第3話 3、鉄の打根 

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 ロンは荷車を引きながら先ほどの立ち会いを反芻(はんすう)していた。

相手の動きはゆっくりと見えたが自分もゆっくりとしか動けなかった。

自分の動きは結局自分の身ごなしができていないからだ。

左手は本当に素早く動かすことができたし、その力も強い。

左手だけが頼りだ。

左手を前に出して半身に構えることは相手から距離を取ることができるし、右手を何か軽い物を持てば別の攻撃もすることができる。

そんな姿を想像しながらロンは山の治療所に戻って行った。

 荷車を石段の横に置いて米俵を肩に載せて石段を上がって治療所の玄関に到達した。

そのまま玄関を迂回して裏庭の方に歩いて行った。

千先生は薬草の花壇に水を撒いている所だった。

「ただいま戻りました。米俵はどこに置いたらいいでしょうか。」

千は立ち上がってロンを見つめてから言った。

「ご苦労様でした。母屋の横の物置の中に立てて置いてくださいな。」

「了解した。」

ロンは物置のそれにふさわしそうな場所に米を縦に置いてから引き戸を閉めて千の前に行ってから言った。

「先ず先にお詫びをしたい。拙者、そなたがこの治療所の娘さんだと思っていた。町でそなたがこの治療所の医者だと分った。これまでの非礼を詫びたい。」

「いいのです。私が若く見えたからそうお思いになられたのだと思います。」

 「千先生の治して下さったこの左手は凄まじいものだった。相手の剣より早く自在に動かすことができた。」

そう言ってロンは町での米屋の応答と路上で起った三人との立ち会いを詳細に千に報告した。

「活躍なされたようですね。何か見出せましたか。」

「うむ。帰りながらずっと考えていた。この左手があることで出来ることだが、半身で構える有利性を見出したような気がした。」

「それは良うございましたね。後は体捌(たいさば)きと右手の利用法ですね。」

「そう思う。今回は相手が前から来てくれたので左手だけで対処できたが、後ろや横から来られたらだめだったと思う。目では見えるのだが自分の体が素早く動かないのだ。」

「武者修行は戦いの訓練です。戦いは相手が一人だけとは限りません。戦場では相手が多数の場合があります。」

「そうだな。刀ではだめだろうな。速く動かないし複数の敵には不向きだ。」

 「飛び道具を持たれたらどうでしょうか。」

「手裏剣でござるか。」

「はい、十歩も離れれば手裏剣は弱い武器ですが、数歩の近距離での手裏剣は威力がございます。」

「確かに。近距離では避けきれない。短刀のようなものを投げるのであろうか。」

「短刀は短いですから真直ぐ飛ばすのは大変だと思います。打根か弓矢の矢のような物が適当だと思います。」

「打根か。それはいいな。だが打根は高価だし矢は重さがないな。」

「それに打根の場合には相手から投げ返される場合がありますね。相手に打根を拾われたら脅威です。」

 「そんな場面を想像しただけでぞっとする。千殿の考える武器を教えてほしい。」

「先ず安価であること。回収を考えないこと。何個も所持できる物。こちらから投げるときは十分な威力を持ち相手が投げるときには威力が無いことだと思います。」

「最後がわからん。そんな都合のいいものがあるのだろうか。」

「一つ一つに予め投げ具を付けておけばよいと思います。」

「そうか。投げ槍の投げ具の小型版を付けておけばこちらが投げる時には投げ具を使えるが相手が投げるときは使えないわけだ。それに、投げ具を使うなら打根のような羽もいらない。先を尖らした一本の細い鉄の棒で言いわけだ。」

「節を持つ鉄の棒なら相手の白刃を防ぐことができるかもしれません。」

「何かワクワクするな。道場での試合でも先端をタンポで包めば使えるな。重い木の棒でもいいわけだ。ところで拙者の次の仕事は何であろうか。」

 「ロンさんはおもしろい方ですね。そうですね。一休みしたら薪を作ってもらいましょうか。この家の奥からは山が立ち上がっております。山には大きな樹が生えております。最も近い位置にある樹を切って薪を作って下さい。」

