2.

 彼の邸はさすがに大きく、招かれたときには遠慮が勝った。家の者に見つからないように、夜遅くに勝手口に通され、そのまま人目に付かない道筋で、彼が使っている邸内の離れに連れてこられるのは、自分で言うのもなんだが、妾かなにかのようですこし罪悪感がある。

 どちらにせよ、家の者に内緒の関係であることは確かなのだ。

「いつか、私を本当に家の者に紹介してくださったらいいのに」

 すねるように、呟いてみる。後ろ手に戸を引く彼が、悲しそうな顔になる。そんな表情が見たかったわけではないのに。

「本当にすまない。家の者も今だに過去のことに固執して……」

 うつむいて申し訳なさそうにする彼に、たまらない愛おしさを感じる。巷で言われているような悪い人ではないのだ。

「いっそ俺たちで駆け落ちしてしまうか」

 意想外に真剣な顔つきで彼がそんなことを言うもんだから、おかしくなって笑ってしまう。

 そうできたらどれだけいいか。でも、自分一人のために彼から既に持っているものを諦めさせるわけにはいかない。

 彼の体に自らを預けかけ、月明かりに照らされた彼の耳の裏に顔をうずめ、そっと耳語する。

「そんなご無理はもちろん言いません。今愛してくれればいいのですから」



「下手人が分ったって……お前、それは本当か」

 得意げに鼻を鳴らす小十郎。

「えぇ。よく考えてみてもくださいよ。結局、なつに気付かれずに毒を入れることは誰にも不可能だったんでしょう?」

「あぁ、その通りだな」

「でもそれは本当でしょうか?」

 ここで、嘉介が歌舞伎の見得を切るかのようにちょっと言葉にわざとらしく間を置く。

「たとえば、毒を入れたのがなつ自身だったとしたら?」

「ええ? 何を言ってるんですか、お前さんは」

 織居が焦りを見せた。教え子が下手人扱いされれば当然だろう。

「だから、なつが下手人だった、俺はそういいたいわけですよ」

 小十郎はびしっと人差し指を伸ばすものの、突き立てる相手であるなつはすでに自宅に帰ってしまっている。仕方がないので、そのままその指を清次の方に向ける。

 それをばしっと叩き落として、

「いや、何を言っているんだお前は。なんで、なつが嘉介を殺さなくちゃいけないんだ」

「だから、なつは嘉介を殺そうとしたんじゃないんですって」

「はぁ? どういうことだよ」

「なつが殺そうとしたのは、他の五人のうちの誰か、誰でもいい一人、乃至複数人です。毒を入れる機を正確に測らないと清次を狙って殺すことはできない、とさっき話題になったじゃないっすか。でも、嘉介〝以外〟を殺そうとしたのなら、説明がつくんです」

 尚も不可解そうな顔をする清次に、小十郎は言葉を継ぐ。

「だから、清次が酒を望んだら、ちょうどそのときに毒を入れればいいんです。そうすれば、あの薬は溶けるのに時間がかかるんだから、清次が酒を呑むころには毒がまだ溶け切っていない、だが、そのあとにほかの人が酒を呑めば、溶けだした毒によってそいつが死ぬ。毒が溶けるのに時間がかかるってことは、あの読書家のなつのことだ。当然知っていたでしょう。だが、予想外に溶け出すのが速すぎたせいで、嘉介が毒にあたってしまった……」

 ううん、と清次が呻く。一応の筋は通っている。それを傍で聞いていた旦那連中がどよめく。

「まさか、なつが我々を殺そうとしていただなんて」

「そんなことがありうるものか、あの子とはほとんど繋がりがないんだぞ」

 騒ぎ立てる親父どもを片手で抑え、清次が代表して小十郎に質問した。

「じゃあ、なんでなつはあの旦那連中を殺そうと思ったんだ」

「まぁ、十中八九色恋沙汰でしょうね。なつは、ほんとうは嘉介に惚れていたんだ。だから、縁談とはいえ、嘉介に言いよる女が許せなかったし、それを手配している、ここにいる旦那連中が許せなかったんでしょうよ」

 清次が苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「確かにそれならできる……できるが、ほんとうになつは嘉介に惚れているのか? そんな様子には見えなかったが」

