02 講義:存在意義

「"人間植物"が人間で人間と人間に許されていない人間?」

 さっそく『人間』がクルクルと蜜柑の脳内を駆け回る。

「まあ、大体そういうことだな」

 有坂は頷く。

「そういうことじゃないですよね」

 ツッコむ緋色も、『"人間植物"を人間だ……』くらいからもう幽体離脱していた。

「何度言っても理解しないだろ、お前ら」

「それは、そうかもです」

 蜜柑が笑って頷くと、開き直るなと言わんばかりに有坂は頭を抱える。

 効きすぎた暖房の熱を逃がすように、彼は袖をまくり、語る。

「……まあいい、順を追って話す。この国に存在している"人間植物"がいつ生まれて、いつ死ぬのか知っているか?」

「畑で生まれて、寿命が来たら死ぬ?」

 緋色が答えると、「30点」と言い有坂は続ける。

「間違っているわけではないが、何も言ってないようなものだな。"人間植物"にとっての寿命とはなんだ?」

「枯れる時でしょう」

 緋色は再び答える。亡くなる寸前の"人間植物"が、茶色く変色していく──まるで水分の供給が止まった花のように朽ちていく様を、昔インターネットで見た。

 気の利いた返答だと緋色は考えたが、今度は「60点」と有坂は言った。

 60なんてほぼ満点じゃん。そう蜜柑は茶々を入れるが、彼は無視して続ける。

「そう、"人間植物"に寿命が来ると、彼らは枯れる。なら寿命とはいったいなんだろうね。そう、"人間植物"の寿命とは──」

 有坂は口上を述べるように人差し指を立て、更に続ける。

「──行政にんげんによって定められた、ただの数値に過ぎないわけだ。18年間の耐用年数を持つ"植物人間"は、18年間ピッタリで枯れる。プログラムみたいにな」

 少し悲しそうに、しかしあくまで諦めたように肩をすくめた。

「決められる……わけですか」

 緋色が曖昧に相槌を打つと、有坂は教科書を開いて見せる。

 先ほどまで見ていた12章だ。

「人間植物法の制定のきっかけは、少子高齢化による人材の危機を迎えたため。ならば、定年を迎えた"人間植物"や、求められている役割を失った、人材としての価値を失った"人間植物"がどうなるか──お前にもわかるだろう」

 声を入れる隙もないくらい、有坂の声には熱がこもっていた。

 過去に何か"人間植物"に関するよくない経験があったのだろう。

 彼の熱量のせいか──室内の暖房も相まって、窓ガラスはまるで終末都市の如く白く曇り、外の世界が毒ガスに侵されているような、そんな感覚を得る。

「……」

 緋色は有坂から目をそらして答えを出すのを避けた。

 導き出した合理的な結論が、彼が──現代社会が無意識化のうちに直視することを避けていたものだったからだ。

 代わりに有坂が続ける。

。まるで自己破壊機能をもったロボットのように。人間が人間であるための自由を本来的に持ち合わせていない……そんな存在を『人間』であると、その寿命を設定した人類が宣言していいのだろうか」

 そして確信を深めるように自分の言葉にうなずいた。

 その圧力から逃れようと緋色が蜜柑を横目に見ると、退屈そうに世紀末の様相を呈した窓ガラスを眺めていた。

「……"人間植物"は生まれた時から寿命が決まってるんですね」

 ──それなら、きっとつぼみ先輩も。

 緋色の脳裏に1人の女の子がよぎった。

「まぁな。……寿命が延びることもあるが」

 緋色の疑念を察したかのように有坂は言った。

「……?」

 "寿命が延びる"という妙なセンテンスに、緋色は首をひねる。

「"人間植物"の寿命は『人間に必要とされなくなったとき』。要は捨てられるペットと一緒だな。研究員の"人間植物"は毎年契約を更新して、行政から"栄養剤"を入手する限り死なないし、性風俗の女の子なんかは引退の年でも、客に買われて結婚するなんて事例もある」

