第5話「暴王と呼ばれる魔法使い」
暴王と呼ばれる魔法使いが居た。
近代魔術の歴史を覆し、それまで信奉されて来た四大属性魔術の理論を打ち壊した男。
彼の前では全ての属性魔術は意味を為さず、まるで嘲笑うように並み居る魔法使いを打ち負かし。
例外一人無く、彼に勝る魔法使いはこの世に存在しなくなった。
魔術の歴史そのものを嘲笑うかのように振るわれる、史上唯一彼のみが使用出来る無属性魔術。
長い歴史の中で確立された魔術理論を蹂躙するかの如き暴虐の王。
故に「暴王」、数年前までは間違いなく現代最強……。
嫌、長い魔術の歴史を振り返っても十指に入るであろう、そう称えられた生ける伝説。
現代最強にして史上最強とまで言われた男が居た。
そんな、暴王が忽然と姿を消してもう3年になる。
元々素行が悪い事で有名な魔法使いであった……。
酒に溺れ、魔術界のみならず、私生活でも暴虐の限りを尽くし。
市井の人々に疎まれ、魔術界から阻害され。
そして、絵に描いたような転落人生を歩み衆目の前から消え去った愚かな魔法使い……。
暴王の名を聞けばこの世界の人間なら誰しもそんな哀れな末路を思い浮かべるだろう。
もう二度と歴史の表舞台には現れないであろう、現れて欲しくもないクズ……。
そんな哀れな男は今王都に居る。
人知れず死を待つばかりであった男は、王都の魔術ギルドで医師の診療を受け眠っている。
何の皮肉か、そんな男を救ったのは男が暴王と呼ばれるようになる事件……。
彼以前に現代最強の魔法使いと呼ばれ、現代の魔術界のトップに立っていた魔法使いザイン・ベッケンシュタインが死んだ紛争。
その紛争を共に戦い、最終的にザインを見殺しにした暴王を救ったのがザインの息子と言うのだから。
これ程の皮肉も無かっただろう……。
目が覚めるとバウルの視線の先には天井があった。
天井……、屋根のある屋内に自分は今居る。
この数ヶ月ろくな場所で眠った記憶が無い。
雨が降ればそのまま降られ、風が吹けばそのまま吹かれ。雨も風も遮る物の無い屋外。
宿に泊まるような金も無く、帰る家などもう何年も前に失い。殆んど野宿する事しか出来ない落ちぶれた生活を送っていた。
「目覚めたかバウル。全く……、王都に戻ってきたなら連絡くらい寄越せ。昏倒する程飲まず食わずだったなど天国のザインが聞いたら嘆くぞ?」
ああ……、この天井は知ってる。
アニキと何度も通った場所だ。
そして、この声はこの天井以上に良く知っている。
何万、何十万回も聞き。その度にこんな風に叱責された忌々しい声だ。
「ゼーゲンか……、余計な事しやがって……!」
「余計な事をさせているのはお前だろう? 文句を言うなら行いを改めろ。自分に落ち度がある時点でお前に他者を非難する資格は無い」
嫌になる……、何度聞いても嫌気が差す。
正論過ぎる答えにも、正論過ぎて反論出来ない自分にも。
そして、何より……。
「うるせぇ……、世話を焼いてくれなんて言ってねぇーだろ! だから王都何て戻って来たく無かったんだ……!」
何よりそれでも抵抗してしまう自分の大人げなさに反吐が出る。
何時までも変わらない、ガキか俺はッ!
