第15話「何時か帰る場所」
力が欲しかった。
大切な人を守れるだけの。
大切な人の笑みを守るだけの。
地位や名誉何て要らない。
貧困や差別に苦しんだって良い。
ただ、母を守れるなら他には何も要らなかったと言うのに……。
天はバウルの母の命を非情に奪い去った……。
「ごめんな母さん……、暫く顔を出せなくて寂しい思いさせたよな?」
この人の為なら死んでも良いと思っていた。
この人の為なら喜んで人の道を外れても良いとすら思っていた。
そんなバウルの母は、今彼の眼前に建てられた墓の下で眠っている。
もう二十年近く前の話だ……。
元々病弱な人だった。病弱なのに女手一つでバウルを養い。
休む暇も無く働き続け、流行病を患って驚く程も呆気なくその生涯を閉じた。
自慢の母だ。恥じる所等何一つ無い高貴な人だった。
「ごめん、本当にごめん……。母さんの名を汚してばっかりだよ……。きっと俺のこのどうしようも無い性分は親父に似たのかな? 出来れば母さんに似た誇り高い人間に生まれたかったよ」
父親、と言ってもバウルは父の事を何一つ知らない。
顔も、名も、そもそも存命か他界しているのかすら知りはしない。
知りたくも無い。興味も無ければ、存在すら許しては居ない。
どう言った経緯で母が片親の道を選び、父との別離選んだのか。母の存命中問い掛けた事は無かった。
名を、顔を知っていたら多少の興味を抱いたのかも知れないが。
何一つ父の情報は無く、初めから居ないのが当たり前だったのだ。
そんな男の事を問い掛けたとて母を困らせるだけだと悟っていたからこそ。バウルは父に関して母に問う事は最後まで無かった。
その決断を後悔する事は今までも、そしてこれからも無いのだろう。
母を、彼を捨てた男だ。逸そ死んでくれていた方が清々する。
「最後に此処を訪れてから3年は経ったよな……。久し振りに来る勇気が出てさ、どんだけ荒れてんだろうって心配してたけど。キレイなもんだな……」
母の墓は何も無い草原の中にポツンと佇んでいた。
見渡す限り草原が広がる本当に何も無い場所だった。
人が好んで訪れるような場所では無い。彼等母子にとっては思い出深い場所なのだが。
母が安らかに眠れるようにと敢えてこんな閑散とした場所に墓を建てた事を、放蕩している間悔やんだものだが。
それも杞憂に終わったようだ。
「全く……、お節介焼き共が手入れしてくれてたんだな……。雑草一本生えてやがらねぇー上に花まで添えてあんのかよ」
墓石は綺麗に磨かれ、墓周辺は定期的に手入れが為されているのが歴然な程整っていた。
墓前には少し枯れた花が添えられ、彼以外の人間が定期的に此処を訪れている事を教えてくれた。
「リズか……ゼーゲンか? アーデンの可能性もあるな。正か……、ライツが来てた訳は……流石に無いよな?」
「その正かだ。お前が余りに放っておくから、親御さんが寂しい思いをしないように全員で参っている」
唐突に背後から声がした。
こんな場所……。嫌、ただの草原にしか見えないが此処はバウルが所有する私有地だ。
許可の無い他人が此処を訪れる事は無い。
資産と呼べる物は何もかも失ったが。此処の所有権だけは何があっても手放す事は無かった。
手放す訳にはいかなかった。
母の安らかな眠りを守る為に……。
暴王と呼ばれ忌み嫌われた男の私有地。
普通の神経の持ち主ならまず足を踏み入れる事は無い。
嫌われ、疎まれ、落ちぶれて行方知れずになったとしても。
そんな男の私有地に勝手に踏み入った事が知られれば何をされるか分かったものではないから。
暴王に纏わりついた悪評の大きさがそのままこの地への恐怖を助長している。
だから、一般人が此処を訪れる事は無い。
だから、背後に居るのはバウルが良く知る人間以外考えられない……。
「アーデン……か?」
「私の声がライツにでも聞こえるか? アルコールで耳までやられたとは嘆かわしい……」
バウルは敢えて振り向く事は無く、墓を向いたまま声の主に語り掛けた。
確認を取るまでも無い。何万と聞いた懐かしい声だ。
その声だけで背後に居る人間が誰なのか察したと言うのに。
バウルにアーデンと呼ばれた男は嫌味を返した。
実にこの男らしい返答だ。溜息が溢れる。
本来ならアーデンの方へ振り向きたくは無かった。
彼に合わせる顔が無かったから。
最後にアーデンと会った時、アルコールで冷静な判断が出来なかったとは言え酷い事を言ってしまった……。
もう一月近くも酒を飲んでいない。
だから、尚更あの日の言葉が鮮明に脳裏に蘇り。
馬鹿な事を言ってしまった。そんな後悔がアーデンの顔を見る事を躊躇わせたが。
アーデンの昔と変わらぬ馬鹿にした言い回しに、彼がバウルの発言を許してくれているように感じたから。
「ったく、久し振りに会ったって言うのに嫌味かよ。相変わらず性根がひん曲がってんな」
「久し振りに会えたからこその嫌味だ。私が此処まで遠慮なく発言できるのはお前とライツだけだ。光栄に思え」
「思いたくもねぇーよ! 何様だテメーは!」
「王国騎士団長様だ。平民に成り下がった分際で頭が高い、分をわきまえろ」
ああ、もう……!
