第4話 4、馬子との諍い 

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 数日後、ロンは薬草を城下町の呉服屋に持って行くように言いつかり、薬草と書状をもって町に出かけた。

ロンには城下町の景色が前と違って見えた。

所持金がなくその日の食い扶持を必要とする流れ着いた武者修行中の若者の町を見る目と居場所と食べ物の心配がない雇われ武芸者候補の若者の町を見る目は違っていたのだ。

ロンは辺りの人の動きと町の家々の一つ一つの違いを興味を持って観察することができた。

 件(くだん)の呉服屋は容易に見つかった。

その店もこの前来た米屋と同じように大きな店構えだった。

 「頼もう。頼もう。」

ロンは店の暖簾(のれん)をくぐって言った。

「はい、いらっしゃいませ。えー何でございましょうか。」

ロンはまだ破れそうなズボンを履き、道場主の好意でもらった太い木綿の糸で織った厚い生地の稽古着を着ていた。

「うむ。山の治療所から薬と書状を届けに参った。ここでよろしかったでしょうか。」

「あっ、千先生からの薬草ですか。もちろんここでございます。少々お待ち下さい、主人を呼んで参ります。」

そう言ってその男は近くにいた丁稚に主人を呼んで来るように言いつけた。

 「あのー、失礼かと思いますが、貴方様は数日前に先の角の辻で大立ち回りされたお武家様ではございませんでしょうか。」

「なぜそう思ったのだ。」

「私はその場におりました。お武家様の衣装はその時のお武家様の衣装と同じです。商売柄、衣装には目がゆくのでございます。」

「そうか。ワシの衣装はずっと同じだからな。」

「素晴らしい試合でございました。相手は三人でしたし、お武家様はそれをあっという間に一撃で負かしました。」

「運が良かっただけだ。」

 その時、主人らしい男が店の奥から出て来た。

その男も肥えていた。

「私はここの主人の服吉と申します。千先生からの薬草を持って来ていただいたそうで、ありがとうございます。あのー、千先生はお元気なのでしょうか。」

「出かける時には元気そうに見えた。拙者は千殿に雇われていて届け物を届けるように言いつかったのだ。」

「そうでしたか。安心しました。千先生は私の命ですから。」

「届け物は薬草と書状だそうだ。間違いないか確認してくれ。」

服吉はロンから薬草と書状を受け取り、書状を呼んで少し微笑んだ。

 「間違いはございません。千先生からの書状には貴方様にそれ相当の衣服を着せ、着替えも用意するようにと書かれておりました。小半時ほどここでお待ちいただけますか。それとお武家様のお名前をお聞かせ下さい。図柄の選択に必要ですから。」

「すまなかった。まだ名のってなかったな。拙者は龍と書いてロンという。ロンと呼んでくれ。龍を名のるのは恥ずかしい腕だからな。」

「ご立派なお名前です。番頭さん、ロン様に茶菓子をお出しして下さい。それが終わったら見立てを手伝っておくれ。」

「承知しました、旦那様。」

 ロンは真新しい衣服を着て呉服屋をそっと出た。

手には着替えの衣装一式と今まで着ていた衣装が包まれた風呂敷を持っていた。

衣装は少々派手な物だった。

白っぽい薄紫の生地に黒雲を飛び出す龍の絵が描かれた和服に袴(はかま)をつけ、白足袋に畳表の草履(ぞうり)を履いていた。

「拙者はこんな派手な衣服を着ける資格があるほどの腕はまだない」と用意された衣装を前にロンは抗弁したが、主人は「千先生の書状には『地味に及ばず』と書かれておりました」と一蹴(いっしゅう)したのだった。

 その日、千はロンに刀と木刀と打根の矢筒を持って行くように言って送り出した。

そんなわけで、ロンは刀を背中に背負い、右腰に木刀を挿し、左腰には打根の矢筒を下げる格好で風呂敷を持ちながら城下町を歩くことになった。

木刀を挿して派手な格好で町を歩けば棒に当たる。

棒は災難かもしれないし幸運かもしれなかった。

最初は災難の方だった。

 「もし、お侍。どこにいらっしゃるんで。馬に乗らんかい。」

声をかけて来たのは木賃宿の前にたむろしていた馬子だった。

「ワシのことか。これから山に行く。馬はいらない。歩くのは慣れておる。」

「馬に乗ればその派手な着物も汚れないんだぜ。」

「いや。不要だ。」

「不要だとお。こっちが親切に言っているのに。気に食わないサンピンだな。これでも喰らえ。」

そう言ってその馬子は近くの馬糞のかけらをロンに投げた。

馬糞はロンまで届かず、ロンの脚元に落ちて跳ねた。

 「何をする。捨て置かぬぞ。」

「捨て置かぬだとお。サンピン。こっちは朝から客が付かなくていらついているんだ。鬱憤(うっぷん)を晴らしてもいいんだぞ。糞侍。」

「この衣装はワシの唯一の財産だ。財産を損なえば応酬する。」

「応酬するだと。おい、みんな。このくそ侍をいてまえ。」

その声に棒を持って立ち上がったのは10人の馬子達であった。

「まて。それ以上進めばそち達の明日からの生活はないぞ。」

「何をびびっているのだ、えっ。サンピン。」

そう言って馬子達はロンの周囲を囲んだ。

 「しかたがないか。」

そう言ってロンは手に持ったふろしき包みを地面に置き、木刀を抜いて左手に握り、右手を矢筒に入れて打根を取り出し馬子の後ろの道沿いに並んでいた10頭の馬の首に打根を打ち込み始めた。

