第11話「失われし魔術」

 ザッザッ――。カイツは山の中を歩いていた。

 何故彼が山の中を歩いているのか、それは前話でゼーゲンが語った通り彼に仕事を依頼されたからだ。



「モキュッキュッ……」


「何笑ってるんだよフィル? 僕に山道を歩かせて、自分は頭の上で悠々自適か?」



 コレハが行方を眩ませて5日、特に何事も無く平穏な日々が続いた。

 嵐の前の静けさ…、そうなって欲しくは無いが。

 ゼーゲンに彼の探索を以来して以降何の手掛かりも見付かっていない。


 それは即ちゼーゲンの息が掛かっていない所に彼が居る事を示している。

 ゼーゲンの息が掛からぬ場所、間違い無くルドの町だ。



「モキュモキュ、モキュ」


「別に礼を言われる程の事はしてないよ。確かに、皆があの人を気に掛ける訳だ。あの人が発してる魔力……、あれは異常だね。父さんを超えてる。下手をしたらお姉ちゃんクラスだ」



 不安はある……、と言うか不安しか無い。

 馬車に乗って通常なら半月、往復で一月程ルドまでの距離はこの王都から離れている。

 どれだけ早い馬に乗ったとしても片道一週間は掛かる。


 だが、あちらのトップに居るのはこの国有数の土属性魔法使いだ。

 陸続きの王都とルドの道程など一週間もあればお釣りが来るくらいだ。


 と言うか、実際アレハは既に王都に着いている訳で。コレハが王都を離れたであろう日から僅か4日でその道程をやって来たと言うのだからお釣りが来すぎにも程があった。


 ベッケンシュタイン家の人間と分かった上でアレハに会うのは本当に気が重い。

 出来れば会いたくは無い、だが逃げる訳にもいかない。

 だからこそ、カイツは今自分に出来る事。ギルドから斡旋される仕事をこなす事にした。


 ギルドからの仕事、と言うより今回の依頼はゼーゲンの個人的な頼みだった。


 カイツはゼーゲンの依頼を果たす為に山道を歩いている訳で。

 目的地に着くまで歩く他にやる事が無い以上、常に傍らに居る相棒と会話をするのは必然であり。


 弟と呼んだカイツにばかり歩かせて、頭の上でほくそ笑んでいるフィルにカイツは率直な意見を返した。



「モキュキュ?」


「あれで属性魔術が使えないって言うのが信じられないよ……。煽る意味であんな事言ったけど、全盛期……。嫌、その半分でも魔術が使えるようになったら勝負にならないかも知れないね」



 彼等が何を話しているかと言えば、勿論バウルの事だ。

 初めは関わるつもりなど無かった。消え去ってくれるなら清々するとすら考えていた。


 だが、あの男をニ週間程度とは言え遠巻きから見ていて分かる。

 あの男が発している魔力が尋常では無い事が。


 一週間ストーキングされていた時に嫌と言う程感じさせられた。

 本人は自覚してなのか、無意識なのかは分からないが。離れていた場所に居ても、姿が見えなくても、感覚を張り巡らせる必要もなくあの男が放つ魔力だけで何処に潜んでいるのか感知出来る程だった。



「モキュ?」


「素直にもなるさ。ゼーゲンさんも、リズ……お姉ちゃんも側に居て寒気がする事がある。隙がない、身のこなしが今まで見てきた魔術師とは比べ物にならない。ホント、生意気な事言ってはいるけど世界の広さを痛感させられてるよ」



 そんなバウルを取り巻く人間達も化け物揃いと来ている。

 一度も二人が魔術を使っている所は目にしてはいないが。物腰から只者では無い事がカイツにも悟る事が出来。

 別次元、そう形容しても良い程今まで関わって来た魔術師とは別格に感じられた。


 あのルドのギルドマスター、アレハすら旧時代のロートルだと感じてしまう程に……。



「モキュモキュ?」


「ハハハ、そうだね。僕達が居れば最強さ、それに変わりは無い。だけど……、皆があの人を更生させようと躍起になってる理由は分かった。あの人達を上回る程、父さんすら凌駕する程の魔法使い……。一度手合わせして貰いたいものだね」



