第6話 6、丸太割り 

<< 6、丸太割り >> 

 数日後、証之助が和菓子を持って千を尋ねて来た。

ロンは裏庭で丸太に長斧を打ち込んでいる所だった。

「もうし、頼もう。もうし、お頼み申す。」

証之助が玄関で大声で到来を伝えると、家の中から「はーい」と言う声と共に千が廊下から玄関に出て来た。

「はい、いらっしゃい。何用でございましょうか。」

「拙者は証之助と申す城侍でござる。千殿にお許しを乞うため手土産を持って参上した次第でござる。」

そう言って証之助は土産の包みを風呂敷ごと千に渡した。

 「私の許しとはどのようなことですか。」

「私がロン殿と暫し会って話をすることを許可願いたい。」

「ロンさんと話をするための許可を得るために手土産を持って来られたのですか。」

「左様でございます。」

「少し大仰ですね。真意は何ですか。」

「恐れ入ります。ロン殿のここでの修行を拝見したいことは本当ですが真意は千先生とお会いしたいことでした。」

 「何ゆえ私と会いたかったのですか。」

「先生の医師としての噂はよく入ってきます。奇跡のような治療をなされると聞いております。ロン殿の左手首の粉砕骨折は知っておりましたが、それが翌日には全快された事も実際に見ました。そんな治療をすることができる医者をこの目で見たいと思いました。拙者の藩での役目は市井の状況を把握することです。町目付が拙者の役職です。」

「分りました。町目付の立場では私と会いたいと思うことはもっともですね。それでどんなことを聞きたいのですか。」

 「まだお聞きしたいことがまとまっておりません。千先生は町の人々に少なくとも数年前から治療をなされておりました。その時にはこの治療所が既に建っていたと聞いております。今日、千先生とお会いして千先生が大変お若く見えるということを知りました。そこで拙者の中で不合理が生じたのです。仮に先生が二十歳近くであれば先生は15歳で医学に習熟していたことになります。お庭に植わっている各種の薬草から薬学にもご堪能であると推測できます。15歳の娘さんがそれほど深く学ぶことができるとは思えません。さらに千先生は武芸にも造詣がお深いことをロン殿からお聞きしました。15歳の娘さんが医学や薬学や武芸に堪能になることは不可能です。それでお聞きしたいことがまとまらないのでございます。」

 「なかなか良く調べましたね。私の歳を知ることは聞きづらいでしょうから私から教えましょう。私は見た目より高齢です。これで証之助殿の不合理は全て解消しましたね。」

「解消致しました。疑問はますます深まっておりますが、少なくとも不合理は解消しました。拙者と致しましては千先生を不思議な方だとして納得することに致しました。私ごときが詮索できる方だとは思えないからです。」

「私は普通の人間ですよ。」

「千先生の基準ではそうなのかもしれません。拙者は役目柄、人と状況を見る目が少しだけ長(た)けていると自負しております。そんな私から見ると千先生は私の想像力の範囲を越えられた方だと確信できます。」

