第2話「クズと少年」

「この酔っ払い、うちの店に出入りすんなって言ってるだろ! テメーに飲ませる酒も、食わせる食事もねー!」



 昼日中、王都の外れにある廃れた酒場。見るからにゴロツキ共が集う安酒場の店先にそんな怒号が響き渡った。



「そりゃねぇーだろ……、金なら……金ならあるから一杯だけでも……」



 怒号を浴びせられた男は店先で尻餅をつきながら、すがるようにポケットにある小銭を掴み。怒声を浴びせた店主に所持金を見せながら酒を飲ませてくれと懇願する。



「黙れクズが! そんなはした金で飲み食いさせて貰えると思うな! テメーに今まで掛けられた迷惑料、その全額を支払うまでうちは元より王都の酒場には出入りさせねー。そう組合で決めたんだよ、どうしても飲みたけりゃ1億ゼル支払え! そうしたら好きなだけ飲ませてやるよ!」



 しかし、酒場の店主は男の懇願を一蹴すると非情とも思える条件を提示する。

 1億ゼル……、小国なら国家予算に匹敵する大金ではないか。

 そんな金、クズと罵られた男が持っている訳もない。


 男の身形は酷いものだ。ボロボロの麻の服を着て、ろくな身分では無い事はその格好から明らかだった。

 そんな男に1億ゼルが支払える訳もない。端から飲ませる気も食わせる気も無い。

 男を出入り禁止にする為の口実でしか無かった。



「頼む……タイベンさん。此処以外行く場所がもう無いんだ……。これで足りないって言うなら店で働いてでも返すから。一杯だけ……」


「しつこいぞバウル! とうに縁を切ったテメーに馴れ馴れしく名を呼ばれる筋合いはねー! 俺の事を昔の馴染みと思うなら……頼むから二度とその面を見せるな! 頼むから……イスラをそれ以上悲しませるな!」



 悲痛にも似た最後の言葉を吐き捨てると、店主は酒場の分厚く重い扉を閉め店内へと消えて行った。

 男……、バウルと呼ばれたそのクズは店主の消えた扉を暫し呆然と見つめた。


 バウルと呼ばれた男の登場によって静まり返っていた店内は、彼を完全に叩き出した事を悟ると。何事も無かったかのように酔い客の喧騒で賑わい始める。

 まるで彼の存在を無かったものにするように。彼を排除した空間からは楽しげな会話が聞こえる。


 空虚だ……、恐ろしい程も大きな孤独がバウルの心に去来する。

 バウルは空を仰ぎ見る。


 もうこれで何人目だろうか……。

 昔の顔見知り達からは全員縁を切られてしまった。

 最後の頼りにしていたタイベンにすら。母の名を出され絶縁されてしまった。


 情けない、そう感じるよりも。

 悲しい、そう思うよりも。

 彼の手足は小刻みに震え、アルコールを摂取しろと促す。


 典型的なアルコール依存症だ。過去を振り払いたくて浴びるように酒を飲んだ結果、彼の体はアルコールに蝕まれてしまった。

 自業自得……、そう断じてしまう事は余りにも容易いが。

 バウルにも同情の余地はあった。


 同情の余地はあったが、その余地すらも彼自身が捨て去ってしまったのだ。

 もう涙すら出はしない、悔恨すらも尽き果てた。

 イスラの名を聞いても振り絞る誇りなど残ってはいなかった。


 ただただ今は空虚な思いが心を包むばかり。

 1ゼルの値打ちにもならない、腹の足しにも、手足の震えを止める事も出来ない。

 虚しさだけが彼の人生に残されるのみだった。


 酒場の中の喧騒を悲しみを抱きながら聞き、これ以上此処に止まっても腹を満たす事も、震える手足を止める酒にありつく事も出来ぬと悟ったバウルは。ふらつく足に必死に力を込め立ち上がり。