 好奇心……、そんな安い言葉で片付けられない程カイツはバウルの実力に惹かれていた。

 だから敢えて彼と関わり、余計なお節介まで焼いた訳だが、それが上手く運んでくれたようだ。


 あれから4日カイツはバウルの姿を見ていない。

 逃げ出した、ともそれまでの関係なら考えただろうが。

 バウルと共にあんなにカイツに執拗に接してきたリザニエルすら姿を見ていない。


 ゼーゲンの話では二人で修行しているとか……。



「付き合わされるこっちはいい迷惑よ」



 昨日久し振りに会ったリザニエルは不満を愚痴っていたが。

 その顔は妙に嬉しそうで、心の底からバウルとの修行の日々を楽しんでいるようだった。



「それに、王都へ来た目的の一つもあの困ったさんを焚き付けたお陰で果たす事が出来るんだから棚からぼた餅だね」


「モキュ?」


「うん、フィルは知り合いなんだろう?」


「モキュッ! モキュゥ……、モキュモキュ!」


「腐れ縁ね……、だったとしたら凄い縁だ。数千年の時を経て再開出来るんだから。色々と僕達カナンの民が知らない情報を得られそうだ」



 そして、最大の収穫は今回のゼーゲンの依頼だった。

 ギルドに出入り出来るようになってからそれと無く調べてはいた。


 王都の北、この国で最も高い山の頂に住まうと言う魔獣エフィオン。

 数千年以上を生き、まるでこの国の要を守るように山の頂上から王都を見下ろして暮らしていると言う。

 現在確認されているこの世界で最強の魔獣。その魔獣と会う事がカイツが王都へ来た目的の一つだった。



「悪いがカイツくん、エフィオンの調査を頼まれてくれないか? 調査……と言ってもただエフィオンが平穏無事に生きているかを確認して来てくれるだけで良い。一定以上の魔法使いが毎月行く手筈になっているんだが。今はコレハくん探索で皆を駆り出してしまっている。その見返りと言っては申し訳無いが。出払っている魔法使い達の代わりに君が様子を見てきてくれ」