「それでもお前は戻って来てくれた……。お前を診察した医者の話では重度の栄養失調を起こしていたそうだ。もう数日処置が遅れたら命の保証は出来なかったそうだ。お前が倒れたのが私達が居る王都で良かった。そう思ってしまう程度にはお前の事を案じているんだ。せめて……、もう少し私達を頼ってくれ」
何故自分が此処……、王都の魔術ギルドに居るのかその理由は依然分からなかったが。
本当は願ってた事だけは分かっている。
こうやって昔の馴染みが助けてくれる事を……。
不承不承、嫌味を吐いてしまうが。
本当はゼーゲンと会えて心の底から安堵していた。
死ぬ覚悟をしていた筈なのに……。今生きてゼーゲンと会えた事に喜びを感じていた。
「何を言ってもお前は憎まれ口しか叩かないだろうし。憎まれ口を叩かれれば私も応戦してしまう。だから今は休め、余計な詮索はお前が健康を取り戻した後にゆっくりさせて貰う。それが嫌なら体調が戻り次第出て行って構わない、私は――」
「止めないし、追いもしない……だろ? ホント、アンタは優しいんだか冷たいんだか分かんねぇーよな」
バウルの性格を熟知しているゼーゲンはカイツにした時と同じ言い回しで提案しようとしたが。
カイツと違い長年の付き合いのバウルにはゼーゲンの言葉の先が手に取るように分かり。
ゼーゲンが口にするよりも早く先回りして彼の言葉を奪い。ケタケタといたずらっ子のように笑った。
「ふふ……、医者の見立てよりも回復が早いようだ。憎まれ口の後は嫌味と来たか……。お前らしいなバウル」
本当は冷静に話し合えるか不安だった……。
ゼーゲンが最後にバウルと会ったのは3年前だ。
バウルが最も精神的に追い込まれていた時期、何を言っても頑なに耳を貸してくれはせず。
狂犬のように吠え散らし、噛み付くだけだった。
あれから3年、彼が何処で何をしていたかなど知る由も無いが。
3年前よりも以前の彼らしさを取り戻している事が分かり、ゼーゲンは安堵した。
「なぁ、ゼーゲン……。体調がマシになっても此処に居てやるからよ。その代わり少しだけ――」
「酒ならやらんぞ?」
「な、何でだよ! 今何でも言う事聞く流れになってたじゃねぇーか!」
安堵した途端これだ……、気性は落ち着きを取り戻しつつあるが。酒に対する依存度は薄らぐ処か、こんなになってまでも増すばかり。
バウルの要求が手に取るように予測出来たゼーゲンはさっきのお返しとばかりに、バウルの言葉を遮り彼の要求を拒絶した。
「頼むゼーゲン……コップ一杯……嫌一口で良いから酒を飲ませてくれ……」
お前が死ぬ程欲している酒のせいでお前は全てを失った。
そこまで身をやつしてもまだ分からないのか!
そう叱責してやろうかとも考えたが、そんな事言っても又売り言葉に買い言葉。無益な口論に発展するだけなのは目に見えていたからこそ。
ゼーゲンはバウルの目を真っ直ぐに見つめ彼に告げた。
「ザインの息子が此処へ来たぞ。カイツくん……と言う名だ。お前も会ったんだろう?」
「息子……? あれは夢じゃ無かったのか……」
バウルとカイツがどう出会ったのかなどゼーゲンが知る訳も無い。
あれ、と言う物が何を指しているかはゼーゲンには分からない筈だが。
元からアルコール依存症に陥っているのだ。白濁する意識の中、現実と虚構が区別出来なくなったのだろう。
「あの容姿だ、大方ザインが向かえに来た……とでも勘違いしたんだろう?」
「う、うるせぇ……」
知る訳も無いと言うのにゼーゲンは彼とカイツとの出会いをピタリと言い当ててしまった。
それには流石のバウルも一言負け惜しみを告げる事しか出来ず。後はただ押し黙る事しか出来なくなってしまった。
「どうする? カイツくんはお前にだけは会いたくないと言っていた。正直……彼の態度を見る限り、ザインの死に関わった人間全員を警戒しているようだった……」
「だろうな……、俺でも会いたくねぇし。会ったらぶっ殺す、俺ならそう考えるだろうよ……」
当然……なのかも知れない。
8年前突如として起こった南の国との紛争。
戦争の原因が何だったのかは8年経った今も分かってはいない。
戦争を起こした筈の南の国の王は気が狂って今牢獄に居る。
まともに会話を出来る状態では無く、毎日毎日幻影に怯え発狂していると言う……。
その紛争で多くの人々が死んだ。
犠牲者は数万を軽く越え、中には何千と言う魔法使いと魔術士の命も数えられていた。
多くの犠牲者が出た言うのに、戦争に関わった現代で十指に入るザイン縁の高名な魔法使いの中で死んだのはザインだけだった……。
何かしらの謀略が働いたのでは……。
現代最強の魔法使いのみが死んだ事実はそんな憶測を生んだが。
大元の戦争の原因が分からないのだ。
誰が、何故ザインだけを狙ったのか。
本当に謀略によってザインが殺されたのだとしてもその理由は永遠に分からないだろう。
そんな著名な魔法使いの中で唯一父だけが死んだ。
共に戦争を戦ったのはゼーゲンとザインの四人の弟子と、そして世界十傑に数えられる二人の魔法使いの系7人だ。
どうして父だけが?
どうして父を見殺しにした?
どうして……父を救ってくれなかった!
