第7話 7、日光と月光 

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 それからのロンは少し忙しくなった。

最初は城下町の建具屋に行って建具屋の頭領を治療所に連れて来た。

千は建具屋に絵図面を示して二頭立ての馬車を作らせた。

次に千は建具屋に頼んで建具屋の知り合いに大きな馬小屋を作らせた。

馬小屋は治療所の横を流れている小川の近くに建てられた。

馬小屋が完成すると馬喰(ばくろう)の所から調教が出来ていない雌雄の若い馬を二頭購入した。

馬の名前は牡が「日光」、牝が「月光」と名付けられた。

千は馬を治療所の治療室にまで連れて行き、何かの施術をしたようだった。

施術後の馬の外見は変らなかった。

 馬の世話がロンの仕事に加わった。

日光と月光は賢い馬だった。

ロンの言葉はまだ分らないようだったが千の言葉は分るようだった。

千が「月光いらっしゃい」と言えば月光は千の近くに来るし、「日光しゃがみなさい」と言えば日光は4つ脚を折って地面にしゃがんだ。

ロンは千が馬の調教などをしていないことを知っていた。

ロンが「どうして千殿の言葉が分るのでしょうか」と千に聞くと千は「言葉を教えましたから」と簡単に答えた。

それでも馬達はロンには従順だった。

千が「ロンは仲間だ」と馬達に伝えたかららしかった。

 馬達は通常は馬小屋の内では繋がれていない。

それどころか馬小屋の扉は自由に開き、馬達は外に出たければ扉を押して外に出て治療所の周囲で自由に草を食むことができた。

それでも夕方になれば馬達は馬小屋に戻って来た。

千が馬達に夜は馬小屋で眠るように命じたらしい。

 晴れたある日、ロンと千は日光と月光に乗って遠乗りに出かけることにした。

日光と月光に世間を見せるためだった。

日光と月光にとって鞍を着けられ人間を乗せることは初めての経験だったらしい。

ロンが鞍を持って日光の背中に載せようとすると嫌がって逃げ出した。

千が乗馬用の服装をして馬小屋に入って来ると日光は抗議の嘶(いななき)きを発して千に訴えた。

「安心していいわ、日光。ロンさんが持っているものは「鞍」と言って人間が貴方の背中に乗るのに便利な用具なの。そのまま背中に乗ったら貴方の骨の動きが私のお尻に響いてくすぐったいの。これから日光と月光とロンと私は外に散歩に出かけるつもり。背中に私を乗せてくれない。分ったら頭を二度下げて。」

日光はブルブルと言葉を発してから頭を二度下げた。

「分ってくれたのね、日光。おりこうさんね。月光もここに来なさい。貴方には私が乗るわ。」

 結局、日光と月光は馬銜(はみ)と手綱を着けることを許し、鞍を載せることを了承した。

千が乗馬する時、月光は脚を折ってしゃがんで千が乗るのを容易にした。

日光はそうしなかった。

日光はロンが同僚で「しょうがないから乗せてやるわい」という態度だった。

ロンは馬に乗るのは初めてだった。

「日光、ロンさんは初めての乗馬みたいだから振り落としたらだめよ。怪我するから。」

日光は歯をむき出してブルブルと同意を示した。

笑っているようにも見えた。

 ロンと千は日光と月光に乗って馬小屋から坂を下って道に向かった。

「ロンさん、落ちないようにしてくださいね。股だけ締めて鞍を股で掴んで。足は自由に。それから手綱は貴方の意思を日光に伝えるものなの。体を支えるものではありません。強く引いたら日光の口は痛みを感じますから強く引いてはいけません。今日は落ちないようにバランスを取る練習をして下さい。」