 「女は化けますから。」

「千先生。我が殿と一度お会い下さらんか。私はそれが重要なことのような気がします。私から言うのも変なのですが拙者の殿は名君だと思います。」

「この藩のお殿様がしっかりしていることは町の様子を見れば分ります。町には落着きと活気が共存しております。証之助殿は殿様に具申できる立場にあるのですか。」

「目付は殿に直接具申することが出来ます。それに殿とは幼なじみです。一緒に育てられました。」

「そうでしたか。いいですよ。お会いしましょう。」

「ありがとうござる。城に戻りましたらその方向に向かうように調整致します。それでロン殿と暫し話してもよろしゅうござるか。」

「許可します。ロンさんは裏庭におります。後でいただいたお土産とお茶を持っていきましょう。」

それは「土産に毒が入っていたら食べていただきますよ」と言うことだったかもしれない。

 証之助が裏庭に入って行くとロンは大きな円筒形の薪割り台座の横に少し小さめの円筒形の丸太を置いて鉞(まさかり)で半切しようとしている所だった。

つい数日前まで生きていた太さが40㎝もあるブナの丸太だ。

おいそれと鉞で半切はできない。

鉞を打ち込み、それを前後に動かして抜いてからもう一度打ち下ろしている。

 「がんばっていますな、ロン殿。」

証之助はそう声をかけてロンに近づいて行った。

「おお、証之助殿か。さっそく来られたようですな。」

「はい、先ほど千先生とお会いしてロン殿とのおしゃべりに許可をいただきました。」

「そうであったか。全く気が付かなかった。」

「丸太を相手に試合をなされていたのですな。」

「うむ。相手は強い。枝くらいの太さなら一撃で割ることが出来るがこの太さになるとお手上げだ。」

「左手は使っておられないのですな。」

「一応両手で打ち込んでいるが右手が主になっている。」

 「そうですか。ロン殿が先日話された幹に打ち込まれた打根はどうなりましたか。」

「どうしても抜けないので上下の幹を鋸で切りました。今切ろうとしている丸太には打ち込まれた打根が付いたままだ。」

証之助は丸太を回り込み、丸太の幹に打ち込まれた打根を見た。

「拙者にも試させてもらってもいいかな。」

「もちろんでござる。試してみて下され。ただ打根はもったいないから曲げないようにしてほしい。」

「了解した。」

証之助は打根の根元を握って引き抜こうとした。

びくともしないことはすぐに分った。

 「拙者も負け申した。」

「そうであろう。仕方が無いので丸太を打根に沿って半切しようとしているのだが、相手が強くてのう。難儀している。まあ、もう一度試して見るから見ていてほしい。」

そう言ってロンは丸太に刺さった鉞を前後に動かして抜き、大きく振りかぶって渾身の力を出して丸太に打ち下ろした。

鉞は表面から5㎝ほど入ったがそこで止まった。

「まあ、こんなものだ。刃が立たん。」

 「鉞が遅いからですよ、ロンさん。」

千の声が二人の後ろから聞こえ二人は驚いて後ろを振り返った。

二人のすぐ後ろにはお盆を持った千が立っていた。

二人は千の接近に全く気が付かなかったのだ。

「不覚を取りました、千殿。又しても千殿の接近に気が付きませんでした。」

「熱中されていたのでしょうね。証之助殿からいただいた和菓子のお土産とお茶を持ってまいりました。どうぞお休み下さい。」

そう言って千はお盆を一番大きな丸太の上に置いた。

「ありがたい。つかまつる。証之助殿もどうぞ召し上がってくだされ。貴公のお土産なのだがな。」

「遠慮なく馳走になる。」

そう言って証之助は皿の上の懐紙に載った和菓子を手に取って口に入れた。

 「千殿、先ほど拙者の鉞が遅いとおっしゃったがそんなに遅いのであろうか。渾身の力を出して振り下ろしているのだが。」

「渾身の力を出し続けてはおりません。渾身の力を出しているのは初動の時だけです。鉞が下がって行く時には力を抜いております。」

そう言って千はお盆から湯のみを持ち上げ上品にお茶を飲んだ。

「そうか。そう言えばそうだったかもしれない。力を入れてはいたが鉞を真直ぐに保とうとして下側には大した力を加えていなかった。」

「打根を打つときも同じでございます。投げ具に最後まで力を加えることが威力を増すことになるのです。この程度の丸太は女子の私でも割ることが出来ます。お見せしますから鉞の早さを感じて下さい。」

 そう言って千は湯のみをお盆に戻し、鉞の柄を右手で持って引き抜き、丸太の少し後ろに立って言った。

「見ていて下さい。この程度の丸太は右手だけで割れるのです。」

そう言って千は右手でぶら下げていた鉞を肩越しに持ち上げて大きく円を描くように丸太に打ち込んだ。

鉞は地面から真上に移動するまでは見えていたが丸太に打ち込まれる時は見ることができなかった。

丸太は奇麗に半切され、鉞は土の地面に刺さっていた。

 「見えなかった。鉞が見えなかった。証之助殿、貴公は鉞が見えましたか。」

「途中までは見えましたが下がって行く鉞は見えませんでした。鉞が丸太を割って木の中に入って行くのは見えました。」

「拙者もだ。千殿、凄い。片手で丸太を半切し、鉞は地面にめり込んでいる。」

「速い動きは近くでは目で追うことができません。トンボや蜂や羽虫の動きは実際には遅いのですが顔の前で飛ばれたら目で追うことができません。刀の動きも同じです。ある程度以上の早さがあれば目で追うことはできません。それだけの早さを刀に伝えるのは制御された連続的な力です。」