「さっき尋問した時に誰かが言っていたでしょう。嘉介に尻を触られたなつが、大して嫌がる様子でもなかったって。それはそういうことなんじゃないですかね?」

「うむむ……まぁいい、ならなつを呼んで来い。訊けば早いだろう」

 と、ここで織居が首を振り振り口を挟んできた。

「無駄だとは思いますが……。まぁいい、私が呼んできましょう。強面の同心さんや、かっこいい岡っ引きさんがこんな遅くにお宅に伺っては怯えるでしょうし」

 まだ自慢げに鼻を鳴らしている小十郎と、首を捻る清次を後に残して、織居がなつを迎えに行った。


 連れてこられたなつを前に、小十郎が腰に手を当てて胸を張る。かわいそうに震えているなつの肩を織居が支えている。

「さぁ、白状しちまいなお嬢さん。お前さんが毒を盛ったんだろう?」

 びくっ、となつの肩が動く。

「お前さん、嘉介に惚れてるんだろう? もう全部分ってるんだよ」

 小十郎に真正面から見つめられてなつはずいぶんと長いこと沈黙する。見かねた織居が「えー、あのー」と口をはさんだところで、なつがようやっと肯いた。

「そうです……全部私がやったんです……!」

 あちゃー、と額に手を当てる織居。勝ち誇る小十郎。

「え、じゃあ、お前、徳利に毒を入れて、あの親爺連中を殺そうとしたってことを認めるのかい」

 清次がなつの目線まで屈んで質問する。他の商家の旦那連中も真剣になつを見つめる。

「えっ、徳利……? 旦那方……? を、ころ……?」

 今度はなつの方が全く持って不可解そうな表情をする。

「あーあー、もう、仕方ないですね、全部明らかにしましょう」

 織居が宣言した。やれやれ、といった感じで織居が小十郎の肩を叩いた。

「小十郎君、君の推理は間違っています」



 織居は、手を軽く叩くと、まずは鋭く小十郎を指さして、

「さて。まず、君の言った中で、嘉介が酒を所望したらちょうどその時に毒を入れるという話、これが端的におかしい。なぜ、嘉介に酌をした直後じゃいけないんですか?」

 小十郎はうっ、と喉に詰まったようなうめき声をあげる。

「だから、嘉介の猪口に酌をしてから毒を入れたんじゃ、またそのあとしばらくして嘉介が酒を求めたら、毒が溶けた状態の酒を注がなきゃいけないだろう。だから、嘉介が酒を呑むと分ったら、出来るだけ早く酒を注ぎたかったんだ。次に嘉介が酒を呑むまでの間に、ほかの誰かが酌を求めて、毒に当たって倒れちまうように」

「まぁ、たとえばそうだったとしましょう。実に迂遠だけれども。しかし、なつが嘉介を愛していたというのなら、そんな危ない手段を取るでしょうか? ちょっとした手違いで今回みたいに殺してしまうかもしれないのに?」

「じゃあ、先生は一体誰が毒を盛ったって言うんだ。なつじゃなきゃ毒は盛れないし、そもそもなつは自分でやったと認めているんですよ。嘉介が毒にあたるかもしれないなんて、子どものことだから深く考えていなかったのかもしれない」

 織居はなつにちょっと耳打ちしてなにかを確認する。

「ほんとはこんな大勢が居る場で明らかにするつもりはなかったのですが……。本人の了承も得ましたしね」

 おい、それはどういう、という旦那連中からの声を無視して、織居は話を続けた。

 こほんと咳払いを入れてから、

「よく考えてみてもください。私が前にも言いましたが、なぜこんな出入りのできない部屋で、毒殺を考えなければならなかったのか? すぐには分らなくても、下手人候補は限られるのに? なぜ今日やらなければならなかったのか? どうやって毒を入れたか、なんてことよりも私はそちらの方が気になりました」

