第9話 9、藩主の憂い 

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 「さて、何の話だったかな。そうじゃ、武芸大会の真意であったな。そう言う訳でこの国は人間に例えれば乱暴者が向こうから近づいて来ている状況なのだ。医者としての立場からすればどのような処置をすべきだと思われますかな。」

周仁は驚きから落着きを取り戻すと話を戻した。

「国というものは人々が安心して暮すことができるように考え出した一つの集団組織形態です。対処の方法は状況によって異なると存じます。」

「どのような状況が考えられるのか。」

 「はるかの古(いにしえ)においては言葉の統一を目的とした戦(いくさ)がございました。この場合には負けた国の住民は皆殺しになるか分散されるか必死に言葉を覚えるしか生き残る術はございません。直近の戦においては戦う二つの国の人口が圧倒的に違う場合がございました。この場合は人口の少ない国の人民は確実に皆殺しになります。皆殺しにして自国民をその地に移民させればよいからです。三番目は相手国を奪って住民を奴隷にすることを目的とする場合です。多くの場合には互いの国の言葉が違います。負ければ財産はなくなり惨めな環境になります。最後は互いの国の言葉が通じて互いの人口も余裕がない場合です。この場合には住民は安心です。支配者だけが殺し合って、どちらが勝とうと住民は殺されません。もともと住民は被支配者であり生産者だからです。」

 「そんな風に考えたことはなかった。この国の状況は最後の状況だ。この国の人口は多く無いし、相手の国の人口も多くはない。」

「それは気楽な戦争ですね。相手国の支配者を排除すればよいだけのことでございます。」

「気楽とな。」

「言葉が軽率でした。容易に勝てるということです。戦争で何が難しいのかと言えば多くの人間を殺すことでございます。百万人を一人一本の弓矢で殺すとすれば百万本の矢が必要です。なかなか用意はできない数です。お金もかかります。100人を100秒で射殺していったとすれば百万秒の時間が必要です。278時間が必要です。一日で10時間を使ったとすれば28日間が必要です。死体の腐敗による疫病の心配もしなくてはなりません。ですからそのような場合には火計や水計が必要となります。土に埋める場合もあったようですが時間がかかったと聞いております。」

 「千先生は恐ろしいことを平気で語るのじゃな。」

「医者ですから。周仁様は医者としての処置をお聞きになりました。」

「そうであったな。容易に勝つにはどのように準備すればよいのだろうか。」

「まだわかりません。相手のこともこの国のことも私はまだよく知りません。医者は患者の状態を把握して初めて対処方法を決めるのでございます。」

「それはそうだ。」

「自国を守ろうとして周辺国のことを知ろうとするには密偵を派遣しなければなりません。同様に相手がこの国を落とそうとするなら密偵を派遣しているはずです。一般的な最初の対応としては密偵への扱いだと思います。」