何なんだコイツは!
嫌味嫌味嫌味嫌味、何を言っても嫌味しか返って来ない。通常の会話をする気が端から無い。
この男と会えば何時もこうだ。
ライツとは殴り合いの喧嘩にある。
アーデンとは口撃の応酬になる。
リザニエルはリザニエルでまるで親気取りで口煩い事この上なく。
ゼーゲンはこのアーデン以上に偏屈で嫌味ったらしい事しか口にしない。
俺の昔馴染にはマシな奴は居ないのか!
そう嘆いたバウルだったが。一番の変人は彼自身なのだから釣り合いは取れているとも言える。
「すまない……、本当はもっと気の利いた言葉で向かえてやりたかったんだが。お前の姿を見るとどうしても昔の癖で嫌味ったらしくなってしまう。許せバウル」
「さ、最初からそう言えバカ!」
ここまで来たらもう暴力だ。
アーデンの言葉の暴力で立ち眩みを覚えてしまったバウルだったが。
久々に会って尚以前と同じ口撃を繰り出してしまった事に後悔を覚えたのだろう。
言葉に窮し、困惑するバウルにアーデンは謝罪した。
アーデンの急な態度の変化にバウルは戸惑いながらも悪態をついてみせる。
「言ったろ? 私が此処まで気を遣わずに話せるのはお前とライツだけだと。お前も気なんて遣わなくて良い。あの日の言葉が邪魔をして私と顔を合わせづらいと感じていたなら気に病むな。お前が無事でいてくれた、それだけ知れれば十分だ。良く戻ったなバウル。この3年お前の身を案じない日は無かったぞ」
そんなバウルの照れ隠しに、アーデンは穏やかな笑みを浮かべて続けた。
アーデンの笑みを見るとバウルは言葉を失った。
何もかも嫌になり、全てから逃げ出して捨て去った筈なのに。
彼の大切な人々は彼の事を片時も忘れる事は無く思い続けてくれた。
リザニエルも、ゼーゲンも、このアーデンすら顔を合わせたら何を言われるか……。
そんな怯えを抱いていたと言うのに、皆優しい言葉で出迎えてくれた。
「バカ……みてぇーだな。こんなにもあっさり俺の罪が許される何て。ホント……この3年何に怯えてたんだよ俺は……」
感謝しか無かった。
後悔しか無かった。
酒に溺れ、勝手に自滅したこんなクズを待ち続けてくれていた。
それが何よりも嬉しくて。
それが何よりも彼の心を締め付けた。
「お前がバカなのは今に始まった事では無いだろ? お前は何も気にするな。約束したろう? お前達の背は俺が守ってやると。不出来な弟達と妹の後始末は俺がしてやる。その為に騎士団長まで上り詰めたんだ。もっと甘えろバカウル」
普段なら「誰がバカウルだ!」そう食って掛かっていただろうが。
アーデンの一人称が「俺」に変わった事に気付くとバウルは笑みを浮かべた。
「俺ね……。成人してからお前が自分の事をそう呼ぶの初めて聞いたぞ?」
「悪いか? 俺だって好きで「私」何て気取った一人称使っていた訳じゃない。お前達が余りにも手を焼かせるから先生を助力する為に無理して振る舞っていただけだ。本当に、先生は辛抱強くお前達を育てたと思うぞ」
「確かにな……、俺だったら「うるせぇークソガキ共!」って怒鳴って殴り付けてたぜ。その点兄貴はいっつも悪さしかしねぇー俺達をニコニコ笑って見守ってくれたからな。スゲェーよ」
兄か……。ザイン一人が兄だと感じていたが、もう一人自分を弟だと想って居てくれた男が居た事を知ってバウルは安堵した。
背を守る……。母にも、ザインにも、アーデンまでに守られていたとは本当に人に世話を焼かせてばかりの大バカだ。
「んで……、そのもう一人の問題児のライツは? 流石にアイツとは殺し合い寸前の喧嘩をしたんだ、怒ってんだろ?」