当然の考えだ。
彼の怒りは分かる、痛い程も、苦しい程も……。
「ちゃんと……話し合う良い機会ではないか?」
「何を……? 俺は何も言い訳するつもりはないぜ? アニキは俺の目の前で死んだ。俺達を守って死んだ……。それ以上何も言えるかよ……」
「お前がそれで良いのなら私はこれ以上何も言わない」
「ああ……、そうしてくれ……」
ザインが死んでゼーゲンにはゼーゲンの苦しみがあり、バウルにはバウルの苦しみがある。
生まれも、境遇も、ザインとの出会いも二人は全く違う。
ゼーゲンにとってザインは親友であり、幼馴染みであり、そしてライバルだった。
バウルにとってザインは兄であり、師であり、父のような存在だった。
ザインへの思いの形が違いすぎる。
ザインへの依存の仕方が違いすぎる……。
「なぁ……、ゼーゲン」
「何だ?」
「体調が戻ったらやっぱ出てくわ。親父を見殺しにした男が同じ街に居る何て許されて良いわけねぇからよ」
バウルが何を告げようとしているのかは察していた。
何を決断しようとしているかは分かっていた。
それでも、素知らぬ顔をして問い掛けるしか無い自分の無力さがゼーゲンの胸を締め付けた。
「そうか……」
もしザインが生きていたならどう答えてやっただろうか?
間違いなくこんな冷淡な答えなど返しはしなかっただろう。
間違いなくそれ以上の言葉を見つけられるず押し黙る事は無かっただろう。
バウルとザイン程の関係を築いてやれなかった自分が呪わしかった。
生意気で、口だけは達者で、それ以上に誰よりも真っ直ぐだった子供の頃から知っている男だ。
友と言って良い存在だ。口うるさく接しては来たが、親友と形容しても差し支えの無い関係だ。
それが、結局は又知らない何処かへ去ろうとしているバウルを引き止める事も出来無い。
何て無力で、無能な男なのだろう……。
「ありがとな」
「何が……だ?」
「心配してくれたろ? こんたバカを気に掛けてくれてありがとな、ゼーゲン」
唐突に考えもしなかった……、予測すらしていなかったバウルの感謝の言葉を聞くとゼーゲンの胸は熱く焼けた。
このままバウルを行かせてはならない。行かせては一生後悔する。
ザインが死んだ時のように自分を許せず、苦しみに、悲しみに暮れる日々を送るだけになる。
ガチャッ――。だからゼーゲンは必死に思考を巡らせバウルを引き止める術を探した。探したのだが、彼が言葉を発するよりも早く。
突然二人の居る部屋の扉が開かれた。
「モキュ?」
ゼーゲンの許しがあるまで入室は固く禁じる。
そう命じていた筈なのに、一体誰が入ってきたのだ?
一瞬苛立ちに近い感情を抱いたゼーゲンだったが。
部屋に許しも無く入ってきたのが白い猿……。カイツの連れ合いのフィルだと分かると言葉を失った。
「モキュー! モキュモキュキュキュッ!」
フィルは部屋に入り、室内を見回した後バウルの姿を視認するや。唐突にそんな鳴き声を上げながらバウルに飛び付いた。
「うわぁッ! お前はあの時のチビ! 急に何なんだッ?」
突然フィルに飛び付かれたバウルは取り乱し、どうして良いのか分からず戸惑った。
「懐かれ……てるのか?」
「嫌、俺に聞くなよ……。懐くも何もさっき会ったばかりだぜ?」
バウルに飛び付いたフィルは嬉しそうにバウルの胸にしがみついていた。
振り払う……のは可哀想だ。
引き剥がす……にもどう扱って良いのか分からない。
何故バウルに懐くのか、その理由が分からない二人は困惑する事しか出来ない。
「あ……、そう言えばその子、カイツくんの連れだ。フィルと言う名前らしい」
「あ、アニキの息子の? そう言えば……一緒に居て仲良さそうだったな」
一応フィルの存在は認識していたらしい。
バウルは優しい笑みを浮かべながら胸にしがみつくフィルの両脇を持つと、自身の眼前にフィルを持ち上げた。
「フィル、フィルか……。はは、俺とお前合わせてフィルバウルだな」
「モキュー!」
「お、どうした? フィルバウルを知ってるのか?」
「モキューモキュー!」
「そうか、知ってるのか。有名な精霊の名前だもんな……。俺の名前はフィルバウルから取られたんだぜ?」
「モキュ?」
「死んだ母さんが付けてくれたんだぜ。
「モキュモキュー!」