 昨日突然ゼーゲンにそう頼まれた時は願っても無い話過ぎて内心舞い上がってしまったが。

 冷静になって考えると、ギルド長のゼーゲンがエフィオンについて嗅ぎ回っている事を知っていて当然。

 バウルを焚き付けてくれた礼にカイツにこの依頼を頼んだのだろう。


 本当に食えない男だが、味方である内はあれ程心強く、思慮深い人間も居ないとすら思える。



「魔獣エフィオン……、会うのが楽しみだね! フィルとエフィオンはどっちが強いの?」


「モキュ……、モキュッ!」


「互角なの? フィルが謙遜するって事は凄まじい魔獣なんだね……」



 エフィオンの調査を頼まれた上で念を押された事は2つ。

 エフィオンはゼーゲンの話ではとても人懐っこい魔獣らしい。

 本来なら人間と関わって問題が無い程の温厚な性質らしいのだが。


 如何せん人間の何十倍、何百倍も強大な魔力を持っている為。少しじゃれ付いて来ただけで甚大な被害が出る程だと言う。

 だから、絶対に近距離に近付かない事。カイツの身が心配と言うよりは、周囲の自然に及ぼしてしまう被害を考えての警告らしい。


 まぁ、そちらの方はエフィオンと旧知のフィルが共に居るのだ。端から案じてなどはいない。

 カイツが対話出来なくとも、フィルが通訳してくれれば何の問題も無い。


 そして、2つ目は極希にエフィオンが嫌う魔力を発する人間が居るらしく。

 エフィオンのテリトリーに入った瞬間威嚇してくる事があると言う。


 そんな事は本当に希で、今まで一人しかエフィオンに嫌われた人間は居ないらしいが。その時は近隣の山が一つ消し飛び、その魔術師も危うく死にかけ。

 下手をしたら被害が王都まで及んでいても可笑しくない大惨事になりかけたと言っていた。


 嫌、山が一つ消し飛んでいる時点で既に大惨事か……。


 まぁ、何となく誰が嫌われて攻撃されたのかは想像が付くが……。

 もしエフィオンが臨戦態勢を取るような状況に陥ってしまったら即座に逃げる事。

 絶対に応戦などせず、エフィオンのテリトリーから出るようにと念を押された。


 そちらも心配は全く要らないだろう。何せこちらにはフィルが居るのだ。

 万が一にエフィオンにカイツが警戒されるような事があってもフィルが間に入ってくれる。

 普段はエロい事しか頭に無く。手を焼かされてばかりのアホ猿が居てくれる事が今日ほど有り難いと思える日は無かった。


 遥か太古からこの世界に生息しているエフィオン。

 エフィオンに会ってカイツが果たさなければならない使命は一つ、それは始祖の足跡を辿る為だ。


 この世界にあって、この世界とは違う発展を遂げた村約束の地カナン。

 普段は完全に閉鎖された場所の為外界からの情報を得る事は不可能だ。

 それがザインと言うよそ者を何百、嫌何千年振りに受け入れた事によって変化が起きた。


 変化が起きすぎてカナンから飛び出してばかりの困ったさんが現れてしまったのだが……。

 外界の民ザインから得た情報が有益だと判断したカナンの民は、一人の例外を除き頻度は少ないながらも結界の外へと出向き。外界の情報を得るようになった。


 カナンの民が知るのは終わりだけだ。

 カナンの民が始祖と呼ぶ存在、それがこの世界を救った英雄であり。

 英雄が何処で生まれ、何処で育ち、そしてカナンに辿り着いて最期を向かえたのか。


 生誕と成長の過程を知らぬカナンの民は始祖の人生を調査する事を最重要事項と定め。

 村から出た者はそれを使命とし、村に残った人々に伝えなければならない義務を背負っていた。


 と言っても、英雄の名すらとうの昔に忘れ去られたのが現状だ。

 薄情……、そう断じてしまうのは余りにも容易で。

 何千年も過去に生きた人間の情報を得るのは困難を極めた。


 約束の地ですらあるのは墓標だけだ。

 墓標に記されている情報以上の事はカナンの民ですら知り得ない。


 カイツはルドの町でも一応調査はしたが、英雄の事を記されている文献は何れも近年に書かれた物ばかりで。

 確かな情報を得るには至らなかった。


 それはきっと王都の国立図書館に赴いても同じ事だろう。

 明確に英雄の情報が隠蔽された痕跡が確認出来る。


 この世界を救った筈なのに、誰かが意図的に英雄の文献を改竄し存在を消そうとしている…·…。

 その理由は……、薄々とはカナンの民には理解出来た。


 知られては困るからだ。

 英雄が何者であったのか、名を忘れたのでは無く、名を語れば何者か容易く判別出来てしまうから。


 人と魔族と神族、その3種族の愚かな争いによって命を散らせた英雄が彼の血脈の末裔だと言う事を秘匿する為に……。



「約束が果たされぬまま、結実する事がないまま数千年が経った……。僕達が英雄の帰りを向かえる日は来るんだろうか」


「モキュゥ……」


「約束の鐘が鳴らされるのは一体何時になるだろうね?」


「モキュ、モキュモキュ」


「はは、そうあって欲しいね」



 遥か古に絶えた血筋を憂い、想い、約束の地の民は探し続けている。

 この世に輪廻があると言うなら、神にせめてもの慈悲があると言うなら。

 何時かきっと結ばれた約束が結実する日が来る事を信じ。


 カナンの民は待ち続ける。

 カナンの民は探し続ける。


 