 そして、その場を後にした。


 嫌……、その場を後にする事しか出来なかった。


 薄汚い身形で、不審者丸出しの覚束ない足取りでバウルは歩いた。

 この国で最も栄える街中を、当ても無く彷徨い歩いた。


 行き交う人々は彼を白い目で見やり、ひそひそと何やらを囁いている。

 蔑んでいるのだろう、この街に似つかわしくない浮浪者が居ると。


 このまま表通りを歩き続ければ憲兵を呼ばれる。

 過去この街に住み、一定以上の地位を得ていた彼にはそれが痛い程分かっていた。


 今の彼に憲兵とやり合うだけの力は無い、酒に蝕まれた体では子供にだって太刀打ち出来ない。

 容易に組伏されてしまうのは明白だ。


 憲兵に捕まれば今以下の処遇を受ける事は無いだろう。

 決して美味いとは言えない飯くらいにはありつけ、雨風を凌げる場所で勾留してくれるだろう。


 だが、それだけは選べなかった。

 もしも憲兵に捕まってしまえばあいつの耳に入るだろうから……。


 そう考えた瞬間、バウルの足は自然と表通りを外れ入り組んだ路地裏に向かった。

 じめじめとしていて、薄暗く。カビ臭い異臭を放つ路地裏。


 誰にだって表と裏があるように、どんな栄えた街にだって普段は見せない闇がある。

 そう言った場所に人々は都合の悪い物を押し込み。見せ掛けだけ繕おうとする。


 一歩表通りを外れ、裏路地に入れば誰が捨てたかも分からないゴミで溢れている。

 ゴミ……、ハハッ、俺もそうだ。ゴミクズだ、今の俺にこんなにもお似合いの場所は無い。

 そう自分を卑下し乾いた笑いを浮かべながらバウルはゴミの上に横たわった。


 限界だった……、殆んど中毒に陥っていながら切らしたアルコールのせいで歩く気力も失われ。

 それ以前に、この数日まともな食事もとっておらず、空腹で歩き続ける体力ももう無かった。


 ゴミ……か、子供の頃を思い出す。

 幼き頃、唯一の肉親だった母を失い一人で生きて行く為に。ゴミを漁り、残飯を食べたものだ。


 そんな生活から抜け出したくて、惨めな生活から這い上がりたくて必死に努力して。

 漸く掴み取った地位や名誉は、最早彼の元には無かった。


 俺の人生、一体何だったんだろうな……。

 必死になって手に入れた物はもう彼の手の中には無かった。

 全て失ってしまった……。


 自業自得、そんな言葉がバウルの頭に浮かんで。それと同時に彼の顔に乾いた笑みを浮かべさせる。



「このクズ!」



 そう何度罵られた事だろう。

 実際クズなのだ、そう罵られる事は甘んじている。


 何を間違った?

 何処で踏み外した?


 そんな事分かり切ってる。あの人を救えなかった時点で彼の人生は終わったのだ。


 守りたかった筈なのに、最後まで守られてばかりだった。

 共に歩みたかったのに、あの男はもうこの世には居ない。



「クソ……クソ!」



 思い出したく無いのに脳裏に浮かぶのは悔恨ばかり。

 忘れたくて、酒に溺れ、自我を失い、道を踏み外し、全てを失った末路が今この状況を作り出している。


 頭から振り払いたい過去、消し去りたい記憶、自分では乗り越える事が出来なかったからこそ酒の力に頼り。

 そして、頼った酒のせいでバウルは全てを失い頼りの酒にすら溺れられなくなってしまった。


 思えばあれ以来ずっと死に場所を探していた。

 此処が俺の死に場所なのか?

 こんなみすぼらしい場所で惨めな最期を遂げるのか?