「あぁ、怒っていたな。お前が無事な報せを一向に送って来ないと会う度に憤慨していた。お前が王都に戻ったと一報を入れたら「直ぐに戻るから、俺が帰るまでお前を逃がすな」と速達で返って来たぞ。ライツが戻ったら一発ぐらい殴らせてやれよ? 俺達の中で最もお前を案じていたからな」
「嫌だね、あんな脳筋バカの一発まともに食らったら今の俺なら即死すんだろ!」
「確かに……、リズと言いライツと言いどうして単純な奴程攻撃力が高くなるんだろうな?」
「さぁ、常識を知らない分、
「ハハハ、その通りだな。あの二人に比べたら攻撃力に劣る俺には羨ましい話だ」
それからは本当に他愛無い会話を繰り返した。
自分で捨て、勝手に開けてしまった3年の空白など無かったように。
以前の彼等と変わらぬ穏やかな時間を過ごした。
それも全て今は彼の背後で眠る母が再び繋いでくれたように思えた。
それも全て今は亡き兄が繋ぎ止めてくれているように感じられた。
「そういやお前兄貴の息子の事は聞いてるか?」
「カイツくんの事か? ゼーゲンさん伝に一応はな……。ザイン先生を守れなかった手前合わせる顔が無くて会う機会を逸してしまった」
「兄貴に容姿も性格も全部似て生意気だぜ?」
「そうなのか?」
「驚くくらいそっくりさ……。あんまりにもそっくりだから、初めて会った時は兄貴が向かえに来たと思って死を覚悟したくらいなんだからよ」
「何だそれは……、どうせ酒に酔ってたんだろ?」
「う、うるせぇー! 酒が抜けちまって禁断症状が出てたんだよ!」
あぁ、此処は居心地が良いな……。
こんなクズでも気に掛けてくれる兄弟が居る。
だからこそ此処にはもう居られない。
全てが終わったらこの街を離れよう……。
「お前も気にせず会えば良いさ。あの子ももう割り切ってるようだし……。それに、お前も兄貴の息子に会いたいだろ?」
「それは、まぁ……な。ゼーゲンさんにも同じような事は言われた。カイツくんの実力の方も聞いている。彼に相応の実力があり魔法使いへの道を駆け上って来るなら時が来れば会える、だから今はその時を楽しみに取っておく事にしている」
アーデンらしい答えだ。昔から彼は辛抱強かった。
口よりも先に手が出てしまうバカ三人の中で。常に冷静で、平等で、仲裁役ばかりを押し付けられていた。
変わらないな、本当に……。
変わってしまったのは状況だけだ。
「カイツくんと手合わせする話はゼーゲンさんから聞いている。それが終わったら又この街を出ていくのか?」
「あぁ……、やっぱバレてたか?」
「見え見えだ。カイツくんの話をしているお前は辛そうな顔をしている。もう……彼も割り切っているんだろう? お前が全てを背負い込む必要は無いだろう?」
だからこそ、その変わった状況に身を置くのが辛くて仕方が無かった。
時は流れる、生きている以上当たり前の話だ。
ザインが生きた日々を一日一日、着実に過去に置き去りにしながら。
確実に悲しみは日々の経過と共に風化して。皆の心の中で過去は美化され、思い出に変わり。
そして……、そして新たな幸福を探してしまう。
「母さんはよ、俺にとって全てだった。なのに守れなかった……。自暴自棄になって、メチャクチャやって、バカでアホで救いようの無かったクソガキの俺を救ってくれたのが兄貴だ。兄貴のお陰でリズも、ライツも、お前にも会えた。兄貴が繋げてくれた
それがバウルには耐えられなかった。
大切な人を過去に置き去りにする事を彼が許す訳が無かった……。
リザニエルが今の彼の言葉を聞いたらどう答えただろうか?