「さっ、感傷に浸ってても何も始まらない! 僕達は今出来る事をやるまでだよ。エフィオンに会って聞きたい情報を得たらアレハさんの襲来に備えないと」


「モキュモキュ!」


「嫌……、ぶっ倒しちゃダメだよ。別に敵じゃないんだから……」


「モキュ? モッキュー!」


「はぁ……、アレハさんも敵でお姉ちゃんも敵なら誰が味方なのさ?」


「モキュー!」


「はいはい、それはありがとうね」



 和気藹々と会話をする一人と一匹だったが。備えるも何もアレハは既に王都のギルドでカイツの帰りを待ち構えている訳で。

 王都に戻った瞬間一悶着あるのだが、それはまだ別のお話……。

 それ以前にこの後カイツとフィルには全く予測もしていなかった不慮の出来事が待っているのだからそれどころでは無くなってしまう。



「それにしても……、本当にこの先にエフィオンは居るの? 何も気配を感じないけど」



 元々人里離れ、更に隠れた秘境に暮らしていたのだ。山道を歩く事自体は馴れたもの。

 息一つ切らせる事無く平然と草木生い茂る荒れた道を歩き続けるカイツにふとした疑問が浮かんだ。


 歩けども歩けども、エフィオンとの距離が縮まれども何の気配も感じる事は無い。

 この世界最強と誉れ高い魔獣が待っているのだ。それはそれは強力な魔力を放ち二人を待ち構えている。

 そう予測していたのだが、歩みを幾ら進めてもそれらしい魔力を感知する事が出来ず。本当にこの先にエフィオンが居るのかと、カイツは疑念すら浮かべるようになってしまった。



「モキュゥ……?」


「ん? どうしたのフィル?」


「モキュ……、モキュッ」



 油断……、嫌慢心があったのかも知れない。

 フィルが居ればエフィオンとは恙無く対話が出来る。

 フィルが居れば、そうフィルだけが居れば……。



「誰かが近付いてくる? そんなバカな、僕には何の気配も……」



 異変を感じたのは先ずフィルだった。

 カイツですら感知出来ない遠距離から何者かが急接近する気配に気付いた。


 フィルの言葉で改めて感覚を研ぎ澄ましたが、カイツには何者の魔力も感じる事が出来なかった。

 フィルの気のせい、そう断じる事は出来ない。

 フィルはエロくてアホでどうしようも無いバカ猿だが、魔力関連においてはカイツの何十倍も優れていた。


 カイツが感知出来る範囲は精々4、500メートルが限界だが。フィルは数キロ範囲の魔力を感知出来る。

 能力的に優るフィルが警戒している。並の魔力を感じた程度なら警戒などしないだろう。

 フィルが警戒する程の強力な魔力を有する者が近付いてくる。

 一体誰が?