「はは……ハハハッ!」



 お似合いだ。これ程俺に似合った死に場は他には無い。

 そう考えた瞬間乾いた笑いが込み上げて来た。

 そう諦念を抱いた瞬間心がふっと軽くなったように思えた。


 もう良い……、何も考えたくない。

 このまま此処に横たわっていればそう長くない時間で事切れる事が出来るだろう。


 それ程今の彼は衰弱していた。

 それ程今の彼は疲れ果てていた。



「ちょっとフィル! 一人だけ食べ過ぎでしょ!」



 何もかも終わりにしよう。

 昔の馴染みに迷惑を掛ける事も、心配を掛ける事ももう沢山だ。


 俺が死ねばあいつ等を煩わせる事は無くなる。

 俺が死ねばあいつ等に恥をかかせる事も無くなる。



「モキュモキュ!」


「嫌、成長期って……。フィルは僕より遥かに年上でしょ?」



 足掻くのはもう終わりにしよう。

 これ以上生き恥は晒したく無い。


 何よりも、これ以上悔恨に悩まされたくないんだ……。

 だから、此処で俺の人生に幕を……。



「モキュキュ! モキュッッ!」


「だから……、お腹が空いてるのは僕も一緒でしょ! あーだこーだ言って自分だけお腹を満たしたいだけなんだろ!」


「モキューーッ! モキューーッ!」


「何が違うのさ! そうやって逆ギレして話を誤魔化してるだけだろ!」



 幕を下ろそうと覚悟を決めたと言うのに……。

 さっきからギャーギャーと口喧嘩してるのは一体誰だ!

 一人はモキュモキュ意味の分からない鳴き声を上げてるわ、一人はそれとちゃんとした会話をしてるわ。聞いていてこれ程不可解な会話は無かった。


 もう此処で俺は死ぬと決めた!

 その安らかな眠りを妨げる者は何人たりとも許さない!

 喧嘩なら他所でやってくれ!

 一刻も早く俺に死と言う安寧をくれ!


 そう思い、そう憤り、バウルは今正に死なんとする自分の傍らで喧嘩を繰り広げている輩に文句を言ってやろうと声のする方に視線を向けると。

 そこには一匹の白い猿と一人の少年が居た。



「モキュ……?」


「はぁ? 器の男? 何急に意味の分からない事言い出してるんだよ! 話を誤魔化すにしてももっとちゃんとした言い訳を考えろよ!」



 目が合ってしまった……。

 白い猿と、バッチリ視線が重なってしまった……。

 クリクリとしたつぶらな眼だった。


 白い猿はバウルと目が合うと首を傾げながら短く鳴いた。

 無論バウルに彼が何と言っているのか分かる訳も無く、気まずい空気のままバウルは猿を見続けた。



「モキュキュ……」


「魔王の器……って、それ前フィルが教えてくれた?」



 そんなバウルを他所に猿の連れ合いであろう少年は、不思議な事に猿と会話を重ね。

 フィルと呼ばれた猿の言葉に驚き、それまで背を向けていた体をバウルの方へ向けバウルに視線を移した。


 必然的に今度は背後に居たバウルと、振り向いた少年の視線が合ったのだが。

 何よりもバウルはその少年の容姿に愕然とした。



「あ、兄貴……?」



 そう、思わず声を漏らしてしまう程少年の姿は在りし日のあの人に酷似していた。

 酷似……処では無い。過去彼が兄と呼び慕った生前のあの人、その幼少の頃の姿そのままだった。


 ザイン・ベッケンシュタイン……。

 兄と慕い、師と仰いだバウルの恩人だ。



「ハハッ、そうか……。あんたが迎えに来てくれたのか……。てっきり俺は最期の迎えは母さんが来ると思ってたんだけどな……。俺を此処まで生かしてくれた兄貴が迎えに来るなら納得も出来るぜ……」



 何故だろう、心が軽くなったように思えるのは……。

 バウルは白い猿の存在も忘れ、少年を見つめながら穏やかな心でそう告げた。


 何言ってんだこのおっさんは?


 意味不明なバウルの言葉を聞いてフィルと少年……、嫌カイツは率直にそう思ってしまった。

 無理もない、初対面の筈の男がいきなりカイツを見るなり兄貴と呼んだかと思えば。

 急に達観したような台詞を吐いて一人だけ納得しているのだ。困惑を通り越して、侮蔑しても可笑しくは無い。



「あぁ、穏やかだ……。こんなにも穏やかな気持ちは何時以来だろう……」



 嫌、知らんがな。達観したかと思えば今度は感傷に浸り出して何なんだこの人は?



「これで俺も死ねるんだな? 兄貴と一緒に逝けるなら怖いもん何て何も無い……」



 嫌、だからその兄ってのは一体誰の事なの?

 死ぬ死ぬ言ってる割に元気過ぎやしませんか?


