに聞いた。
「えーと、綾殿でしたな。昨夕お会いした時は生きておりました。昨日は私のために忙しかったようですな。」
「其方(そなた)のために忙しかったとはどういうことじゃ。」
「推測でござれば。」
「聞かせてほしい。」
「それは街之慎殿にお聞きくだされ。その方が確実でござる。」
「其方は綾の頼みを断ると言うのか。」
「拙者の仕事は護衛と搬送でござる。推測するに、街之慎殿の性格からすれば街之慎殿は綾殿の出発を見届けるはずです。この近くにおられると思います。日光と月光ならそれが分かるでしょう。」
「日光と月光とは何者じゃ。」
「拙者の馬でござる。今は馬車を引いております。」
「馬車馬か。馬が街之慎殿を見つけることができるというのか。」
「馬はもともと臆病な動物です。日光と月光は気配を察することに長けていると思います。」
「馬は馬じゃ。」
「そうですな。馬は馬です。でも普通の馬は40頭の野犬の群れを1時間で全て殺すことはできません。拙者でも殺すことができる野犬は多くても十数頭です。持っている打根は12本で12匹。襲ってくる野犬の半分を殺せば野犬は逃げます。逃げる野犬を追い詰めて殺すことはできません。犬は人間より早いですから。」
「その馬は40頭の野犬を殺したのか。」
「そのようです。それも街之慎殿を忙しくさせた原因の一つだと思います。話は道々致しましょう。早く出発しないと夕刻までに到着できません。それに街之慎殿も心配してここに来られるかもしれません。そうすれば出発はますます遅れます。」
「其方の話が面白いからじゃ。父上、母上。出発いたします。」
「うむ。道中気をつけてな。ロン殿、娘をよろしく頼む。」
「心得ました。」
ロンが二人の女を従えて門を出ると日光が後ろを振り向いて嘶(いなな)いた。
馬車の後方の辻の木の陰に街之慎が立っていた。
「やはり、街之慎殿は心配してここまで来られたようですね。後ろの辻の木の陰におります。話されますか。街之慎殿が忙しかった理由がわかりますよ。」
「もうよい。歩いて行きます。」
そう言って綾は一人で前方に歩いて行き侍女はそれに従った。
「了解。日光に月光。前を歩いている娘二人が石動藩に送るお荷物だ。娘の後方2mをついて行け。そのうち疲れるだろう。危険が有りそうなら知らせてくれ。」
そう言ってロンは馬車の御者席に飛び乗った。
日光はブヒブヒと言って前を歩く娘を興味深そうに見ながら後に続いた。
城下町を出て街道に出ると娘達の歩きは急に遅くなった。
日光も月光もそれに合わせて早さを遅くした。
そしてとうとう「ここで休憩する」と言って歩くのを止めた。
馬車は止まり、ロンは竹筒の水筒の水を飲んだが、何も言わなかった。
娘が「馬車に乗ってほしい」と言ってほしいことは明らかだったがロンは何も言わなかった。
日光と月光は道端の草を食べ始めた。
「綾殿、あとどれほど休息するのであろう。長いのなら馬達に水を飲ませるつもりだ。」
「そんなことは分かりませぬ。」
「左様か。」
そう言ってロンは御者席を降り、馬車の後ろに行って水が入っている樽を持ち上げ、日光と月光の前に運んでから蓋を外した。
「日光に月光。水を飲みたければ飲め。綾殿が休息を止めて出発してもすぐに追いつく。それにしても今日は雲一つない晴天じゃな。女子は長く日に当たると黒くなって黒いシミが出てくる。メラニンが真皮に沈着するためだと千殿はおっしゃっておられた。一旦真皮に沈着すると刺青と同じで消えないそうだ。」
「それは本当か。其方(そち)は医者か。」
「拙者は医者ではありません。優れた医者の下で働いたことがありました。その時の知識です。」
「御者席は日陰になっておるな。御者席に乗せてくれんか。綾はまだシミを作りたくはない。」