ライツが今の彼の言葉を聞いたらどう答えただろうか?
ザインが今の彼の言葉を聞いたらどう諭しただろうか……?
「お前自身が許さないか……。お前らしい答えだ。別に俺は止めはしないさ」
そんな事愚問だ。考えるまでも無い。
今彼の傍らに居るのはその誰でもない。
アーデンフロイト・シュピーザなのだから。他者が掛ける言葉など鑑みる必要も無い。
「俺の良く知るバウル・コズウェルは我が道を行く男だ。お前の好きにすれば良い。お前が決めた選択なら俺は尊重する。ただ忘れるな、お前には帰る場所がある事を。何時か放浪に疲れて行き場を失ってしまったら又帰って来い。そして、昔みたいにバカみたいな話を皆で笑ってしよう。俺達はお前の帰りを何時だって待ち侘びているからな」
アーデンフロイトらしい実に清々しい言葉だ。
常日頃、嫌味ばかり口にすると言うのに。誰よりもバウルの意思を尊重し、誰よりも彼を思いやってくれる。
「あぁ、何時かな……。又王都を出たらやりたい事は決まってるし。前みたいに放蕩するつりもはないから安心しろよ」
「やりたい事?」
「酒浸りで浮浪者同然だった俺を王都まで連れて来てくれた人が居んだよ。何を好き好んでか、クズ同然の俺を救ってくれた女性が居たんだ。あの時は誰とも関わりたくなくてヒデェー態度取っちまって、礼の一つも言えなかったから……。この国を探し回ってその
バウルの話を聞くとアーデンフロイトは目を丸くした。
今まで浮いた話の一つも無く、もう30を向かえると言うのに色恋沙汰にはとんと疎い男だ。
そんな男が王都を出たら女性を探すと言うでは無いか。
意外だった。母以外の異性の話をこの男が口にする所何て二十年近い付き合いの中で初めてだったから。
彼は思わず……。
「バウル……、放蕩とは酒だけでは無く女性に溺れる事も言うのだぞ? それは放蕩では無いか?」
真顔でバウルの言葉に対して
「お、溺れるッ! チゲェーよ! 会って礼が言いたいだけだって!」
あぁ……、突っ込みを入れた途端顔を真っ赤にして恥ずかしがってる。
相変わらず初な奴だ。おちょくり心が擽られてしまうでは無いか……。
「国中を探し回って尻を追い掛けるのだろう?」
「だからチゲェー! そ、そう言う邪な感情はねぇーって!」
「邪とは誰も言っていないが……。そんな考えが過ると言う事はあわよくば……などと考えているのではないだろうな?」
「あわよくばって何だよ!」
「あわよくばと言えば姦淫に決まっているだろう」
「カンイン……て何だ?」
「性交渉の事だ」
「せ、せせ、性交渉ッ? 何でそうなんだよ! 礼が言いたいだけだって言ってんだろ!」
それからは他愛ない、本当に他愛ない会話が続いた。
イジればイジる程良い音を立てて鳴る、イジりがいのある鐘だ。
自分の言葉に顔色を七変化させ、感情を露にするバウルを微笑ましく見つめながらアーデンは心の中で願った。
この先どんな未来が待っているかなどただの人間でしかないアーデンフロイトに知る由は無い。
だからこそ、この男が幸せになる結末が待っているように……。
そう願いながら。
「何故お前は性的な話になると取り乱すのだ? した事が無い訳でもあるまい?」
「う、うるせぇーほっとけ!」
「し、した事が無いのか!」
「だからもうほっとけって!!!」
アーデンフロイトのバウルイジりは、彼がイジけるまでその後も続いたのだった。
「バウル、お前正かどうて……」
「だぁーーー! もうやめてくれぇーーー!」
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