「了解した。不安でいっぱいだ。」

「月光、道に出たら右に曲がって道沿いに山に向かいましょう。治療所の場所を覚えておいてね。」

月光はブルと言って頭を上げて胸を張って歩を進めた。

日光とロンはそれに続いた。

 道は次第に細くなって行き、やがて山道になった。

日光と月光は山道を苦にせず同じ歩度で登り、池の畔の開けた場所で止まった。

千とロンは下馬し、千は日光と月光に「見える範囲に居るように」と命じて自由にさせたが日光も月光もその場を大きくは動かなかった。

日光も月光も千の言葉を聞きたがっているようだった。

「千殿、日光も月光も強い馬ですな。登りの山道を平地と同じように進むことができる。」

「日光と月光の脚は丈夫にしておいたの。ロンさんの左手と同じ。普通の馬よりもずっと早く駈けることができるし、跳躍もできるのよ。日光、ここにいらっしゃい。」

 日光は喜んで千の前に近づいて来た。

「日光、貴方の脚の力を見せてくれないかしら。私たちを大きく飛び越してみてくれない。できそう。」

日光は歯をむき出してブルブルと言ってから30mほど離れた場所に駈けて行き、方向を変えてから千とロンに向かって疾走を開始した。

月光は少し離れた木陰から日光の疾走を心配そうに見つめていた。

日光は千の5m手前で跳躍を始め、千の5m上空を飛び越えて千の5m後ろに着地してその場に止まった。

日光は千の方に向いて歯をむき出しにしてブルと言ってから千に近づいて来た。

 「大したものよ、日光。でも私が乗っていたら着地と同時に止まることは止めてね。私でも振り落とされるかもしれないから。」

千が日光の首筋をさすりながらそう言うと日光は頭を下げた。

「おりこうさんね、日光。月光の所に戻りなさい。」

日光は頭を上げて胸を張って月光の方に歩いて行った。

 「凄い跳躍ですね。我々のはるか上を飛び越して行った。とても普通の馬とは思えない。それに千殿の言葉を完全に理解できているようですね。」

「日光も月光も口の構造が人間と違うから言葉を発することは出来ないけど人間と同じなの。同じように考えて同じような感情を持っている。」

「仲間ですな。」

「そうよ。」

 帰りは「月光、治療所に戻りましょう」と言っただけで月光は先導して皆を治療所に導いた。

途中で山に向かう馬に引かれた荷車に出会った。

荷台は空だったので山で木でも積むのかもしれない。

日光と月光は荷車の馬に興味を持ったらしい。

月光と日光は荷車の馬に向かって真直ぐ進んでから横に荷車を避けながらブルブルと言った。

相手の馬は何も言わず月光と日光を無視して歩みを止めなかった。

「月光、あの馬は貴方と違って言葉を知らないの。それに飼いなされていて自分の感情を出せないの。この世にはあのような馬が大部分よ。」

千がそう言うと月光は歩みを止めて後ろの荷車を振り返って荷車を黙って引いている馬を見てから再び治療所への道を歩み始めた。

 治療所に着くとロンは日光と月光から鞍を外し、近くの小川に連れて行って体を丁寧に洗ってやった。

馬銜(はみ)と手綱は着けたままであったが馬達は抗議しなかった。

この世の大部分の馬は馬銜を着けているのを出会った荷車の馬に見たためであったかもしれなかった。

 大きな馬小屋には馬車が置いてあった。

馬達はときどき馬車に近づいて胡散臭く匂いを嗅いでいたが悪さはしなかった。

日光と月光の次の試練は馬車馬になることだった。

晴れた日、ロンは日光と月光にゆっくりと言った。

「日光に月光。今日はこの馬車に乗って町に出かける予定だ。千殿と拙者が馬車に乗る。馬車を引いてほしい。馬車を引くときはこの前の遠乗りと違って自由がきかない。それを我慢して馬車を引いてほしい。頼む。」

それを黙って聞いた日光はロンに近づき頭を振ってロンの肩を一発どついた後に馬車の前に歩いて行って止まった。

月光もそれに従った。

 千が馬小屋に入って来ると日光と月光は引き具が着けられ馬車の前に立っていた。

千は馬達に近づいて首筋をなでながら言った。

「素直ないい子達ね。馬は馬車に着けられると自由がきかないの。貴方達は強いわ。野犬の群れや狼の群れだって貴方達には勝てない。貴方達は強力な跳躍力と早さで狼達を踏み潰すことができる。でも馬車に繋がれた状態で襲われたら日光も月光も野犬にさえも負けてしまう。そんな非常の時に自由になる方法を作っておいたわ。憶えてね。引き具は貴方達の胸を回って取付けられている革の輪に着いているわね。一部は後退用に胴にも緩く回っている。胸に回っている革の横に金色の模様がある金属が見えるでしょ。その真ん中を馬銜(はみ)の鉄で押せば胸に回っている革は二つに離れるの。そうしたら後ろ足で立ち上がれば胴を回っている革は腰を通って後ろ足の下に落ちる。そうすれば後は手綱だけね。この馬車は折り返し手綱になっているの。だからそのまま前進すれば自由になれるわ。色々言ったけどやってみればわかるわ。ロンさん、手綱は縛ってないわね。」