 気味の悪い……、何て気味の悪いおっさん何だ……。

 これ以上関わると何をされるか分かったものでは無い。

 こちとら頼みの綱だった魔術師ギルドに門前払いされてしまい途方に暮れていたのだ。


 途方に暮れすぎて路地裏に捨ててあった残飯をフィルと二人で漁っていた訳だが……。

 それもこのおっさんに邪魔されてしまい未遂で終わってしまった。


 この場はとっとと退散するに越した事は無い。

 そして別の場所に移動して残飯漁りを再開しなければ空腹で死んでしまう!



「モキュー……」



 そう考えフィルを抱え得体の知れない不審者から逃げ出そうとしたカイツだったが。

 フィルはカイツが抱えようとした瞬間その手をするりと抜け、不審者の元に駆け寄って行ってしまった。



「こ、こらフィルダメだよ!」



 フィルの突然の行動に、カイツは彼を制止しようとしたのだが。

 フィルは先程から不審者に向かって何度も何度も同じ言葉を繰り返していた。


 器の男、魔王の器――。


 カイツも詳しくは知らない。以前フィルに聞かされた程度だ。

 この世界には数百年、或いは数千年に一度魔族界の王とチャンネルが繋がった人間が生まれるのだと言う。


 チャンネルと言うのは、平たく言えば生まれ持った属性の事であり。

 魔術を使える者なら誰しも異界に居る精霊と呼ばれる魔物達と生まれながらに繋がっている。


 その昔この世界が異界――、俗に言う魔族界と神族界と繋がっていた名残だ。

 昔はゲートと呼ばれる異界への扉が世界のあちこちに存在し。互いの世界を往来する事が出来た。


 そのゲートの存在によって太古の昔には異界の魔物。今日では精霊と呼ばれる属性を司る召喚獣達を召喚コールする事が出来た。

 今や伝説として語られる召喚士コーリストと呼ばれる者達がそうだ。


 しかし、少なくとも3000年程昔に異界と繋がっていたゲートは突然閉じられる事になった。

 何がきっかけなのか、予測の範疇を越える事は無いが。

 今日ではある一人の召喚士がそのゲートを閉じたのだと通説が流れていた。


 史上最強と謳われる召喚士、ヴィルエッタ・クリーセ・シュライバーだ。

 彼女がゲートを閉じた理由も方法も現代では定かでは無いが。

 ゲートが閉じられた当初世界は混乱に包まれたと伝えられている。


 ゲートが閉じられた=召喚術が使えなくなったのだ。混乱もするだろう、混沌ともするだろう。

 そんな使用出来なくなった召喚術に替わって台頭したのが現在でも使用される属性魔術であり。

 召喚術が使えた当時は下等な技と見られ、軽んじられていた魔術はそれから3000年以上の間召喚術に替わり今日では最上の力と認識されていた。


 そんなゲートが開かれていた時代の名残か。生まれながらに上位の精霊とチャンネルが繋がっている人間が時折生まれる事がある。

 火属性ならば火属性最強の精霊イフリト。

 水属性ならば水属性最強の精霊ウンディネ。


 魔術とは本来チャンネルで繋がった精霊の魔力を利用し使用される物であり。

 必然的に繋がった精霊の強さによって魔術の威力は跳ね上がる。

 その属性を司る程の大精霊とチャンネルが繋がった者はどの時代でも、歴史に名を残す程の大魔術士ばかりであり。

 無論、現代でも上位精霊とチャンネルが繋がった者は存在している。


 そんな中にあって、異界を統べる王とチャンネルが繋がっている。

 それが意味するものはつまり……。



「魔王の器って……、平たく言えば何の属性魔術も使えない普通の人間って事なんでしょ? フィル前にも言ってたじゃないか。魔王が司る闇魔術は禁忌として魔王自らが封印したんだって。もうこの数千年、闇魔術を使える人間はこの世界には存在してないんだよ?」



