第5話 5、道場での車懸り 

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 数日後、ロンは薬草と書状を町の剣術道場に届けるように言いつかった。

「道場主にはロンさんと試合をするように頼んでおきました。鉄の打根の代りにタンポを付けた樫の細棒を作っておきましたから試合にはこれを使うと良いでしょう。あそこの道場は木刀ではなく袋竹刀を使っていると思います。派手な試合ができますよ。ロンさんが怪我をしたら治してあげますから安心して試合をして下さい。」

千は微笑みながらそう言ってロンを送り出した。

ロンは黒雲に龍が描かれた派手な衣装を着けて出かけた。

 道場は土塀と門構えのある広く立派な屋敷であった。

屋敷内には多くの門弟が其処此処で剣の練習をしていた。

よほど人気がある道場らしい。

子供も門弟に入っているようだ。

整列して高い声を出しながら素振りの練習をしている。

門をくぐると玄関までは石畳で、ロンの派手な姿は庭で稽古をしていた門弟達の目に止まった。

ロンが玄関に立つと門弟達は稽古を止めて事の成り行きを遠くから見守っていた。

 「お頼み申す。お頼み申す。」

「どおれ」のいかつい声が衝立の向こうから発せられ立派な体躯の男がゆっくりと歩いて来た。

「拙者はこの道場の門弟でござる。何用でござるか。」

「拙者はロンと申す。山の治療所から薬草と書状を届けに参った。」

「おお。千先生の所から来られたか。大先生にお伝えする。上がられよ。暫し部屋でお待ち下され。」

「世話になる。」

ロンは玄関から奥の間に案内された。

調度はほとんどなかったが清潔で庭に面していた。

 暫く待つと廊下から老人が数人の門弟を引き連れて現れてロンの前に座った。

「この道場主の剣道と申す。千先生の所から来られたのか。」

「ロンと申します。武者修行の身ですが今は治療所で働いております。今日は千殿から薬草をここに届けるように言いつかりました。」

そう言ってロンは薬草の包みと書状を前に押しやった。

「そうですか。ご苦労様です。」

老人は書状を取って中身を読んで笑った。

「これはおもしろい。千先生は其方を痛めつけるように頼んでおる。相手を順番に増やして行って何人目で其方が負けるかを知りたいそうだ。」

「本当でござるか。」

「本当じゃ。」

「それでか。千殿は出がけに怪我をしたら治してやるとおっしゃっておりました。」

「おもしろそうだな。ワシも見物させてもらおう。吉井、門弟の中から腕の立つ者を道場に集めておきなさい。」

「かしこまりました、大先生。」

 道場は広かった

道場主の剣道大先生は正面の一段高い畳敷きに座布団を敷いて座り、脇息に片腕を載せていた。

「ロン殿、この道場では袋竹刀を使用している。大怪我をしないためだ。それでよろしいか。」

「結構です。長めの竹刀を貸していただきたい。拙者は片手半身の構えで右手には打根を持ちます。タンポで覆った木の棒を用意して来ましたが使ってよろしいでしょうか。だめなら小刀の袋竹刀を貸していただきたい。」