 「密偵を捜し出して殺すのか。」

「それが上策でないことは周仁様はご存知と思います。」

「そうだな。密偵を殺せば別の密偵が来る。警戒心も増すであろうな。」

「でも、相手においそれと攻め落とせる国ではないと教えて攻撃を躊躇させることはできます。」

「密偵に嘘の情報を与えるのであろうか。」

「どんな偽の情報なのかは存じませんが相手国の指導者がその情報を信じるかどうかは相手国の指導者の力量に依ると思います。」

 「他にどんな策があると思われるか。」

「何もしないという策があります。」

「それではこの国の実情が筒抜けになるのではないのか。」

「左様にございます。」

「相手国は自分を知っているわけだし相手の事を知るのだから「百戦危うからず」になるのではないのか。」

「左様にございます。」

 「それでは困るのう。」

「でも、こちらが反撃する大義を得ることができます。」

「大義を得ても滅ぼされてはな。」

「それもそうですね。戦に勝つ準備をしておかねばなりませんね。」

「できそうなのか。」

「ここまでの話は密偵に関してのものでした。戦いに関しては先ほど申しましたように両国の実情を知りませんからわかりません。」

「要するにまだまだ分らんということだな。」

「左様にございます。でも急いだ方がよさそうですね。」

 その時、証之助とロンが湯のみの載った大きなお盆と土瓶二つを持って近づいて来た。

「殿と千先生、お茶を持って参りました。お休みになりませんか。殿にはロン殿を紹介したいと思って連れて参りました。」

そう言って証之助は持っていたお盆をテーブルに置き、ロンは二つの土瓶をお盆の横に置いた。

「うむ。丁度お茶を飲みたいと思っていたところだった。そなたがロン殿か。周仁じゃ。強者だそうだな。」

「武者修行中のロンでございます。千先生に手を治療していただいてから少しだけ強くなりました。」

ロンは立ったまま深々と頭を下げた。

 「殿、ロン殿は先日の武芸大会にお出になりました。」

証之助は湯のみにお茶を注ぎながら下を向いたまま言った。

「憶えておらんがそうだったか。で、結果はどうでしたかな、ロン殿。」

「一撃で負け申した。」

「それは残念だったのう。」

「いえ、負けるのは当然でした。それまで一度も勝った事はありませんでしたから。」

「証之助はそなたが強者だと言っていたが勝った事が無いとはどういうことじゃ。」

「拙者は試合で左手首を砕かれ、千先生に治していただきました。治ると左手の力が増し片手で刀を扱うことができるようになっておりました。余った右手でもう一つ武器を持つことで少しだけ強くなりました。」

 「千先生、あの二匹の馬にもロン殿の左手と同じ処置をなされたのですか。」

「ご明察にございます。」

「理解できました。一つはあの馬ほどの力を持つ左手なら自在に刀を扱えるであろうことと、もう一つは先ほど千先生が『気楽』とおっしゃられた意味が分りました。」

「恐れ入ります。」

 「ロン殿のような兵士が百人とあの馬のような馬が100頭いれば戦いには勝つな。」

「そうなるとは限りません、周仁様。戦争は一対一で戦うわけではありません。戦(いくさ)の帰趨は策と武器と兵士の数に依存します。例えば策で言えば山道の隘路では百名の兵と百頭の馬は力を発揮しません。上から石を落とされたら負けます。武器で言えば空から攻撃できる兵器には強馬も強兵も無力です。密集した町や一つの城塞都市を壊滅させるには周囲を火で囲みます。空から町を焼けば強力な馬も兵も焼けてしまいます。兵の数で言えば十倍の兵士がおれば弓矢の一斉射撃には対抗できないかもしれません。」

「そうだな。人を如何に容易に殺すのが戦争だったな。果し合いとは違う。」

周仁はお茶を飲みながら嘆息した。

 「千先生。どんな順番で戦争への準備をすれば良いだろうか。」

「最初に密偵派遣。次に優れた武器の開発。第三は兵士の訓練です。周仁様は世界征服のような野望をお持ちでないようですからこの順番になると思います。」

「世界征服の野望を持っていたらどのような順番になるのかな。」

「殖産興業で国を豊かにすることが二番目に入ります。」

「殖産興業とな。難しそうだな。」

「難しゅうございます。殖産興業のためには国民の教育水準を高めねばなりません。教育を実行するには安定した生活が保障されなければなりません。」

「その問題は考えた事がある。その安定した生活を得るためには生産性を上げなくてはならず、そのためには教育が必要なわけだ。堂々巡りだったな。」

「左様にございます。」

 「千先生はその方法を知っているわけですな。」

「成功した例は知っております。周仁様の堂々巡りは民間人を対象に考えているからだと思います。確かに興す産業はこの国が考えるのでしょうが対象は民間人だろうと思います。産業は製品が売れるようになって初めて成功します。なかなか時間がかかります。この国には給金を支払って強制的に働かせることができる人間がおります。兵士です。兵士が兵器を作れば需要は元々在るわけですから必ず売れます。兵士も自分の命がかかっている訳ですから協力的です。軍需兵器は最先端ですから裾野は広がります。この国の規模からすれば大量生産は必要ありませんから手作りの製品で需要が間に合います。『強兵富国』と言っております。世界征服を目ざすにはずっと長い時間と人が必要です。まず周辺国を平定しなければ成就できません。世界征服は周仁様が生きている間に完遂されることは難しいと存じます。」

