第8話 8、登城
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馬車は町での用事を終えると元来た道を引き返した。
山の治療所に向かう角にさしかかると角には証之助が立っていた。
ロンは日光と月光に停車を頼み馬車を止めた。
「証之助殿ではないか。待っておったのか。」
「左様。町に奇怪な馬車が入って来たと知らせが入ったので町目付の身としては確かめに来たのだ。」
「それは申し訳なかったな。今日は千殿が薬草を配るのと患者の状態を見るために町にきたのだ。この馬車は救急車と言って急病人を治療所に運ぶための物だ。今日は初めての試運転だ。」
ロンは御者台から証之助に言った。
「そうでござったか。千殿は気を配られたようですな。千先生もおられるのか。」
千は救急車の横から出て来て証之助に頭を下げた。
「証之助様、お早うございます。お役目ご苦労様でございます。」
「お早うございます、千先生。救急車とは良いものを作られましたね。」
「証之助殿のご明察の通りにございます。この馬車はお城の殿様とお会いする時のために作りました。もちろん急病人の搬送にも使えますが、でもそんな場合には私が出向けば良いことです。」
「ご配慮ありがとうございます。拙者、あれから悩んでおりました。千先生をお城にお招きするのにお城まで歩いて来てもらう訳にはいかず、お城から籠をさし向けるのも大仰になります。千先生の身なりにも制約がかかると思います。それではお願いする立場としては申し訳ないことです。」
「お城にはこの馬車で参ります。そうすれば証之助殿の悩みも解消すると思います。」
「本当にありがたいことです。拙者としては千先生には対等の立場で殿とお会いしてほしいと考えておりました。千先生がご自分の乗物でお城に来られるのはありがたいことです。私の立場としてはまだ殿に治療所に出向くように具申することは時期尚早と考えておりました。」
「いろいろ大変ですね。証之助殿も。」
「宮仕(みやづか)えですから。それでは話を進めることに致します。」
証之助と別れて治療所への道に入るとロンは千に言った。
「千殿のお考えがようやく分りました。この馬車も日光も月光もお城に出かけるためだったのですね。」
「色々な人と出会えば新しい行動をすることになります。ロンさんはこの件で私が一番悩んでいることは何だと思いますか。」
「殿様とお会いして話す事柄でしょうか。」
「いいえ。どんなで衣装で登城するのかが私の一番の悩みなのです。」
「そうですか。でも千殿はおきれいだから何を着てもいいのではないですか。」
「ありがとう、ロンさん。でも私にとって悩みは久しぶりのことなの。そして楽しいことなの。」
「それは拙者にも分ります。千殿は何でもお出来になります。悩みなんてない生活を送っておられるようです。たまに悩みがあれば楽しみになります。」
その後、証之助が治療所に来てお城に登城する日時を伝えた。
千は快諾し、その日を迎えた。
その日は秋晴れの心地の良い日だった。
「日光と月光。今日は千殿がお城に登城してこの国の殿様と面会をする。馬車で行く予定だ。また馬車を引いてほしい。」
ロンがそう言うと日光と月光は黙って馬車の前に並んだ。
お城と言うものがどんなものかも分らないし、お殿様という人間も分らなかった。
二頭にとっては興味津々というところらしかった。
千は美しい姿で馬小屋の前に出て来た。
馬小屋の地面は汚れていたのでロンは予め馬小屋の外に馬車を出して待機していた。
千は薄紫の和服姿で髪は一部を背中に垂らしており、その先端はきれいに切りそろえられていた。
髪の一部は両肩から前に垂らしており、その先端もきれいに水平に切りそろえられていた。
横の髪は頭の上に集められ頭の上で奇妙に丸めて束ねてあった。
その髪の束ね方はロンには理解できなかった。
きれいに切りそろえられた前髪はほんの少しだけ額にかかっていた。
その前髪の上には宝石が散りばめられた細めの髪留めが置かれていた。
「千殿がいつもお美しいことは知っておりますが、今日は何か近寄り難い美しさを持っているように思えます。」