「樵夫(きこり)でござるな。鋸で切るのですね。初めての経験です。」

「慣れていないと少し恐いかもしれません。」

「なんの、木刀を持った三人の男と比べれば何ともありません。」

 ロンが小屋の前にあるに野外作業台の所で待っていると千は三本の竹筒の水筒を持って来た。

「それでは場所にご案内致します。後に付いて来て下さい。」

千はそう言って最初に物置小屋の方に歩いて行った。

物置小屋で千はロンに大きな鋸と数本の鎹(かすがい)と金槌を持たせ、いくつかのロープの束を肩に掛けさせ、敷地の山側に歩いて行った。

千が止まった場所は太さが50㎝ほどの大木の前だった。

高さは20mもありそうだった。

 「この樹が薪の材料です。樹の切り方をお教えします。先ず、樹の最上部に行って周囲の枝を切って下さい。枝は落としても結構です。次に樹の幹を40㎝ずつ切って下さい。切った幹は相当重いですから切る前にロープを巻いて鎹(かすがい)でロープを止め、ロープの端を脚元の幹に巻いて縛って下さい。切り落とした幹はロープで吊るされた形になります。幹に縛ったロープを解いてゆっくり地上に降ろして下さい。地上まで降りてロープを外して下さい。これで一工程が終わりです。これを繰返して樹の高さを少しずつ減らして行きます。樹は高いですから落ちれば死にます。作業中は必ずロープを体に縛ってロープの端を樹にしっかりと繋いでおいて下さい。今日は最初ですから元になるロープを樹の上から垂らしておきます。天辺にまで通じているロープは便利です。ロープには等間隔で結び目が作ってありますから上り下りに便利です。」

 そう言って千は結び目のあるロープの端を腰紐に通し、短めのロープを取って下から2番目の枝に投げ、落ちて来たロープを引っ張って2本にし、体を幹に対して直角にして幹を駆け上った。

最初の枝に達すると後は枝を伝って見る見る間に樹の天辺に達してしまった。

天辺近くの幹にロープを結びつけると、そこからは再び幹に対して直角の姿勢を取って歩くように幹を下って地上に着いた。

「最初のうちは私のような身のこなしは出来ないでしょうが何度か樹を上下すればそのうち身に着くと思われます。」

 ロンはあっけにとられて口がきけなかった。

美しい娘が猿のように大樹の天辺に散歩でもするように上り、幹を後ろ向きに歩くようにして地面に着いた。

しかも息切れもせずに涼しい顔をしている。

「恐れ入った、千殿。全く恐れ入った。本当だ。」

「慣れているからでございます。」

「すまんが最初の枝に登るのだけ見ていてくれんか。自分でも自信がないのだ。」

「よろしゅうございます。木登りは誰も最初は恐ろしいものです。」

「すまん。」

 そう言ってロンは2番目の枝に掛かった2本のロープをつかんで体を幹に対して直角にしてみた。

自分の体が自然に足を下にして幹と平行になろうとしたがロンはその気持ちを断ち切って幹に直角に保った。

左手の強い筋肉が助けになった。

ロンはなんとか最初の枝に足を載せて枝の上に立つことが出来た。

「上手でしたよ。これから上の枝に登って行くのですが必ず安全ロープで体と樹を結んでおいて下さい。その枝から落ちても大したことはありませんが、そこより高いと死ぬことになります。生きていれば治せますが死んだら治せません。」

