第13話 13、他流試合
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最初の剣術道場は閑散としていた。
門弟の多くが藩士で今度の戦で藩士から浪人になったので門弟は居なくなったのであろう。
ロンは馬車を門の外に留め、門をくぐって玄関で大声を上げた。
「頼もう。頼もう。だれかいらっしゃるか。」
奥から「どうれ」と言って出て来たのは比較的若い男だった。
ロンが入門者でないことを一目で分かった男は失望を少し顔に出して言った。
「何用じゃな。」
「拙者はロンと申す武者修行中の者だ。一手お手合わせ願いたい。」
「手合わせとな。まあいいだろう。最近は稽古をしていなかったから丁度いい。暇だしな。袋竹刀でいいかな。」
「ありがとうござる。それで結構です。」
「玄関の右を塀沿いに奥に入ってくれ。道場がある。履物は道場の入口で脱いで道場で待っていてくれ。稽古着に着替えてすぐに行く。」
「ありがとうござる。先に行って待っておりまする。」
ロンが誰もいない道場の真ん中で座って待っていると若い男が紺の練習着を着て道場の上座の奥横の引き戸を開けて出て来た。
「見た通り、誰もおらんのだ。全ての門弟の家の主が浪人になったからな。まあ、今日は思いっきり試合ができるな。ワシは師範代で水虎と申す。」
「水虎殿、お手合わせを受けて下されありがとうござる。袋竹刀をお借りできるか。」
「掛かっているのをどれでも使ってくれ。」
「感謝。」
ロンは長い袋竹刀を左に持ち短い袋竹刀を右手に持ちいつもの半身の構えを取った。
それを見て水虎は「珍しい構えだな」と言って袋竹刀を顔の右横に立てて八双に構えた。
小刀の投げを警戒したらしい。
水虎はなかなか攻撃して来なかった
ロンとしては初めての経験だった。
これまでの試合ではロンの構えを見て相手はロンの刀を払って踏み込むようにしていた。
ロンは左手の素早い動きで相手の刃先を避けて踏み込み、相手に一撃を与えていた。
水虎は攻撃性は少ないが疲れない八双に構えてロンの攻撃を待っている。
「ロン殿、攻めて来られよ。その構えは長時間の構えには向かない。」
「そうじゃったな。拙者が試合を申し込んだのだった。それでは行きますぞ。」
ロンは竹刀を少し立てて相手の竹刀に向かって真直ぐ踏み込んだ。
相手の竹刀がどのように動くかを見てから対処しようと思ったからだ。
水虎は八双の構えを崩さず真後ろに下がった。
半身での踏み込みは後が続かない。
ロンは再び最初の構えに戻った。
次にロンは相手の左肩の外に向けて右前に跳び込み、あえて水虎の打ち込みを誘発しようとしたが水虎は右に跳んで打ち込んでは来なかった。
ロンの左側はがら空きだったにもかかわらずである。
「なるほど。ロン殿は小刀を持って攻撃的に見えるが受け太刀でござるか。左手は罠じゃな。」
ロンは図星を指されたような気がした。
ロンは覚悟を決めて左手を前に出したまま無造作に相手に向けて歩いて行った。
水虎の竹刀には対応できる自信があった。
水虎は竹刀を後ろ下に下げながら姿勢を下げて左前に跳び込んでロンの体の正面を横にしてそのまま通り過ぎようとした。
ロンは水虎の動きは見えたが避けるべき竹刀が無いので水虎の進行を遮るべく竹刀を横に振ったがその時には水虎の体はロンの左腕の位置にいた。
このまま水虎に通り過ぎられたら水虎の後ろに置いた竹刀で胴を薙ぎ払われてしまうので右手の小刀を腹の前に立てた。
水虎の竹刀は小刀に打ち当り甲高い音が発した。
通り過ぎた水虎は再び八双の構えを取ってくれた。
水虎の竹刀は振ったものではなかった。
ロンの体を通り過ぎた後で体を沈めて竹刀を返したらロンの足首か背中は打たれているはずだった。
「まいった。」
ロンはそう言った。
「ロン殿、拙者の竹刀はまだ其方を打っておらんぞ。」
「だが、打とうと思えば打てました。」
