第10話 10、御庭控 

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 円が退席するのを待っていたかのように証之助が男達を連れて庭先に現れた。

証之助が連れてきたのは頭領らしい初老の男が一人と、中年の二人と、若者二人であった。

5人の男達は庭師のように黒地の半纏(はんてん)に赤茶色のズボンをはき、臑には脚絆(きゃはん)を巻いていた。

5人は正面縁側前の庭に片膝を立て両手を地面に置いて頭を下げた体勢で横一列に控えた。

証之助は5人の横に立っていた。

 「殿、御庭控を連れて参りました。私の横におりますのが頭領の木猿でございます。」

「うむ。当主の周仁じゃ。面(おもて)を上げよ。」

5人は顔を少しだけ上げた。

「頭領の木猿。そちは父の代から仕えてくれていたそうだな。そちのことは父から聞いておる。諸戦の蔭の功労者だとおっしゃっておられた。」

「身に余る光栄にございます。」

「近頃、隣の国が攻め落とされた事は知っておるな。」

「噂で知っております。詳しくは存じません。」

 「ワシも噂程度しか知らん。これまでこの国は諜報活動をして来なかったからな。だが隣国が落とされた事はちょうど良い機会だとも思っておる。国外の情報が欲しいのだ。戦の備えもしておかねばならん。攻め落とされた国と攻め落とした国の状況を調べてくれんか。どうじゃ、できそうか。」

「程度の問題ともなりますが調べることはできます。もちろん相手国の支配者の考えなどの機微に触れることはできないと思います。」

「それで良い。外面だけで良いのじゃ。外面が真実か偽物なのかはこちらが判断する。」

「ご理解ありがとうございます。」

 「千先生。どうだろうか。」

「はい、情報を得るのには一つを除けば問題はないと存じます。」

「一つとな。やはり武術の腕が問題かな。」

「質問をしてもよろしいでしょうか。」

「もちろんじゃ。木猿、ワシの横に居られるのは千先生だ。そちも噂に聞いておろう。山の治療所の医者だ。千先生の質問に答えよ。」

「千先生のお噂はお聞きしております。奇跡の治療をなさると聞いております。何でございましょうか。」

 「この庭の造りは見事だと思います。いつもは一人の方がお世話しているそうですね。どなたがこの庭を維持なされておられるのですか。」

「はい、一番端の忍草(しのぶぐさ)がお城にお伺いしております。」

「忍草さんにお聞きしてもいいですか。」

「なんなりとお聞き下さい。」

「忍草さん、お庭の管理が大変優れていると感じました。どこかで習ったのでしょうか。」

「いいえ、特に習った事はございません。」

「そうですか。貴方の感性でなされたお仕事なのですね。素晴らしい感性です。木猿殿の所に入られたのはどれくらい前ですか。」

「およそ一年前でございます。」

 「そうですか。まだ若いのに・・・。子供の時から忍びの術を学んだのですね。辛かったでしょうね。親に捨てられたのかもしれませんね。どうです。こちら側に来ませんか。」

「何のことでございましょうか。」

「貴方は他の四人と比べて武術において圧倒的に優れております。懐にも武器を隠しております。貴方の腰紐も人を下げることができるほど丈夫なものです。お庭の維持は細部にまで行き届いております。そのような心配(こころくば)りは忍びの者の必須要件です。貴方は他国から派遣された密偵です。それは容易に分りますが、私に分らないのは貴方の心根です。どうです。貴方もそのまま投降しては気分が悪いでしょうから私と試合をしませんか。私に負けたらこちら側に寝返って下さい。私に勝ったらこの国から無事に逃がしてあげます。試合前に周仁様に頼んでおきますから安全に出ることができます。私の怪我のことは心配ありません。死なない限り全快できますから。どうですか。」

 「何のことか分りませんが試合をご所望ならお相手致します。どのような試合でしょうか。」

「そうですね。貴方は懐の武器に加えて刀を一本持つことができます。刀でも懐の武器でもどれでもいいですから私の体に少しでも触れたら貴方の勝ち。無事に出国できます。私の武器はこの扇子にしましょう。この扇子で貴方の背中側の首を強く打ちます。そうしたら私の勝ちです。有利な条件だと思いませんか。」

「お相手致します。」

「まて、それはあんまりな条件じゃ。ワシが許さん。刀はだめだ。木刀にせい。」

「木刀の方がよろしいかと思います。軽く当てるだけで勝ちなのですから。」

周仁が言い、忍草は答えた。

 千はロンから木刀を借り、白足袋のまま庭に下りた。

証之助と木猿は座敷に上がり周仁の横前に片膝を立てて構えた。

御庭控の他の者は縁側の前の庭に片膝を立てて待機した。

ロンは刀を腰から外して左手に持ち縁側に立った。

忍草がこちらに何かを投げたら払い落とすつもりだった。

 千は木刀を下げて立ち上がっていた忍草に近づいて木刀を渡した。

「そうだ、忍草殿。試合の勝敗なのだけど、爆風は私に触れたことにはならないということでお願いします。いくら私でも火薬玉を投げられたら爆風を逃げることはできても避けることはできません。」