 織居はお猪口を手に取ると、毒の入っていない徳利から手酌で酒を注いで、ちびちびとやりはじめた。

「だから、下手人……下手人って言い方もおかしいかな、その人は、けして人を殺すつもりなんてなかった、そう考えればいいんです」

 目を見張った小十郎が机に両手をついて身を乗り出す。

「そんな、殺す気がなかったなんてわけはないでしょう。現に嘉介は死にかけているってのに」

「本当にそうでしょうか。そもそも、今回使われた毒薬はなんだったでしょう」

「虫下し……」

 清次がはっとした顔つきで呟く。

「そう、虫下し。なぜか皆さん殺しだ殺しだ、と騒いでいますが、そもそも人なんて殺せるような薬だったんでしょうか?」

 織居が源吉医師に目線をやる。源吉医師はぼんやりとした表情で口を開いた。

「いやあ、一口で飲めるような量では、到底死なないでしょうな。ちゃんと殺したかったら、もっとまともな毒を使った方がいい」

 織居は医師の言葉を聞くと軽くうなずいた。

「さて、虫下しの本来の用途は? ……虫を殺すことです。さて、下手人が、誰かを殺すつもりなんてなく、純粋にこの用途として薬を使ったとしたら?」

 ここで織居はちょっとなつの方を向いて、目くばせをする。考えがあっていたかどうか確認するために。

「ところでみなさん、この庚申待という行事についてどれくらいご存知ですか。そうだ、ためしに小十郎君、説明してごらんなさい」

 まるで寺子屋での講義かのように、織居に当てられた小十郎が若干ひるむ。

「俺、先生の教え子じゃないっすよ……。まぁいいや、庚申待ですよね? えーっと、六十日ごとの庚申の日に、みんなで集まって飲み食いして夜を更かして騒ぐことでしょう?」

 軽くうなずく織居。

「ですが、それだけでは説明が十分とは言えませんね。清次さん、どうです」

「俺も小十郎くらいの知識しかないが……。そうだな、青面金剛さんの祭事をやるってのと、寝てはいけないってのと、庚申待に集う人間のあつまりのことを庚申講っていうことくらいか。付け足すとしたら」

 織居は満足げに腕を組む。

「そうそう。まぁ、大体の人はそんなところの認識をしていることでしょう。ですが、今回の件について理解するには、それでは足りない。さて、なつ。どうせお前のことだから、『抱朴子』くらいは暗唱しているんだろう?」

 突然話を振られたなつは、面食らって首をかしげるが、織居が急かすように促すと、反射的に読み下しの暗唱を始めた。


『又言身中有三尸、三尸之為物、雖無形而実魄霊鬼神之属也。欲使人早死、此尸富得作鬼、自放縦遊行、享人祭酹。是以毎到庚申之日、輒上天白司命、道人所為過失』


「また、身中に三尸有りと言い、三尸の物となりは、形無しといえども実に魄霊鬼神の属なり。人を早死にさせんと欲して……」

「そう、《抱朴子・微旨篇》です。この文章が言いたいことはつまり――体の中には三尸という虫が居て、毎回庚申の日になるたびに、三尸が宿っていた体の持ち主が寝てしまうと、そうなると三尸は体から抜け出して、宿主の普段の悪行を天帝に告げ、死に至らしめる、ということ。まぁこの後にも文章が続くんですが、要するに、三尸が体から抜け出すのを防ぐには、庚申の日には夜を徹することしかない、そう書いてあります」

 清次が膝を打つ。

「なるほど、それで!」

「そう、もうお分かりかと思いますが、確かに嘉介が呑む酒に薬を入れた人物はなつです。だけど、それは嘉介を殺そうとしてのことではない。嘉介が今日の祭事の最中寝ていたのは、皆さん見ていたことでしょうが、それを見たなつは、今晩嘉介の体から三尸が出て、死に至らしめると思ったから、嘉介のことを考えて虫下しを盛ったのです。三尸が嘉介の体から出て天帝に告げ口をする前に、虫下しで殺してしまえば問題はない……。そう考えれば、なつが嘉介に惚れていた、というのはあながち間違いじゃないかもしれません」

「しかし、それならなぜあんな血を吐くほど大量に虫下し薬を……」

 小十郎が首を捻ってもっともな疑問を出す。

「それこそ、さっき小十郎自身が言ってたじゃないですか。〝子どものことだから、深く考えていなかった〟んですよ。えぇ、分りづらいでしょうから、もう少し詳しく説明しましょう。そもそも、我々がこれまで議論したように、徳利の中に薬を入れるやり方では、最初に呑む相手をどうしても決めることが出来ません。そもそも、毒殺が目当てじゃないのだから、徳利の中に酒を溶かすという発想にはならないはずです。では、どうやって薬を呑ますか? ……そう、嘉介が持っていた猪口の方に薬を入れたんですよ。それも、錠剤のまま入れたら呑みづらかろうと、砕いて粉末状にした薬をね」