「打根か。実戦向きじゃな。だが今回の対戦相手は一人ではないのだ。用意した打根が一本では間に合わないだろう。小刀を数本腰に挿したらよかろう。どうじゃ。」

「そうさせていただきます。」

「うむ、おもしろそうだ。最初は一対一だ。吉井、始めなさい。」

「かしこまりました。一番。前に出ろ。」

 最初の相手は正眼に構えた。

ロンは竹刀の柄頭を左手で握り、右手には小刀の竹刀を肩に担いだ。

ロンは数秒構えてから右前に飛び出した。

相手の竹刀が少し振りかぶってから打ち下ろして来るのがゆっくりと見えた。

ロンはさらに前に進み竹刀を相手の頭上に移動させて軽く叩いた。

ロンの竹刀の動いた距離は短かったが相手の頭に当った竹刀は撓(たわ)んだ。

「まいった。」

相手は竹刀の圧力を頭に感じて負けを認めた。

 「なかなかやるな、ロン殿。吉井、二人だ。前後から対戦させよ。」

「かしこまりました。二番と三番、前に出よ。前後から打ち掛かれ。」

出て来た二人の門弟はロンの左右に別れて正眼の構えを取った。

門弟の二人は攻撃の方法を考えていた。

左右に開けば右手の小刀は左に投げるしかない。投げた時に右側が打ち込めば防ぎようがないはずだ。

ロンは前と同じように素早く右側の相手に近づき相手の打ち込みを避けながら胴を払い、反転して小刀を左の相手に投げた。

小刀は相手のみぞおちに当った。

胴を払われた相手は「まいった」と言ったがみぞおちに小刀を当てられた相手は声を出すことができずしゃがみこんだ。

 「見事じゃ、ロン殿。休みが必要か。」

「まだ、大丈夫でござる。」

「そろそろロン殿が打たれるのを見られるかな。吉井、三人だ。」

「かしこまりました。四番から六番、前に出よ。自由に打て。」

今度の門弟は左に二人と右に一人でロンを囲んだ。

ロンの左側への素早い動きを二人で防ごうとしたのだ。

ロンは右前に素早く動いてから右後に方向を変えて右の相手の左に出てから胴を払った。

胴を払われた相手の後ろから小刀を左の二人の右側の相手に投げ、相手が小刀を払った時に相手の頭に横から軽い打撃を与えた。

左側のもう一人は仲間が邪魔で打ち込むことができなかった。

ロンは一人となった相手を落ち着いてしとめた。

 「ロン殿、見事じゃ。門弟の皆もよく見ておけ。状況を素早く把握してどのように対応すべきかを考えることが重要なのだ。吉井、四人だ。」

「かしこまりました。七番から十番、前に出よ。自由に打て。」

相手の四人は四角形にロンを囲んだ。

四人の中では攻撃の方法が決まっていた。

同時に打ち掛かるのだ。

一人二人が打ち取られても残りで打ち取ればいい。

真剣とは違う。

打たれても死ぬことはない。

 「はじめ」の合図の直後にロンは真直ぐ進み小刀を正面の相手に少し強めに投げ相手のみぞおちに当てた。

相手がしゃがみこむ右横を通り抜けてから左に飛び、左の相手の打ち下ろす一撃を避けつつ胴を払った。

一呼吸置いてからロンは腰の小刀袋竹刀を抜いて残る二人に対峙した。

二人は同時に打ち掛かって来た。

ロンは右前に跳んで右の相手に後ろから胴を払い、さらに前に進んでもう一人が振り返る時に小刀を投げた。

小刀は相手の左脇腹に強く当った。

 「見事じゃ、ロン殿。さすが千先生が送ってきた武芸者だ。ロン殿の左手は恐ろしく早いな。右手は普通なのだが。体捌きはなかなかの物だ。」

「この前の武芸大会で手首を打ち砕かれて千先生に治していただきました。それ以来左手が早く動くようです。」

「そうか。千先生は奇跡の治療をなさるからな。吉井、そろそろロン殿が打たれる場面を見たいものだ。5人出して囲んでロン殿に狙いをつけさせないように回るように動かせ。」

「かしこまりました。十一番から十五番、前に出よ。大先生のおっしゃるように車がかりで攻撃せよ。」

 5人の門弟はロンを取り囲み右側へ右側へと移動しながら打ち込みの機会をうかがった。

ロンは左手の先にいる門弟の方に跳び込み相手の竹刀が動く前に竹刀を左に払いそのまま相手の眉間に竹刀を打ち当てた。そのまま相手の左を通り過ぎるつもりで前進したが右側から近づいて来た門弟がロンの胴を狙って竹刀を水平に右から払って来た。

右手の小刀は位置が悪く使えなかった。

ロンは左手で相手の竹刀を跳ねとばすしかなかった。

ロンは相手の竹刀をはねとばして相手の右横を通り過ぎるつもりであったが相手は右に動いていたのでに相手の体が邪魔になって進むことができなかった。

ロンはその相手に小刀を投げてみぞおちに命中させたが、その時、頭と背中に激痛を受けた。

残った後ろの二人がロンの背中に突きを入れ、右側の一人が小刀を投げたロンの無防備の右側からメンを決めたのだった。

見える相手の動きはスローモーションのように見えるのだが、後ろの相手の動きは見えなかった。

 「まいった。」

ロンは頭と背中の痛みをこらえながら振り返って残りの三人に左手を向けて構えながら言った。

「止め。勝負あった。」

剣道大先生はそう叫んで試合を止めた。

「ロン殿。ロン殿はこれで致命傷を受けた。残った門弟は後は遠巻きにして待てばロン殿は死ぬ。」

「拙者の負けでござる。相手が動くと予測は難しいと分りました。」

「こちらも5人の車がかりでようやくロン殿をしとめることができた。ロン殿が壁を背にすることができたら5人でもだめだったろうな。」

 「戦場で壁を見つけることは難しいと思います。」

「確かにそうじゃが、この道場は戦場での戦いを仮定してはおらぬ。戦場ではどんな武芸の達人でも大量の弓矢を周囲から射られたら死ぬ。戦は相手の兵士を殺すことを目的としているが武芸は特定の相手に勝つことを目的としている。所詮、目的が違うのだ。」

「肝に命じまする。」

「それにしてもロン殿は強いな。千先生も心強いだろう。」

「恐れ入ります。」

 「千先生に宜しく伝えてくだされ。怪我の治療をしようか。」

「いえ、このままで結構です。頭と背中の痛みは武芸者の勲章だと思っております。」

「そうか。今日はおもしろい試合を見せてもらった。門弟の皆もこんな試合はめったに見ることができないと思うがよい。相手が一人ではない場合は多々あるものだ。吉井、ロン殿を門までお送り致せ。」

「かしこまりました。」

 門弟の吉井はロンを門まで案内しながら言った。

「ロン殿、素晴らしい試合でござった。ロン殿はどこで剣術を習われたのでしょうか。」

「自己流でござる。拙者は武者修行の旅を初めて二年目になりますが、これまでどこの道場でも勝った事は一度もありませんでした。剣術道場で勝ったのは今回が初めてです。」

「他の道場はそんなに強いのですか。」

「そうは思いません。私が弱かったのです。」

「急に強くなられたのですか。」

「そうだと思います。」

「羨ましいことですな。」

「幸運だったと思います。」

 ロンはこの日は町で騒動を起こさず山の治療所に帰った。

「ただいま戻りました。」

「ご苦労様。試合はどうでした。」

「千殿の要望を聞いて驚きました。四人目までは何とか勝ちましたが5人の車懸りの攻撃で打ち込まれました。」

「車がかりですか。確かに道場での試合では相手は倒れないで立っていますからね。動きに邪魔が入ったのですね。」

「そうかもしれませんが、たとえ相手が倒れたとしても邪魔にはなります。剣道大先生は壁を背にすれば勝てたかもしれないとおっしゃいました。」

「いい経験になりましたね。」

「そう思います。ご配慮ありがとうございました。」

「どういたしまして。」

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