「初めて見た。大きな鉞が見えなかった。少し矛盾する言葉だが見えなかったのが分った。」

 「ロンさんの左手はそんな動きができるかもしれません。でも右手も鍛えればそんな動きをさせることが出来ます。皆はそれが出来ると言うことを知らないだけです。腕だけではありません。体も同じです。見えない程の早い動きが出来たら便利だと思いませんか。そんなことはできることなのです。」

「千殿はそんな動きができるのであろうか。いつもいつも千殿が近づくのが分らず不覚を取っております。千殿はそのような体捌きができるのであろうか。」

「よほど気になされていたようですね、ロンさん。気にすることはありません。私は素早く動くことができます。ロンさんが私の接近に気が付かなかったとしても恥じることはありません。」

 「左様か。少し惨めではあるが。」

「しかたがありません。そういうものです。子供が大人に勝てないことは恥じることではありません。私の方がロンさんより早くから生きておりますから。」

「拙者は子供か。」

「子供ではなく赤子かもしれません。未来が広がっている赤子です。こんなに素敵な状態はありません。」

「確かに赤子には未来が広がっている。」

「努力次第でいくらでも上に進むことができます。」

「せめて子供になりたいものですね。」

「もうすぐ子供になりますよ。」

千はそう言って皆の湯のみをお盆に戻し、懐紙を重ねて母屋に戻って行った。

 「ロン殿は幸せですなあ。あんな素晴らしい千先生と毎日会話をなさっている。」

証之助は母屋に戻って行く千を見ながらロンに言った。

「それは実感しております。さっそく赤子から子供になってみますか。」

ロンは半切された丸太を横に移動させ、新しい丸太を地面に置いた。

その丸太は前の丸太より少しだけ太かった。

地面に刺さっていた鉞を取り、両手で柄を握り、千が行ったように背中から鉞を持ち上げ、大きく円を描いて丸太に打ち込んだ。

ロンは鉞が丸太に着くまで力を加え続け、鉞が丸太に当ってからも力を加え続けた。

丸太は奇麗に半切され、鉞は地面に刺さった。

 「割れた。割れ申した。証之助殿。どうしても割れなかった丸太が一撃で割れ申した。」

「おめでとうござる、ロン殿。薪割りに関しては赤子から子供になられたようですな。」

「ありがとうござる。鉞の早さがこれほど大切だとは思っていなかった。太刀も同じであろうな。当たり前だが早ければ切れる。今までの素振りの練習では太刀の早さを意識したことはなかった。どちらかと言えば持久力と慣れに主眼を置いていた。これからは太刀の振り下ろしの早さを主眼にしようと思う。今日よりも明日の方が早く打ち込めることが出来るように練習しようと思う。」

「目標ができて良かったですな。ロン殿。」

 「証之助殿、千殿は骨折だけでなく拙者の剣術も治療してくれているようだ。」

「千先生は名医ですからな。広い分野で治療の術を会得なされているようだ。」

「千殿は医術と剣術が堪能なだけではないのであろうか。」

「拙者には分りませぬ。拙者には医術や剣術は千先生のほんの千分の一か千分の二であるような気がしております。それで拙者は千先生に拙者の殿にお会いして下さるようにお願いした。」

「千殿はなんと。」

「お会い下さるそうだ。」

「拙者は赤子だな。人の気持ちがわからん。」

「千先生に関しては我々は赤子だと思っております。」

証之助はその後ロンに別れをつげ、千と殿との会談の様子を想像しながら治療所から城下町への道を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る