「火薬玉は所持しておりません。十字手裏剣二個とクナイ一本です。」

「了解。一生懸命やってね。私は強いから。・・・それから周仁様。忍草殿が勝ったら必ず国外に無事に逃がしてやって下さいね。」

「分った。約束する。」

 千と忍草は5mの距離で縁側に平行に対峙した。

忍草はロンの構えのように半身で左手に木刀を持ち、右手は懐に手に入れていた。

千が真直ぐ歩を進め2mまで進むと忍草は片足を踏み込んで木刀を突き出すと同時に懐から十字手裏剣を二個出して同時に投げた。

三カ所からの攻撃は絶対に避けられないはずであったが攻撃を始めた直後には千の体は既に忍草の右後ろに移動しており、千は持っていた扇子で忍草の首筋を強(したた)かに叩いた。

軽い扇子ではあったが押していたのであろう。

忍草の首はそりかえり、体は地面にうつ伏せに倒れた。

扇子ではなく手刀だったら忍草の首は折れていたに違いなかった。

千はそのまま後ろ後方に跳び上がり築山の大岩の上に和服の裾を乱すことなく着地した。

忍草は二回転がってから素早く立ち上がったが周囲に千の姿はなかった。

 忍草は座敷にいる皆の視線を見て、その視線方向に体を向けて大岩の上に立っている千を見つけた。

「負けました。拙者の負けです。」

千は脚に着物の裾を脚で挟んだまま大石から飛び下りて忍草に近づいていった。

「貴方の十字手裏剣は刃引きがしてありましたね。もう一回やってもいいですよ。忍草殿は私が速く動けることを知りませんでしたから。今度は貴方の武器を全て取り上げたら私の勝ちと言う条件でいいわ。」

「いいえ。何回やってもだめです。わかります。彼我の差も分らないほどの差があることがわかりました。投げた十字手裏剣の刃引きまで見えていたのなら勝てるはずがございません。」

「それではこちら側に寝返っていただけるのですね。」

「そうします。約束ですから。」

忍草は片膝を立てて頭を下げて控えた。

 千は縁側に腰掛けて白足袋の土を払ってから座敷の周仁の横に戻った。

「千先生は恐ろしくお強いのですな。築山に飛び上がったのは見えたが相手の後ろに動くのはほとんど見えなかった。しかも、あれだけ早く動いても髪もほとんど乱れていない。」

「恐縮です。」

「あの忍草と申す忍者を信用してもいいのだろうか。」

「こちら側についたと言うことは信用なさってもよろしいと思います。あの者は悪い心は持っておりません。」

「そうか。千先生がそうおっしゃるならそうだろう。木猿、忍草は味方じゃ。そう心得よ。」

「承(うけたまわ)りました。それにしても千先生なら最強の忍者になれますな。あのような身のこなしは見たことがございません。」

「木猿。千先生は何にでも卓越しておられるのだ。忍者はそのうちのほんの一つじゃ。」

 「周仁様、お願いがございます。」

「何でしょうか、千先生。」

「ロンさんをこの藩に臨時に雇っていただけませんか。忍びの心で行動するのは武者修行には必要だと思います。忍びには隠忍と陽忍がございます。御庭控が隠忍なら武者修行の武士は陽忍だと思います。腕が立つ武士はどの国でも欲しい人材だと思いますし、仕官を目ざす浪人が彼の国には押し寄せて来ているでしょうから目立ちません。」

 「うむ。喜んで雇わしてもらおう。もともと武芸大会の勝者は仕官させるつもりであった。武芸大会での優勝者を一撃で倒したロン殿には仕官に十分な資格がある。ただ仕官は秘密にしておいた方がいいだろうな。その辺の事情を知っている密偵もあろう。ロン殿が動くには浪人の立場の方が良かろう。役目を終えてロン殿が望むならこの国に残れば良い。繫ぎは証之助に頼むことにする。」

「ありがとうございます。指示をお待ち致しております。」

 「それでうちの御庭控の腕はどうお考えか。」

「剣術の腕は良くありません。普通の武士以下だと思います。でも最初に言いましたように情報を得るには支障はないと存じます。忍草殿のように腕が立てば日頃の所作で腕の程が推測できます。それは忍びには不利に働く場合が多いと思います。剣術の腕が立つ庭師など誰も信用しません。剣術の腕を隠すことが出来るのは相当な腕前を持っている場合だけです。御庭控の他の皆さんは町に居る普通の庭師のように見えます。これは忍びには有利です。忍者は知恵を絞って優れた武器で相手に簡単に勝つべきです。」