「想像するに、シミのない綾殿の方が美しく見えると思います。御者席に座ってください。お供の方は幌の中に入って長椅子に腰掛けて下さい。水の樽をしまってから出発します。御者席で休息の続きをして下さい。」
ロンは水樽に蓋をして馬車の後ろに固定すると綾の横に座り言った。
「日光と月光。道沿いに少し早足で進んでくれ。怪しい気配があったら止まって知らせてくれ。」
二匹の馬はブヒブヒと答えて馬車が飛び上がらない程度の速さで引いた。
「手綱は持たないのか。」
「持ちません。両手が使える方が便利ですから。」
「それはそうだが。馬が暴走することはないのか。」
「暴走したければ自分で引き具を外してから暴走しますから。」
「馬が引き具を自分で外すのか。」
「左様。この馬の歯は鉄でできており革を噛みちぎって自由になります。」
「てんごう申すな。」
「分かりましたかな。」
「そなたの型はどんなものなのか。」
「今は左片手中段に右打根です。以前は左片手を伸ばしておりましたが水虎殿に見破られて今は肘を体につけた中段に変えております。」
「そなたは水虎殿とも試合をしたのか。」
「水虎殿をご存知なのですか。」
「試合をしたことがあったが軽くひねられた。」
「そうでしたか。拙者は水虎殿にはご迷惑をかけてしまった。」
「どんなことがあったのか教えてくれませぬか」
「水虎殿との試合が終わって談笑していると三人の道場破りが来ての。木刀の試合を主張したのだ。拙者が水虎殿に頼んで1対3で相手をさせてもらった。拙者は打根の尻が当たるようにしたのだが強すぎたのだな。打根は相手の首に半分まで刺さってしまって二人を殺してしまった。残った一人が仲間の遺体を運んだのだが、それが街之慎殿に見つかったらしい。水虎殿は街之慎殿に経緯(いきさつ)を説明したらしい。」
「ロン殿は剣術道場で試合をしているのか。」
「はい。いちおう先の町の全ての道場で試合をしたと思います。街之慎殿はそれも調べておいででしたね。忙しいことです。」
「試合の結果はどうでしたか。」
「負けはありませんでした。一箇所だけ試合継続不能になりました。」
「継続不能とはどういうことでしょうか。」
「1対多の試合を許していた道場がありました。1対1から始まって1対2、1対3と増やしていくのです。戦場ではそうだと言うわけですな。拙者は1対6までは勝ちましたが道場は次の七人を用意できなかったのです。」
「その道場は知っております。流行っているようです。それではロン殿は連続して、えーと、21人に勝たれたのですか。」
「そうなりますが拙者は背中を壁にしたので何人でも同じでした。味方が多くなると互いに邪魔になるのです。」
「ロン殿は剣豪ではないか。どうじゃ。綾と試合をしてくれんか。」
「いいですよ。お二人を目的地にお届けし、手間賃の5両を受け取ったらお相手しましょう。」
「そうか、感謝する。」
「綾殿は剣術に興味がおありなのか。」
「弱いが試合は好きじゃ。」
「いいですな。」
その時、馬は静かに馬車を止めた。
「日光、怪しい気配を感じたのだな。先の林の中らしいな。それにしても準備がいいな。襲撃なら何日も気長に待っている訳はないし。・・・綾殿、今日の出発は決まっていたのですか。」
「いいえ、昨日急に決まりました。」
「そうですか。情報を素早く伝えた者が居たのですね。あるいはお膳立てをした者か。綾殿、戻って先ほど通り過ぎた茶店で一休みします。茶店には便所もありますしな。少し早いが昼食を食べてもいい。林を通ってきた旅人が三人通り過ぎたら出発します。」
「林の状況を知るためですね。」
「それもありますが、茶店に連絡者が居たかどうかも知りたいのです。我々の馬車を遠くから見つけたら茶店を出て襲撃者に連絡を取るでしょうから。」
「そうですね。」
馬車は茶店に引き返した。
ロンは襲撃者がいたなら待ちぼうけを食わすことができると思ったし、反撃の準備もしたかった。