「そうかもしれんが、拙者はそなたの跳躍力をまだ知らんからな。横払いを飛び上がって避けられたら貴殿に身をひねられて脳天に一発じゃ。」
「拙者にはそんな跳躍力はござらん。」
「だが、貴殿の左手は恐ろしく強いからな。脚も同じなら飛び上がれる。」
「分り申した。引き分けにしてくれるとありがたいが。」
「それがいいな。引き分けだ。」
そう言って水虎は笑い、ロンも笑った。
「まあ、暫く話していかんか。拙者は暇なんでな。」
「拙者も急ぎの用事はない。後は旅籠に行くだけだ。」
二人は上座への段に座って互いに前を向いて話した。
お互いに向き合っての話よりずっと気楽だ。
「ロン殿はどうしてあの半身の型を会得したのだ。」
「最初は正眼だったが試合で左手を打ち砕かれてな。優秀な医者に治してもらったら左手が強くなっていた。短い釣り竿を動かすように木刀を動かすことが出来るようになった。それで左半身にしたのだがさっきの試合で欠点も分った。水虎殿に竹刀を引かれたら途方に暮れた。」
「拙者もあの型には罠があると思った。あまりに無防備過ぎるからな。いかにも撥ねてくれと言っているようだった。」
「そうか。やはり片手正眼がいいかの。」
「それはロン殿が決めることだ。それよりロン殿は何ゆえ武者修行をなされておられる。」
「それは強くなるためでござる。」
「何ゆえ強くなりたいのだ。」
「はて、何でであろうのう。水虎殿はなぜそんなことを聞くのだ。」
「うむ。この藩は最近、小藩の隣国に攻め落とされた。この道場の門弟もほとんど戦いに出向いた。藩士だったからな。一応それなりの剣術の腕を持っていたのだがその腕は戦ではほとんど役に立たなかった。弓矢の斉射を受けて死んでいった。拙者はそれを遠くで見ていたのだが剣術道場の存在意義を考え直さなければならないと思ったのだ。」
「それはこの前試合をした道場の主から聞いたことがある。道場の剣術は試合のためであり、戦争で活躍することを期待すべきではないとおっしゃっておられた。どんな剣豪でも弓矢の斉射を受ければやられるそうだ。それを聞いて拙者は剣術道場は平和な環境でのみ成り立つ人格形成の場所だと思うようになった。」
「けだし名言ですな。拙者もそう思うようになったのだ。」
その時、遠くで「頼もう」という声が聞こえた。
「ロン殿、暫しここでおまちくだされ。誰か来たようだ。見て参る。」
水虎は上座の横の引き戸から出ていき、ロンは興味を持って道場を出て玄関の方に行った。
玄関には3人の男達が立っていた。
身なりは立派だが服装は汚れて薄汚い。
「頼もう。誰もおらんのか。」
「お待たせいたした。」と言いながら水虎は玄関に出てきた。
「拙者、道場の師範代でござる。何用かな。」
水虎は又もや相手が入門希望者でないことを見知って失望しながら言った。
「我らは武者修行の者だ。一手お手合わせを願いたい。」
3人の中央の男が言った。
「手合わせとな。まあいいだろう。暇だしな。この道場は袋竹刀だが、いいかな。」
「我らは木刀を用意している。木刀での試合を所望する。」
「だが、木刀での試合は信頼関係に基づいている。貴公らは初対面だしな。」
「臆されたのか。」
「臆しているのかもしれんな。彼我の力がわからん状況だ。お互い、怪我をしたら困るだろう。」
「試合を拒むとこの道場は他流試合を臆して避けると言わねばならんが、それでいいかな。」
「まあ、それでもいいかな。門弟もいないことだしな。」
「なんと軟弱な師範代だな。我らがここまでわざわざ出向いた手間賃でも工面してもらおうか。それが嫌なら試合をすることだな。」
「おやおや。予想通りの流れになったかな。」
「なんだと。」
その時、ロンが庭から玄関に出てきて、男達の横から水虎に言った。
「水虎殿、拙者に相手をさせてくれんか。」
「ロン殿はこの者達と試合をしたいのか。」