 そう考えた瞬間、謎の来訪者はカイツが感知出来る範囲まで接近した。



「この魔力、バウルさんとリザ……リズお姉ちゃん!」


「モキュー!」



 凄まじい魔力だった。

 見ず知らずの他人だったら何れ程良かっただろうか……。

 だが、カイツにはその魔力を発する者が誰なのか容易に理解する事が出来た。


 今までの話を総合すると、この場に最も居てはならない人間が急接近して来ている事に漸く気付いたカイツだったが。

 不味い――。そうフィルが叫んだ時には既に手遅れだった。



「ブォーーーーッッッ」



 低く、重く、それでいて甲高い獣の咆哮が突然山中に響き渡った。

 エフィオンはフィルと同程度の実力を有している。

 それは即ち感知出来る範囲も彼と同程度と言う事だ。

 まだエフィオンとカイツ達との距離は1、2キロ程も離れてはいたが。

 この程度の小さな山ならエフィオンの能力であれば山全体を感知出来る。


 つまり、カイツが感じられたのならエフィオンも唐突な来訪者を察知出来たと言う事であり。

 エフィオンは自身が最も嫌う魔力を発する人間が自身のテリトリーに足を踏み入れた事に怒りを表したのだ。



「待てバカウル! それ以上進むんじゃ無いわよ!」


「うるせぇ―! テメーが追い掛けて来るから逃げてんだろ!」



 エフィオンの咆哮の直後、今度はリザニエルとバウルの声が聞こえた。

 言葉を聞くにリザニエルは今自分達が何処に居るのか察したのだろう。

 だが、エフィオンに毛嫌いされている当の本人はと言えばリザニエルの静止を無視して足を止める気配は無い。



「お……、何だカイツとエロ猿か? お前等こんな所で何してるんだ?」



 そして、カイツ達を視認出来る距離まで近付くとそんな間の抜けた問を投げ掛けて来たでは無いか。



「モ、モキュッ? モキャーー!」



 バウルにエロ猿呼ばわりされたフィルは憤慨した。

 エロは良い、エロい事は雄の性だ。

 だが猿は許せない、彼は猿では無いのだから。


 見た目がちんちくりんで、何処からどう見ても猿にしか見えないが。本人は霊長類に例えるならゴリラだと自認していた。

 人間から見れば猿もゴリラもサイズが違う程度にしか区別は出来ないだろうが。

 そのサイズの違いが一番の問題だった。



「フィル! そんな事してる暇は無いよ!」



 正かこんな形でゼーゲンの忠告を破る事になるとは……。


 直ぐにでもバウルをこの山から離れさせなければならない。

 幸いカイツとフィルが居れば数キロ単位の移動なら容易い事だった。


 今は余談を許さない状況。カイツはバウルの発言で怒り狂うフィルを静止すると、彼を力付くで自身の頭の上に乗せ移動魔術を使用する為に詠唱を始めようとした。



「ブォーーーーッッッ」



 だが、その時には既に手遅れだった。

 もう一度、エフィオンは大きな雄叫びを上げると。自分のテリトリーから敵を排除する為、魔術を放った。


 ドーン!――。まだカイツとエフィオンとの距離は彼が感知出来る範囲の数倍も離れていた。

 だと言うのに、エフィオンの放つ強力な魔力をカイツは感知する事が出来た。


 それ程桁違い、嫌次元が違うとすら思える程魔獣の魔力は圧倒的だった。

 肌を切り裂かれるような、解き放たれた魔力で吹き飛ばされてしまいそうな錯覚すら覚えた。


 そんな錯覚と同時に地鳴りを感じた。

 バキバキッ――。木々を薙ぎ倒す音が聴こえる。

 ゴォーーッ――。大地を抉る音が聴こえる。


 何かが迫る音、そして気配を感じた時には眼前に大きな光の玉が見えた。

 エフィオンが放った魔術だ。


 魔術、とは元来精霊から魔力を借りて使用する人間固有の攻撃手段だ。

 精霊そのものと崇められる魔獣が使用する力だ。それを魔術と呼ぶのは意味合いが違うような気がした。


 もう直ぐ目の前にエフィオンの放った攻撃が見えると言うのに何故だかカイツは嫌に自分が冷静で、恐ろしい程時間の流れが緩やかな事に気付いた。

 それと同時に脳裏に家族との記憶が蘇った。

 幼き頃の父、幼き頃の母、幼き頃の叔母、そしてずっと一緒のフィル……。


 楽しかった思い出、悲しかった別れ、使命を持ち村を出、そして何も果たせぬまま死が迫っている。


 あぁ、これが走馬灯と呼ばれるものか……。

 余りにも次元が違う魔力量に、どうやら自分は死を覚悟してしまったようだ。


 13年、魔獣の生涯は元より人間で考えたとしても余りにも短な人生だ。

 今目の前に見える光の玉が着弾したら跡形も無くこの世から消滅してしまうだろう。


 直ぐ傍らに居るバウルとリザニエルは何を考えているだろう?

 バウルは自分がエフィオンのテリトリーに誤って足を踏み入れた事に気付いてくれただろうか?

 リザニエルはバウルを止められなかった自分を責めているだろうか?