 そう、つまりはカイツの言葉通り何の能力も持たないただの人間と言う事だ。

 人間に力を貸すつもりが無いのか、それ以外の思惑が異界の王にあるのかは分かる筈も無いが。

 少なくとも遡れる歴史の上では、魔王とチャンネルが繋がり魔王が司る唯一無二の闇属性を使用した者はほんの一握り。何千年も昔に幾人か伝説として語られる程度だった。



「モキュ~」


「お伽噺?」


「モキュー、モモキュッモキュモキュ、モキュッモキュッモキュキュ。モキュモキュッ! モキューモキュッ、モキュッキュ!」


「へぇー、そうなんだ……。精霊の間じゃそんな風に語られてるんだね」



 何がそうなんだなのか全く理解出来ない会話だった。

 言葉を分からない者からすればただひたすらモキュモキュとしか言っていないフィルの言葉を理解する事は不可能だった。



「眠ってるの?」


「モキュ~」


「そっか、気絶したのか……」



 バウルの意識があれば間違いなく的確な突っ込みを入れてくれていただろうが。

 カイツが口にしたようにバウルは意識を失っていた。


 無理もない……、この数日まともに食事をとっていない上にほぼ眠る事も出来ず。

 おまけにアルコールが抜けてしまって依存症の症状まで襲って来ていた。

 先程まで意識を保っていられた事が奇跡とも言えた。



「助けたいんでしょ?」


「モキュ?」


「良いに決まってるよ。フィルがしたい事は僕がしたい事でもあるからね。僕とフィルは兄弟でしょ? 遠慮しなくて良いよ」


「モキュッ!」


「ハハ、分かった分かった。フィルがお兄ちゃんだもんね」



 本来ならこんな浮浪者相手にしている余裕は今のカイツ達には無かったが。

 人と動物以上の絆で結ばれた二人にとっては互いの意思は何よりも優先すべきもの。

 バウルが意識を失う前から彼に寄り添い続けるフィルにカイツは優しく問い掛け、フィルの決断を優先すると伝えた。


 相変わらずフィルが何を言っているのかは普通の人間には分からないが、カイツにとっては同じような鳴き声でもちゃんとした言葉に聞こえる。

 他の誰にも分からずとも、カイツだけにはフィルの言葉が分かる。



「さて、どうしたものか……。最初から路頭に迷ってるみたいなものだから、助けなきゃいけない人が一人増えて厄介この上無いな……」


「モキュキュ?」


「ん~……、ダメだよ僕達の力だけでどうにかするって決めたろ? 今更父さんの知り合いを頼る何て出来ないよ」



 正直手詰まりだった。元から当てにしていたギルドは門前払い。路地裏で残飯を漁ろうにも限界がある。

 その上、病気なのか何なのか衰弱した浮浪者まで面倒を見なくてはならなくなり。この状況を打開する策を今すぐに見付けなければならなくなってしまったのだから打つ手など無かった。



「ガイヅざぁ~ん! いだぁ~!」



 カイツが口にした通り父の知人を頼るしかもう現状を打破する術は無いのだが。

 父の知人だけは頼らない。故郷を出る時そう誓ったし、母とも約束した。

 自分の力だけで生きて行くと約束を交わしたのだ。


 それが故郷を出る条件だった。

 違える訳にはいかない、違えたら故郷に連れ戻されてもしまう……。


 そんな風にカイツが必死に打開策を考えていると、背後から突然彼の名を呼ぶ声が聞こえた。


 突然のその声に驚きカイツが振り返ると、そこには先程彼をギルドから追い出した女性が立っていた。



「えっと……、貴方はギルドの……」


「リンヅでずぅ~! ゴメンナバイ、確認がどれまじだぁ~!」



 女性は何故か泣きじゃくりながらも必死に言葉を紡ぎ、何やらを伝えようとしている。



「でんぶ……わだじが……ばるかったでず! ゴメンナバイ、ゴメンナバイ!」



 臀部はダジが張る勝った?

 意味が分からない……、辛うじて最後の言葉は謝罪だとは分かったが。

 泣きじゃくり過ぎて最早何を言っているのか理解する事が出来なかった。


 フィルの言葉は分かるのに、人間の言葉は難しい……。

 ただでさえ路頭に迷っていると言うのに、更に厄介なのが増えて困惑してしまうカイツだったが。

 彼女、魔術師ギルドの受付嬢リンツが持ってきた報せは彼の現状を好転させるものだった。


 何故彼女がこんなにも泣いているのか。

 そして、カイツを追い出した筈の彼女自身が何故カイツを追って来たのか。


 話は今から一時間程前に遡る。




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