「はは、そうかそうか。お前も誇らしいか」
不思議なやり取りだった。
バウルはフィルが何と答えているのか理解出来ているように、フィルと楽しげに談笑していた。
まるでカイツがフィルと当然のように会話をするように……。
「その子の……言っている事が分かるのか?」
「嫌、分かんねぇよ。分かんねぇけど、何となく感じるんだ」
まぁ、元から野蛮人極まりない男だ。
普通の人間には分からぬ獣の言葉を理解出来ても不思議では無い。
などと、ゼーゲンは少々失礼な事を考えてしまったが。
口に出せばバウルは目くじらを立てて怒る事は明白だった為自身の胸の内にしまっておいた。
「モキュキュッ、モキュッ!」
「何だ? 怒ってるのか?」
「モッキュー!」
「お前の……飼い主の事か?」
「モモキューーッ!」
「あいててて……、わりぃわりぃ飼い主じゃ無いんだな? 家族みたいなもんか?」
「モキュッ!」
それから暫くは奇妙な光景が続いた。
野蛮人バウルと白い猿フィルは妙に意気投合し、笑っていたかと思えば次の瞬間にはフィルは怒り出してバウルの顔を小突き始めた。
かと思えば又笑いながら談笑を再開する。
まるで友人のように到底通じ合ってるとは思えぬ会話を和気藹々と続ける二人をゼーゲンは見て苦笑いを浮かべた。
この会話の相手がカイツだったら何の心配も要らないのだが……。
バンッ!――。カイツともこれくれい打ち解けてくれたら全て万事収まる……。
そうゼーゲンが思い浮かべた瞬間、激しい音を立て部屋の扉が荒々しく開かれ。
次は誰が来たんだ……。
自分が命じた指示が一切守られない事に辟易しながら、部屋に訪れた不躾な来訪者を見やれば。
そこにはバウルに抱かれ楽しそうにしているフィルを睨み付けているカイツが居た。
「フィル、いい加減にしろ!」
カイツは部屋に入るなりフィルに向かって怒声を浴びせる。
「モキュ」
「ダメだ、部屋に戻るよ」
「モキュー!」
「ダメだって言ってるだろ! 早くこっちに来い!」
確かにバウルもフィルと意思の疎通が出来ていたようだが。
やはりカイツに比べれば何を言っているのか雰囲気で分かる程度。
完璧にフィルの言葉を理解出来ている。二人のやり取りを見せられて改めて会話が成り立っている事にゼーゲンは驚きを禁じ得なかった。
険悪な空気が漂っていた……。
何故フィルがこの部屋を、バウルの元を訪れたのか。
何故カイツとこんなにも言い合いをしているのか。
その理由が分からないまま、ただただ三人と一匹の間には緊張が走っていた。
そんな中、バウルは一人既視感を抱いていた。
似ている……、何てものではない。それこそ生き写しだ。生前の……嫌幼き頃のザイン瓜二つの少年が目の前に立っている。
気まずさがあった、唐突にカイツと顔を合わせた事に。本来なら顔すら見ずに王都を離れるつもりだった為出会ってしまった事に申し訳なさを感じていた。
それと同時に懐かしさも覚えた。
昔子供の頃、悪ガキだったバウルは行きすぎたイタズラをする度にこんな風にザインに怒られたものだ。
本当の兄弟でも無いのに、本当の兄貴のように怒り、良く叱られたものだ……。
今正にその時と同じ光景が広がっている事に微笑ましさすら感じながら。
バウルは目線を落とし、抱えていたフィルを床に下ろし立たせてやった。
会話をしてくれる雰囲気でない事は悟った。
何を争っているのかはバウルには分からないが、当事者の問題だ余計な口は挟めない。
挟む資格は俺には無い……。
少しだけ二人の関係を羨みながら。唐突に訪れたザインの息子との二度目の対面に申し訳なさを感じながら。
バウルは押し黙り、二人のやり取りが終わる事を待った。
どうせ俺の事に何か目もくれず話が終われば出ていく……。
そうしたら俺もこの街を出よう。
同じ街に居れば何時こうやって突然顔を合わせるか分からない。
顔を合わせれば、この子の顔を見てしまえば関わりたくなってしまうから。
全てを断ち切る為に、過去から逃げる為に。
何処か知らない土地へ行こう……。
人知れずそんな悲しい決断を心に秘めていたバウルだが。
事態は思いも寄らない方向へ進むことになる。
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