「ありがとう、ロンさん。この姿が悩んだ末の私の結論です。」
ロンが「千殿をお城に運ぶことを光栄に思います」と言った時、日光と月光も嘶いた。
「ありがとう、日光、月光。お城に連れてってね。」
二匹はブルと言った。
馬車がお城の堀にかかる橋を渡って大手門に着くとそこには証之助が待っていた。
証之助は馬車に近づき御者席のロンに言った。
「ロン殿、お早うござる。千先生は馬車の中でござるか。」
千は馬車を降りて証之助に頭を下げずに膝を軽く曲げて挨拶した。
「本日はお招き下さりありがとうございました。」
「お出で下さりありがとうございました。早速ご案内致します。ここからはお歩きになられた方がよかろうと存じます。お城は馬車で通るのが不適な石段が多うございます。最初の障害は目の前の大手門の下の敷居柱でございます。」
「ご配慮ありがとうございます。歩いて参りましょう。でもこの馬車が通れない場所は通り抜ける巾が無い場合だけだと思います。馬車の車輪は普通よりずっと大きいし日光と月光は強い馬ですから問題は生じないと思います。」
「分りました。殿は馬場でお待ちになっておられます。ロン殿は馬車を連れて千先生の後に着いて来ていただきたい。」
「了解した。日光、月光。わかったな。千殿の後をついてゆくのだ。段差は慎重にな。」
二匹はブルと応えた。
証之助が先頭で、その後に千が続き、その少し後を馬車がついていった。
証之助は馬車がついて来られるかどうかを確認するため立ち止まり、馬車が最初の20㎝ほどの高さがある大手門の敷居柱を越えるのを見て驚いた。
二頭の馬は馬車の動きを自分たちで制御していたのだ。
一頭が前進して馬車を引き一頭が後退して馬車を押していた。
引き綱は常に張られた状態になっており、馬車はゆっくり敷居柱を乗り越え、ゆっくりと地面に下りた。
「何と言う馬達だ。馬車をゆっくりと地面に下ろした。見ましたか、千先生。」
「日光と月光は頭がいい子達なので自分たちで工夫したのでしょうね。」
「千先生の周りは驚くことだらけです。」
お城の馬場は100m四方の広い敷地を持っていた。
周囲は桜の木が植えられ、馬場の各所にも桜の木が植えられていた。
証之助は最初に厩舎に案内した。
「どうぞここで馬達を休ませて下さい。少しだけ高級な飼葉があると思います。」
「ありがとうございます。ロンさん、日光と月光を馬車から外して少しだけ高級な飼葉とお水を上げて下さい。後は馬場に離して下さい。二人とも馬場で思いっきり走りたいようですから。」
「了解した。日光月光、美味しい飼葉が食べれそうだぞ。」
そう言ってロンは二匹を馬車から解放した。
「あの、千先生。馬を外しても大丈夫なのでしょうか。」
「大丈夫です。山ではいつも放しております。お利口な子達ですから。日光、月光。悪さをしてはダメですよ。走るのは馬場の中だけです。分りましたか。」
千がそう言うと二匹は頭を下げてから嘶(いなな)いた。
ロンは二匹を連れて厩舎の中に入っていった。
「さて、我が殿はどこかな。千先生を歩かせるはずはないのだが。居りました。厩舎に並びの木の下で待っておられます。千先生を観察していたみたいですね。」
証之助は先導し、千を男の方に案内した。
男は乗馬用の衣服を着て木のテーブルの前の丸太に座っていた。
男の後ろには白毛の馬が立って草を食んでいた。
男の反対側の丸太には大きめの座布団が置かれていた。
証之助は殿様の前に立つと少し横にずれて千を紹介した。
「我が殿、千先生に来ていただきました。」
「よういらっして下された。藩主の周仁です。」
周仁は立ち上がって頭を下げた。
「お招きありがとうございます。山の治療所に住んでいる千と申します。」
そう言って千も膝を曲げて挨拶をした。
「どうぞ前の丸太に座って下され。千先生のことは証之助から聞かされております。多方面に秀い出ておられるそうですな。いや、そうではなかった。秀でていると評価が出来ないほどの方だと聞かされております。」
「恐れ入ります。」
そう言って千は分厚い座布団が置かれていた丸太に腰掛けた。