 「強兵富国か。魅惑的な響きだな。確かこの小さな国を守るための戦争準備は密偵派遣、武器の開発、兵士の訓練でしたな。」

「左様にございます。」

「とりあえず密偵を派遣しなければならない訳だ。証之助、我が藩には忍者集団がおったな。」

「殿はまだ一度も会った事はございませんが『御庭控』という役目で庭の維持をしております。」

「何人おるのだ。」

「頭領を含め5人でございます。お城には一人が常駐しております。」

「他の者は何をしておるのだ。」

「忍びの技を磨いていると報告を受けております。」

 「それが本当なら心強いな。武芸の腕はどうじゃ。」

「よくわかりません。忍びの者だから実力は隠しているそうです。」

「他国に派遣しても簡単に打ち取られては困るのう。千先生、うちの忍者の実力を診断してもらえんか。」

「今日中であれば、ご協力いたします。」

「左様か。ありがたい。証之助、5人を城に呼べ。そろそろ中食の時刻だ。ワシと千先生とロン殿は中食を庭座敷で取るつもりだ。食事が終わった頃に会いたいができそうか。」

「支障がなければ出来ると思います。」

「それでいい。呼んでくれ。」

「御意。」

証之助は早足で馬場を後にした。

 庭座敷に向かう前に千は日光と月光を厩舎の前に呼んだ。

「日光、月光。私たちはこれからお昼ご飯を食べるの。庭座敷という所。きっと奇麗な庭に面したお座敷だと思うわ。貴方達はここに居て。馬場で遊んでいてもいいし、お腹が空いたらこの厩舎で飼葉を食べてお水を飲んで。分った。」

二頭は頭を下げてブヒと言った。

「分ったわ。お茶が出たときはお菓子を包んで持って来てあげる。」

二頭は歯を少し見せた。

 庭座敷は心地の良い座敷だった。

畳敷きの広い部屋の周囲三方がぬれ縁で囲まれ、その向こうに美しい庭園が広がっていた。

三人は周仁を中にして千とロンが左右に座った。

「千先生。ここが庭座敷だ。自慢の座敷でな。」

周仁が最初に言った。

「美しい庭ですね。良く手入れがなされております。もし御庭控さんがこの庭を維持しておられるなら一流です。庭師として他国に居を構えることもできます。」

「なるほど。腕の立つ庭師なら城の中まで呼ばれることができるかもしれんな。城内の細工もできる。梯子を持っていても疑われない。まさに忍びの術じゃな。」

「この城下町でも庭師として有名なのでしょう。庭師としての実績は信用に重要ですから。」

 昼餉(ひるげ)は質素なものだった。

立派な黒漆の膳に丸い簾(すだれ)に盛られたソバと身欠きニシンの入った汁、小さな茶碗に少なめに盛られた白米と小皿の大きな梅干しとジャガイモの味噌汁が出た。

食後にお茶が出た時、周仁はお菓子を二個だけお土産に持って来るよう侍女に命じた。

日光と月光へのお土産だった。

お土産は丸高坏(まるたかつき)に載せられて一人の美しい女によって後ろから運ばれて来た。

千の横を通って正面まで行き、向きを変えて千の前まで進み、畏まってから高坏を千の前に押し進めた。

 「千先生、奥を紹介したい。妻の円(まどか)だ。円、この方が最近有名になられた千先生だ。」

「医者の千です。よろしくお願いします。」

「周仁の妻の円です。お見知り置きくださいませ。千先生はまだお若いのにたいそう博識だそうですね。」

「恐れ入ります。今日は精一杯の若作りにして参りました。」

「これまで見たこともないほどお美しい女子だと思います。」

「ありがとうございます。容貌もこれが精一杯でございます。」

「どこのお生まれですか。」

「遠く離れた所でございます。」

「どうしてこの国にいらっしたのですか。」

 「これ、円。むやみに詮索するでない。千先生はそちが思っているような普通の女子ではない。千先生から見ればワシ等は地面を這う虫けらだ。それ以下かもしれん。とてつもないお力を持っておられる。」

「失礼致しました。そんなお方だとは知らずぶしつけな会話を致しました。どうぞお許し下さいませ。」

「お気になさらず。当然の質問でございます。最後のご質問ですが、私は時を待っております。もうしばらく待たねばなりません。この地を選んだのはこの国が落ち着いていて活気に満ちていたからでございます。この程度でご容赦くださいませ。」

「本当に失礼致しました。これで退席させていただきます。」

そう言って円は少しふらつきながら立ち上がって深々とお辞儀をして退席していった。

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