 「確かに。向こうに腕の立つ者がいたら見つかってしまうな。知恵を絞った優れた武器とはどんなものがあるのだろうか。」

「飛び道具と毒と火薬と鎖が主な武器だと思います。」

「嫌な物ばっかりだな。卑怯者と言われるかもしれんな。」

「素人(しろうと)が使っても強豪に勝てる物でございます。御庭控の皆さんの剣術の腕は子供です。同等な力の者同士の争いでは卑怯と言われるかもしれません。でも子供と大人が争う時に子供が持つ武器に大人が卑怯と言えるでしょうか。戦争の場合には優れた武器で相手を簡単に殺し、自分たちは無傷であることが優れた戦略でございます。」

 「確かにそうだな。試合と戦争は違う。千先生が忍者としたらどんな武器を考えられるのだろうか。」

「場合場合を考えなくてはなりませんが普通にはマムシやトリカブトの毒を塗った5mだけ飛ぶ三寸の矢。空に浮き上がることができる提灯と鉄玉を入れた花火。そんなところでしょうか。」

「鉄鎖はどう使うのだろう。」

「鉄鎖は相手が豪傑でこちらが8人以上の場合です。二人が鉄鎖の端を持って相手の周りを鎖をくぐり抜けながら駈ければ相手は鎖で縛られこちらは常に相手から距離を取ることができます。」

「なるほど鎖は刀では切れんし、相手が鎖をかいくぐってもこちらの鎖は絡まない訳だ。」

「でも、そんな方法は下の下です。忍者は姿を曝して対等に戦ってはいけません。相手がわからないうちに殺すことが推奨されます。」

 「トリカブトは知っておる。簡単に採れるし必ず死ぬ。」

「左様にございます。食べたり飲んだりしても死には至りませんが傷口から少量でも入れば数十秒で心臓が止まり死に至ります。解毒剤はありません。」

「千先生の所の薬草園でも当然植わっているのでしょうな。」

「もちろん植えてあります。トリカブトは毒にもなりますが薬にもなります。」

「戦争の時には毒を使ってもいいのだろうか。」

「使わない方が良いと思います。まず戦争で使うだけの量は確保できないと思います。それに、使う人間は普通の兵士です。全ての兵士を教育することは困難ですし兵士は信用すべきではないと思います。」

 「そうだな。その方が安心できる。鉄球を入れた花火は分るが空に浮き上がる提灯とはどんなものですか。」

「この地でも蝋燭を入れた提灯の天灯があると思います。蝋燭の熱い気体は軽いので提灯を浮かせることが出来る訳です。周仁様はお風呂で体が軽くなることはご存知だと思います。周仁様が押しのけたお湯の重さ分だけ軽くなります。空気も同じです。気球が押しのけた空気の重さ分だけ軽くなります。気球内の軽い熱い空気が冷たく重い空気を押しのけるのでその差分の重さの物を気球は持ち上げることができます。ですから大きな天灯を作れば人を乗せて空に浮かぶことができます。熱気球と呼びます。必要となるのは軽く丈夫な布地です。残念ながらこの国の科学技術は未熟ですから適した布を大量に作ることはできません。少し効率が悪い布を使うことになります。蝋燭の代りに燃やす物はここでも使われている菜種油の灯明油を熱して気化して燃やせば問題となりません。」

 「千先生の博識にはただただ感嘆するだけです。博識というのはこの世界の知識を広く知っているという意味だが千先生の場合はこの世界の知識以上のことをご存知のようですな。熱気球は二番目に準備する優れた武器に入るのですか。」

「試作品は作ることができると思います。諜報活動にも必要ですから。」

「熱気球ができたらワシも乗せてくれんか。」

「いいですよ。空からこのお城を見せてさしあげます。」

「鷹の見る景色だな。楽しみにしている。」

 千とロンと二匹の馬は三時頃に山の治療所に帰った。

日光と月光はお土産の和菓子を食べる事ができた。

御庭控の忍者達5人は今までの生活が変るだろうと思いながら城を出て行った。

周仁と証之助は庭を見ながら千との会談をそれぞれに思い出していた。

 「証之助、千先生と出会えて良かったな。先生は『待っている』とおっしゃった。千先生としては軽卒な発言だった。奥の態度でお怒りになられたのであろう。そんな意味で円はお手柄だった。千先生はおそらく不死だ。ずっと生きていてその時が来るのを待っている。先生の言い方はまだまだ先だという言い方だった。千先生はこの世界の未来を知っておられる。まあ知りたくも無いがな。」

「そう考えると奇跡の治療やロン殿の左手やとんでもない脚力の馬が理解できます。」

「うむ。千先生が話した戦争の話はおそらく千先生が経験した事だ。話の中で一人称表現が時々使われていた。千先生はおそらく何千万の人間を殺している。確かに、こんな小さな国同士の戦争なんて千先生にとっては『気楽な戦争』なのだろうな。うむ。」

周仁は嘆息した。

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