「千先生は我が国には長いのですか。先生のお噂が口端に上がるようになったのははここ数年のことだと聞いております。」
「それほど長くは住んではおりません。5年ほど前から住まわせてもらっております。居心地が良かったので居着いてしまいました。」
「左様でしたか。我が国にとってもありがたいことです。」
「近頃、武芸大会が行われたようですが武芸に興味がおありですか。広い馬場もあり、馬も大事になされているようですから。」
「うむ。武芸に興味があると言うより強い家臣団を持ちたいと思っておるのだ。」
「国外に憂いをお持ちなのですね。」
「そうじゃ。我が国は豊かなのだがワシは今まで戦(いくさ)をしたことがないのだ。父の代には色々とあったようだがな。」
「お父上様は戦に勝たれたのですね。」
「うむ。連戦連勝したと聞いておる。六割くらいは本当の事だろう。」
「国外の状況は危ういのですか。」
「隣接する国が他国に攻め落とされたのだ。」
「それはご心配のことですね。でも武芸大会では戦には勝てません。」
「そうだな。だが強い武芸者の中には用兵に秀い出た者も居るのではないかと思ってな。」
「見つかりましたか。」
「残念じゃが、見つからなかった。と言うよりどうやってそんな者を見つけるのかが分らなかったのじゃ。千先生はそちらの方面にもご興味がおありなのか。」
「私はこの国には医者として住んでおります。国を一人の人と見ればその人の悩み事を解決することは医者の仕事だと思っております。」
「千先生は不思議な言い方をなされるな。これまで色々な職業をしてきたような言い方のように聞こえる。」
「そうですね。」
「おっ。あの馬は何じゃ。二頭の馬が馬場で遊んでいる。」
周仁は立ち上がって馬場を指差した。
千は振り返って馬場で日光と月光が疾走しているのを見た。
二頭は追いかけっこをしているようであった。
「あの二頭は私の馬車を引いて来た馬です。お水と美味しい飼葉をいただいて遊んでいるのだと思います。」
「そうか。それにしても早いな。動きも速いが歩幅が大きい。えっ・・・。」
周仁が絶句したのも無理は無かった。
日光が馬場の中に生えている桜の大樹を軽々と飛び越え、月光がそれを追って大樹を飛び越えたのだ。
「桜の樹を楽々越えた。信じ難い。空を飛んだ。」
「お会いになりたいですか。」
「是非とも会ってみたい。」
千は立ち上がって両手を口元に添えて少し大きな声で呼んだ。
「日光に月光。ここにいらっしゃい。」
千がそう言うと二頭は疾走を急停止し、辺りを見回した。
「ここよ。」
千がもう一度叫ぶと二頭は千を見つけ千の方に疾走して来た。
馬場は周囲を二重の柵で囲まれていた。
馬が一つ目の柵を越えることができても次の柵を越えられないような間隔になっていた。
日光と月光はそんな二重の柵を一跳びで飛び越して一直線に千の方に向かって来た。
二頭は千の5m手前で急停止してゆっくりを頭を下げて千に近づいてきた。
千の後ろにいる男に時々視線を向けていた。
状況を判断しているようであった。
「日光と月光。馬場は楽しかった。」
千は二頭の首筋をなでてあげ、二頭はブヒと答えた。
「私の後ろにいる男の方はこの国の王様なの。貴方達に会いたいのだって。挨拶して。」
日光は頭を軽く下げたが月光は前足を折って挨拶をした。
「右が牡の日光で左が牝の月光です。」
「頭のいい馬達だな。千先生の言うことが全部わかるようだ。体格は普通の馬のように見えるが強い脚を持っているのだな。」
「左様にございます。」
「これだけ頭が良ければ調教は大変だったろうな。」
「調教はしておりません。仲間ですから。遠乗りするときも馬車を引いてもらうときも頼んでおります。」
「驚いた。」
「日光、月光。ありがとう。また遊んでもいいわ。でも馬場の外に出てはだめ。お城の皆が驚くから。分った。」
日光と月光はブヒと答え、きびすを返して馬場に戻って行った。
二匹の馬は二重の柵を又も軽々と飛び越えて再び馬場で追いかけっこを開始した。
それを見て周仁は又も「驚いた」と言って嘆息した。
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