「モァ……、モキュモキュ」



 様々な思い出、様々な思いが荒波のように凄まじい速度で押し寄せ、そして通り過ぎて行く中。

 彼の頭の上に乗るフィルが大きな欠伸をかいたかと思うと「カイツ早くしろよ」そう彼を急かした。


 通常ならこの危機的状況を打破する術は無い。

 魔術を使い移動する為の詠唱を唱える暇など既に無い。


 普通の魔術士なら為す術無く死ぬ事しか出来ないだろう。

 だが、カイツは普通の魔術士では無かった。


 やれやれ、走馬灯何て初めての事でこんなにも時間がゆっくり流れるのかと、感動に近い感情を抱いているのに上の相棒は遊びが過ぎると注意を促すでは無いか。

 詠唱をする暇が無いのなら詠唱をしなければ良い。


 全く……、今まで上手く普通の魔術士に偽装して来たと言うのにこれまでの労力が全て水の泡だ。

 世話が焼ける……、本当にこの男は何から何まで手が掛かる厄介な人間だ。



「ライトニング・ボルト!」



 バチバチッ――。カイツはフィルに促されるまま観念して魔術を唱えた。

 魔術を唱えたと同時にカイツの体から電撃が迸り、彼の体の回りを球体状の眩い閃光が包んだ。


 その直後、カイツはエフィオンが放った魔術の球に向かって突進した。

 早い……何て速度では無い。この世界でトップに君臨するバウルにもリザニエルにも目で追う事が不可能な程の瞬速だった。


 瞬き一つの間で魔術を唱え、次に二人が目を開く頃にはエフィオンの魔術はカイツの突進で彼等の遥か頭上高くに弾き飛ばされていた。

 ゴォォーーーッ――。着弾点を失った魔術の弾は暫く空を舞った後諦めたように激しい轟音と衝撃波を放ちながら爆発した。


 百メートル以上も離れた上空で爆ぜたと言うのに、その衝撃波は周囲数百本の木々を薙ぎ倒す程も凄まじい突風となって地上に降り注いだ。

 何て威力だ……、あれが地面に着弾していたらこの山など跡形も無く消え去っていただろう……。


 驚異的だった。

 驚愕するしかなかった。


 エフィオンの攻撃にでは無い、それ程のエフィオンの攻撃を容易く弾いたカイツの魔術に。

 何よりも、詠唱無しでそんな高威力な魔術を使った事に絶句してしまった。


 詠唱は魔術の礎だ。詠唱=魔術の強さ、それが現代魔術の法則だった。

 詠唱の長さがそのまま放つ魔術の強さに比例し、長ければ長い程魔術の威力は倍増する。

 故に、詠唱の長い上位魔術は威力が高く。詠唱の短い簡易魔術は児戯にも等しかった。


 だからこそ二人の驚愕は計り知れないものだった。

 詠唱無しの時点でそれは魔術では無い、魔術として魔力を錬成する為に詠唱は存在し。どんな魔術も例え一言だけであったとしても詠唱無しに使用する事は誰にも、人間である以上絶対に不可能なのだ。



「はぁーあ、嫌になる……。僕達の本気を見たんですから高く付きますよ?」


「モキュモキュー!」



 言葉を失い愕然とカイツを見つめる事しか出来ないバウルとリザニエルにカイツは意地の悪い笑みを浮かべながらそう言い放った。

 カイツに続きフィルも「そうだそうだ!」と同調したのだが、彼の言葉など何を言っているのか全く理解出来ない二人はフィルの言葉を無視した。


 本気を出した?

 本気を出しただけで魔術を詠唱無しに使えるのなら苦労はしない。


 詠唱無しに魔術を使った人間など今まで魔術師にも魔法使いにすら一人も存在しない。

 嫌……、厳密には二人魔法使いの中に詠唱無しに魔術を使用出来る者は今まで居たのだが。

 その二人共、属性魔術以外の特殊な魔術を使用した為頭数には入れられなかった。


 先にも述べた通り詠唱=魔術の強さであり。魔術=詠唱とも言える図式が現代魔術の礎には根付いている。

 彼等は魔術を使った。だが、詠唱は無かった。

 それは即ち魔術では無いと言う事だ。


 雷属性、それだけでも驚嘆に価すると言うのに。魔術の理を、禁忌を犯して使用された今の術は何なのか?


 その答えが召喚魔術だとバウルとリザニエルが知るのはこれよりもう少し後の事である。



「さっ、魔術を弾かれたんだ。次は目くじらを立てて本人が御登場と来るだろうね」


「モキュー!」



 先程までの危機的状況が嘘のように、余裕を感じさせる笑みを浮かべながら、カイツはエフィオンから攻撃を受けた方角を見据えた。

 それにフィルは実に愉快そうに応えた。


 姿を現せばフィルと顔を合わせる事になる。

 そうなれば後は対話で解決出来る。

 何と言ってもフィルとエフィオンは旧知の仲なのだから。


 筈だったのだが……。対話で解決出来ていたら前話のラストに繋がらない訳で。

 この後余裕を浮かべるカイツとフィルは一転して窮地に立たされる事になる。


 旧知から窮地。

 そんな皮肉なダジャレのような展開は次話へと続くのであった。

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