恋する植物
花井たま
01 講義:人間植物法
第12章
人間植物法の制定
21世紀初めまで日本の総人口は増加を続けたが、2008年をピークに減少へ転じた。これに対し、労働力の不足や経済規模の縮小等、本格的な改革の必要性を感じたU民党は、2052年、人間植物法を制定した。これは日本の基幹産業であるバイオテクノロジーにより、極めて人間と近しい能力を持つ『人間植物』を生産、社会活動へ参加させるというものである。これに対して各国は非人道的行為であるとs──。
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「──なあ、補講で寝る奴がいるか?」
大きなため息が放課後の教室に響いた。
白髪が混ざり始めた男性教諭は、2人の生徒を前にして肩を落とす。
「いや、俺に言われても」
男子生徒──鈴木緋色はほろ苦く笑う。
そもそも緋色自体は平均点を取っていて、補講に顔を出す必要はなかったのだ。
むしろ暢気に帰り支度をしていた長谷川蜜柑を、ここまで引っ張ってきた功労者のはずだったのだが、今は有坂先生のプレッシャーを一身に受けている。なぜ。
「大体最近の若いヤツは本当になってない。俺が若いころはもっと学生が主体的に学習し、積極的に課外活動だってな──」
「……ふゎーあ。ちょっと緋色、うるさい」
中年教諭が学生論を語り始めると、見計らったように蜜柑が大きなあくびをした。
コバルトブルーの鮮やかなショートボブが揺れ、悪寒に体を震わせる。2月だというのに丈の短いスカートを履く彼女は、見ているだけでこちらにも寒さが伝播する。
自分の髪の長さより少し長いだけなのに、どうして女の子の髪の毛はこんなに流動性を持つのだろうか、と場違いながら緋色は思った。
「うるさくて悪かった、長谷川」
話を遮られて不機嫌な教師が低い声で言う。
「うぇ、有坂。……先生。どうしてここに?」
寝ぼけまなこを瞳孔が開いた目に貼りかえ蜜柑は驚愕する。
「お前の補講だろうが。そもそもお前が寝る前から俺はいたけどな。馬耳東風というか馬の耳に念仏というか、本当に講義が聞こえない、見えない体なのか?」
「ちょ、むつかしい言葉使ってごまかす癖やめた方がいいですって。確かに講義は聞いてないっすけど」
そう言ってうんと伸びをする蜜柑。こめかみを指でつまむ有坂。
講義前よりも何歳か老けたような気もする。
「……もういい。『人間植物法施行四半世紀』。この呪文だけ覚えて帰ってくれ」
「だって、緋色。10回言ってみてよ」
「早口言葉なら3回だろ。10回クイズと混ざってんぞ」
「鈴木。無駄口を叩くな」
「俺をサンドバッグだと思ってません?」
緋色の当たり判定だけ広すぎる。
白目で蜜柑の方を見やると、彼女は悠々自適に白く曇った窓を眺めていて、心の中で舌打ちをした。こいつは本当にもう。
駅前のヤンキーにケンカを売った蜜柑を、なだめながら額がめり込むような土下座をしたあの日や、家出をした彼女を、僅かな手がかりから海まで探しに行ったあの日を思い出し、有坂の頭痛が緋色にもうつる。
「サンドバッグ……。まぁな。長谷川もそろそろ親離れしたらどうだ」
おおよそ生徒と教師の間で交わされてはならないQ&Aに、昔を懐かしんでいた緋色は反応が一瞬遅れた。ハラスメントというかただの暴言では。
「……親って緋色がお父さん? じゃあつぼみちゃんがお母さんかぁ」
代わりに蜜柑がそう答え、緋色の体温がグッと上がる。
──青井つぼみ。緋色にとって、その名前は特別なものだった。
「3年の青井か? 鈴木、意外だな。……てっきりお前ら2人が付き合っていると思っていたが」
緋色と蜜柑の2人を均等に見て、珍しく有坂がニヤりとする。ああもう。
「うるさいです。大体先輩は俺になんも興味ないでしょうし。あ、俺急に"人間植物"の講義が聞きたくなってきました」
無理やり誤魔化すと、蜜柑までも口角を上げて緋色を茶化しにかかる。
「えー、それってつぼみちゃんが"人間植物"だから?」
──墓穴を掘った……。
また心臓がドクリと跳ね上がる。名前を聞いただけなのに体中の血液が脈を打ち、まさに生きているという雑感。
自分の制御外にある情動に、むずがゆい不快感があった。
「うるせぇ。ってか"つぼみちゃん"って呼ぶな。まずそんな仲良くないだろ」
別に中学も住んでる地区も被っていないのに、どうしてそんなに馴れ馴れしくなれるんだ。先輩と蜜柑と3人で会った時、距離感の近さに先輩怯えてたぞ。
「だってかわいいもん。ね?」
「だってじゃないけどな。……どう思います? 先生」
緋色は連続攻撃を躱すべく有坂を盾にすると、彼はあからさまに顔をしかめた。
「……録音してるわけじゃねえだろうな。俺をハメようったってそうはいかねえぞ」
「最近事件ありましたもんね。世知辛いっすわ」
教師が生徒の容姿について言及することで、大きな問題になったのは最近の話だ。
有坂が蜜柑にキツくモノを言えないのも、昔とは逆転した生徒と教師のパワーバランスによるものだった。優良な生徒を目の前にした教師にプライベートはほとんどなく、ストレスのたまった教師は問題を起こす生徒を厳しく取り締まる。
ただ、補習中に寝る、授業に来ない程度では、問題にすらならないというのが教師にとってなお辛いところで、基準に当てはめると蜜柑は優良な生徒。本当か?