「したい・・・。と言うことかな。そこのお三方、拙者も武者修行中の者だ。さきほどこちらの師範代の方に負けた者だ。どうだろう。水虎師範代との試合の前に拙者と試合をしてくれないだろうか。拙者に勝てば堂々と試合を申し込むことができるし、もし拙者に負けたら袋竹刀にこだわるのは水虎殿の温情ということになる。」
「なんだと。余計な口を出すな。引っ込んでおれ。」
「さっき聞いた言葉では『臆したか』だったかな。武者修行者が試合を拒むと言うのか。それでは理屈が付かないだろう。実戦形式で1対3でもいいぞ。真剣でもいい。拙者も真剣での試合は初めてじゃが。どうだ。殺し合いだ。お互い浪人者らしいから死んでも悲しむ者はいないはずだ。ただし、真剣の場合は道場ではなくこの庭を借りて行う。道場が浪人の血で汚れたら申し訳ないからな。どうする。」
「おのれ、言いたいことをベラベラと。相手をしてやる。道場で木刀で3人掛かりだ。足腰が立たなくなるまで痛めつけてやる。」
「合意形成だな。水虎殿、道場をお貸しくだされ。拙者、1対3で戦って見たいと思っていたのだ。」
「分かった。ロン殿が怪我をしたら治療をしてやろう。この3人が怪我をしたらどうするかはその時に考えよう。」
道場でロンは3人と対峙した。
「拙者の型は左片手中段と右手に打根だ。打根には刃が付いているので少し待ってくれ。先と尾を逆にしておく。」
そう言ってロンは矢筒の中の打根を全て逆にして矢筒に戻した。
「水虎殿、号令をかけて下され。これはあくまでも試合だからな。」
「分かった。始め。」
ロンは号令と共に壁の方に移動し、壁を背にして左中段で肘を曲げて対峙した。
相手の3人はそれを追って半円形にロンを囲んだ。
3人の男達はそれぞれ奇声を発して威嚇した。
中央の男が踏み込むのを見たロンは打根を投げながら踏み込み、男の木刀を避けて相手を通り過ぎてから新しい打根を矢筒から取り出しながら振り返った。
鉄の打根は相手の首を貫いて半分ほど飛び出していた。
ロンは右の男に打根を投げながら右に踏み込んだ。
ロンの木刀は打根を避けようと木刀を振った男の脳天にめり込んだ。
右の男を通り過ぎながら次の打根を取り出して左の男に対峙すると同時に打根を投げた。打根は男の頭をかすめて後ろの壁に突き刺さった。
その男が木刀を放り出して「まいった」と言って平伏したからだった。
「勝負あり」と水虎が言った。
2番目の男を見ると、その男は額を割られ、首には半分ほど突き通った打根があった。
「ロン殿の打根がこれほど凄まじい物だとは思わなかった。尻の方から入ったのに半分も突き通っている。刃の方から入ったら突き抜けているな。」
「だが、最後の男には避(よ)けられてしまった。」
「相手が予想と違った行動をしたからだな。あの距離なら打根を見ていたら避けられない。」
「道場を血で汚してしまったし、板壁も傷つけてしまった。申し訳ない。」
「まあ、気にするな。記念になる。」
「すまん。」
水虎はまだ平伏している男の方を向いて言った。
「さて、まだ貴公の名前を伺っていないが、仲間は死んでしまった。馬車が物置の横にあるから仲間の遺体を早々に引き取ってくれ。葬儀代は仲間の刀を売れば余るだろう。後はよろしく頼む。馬車は誰かに言ってここに戻すようにしてくれ。」
「どうも、命を助けていただきありがとうござった。」
遺体はその男とロンが道場の外に運び出し、水虎は庭の奥から荷車を持ってきた。
ロンは打根を回収したが、馬の首から打根を抜くのと人間の首から抜くのとは違うと思ったが、打根の血を拭う時は相手の衣服で拭かせてもらった。
生き残った男が二人の遺体を乗せて門を出ると水虎はロンに言った。
「ロン殿もここから早く出た方がいいな。役人が来ると面倒だ。」
「そうしよう。今日は色々な経験をさせてもらった。それではさらばだ。水虎殿。感謝する。」
そう言ってロンは門を出て、馬車に乗って去って行った。
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