「あい分った。もう少し見ていてほしい。」

「分りました。」

 ロンは苦労してようやく樹の天辺まで登り切った。

樹冠付近からの景色は山の上から見る景色とは違って見えた。

「絶景でござるな、千殿。」

「後はよろしくお願いします。お気をつけて。」

「了解した。楽しみだ。」

そう言ってロンは最初の細い幹を鋸で切り落とした。

その時には千の姿は母屋の方に向かっていた。

 ロンは大樹の天辺から順に枝を切り落とし幹を切り取ってロープで下ろした。

その度にロンは大樹を上下した。

ロンは千がロンに与えた仕事がロンの身のこなしを鍛えるためであることは分っていた。

薬草を届けて米俵を貰うことができる千なら薪を届けてもらうことは容易だろう。

ロンは修行だと思ってなるべく右手を使って鋸で木を切った。

切り落とした枝が多くなれば枝葉を鋸で切り落として枝も薪の材料になるように40㎝の長さに切って一カ所に奇麗に並べておいた。

大樹の高さが四半分ほどになった頃には日は大分傾いて来た。

ロンが地上の整理を終えたころ千がお盆を持って近づいて来るのが見えた。

 「今回は先に千殿を見つけましたから気配に気付かないことはありませんでした。」

「気になさっておられたのですね。別に忍び足を使っている訳ではないのですが。」

「しかし、武芸者としては恥ずるべきことです。」

「そうですね。でも人の気配を感じることが出来るようになるには相当は鍛錬が必要ですし、弓矢で射られた矢にまで気配り出来るようになるには剣豪の域に達しなければなりません。」

「そうだな。程々で我慢せねばならんな。」

 「お茶を持って来ました。少しお休み下さい。」

「有り難い。馳走になる。」

そう言ってロンは立ったまま大きめの湯のみを両手に持って少しずつ緑茶を飲み始めた。」

「先ほど話していた打根の代りになるものを作ってまいりました。見てみますか。」

「早速か。是非とも見せてほしい。」

千は腰に下げていた矢筒の中から一本の鉄の棒を取り出した。

その鉄の棒の片方には4分割された竹が節を先にして挟み込まれていた。

「これでございます。急いで作ってみたので粗製ですが威力はあると思います。」

そう言って千は鉄棒の打根をロンに手渡した。

 「この竹が投げ具ですね。竹の節が鉄棒の先を押すのですね。」

「左様にございます。先ほど試してみましたが何とか使えるようです。」

「どう使うのだろうか。」

「お見せします。切りかけの樹が的です。」

千は矢筒から1本の打根を取り出して肩に担ぐように鉄棒の真ん中より少し後ろを持ち、中指と薬指と小指で竹を握り、親指と人差し指で鉄棒を摘んで樹に向かって竹で押し出すように投げた。

鉄棒は幹に突き刺さった。

「次はその上40㎝、次はその上40㎝。」

そう言いながら千は鉄棒を的の幹に正確に縦に一直線に打ち込んだ。

 「凄い、千殿凄いな。等間隔で一直線だ。それに早い。三本投げるのに数秒しかかからなかった。」

「狙いには手練が必要でございますが、投げるのはだれでも容易にできます。やってみて下さい。」

ロンは千が投げたと同じように幹に向かって投げた。

鉄棒は少しだけ幹に刺さり後端が垂れた。

「まだ威力は小さいが幹には刺さった。棒は回転しなかったから距離はあまり関係なくなる。ありがたい。何となく片手剣の型がきまってゆくような気がする。」

「ようございましたね。この矢筒と打根をさし上げますから夜の間でも練習されたらいいですね。」

「ありがとうござる。そうさせてもらう。」

 ロンは矢筒に打根を仕舞うために幹から打根を抜こうとした時に驚いた。

ロンが投げた打根は簡単に抜くことができたが千が投げた三本の打根は抜くことができなかったのだ。

打根はまるで5寸釘を金槌で打ち込んだように幹にしっかりと打ち込まれており、びくともしなかったのだ。

ロンは残った打根を幹の打根と重ねて見ると千の打ち込んだ打根は幹の中に4㎝も入っていることになる。

 「千殿、千殿の打根の手練は狙いだけではないですね。深く刺さっています。強弓でもこんなに深くは刺さりません。こんなに深く刺すことができるのは重い槍だけですよ。」

「私の腕の力はロンさんより少し強いからそうなりました。鍛えればロンさんもできますよ。」

「がんばってみます。」

 「今日のお仕事は終わって下さい。ロープを下ろして米俵を置いた物置に置いておいて下さい。鋸(のこぎり)は木屑を取ってから油を塗っておいて下さい。ぼろ切れと椿油は物置にあります。鎹(かすがい)と金槌も同様にしておいてください。」

「了解した。」

「夕食は日が沈んだ時です。朝食を食べた作業台でお待ち下さい。」

「ありがとうござる。腹ぺこでござる。」

「そうでございましょうね。今日は色々ありましたから。」

「充実した一日だったと思う。」

「ここにはロンさん用の風呂はありません。体を洗うのは水場で行って下さい。時々町の風呂屋に行かれたらいいですね。」

「了解した。当然だ。」

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