喧嘩だとか、施設の無断使用だとか、そういうのが問題らしい。
「そうなんだよ、だからお前みたいに好き勝手言える生徒が貴重でな」
「……俺が本当は録音してたら終わりっすよ、先生」
録音を危惧するわりには心の声がダダ洩れである。
「まあ最悪、終わったところで終わるだけだろう。潮時ってなら構わんな」
「なんですそのトートロジー」
緋色は有坂の的を得ない発言に首をかしげる。
彼は自分の胸ポケットに手を入れ、目当てのものがそこにないと気づくと、少しだけ悲しそうな顔をした。おそらく銃かタバコを探していたのだろう。ならタバコか。
妙な間が空いてから有坂は言う。
「そうか、青井つぼみか。彼女も"人間植物"だったな」
「……ええまあ、そうですけど」
隣の蜜柑が「なんか雰囲気悪くね?」と、小声で茶々を入れてくるので頭を軽くたたいて黙らせる。目覚まし時計みたいなものだ。これで5分は静かになる。
「だったら面白い話がある。よく議論されているテーマだが──"人間植物"は『人間』か『植物』のどっちだと思う?」
「つまり、つぼみ先輩がどっちなのかということですか?」
「いや──」
「──そりゃつぼみちゃんは人間だよ。星の王子さまでもないんだからさ、植物がしゃべりだすわけがないじゃん」
青髪の狂犬が黙っているわけもなく。彼女の持論を展開する。
『植物がしゃべるわけがない』というあまりにもシンプルなものだが、緋色も大体は同じように感じていた。
自信満々に腕を組む蜜柑を見て、やっと興味を持ってくれたかと有坂は満足げで。
だからか少し上がったトーンで、続けて彼は緋色たちに問う。
「ならば、"人間植物"は畑から収穫できるが、人間は畑から収穫できるだろうか?」
「確かに! トマトやキュウリは畑からとれるし、畑から生える"人間植物"は植物だよね。……あれ?」
結論を出して、蜜柑はエラーに首をひねる。
つぼみは人間で、"植物人間"は植物。二律背反に気づいてポカンとしていた。
「な、少し面白いだろう。この問題に正解があるとすれば、"どちらでもない"というところだろう。"人間植物"は"人間植物"で、人間でも植物でもないということだ」
「それはずるいよ先生」
解がないことが解であるという大人な結論に、蜜柑はヤジを飛ばす。
「……確かに、どちらでもない"人間植物"だと結論付けるのは簡単ですけど、人間じゃないと言われると少しモヤっとするっていうか」
緋色も緋色なりの考えを有坂に伝える。
「だよねー、先生もそう思わない?」
蜜柑に同調した緋色に、再び蜜柑が同調して問うと、有坂はおじさんらしい、頭をポリポリと書くしぐさをしてから、緋色の目を見て言う。
「……俺はお前と逆だ、いや、完全な逆ではないな」
「え?」
自分を否定されて有坂を見つめ返すと、その瞳には確かな年季が入っていた。
強いて言うなら、と有坂は続ける。
「『"人間植物"を人間だと認めることが人間に許されていない』と言うべきか」
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