たった30秒ほどの出来事だった。

打根を首に打ち込まれた十頭の馬は次々と声を立てずに横に倒れた。

馬子達はあっけにとられて自分の馬が地面に倒れて行くのを眺めていた。

まさか相手が自分たちを相手にせず先に馬を殺すとは思ってもいなかった。

馬子達にとってはちょっとした喧嘩が始まる前に自分の家を焼き討ちされたようなものだった。

馬は馬子達の生活の糧なのだ。

 「さてそち達の財産に先に応酬させてもらった。もう、そち達はこの衣装をもっと汚してもいいぞ。相手をする。最初はお前だったな。」

そう言ってロンは矢筒から打根を取り出し、最初に声をかけた馬子に狙いをつけた。

正面の馬子は顔色を変えた。

動いていない馬ではあったが遠くに離れた馬の首筋に正確に打ち込んで一撃で馬を倒した鉄の棒。

それが自分を狙っているのだ。

こんな近くから打ち込まれたらよけることは出来ないし、鉄の棒は体を突き抜ける。

最初に殺されるのだ。

自分が最初に殺されたら、仲間は必ず逃げ出す。

だれだって命はおしい。

 「まいった。勘弁してくだせえ」と言ってその馬子は棒を投げ捨てて地面に土下座した。

「分った。勘弁する。そうしておれ。次はだれかな。」

そう言ってロンは背後の正面にいた馬子に狙いをつけた。

狙われた馬子は慌てて棒を放り出して「ご勘弁を」と言って土下座した。

「分った。勘弁する。そうしておれ。次はだれかな。」

もうだれも反攻する者はいなかった。

馬子の全員は土下座したままぴくりとも動かなかった。

 「分った。ワシの姿が見えなくなるまでそうしておれ。」

そう言ってロンは周囲に落ちていた投げ具を拾い、馬に近づき、首に刺さった打根を馬の首に足をかけて抜いて行き、近くに落ちていた手拭で血糊を丁寧に拭って矢筒に収めた。

「そち達の財産の方が高価だったようだが、この服はワシの財産の大部分なのだ。あいこだな。そち達に怪我がなくてよかった。命は財産より貴重だからな。」

そう言ってロンはゆっくりと歩を進めた。

馬子の誰かが立ち上がって向かって来るかどうかを気配で分るかどうかを確かめたい気持ちもあった。

 通りの両側には既に見物人が立ち止まり成り行きを見守っていた。

ロンが角を曲がって山に至る道に入ると後ろから声がかかった。

「あいや、ロン殿ではござらんか。」

ロンが立ち止まり後ろに向くと中年の侍が立っていた。

「拙者でござるか。んー。証之助殿と申された方ですな。先日はいかいお世話になり申した。」

「証之助でござる。拙者とロン殿とは縁があるようですな。今度もロン殿の素晴らしい手技を見せていただいた。」

「お恥ずかしい。まだ修行中でござる。」

「いやいや素晴らしい手技でござった。鉄の棒は馬の首の反対側まで突き出ておりました。馬を一撃で倒されたら騎馬武者はなす術がござらん。あれは何でござるか。」

「先を尖らせた鉄の棒です。鉄の矢という所でしょうか。」

「先日見た半身の構えの完成形ですね。」

「いや、まだ未完成です。ほんの数日前に考えついただけのものですから。」

 「貴公のことは調べさせてもらった。お城の武芸大会に出られ、最初の試合で例の大男と対戦なされたのですな。」

「すぐに負け申した。」

「貴公の構えは正眼と書かれてあったが変えたのであろうか。」

「変え申した。手首を打ち砕かれて千殿に治してもらったら前より良く動くようになったので片手半身に変え申した。あの時の立ち会いが初めてだったが。」

「千先生は奇跡の治療をなされますな。」

「今でも信じ難い気持ちでござる。」

 「治療所では武芸の鍛錬をなさっておられるのですか。」

「いや、働いております。今の所は毎日きこりですね。大樹を上り下りして枝や幹を切っている。もうすぐ丸太を薪に切る仕事になります。」

「樹の上り下りと丸太切りですか。千先生はロン殿を強くしようとしているようですな。」

「うむ。拙者もそう感じている。拙者にはまだ体捌きができていないとおっしゃっておられた。木登りは得意になりました。」

 「ロン殿は幸せですな。千先生は女子なのに武芸にも造詣が深いのですか。」

「ワシなど足下にも及ばんと思う。まだ見たことはないが底が見えないほど強いと感じている。千殿が大樹に打ち込んだ打根は今だに拙者には抜くことができんのだ。」

「そんなにお強いのですか。若い女子の身で山の中で一人で生活しているのですから当然かもしれませんが。」

「そうかもしれん。」

 「今度、貴公を尋ねて山の治療所に伺っても良いであろうか。」

「それは拙者にはわからん。拙者は千殿に雇われている身だ。千殿が了解すればいいのだろうが、治療所に患者が来たのはまだ数日間のことではあるが見たことが無い。」

「分り申した。千先生を尋ねて行くことにしよう。」

「それがよろしゅうござる。」

 ロンは治療所に戻って千に町の出来事を報告した。

「よい経験をなされましたね。その衣装は経験を積むための餌みたいな物だとお思い下さい。」

「少し気恥ずかしいが、いい衣装だと思う。」

「剣術道場にも出かけることができます。」

「道場でまた瘤を作ったらよろしくお願いします。」

「分りました。でも、もうあまり瘤はできないと思います。それより寸止めの練習をしておいた方がいいですね。」

 「拙者の腕は上がっているのでしょうか。」

「上がっていますよ。何よりも気が動転しなくなっていると思います。体捌きはもう少しですね。今は準備期間です。」

「それから先ほど話した証之助という侍が千殿を尋ねて来るかもしれません。」

「分りました。お掃除でもしておきましょう。」

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