「御者台においてあるだけでござる。」

 「ありがとう。いつもそうしておいて下さい。月光、貴方の馬銜(はみ)の先で日光の金色の金属の真ん中を押してみて。」

月光は口先を日光の革の模様に近づけて金属の真ん中を押した。

日光の胸を巻いていた革の帯は模様の所で外れた。

「そう、それでいいわ。日光は後足で立ち上がって。」

日光がブルブルと言って後足で立つと胴を回していた細革は後足の下に落ちた。

「そのままゆっくり前進して。折り手綱が馬銜の輪を通り抜けて自由になるから。急いではだめ。手綱がどこかに引っかかるかもしれないから。」

日光はゆっくり前進し、完全に自由の身になり、後足で立って一声嘶(いなな)いた。

「日光、今度は月光の模様を押して月光を自由にしてやって。」

日光は歯をむき出してブルと言ってから月光の金属の真ん中を押して月光を自由にした。

 「二人ともここにいらっしゃい。」

二匹の馬は頭を下げて千の前に並んだ。

「二人ともおりこうさんだったわね。でも今のは非常の時だけよ。これから町に行くの。町では普通の馬のように振る舞った方が安全よ。町の人は繋がれていない馬は危険だと思うし、逆に繋がれている馬には危害を加えない。馬は大切にされているの。分った。分ったら首を二回下げて。」

日光と月光は首を二回下げてから馬車の前に行って整列して嘶(いなな)いた。

「早く引き具を着けろ」とロンに言っているようであった。

 ロンが馬車を御して二人の人間と二匹の馬は町に出かけた。

馬車は四輪で荷車二台を繋げたような構造をしていた。

車軸には緩衝機構は付いておらず馬車の四隅から立ち上がった支柱に床の板が弓の竹の束を介して横ずれを防ぐように吊り下げられていた。

御者台と客席は床に固定されていた。

御者台は正面を向いていたが長細い客席はそれと直角に伸びており、人間が横たわることができる長さがあった。

千は馬車を「救急車」と呼んだ。

決して乗り心地のいい馬車ではなく御者台と客席には分厚い布団が敷かれていた。

雨を防ぐために馬車全体を覆うように半円筒形の巨大な籐の籠が載せられ、柿の渋を塗った幌布がその上に被せられていた。

 馬車は城下町に入って行った。

奇怪な形の馬車と黒雲に龍の絵柄の派手な衣装を着た御者の武士と辺りを興味深そうに眺める馬車馬は皆の注目を集めた。

日光と月光は人々の注目を楽しみ、ロンは御者席に座って馬を御しているふりをし、千は外からは見えない幌の内に目立たないように座っていた。

馬車は城下町のいろいろな場所で止まった。

千は馬車を降りて千の患者に薬草を手渡して暫く手を握ってから「問題はありません」と言ってから別れていった。

 目立つ乗物は子供の興味を引く。

子供達は馬車の後に着いて、馬車が止まれば馬車の周囲を囲んだ。

ロンは子供への対応が苦手だったらしい。

「ほら、子供達。向こうに行きなさい。見せ物ではないのだぞ。」

そう言っても子供達はロンの言葉を無視して馬車と馬を眺め続けた。

「そち達、拙者の言うことが分らないのか。向こうに行きなさい。」

「せっしゃだせっしゃだ。」

子供達はロンを囃し立てた。

 そんな時に千が店から戻って来た。

「困っているようですね、ロンさん。」

「うむ。拙者の言うことを聞かないのだ。」

「そう。坊や達、お姉さん、きれいだと思う。」

「うん。きれいだよ。」

「そう、ありがとう。お礼に甘いあめ玉をあげようか。」

「あめ玉。」

「甘くて硬くていつまでも口の中に残っているの。おいしいわよ。手を出して。一人一つよ。分った。欲しければ一列に並んでね。順番よ。」

「うん、分った。」

子供達は千の前に一列に並び、千は懐から小さな包みを取り出し、子供達にあめ玉を一つ一つ握らせた。

「あめ玉はお家で食べるのよ。道路で食べるのはお行儀が悪いわ。分った。」

「うん、分った。ありがとう、お姉さん。」

そう言って子供達は散って行った。

 子供達が馬車の周りから居なくなると千はロンに言った。

「子供達はあめ玉で言うことを聞くようになるの。」

「そうであったか。」

その時、日光が嘶いた。

千は日光に近づき微笑んで言った。

「日光はあめ玉を知らなかったわね。日光と月光にあめ玉を一つずつあげます。でもあめ玉は噛んではダメ。飲み込んでもだめ。溶けてなくなるまで口の中に入れておくこと。分った。」

日光と月光は何度も頭を上下させた。

千は日光と月光の口にあめ玉を入れてあげた。

二匹の馬は初めての甘みを堪能したようだった。

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