「えっ、結婚……。おっさんと結婚ってコト!? 無理無理」

 蜜柑が唐突に飛びついた。一瞬前までつまらなそうにしていたのに。

「おっさんに拒否反応を示すな。俺が悲しくなる。……実際の契約には、当事者である"人間植物"の同意が必要だ。人間主導の人身売買にはならないようになっている」

 取り繕う有坂をまじまじと見つめて、蜜柑は追求する。

「……やけにフーゾク事情とか詳しいっすね。ハマってたりします?」

「ブフッ」

 緋色は吹き出しそうになった。というか完全に吹き出した。

 有坂は困り顔になって俺を睨む。睨むなら蜜柑だろう。

「ハマってはないが、昔、色々な」

「若いころのアヤマチってヤツですよね。わかります」

 わかってねえ。絶対に分かっていない顔で蜜柑は有坂を煽る。

「鈴木、体罰ってのは教育上必要なものだと思うんだが」

「……ならどうして握りこぶしが俺に向いてるんですか」

「長谷川を殴ったら怒られるからな」

「マジで俺をなんだと思ってるんですか……」

 この人は先生なんだけど、先生っぽくなくて、でもあるときはちゃんと先生で。

 両面併せ持つ不安定な精神年齢が、毎秒乱高下している感じだ。

 だから別に有坂が風俗に入り浸っていようと、イメージ通りといえばイメージ通りで……って疑ってるな。蜜柑だけじゃなく、自分も。

 有坂と目が合う。自然と逸らす。すみません、風俗×有坂は解釈一致なんです。

「はぁ、誤解されたら困る。どうして俺が"人間植物"の風俗事情に詳しいか──」

 彼は緋色たちの疑念の目に顎を擦り、言い訳を始めた。

 間を図るように一息ついて、素知らぬふりで告白する。


「──しいて言うなら、俺も、"人間植物"だからだな」


 当然、"人間植物"事情はよく知っている。と、底光りのする笑みを浮かべた。

「「……」」

 一転、緋色たちは虚を突かれて呆けていた。

 もう丸々2年近くは有坂と、遠からず近からずの関係を築いてきたというのに、まるで人間と区別がつかなかった。なんなら、"人間植物"であるとカミングアウトされた今であっても、彼を人間ではないと疑う要素が彼の外見に見当たらない。

 有坂は得意げに言う。

「なかなか気づかないだろう。意外と探せばいるんじゃないか、"人間植物"」

 緋色は一連の話を聞いて、有坂が人間に対してどのような感情を抱いているのか、また、自分がどんな感情になればいいのかわからなかった。

 蜜柑も同じように微妙な顔をして言う。

「あのー……せんせー。なんか気づけなくてごめんなさい? ……謝るべき? いや、そもそもせんせーは人間として見られたいの? 気づかれてなくてうれしい?」

 蜜柑らしからぬ歯切れの悪さに、有坂は眉を細めて訝しがった。

「急に畏まるな、困るから。だから言いたくないんだ。別に今まで通りと何も変わらんだろう」

 人間として見られたいか。有坂はその質問をいくらか咀嚼して返す。

「……人種だとか、植物だとか人間だとか以前に、俺はお前らから立派な歴史の教師だと見られればそれでいい。人間は"人間植物"にはなれないし、"人間植物"は人間になれない。でも俺はこうしてお前らを教えているわけで、反対に勉強をする"人間植物"もいる。この種族に縛られない上辺の構造自体を俺は気に入ってる。……この年にもなってなんか臭いな。忘れてくれ」

 そう語り、有坂は胸元に手を伸ばす。やはりシガレットが足りないらしい。

 蜜柑は机に突っ伏し、口角を上げた。

「結構カッコいいじゃん、せんせー」

「うるさい。……今日は終わりだ。湿っぽくなったしな。早く帰れ」


 強制的に帰り支度をさせられながら、緋色は『勉強をする"人間植物"』、青井つぼみの事を想った。

 ──先輩にも、定められた終わりがあるということを。

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