果たして、馬を連れた男が朝から茶店で休んでおり、ついさっき馬に乗って出かけたと茶店の主人は話した。
しばらくすると背中に大きな風呂敷で包んだ荷物を背負った男が茶店の方に近づいてきた。
「もうし、そこの方。少し聞きたいのだがこの先はこの馬車で通れそうかな。」
「通れんことはないが難儀するでしょうね。お侍様。林の真ん中辺りで竹が何本も倒れているのでさ。わしゃあ歩きだから竹をまたいで通れましたが馬車では無理かもしれん。」
「そうか、ありがとう。助かった。鋸(のこぎり)でも用意しなければならんな。」
「いやあ。もう少し待てばいいかもしれないですよ。わたしゃ林の前で荷車を追い越してきました。今頃は荷車の男が道から竹をどけているかもしれません。荷車がここを通ったら出発なされたらいいと思います。」
「そうか。そうすることにしよう。いや。本当にありがとう。」
「どういたしまして。それではご免くださいませ。」
「やはり待ち伏せをしていたようですね、綾殿。道を竹で塞いで馬車が止まった時に襲うわけです。必然的に待ち伏せ場所はその場所になる。弓を使うなら待ち伏せは片側だけで両側なら刀が主体ですな。さてさてどうするかな。綾殿を無事に送る仕事だけを考えると迂回か町に戻ることが上策です。急ぐ必要がないみたいですからな。でも襲撃を企てた者は相変わらず残っている訳で、次の策を考えるでしょうね。反撃しますか。これは私に対する攻撃でもあるわけですからな。綾殿、協力願えますか。」
「もちろんでございます。武者震いが止まりませんが。」
「命が掛かっているのです。当然です。これは試合ではありません。殺し合いの戦争です。楽をして相手を倒さなければなりません。」
「そんなことができるのですか。」
「できると思います。今は荷車が来るのを待たねばなりません。その間に戦争の準備をします。ちょっと待って下さい。長椅子の下から武器を出します。」
ロンが馬車の長椅子をめくり上げて中から取り出したものは3丁の十字弓だった。
短弓を木の台の先にとりつけてある。
木の台は分厚く、上部に矢を置く溝が彫られており、両横には爪を持った2本の平行な棒が弓床に埋め込まれていた。
矢は弓床の先端にはめ込まれていた。
「これは十字弓と言います。矢を番(つが)えるのには時間がかかりますが、正確に狙うことができ狩猟には最適です。路銀がなくなり野宿した時に獲物を獲るために使っております。3丁あるのは素早く射るためです。今回は動物の代わりに人間を的にします。綾殿とお付きの方は馬車の中で弦を張っていただき、拙者に弓を渡していただきたい。邪魔な矢は外しておきます。」
そう言ってロンは2丁の十字弓から矢を外し二人の女に渡した。
「拙者と同じようにしてください。先ず弓床を持って、前に出ている棒を床につけて体重をかけて押します。逆爪が付いているから跳ね返ることはありません。弓床が地面に着いたら引き金に弦がかかります。そうしたら手前に出ている棒を押して元の位置に戻して下さい。そうそれで終わりです。そうしてから私に渡して下さい。私は矢を番(つが)えて引き金を引きます。」
「簡単ですね。威力はあるのですか。」
「普通の弓と同程度ですが、矢速がずっと早いので避けにくいのです。今回は戦争ですから鏃(やじり)に毒を塗ります。かすっただけで10秒ほどで死にます。」
「毒など卑怯ではないのか。」
「これは試合ではなく殺し合いの戦争ですから。如何に簡単に多数の人間を殺すかが良き作戦だそうです。」
「分かった、ロン殿。綾は死にたくない。」
「拙者もそうです。」
「生死を共にした二人じゃな。」
「物語のようですな。」
「そうじゃ。震えが止まっておる。」
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