 織居は足を組み替えてまだ話を続ける。そもそもが寺子屋での師範としての経験がなせる技だろうか、自然と人を引きつける話法で、誰も口をはさむ者はいない。

「さてさて、なつは当然量を計算して薬を使ったはずだが、そんな風に砕いて呑ませたものだから、さっきの源吉医師の話にもあったように、早く体に取り込まれてしまった。そのため、あのように血を吐くことになってしまったわけです。まさに、子どものことだから、深く考えていなかったということになる。そもそも、なつからしたら、恋する人を助けるために薬を呑ませてあげたくらいの考えでしかなかったでしょう。ひょっとしたら、ちょっと嫁気取りを演じていたのかもしれない。それがこんなに大げさになって、ある意味かわいそうなことですよ」

 ここで小十郎がはっと気づいたように、

「でも、ならなんで徳利の方からも刺激臭がしたんですかい? 猪口に薬を砕いて入れたなら、徳利の方には薬が残らないはずじゃ……」

「それは、本人から説明してもらったほうが早いでしょう。嘉介? どうせ聞いているんだろう」

 織居が振り向いて言うと、襖がそっと開いて嘉介の姿が現れた。

「もう大丈夫ですか。と言っても、説明くらいはしてもらいますがね」

「あぁ、……先生、迷惑かけたな。そう、徳利に薬を入れたのは俺だ」

 嘉介が告白を始める。吉野屋の主人が声を上げる。

「じゃあ、お前ら、俺らに薬を盛ろうと……!?」

 嘉介は顔の前で手を振ってちがうちがうと言い張った。

「ええい、焦らないでくれ。俺が徳利に薬を入れたのは俺が倒れて、そのあとに気付いてから、この同心さんたちが来るまでの間だ」

「はぁ? それなら、確かに機は何度もあっただろうが……、そんなことをしてなんになるんだ? 大体、その薬はどこから調達したんだ」

 清次が疑問をぶつける。

「それらの質問にこたえるには、まずこの前提が必要でしょう。嘉介、お前、なつと恋仲にあるだろう」

 また突然織居が嘉介に話題を振る。まさか、自分のところの娘ではなくなつに嘉介が惚れていたと知って、旦那連中が驚きの声を上げる。

「先生はすごいな……なんで分ったんだ?」

「そうすることでしかこれらの疑問に答えられないからですよ。なつが毒殺の意図を持っていなかったとすると、徳利に薬を入れることは考えられない、徳利に薬が入れられていないとすれば、誰が入れたか……、というよりも、入れることによって誰が得するか? ということを考えたんです。さて、ところで、徳利に薬が入っていたことで、何が起きましたか?」

 小十郎が元気よく答える。もしかしたら、小十郎も寺子屋で学んでいた時期があるのかもしれない。

「話がややこしくなりました!」

 あまりに間の抜けた答えに、阿呆、と言いながら清次が小十郎の頭を小突く。

「いやいや、実にその通りです。話がややこしくなったんです。なぜなら、徳利に薬が入っているせいで、溶け出す時間が分らない、そのため、誰に酒を呑ませるつもりだったかが分らない……こういったややこしい事情のせいで、下手人を特定できなくなってしまったんですから。……つまり、嘉介は徳利にも薬を入れることで、下手人が誰だか分らなくし、それによってなつを守ろうとしたんです」

 なるほど……、と場の一同が讃嘆の溜息をもらす。

「そう、先生の言うとおりだ。意識を取り戻した後、なつが真っ青な顔で俺を看病しながら、何をやらかしちまったか言うもんだから、とりあえず薬まだ残ってるんじゃねぇかって聞いたんだよ。そしたら持ってるって言うじゃねぇか、それじゃあ同心にもしかしたらなつがしょっ引かれるかも、と思って、隙を見て薬を徳利に入れたんだ。おい、そんな目で見るなよ。悪気はなかったんだ」

「お前の女の罪を人になすりつけようとして、なにが悪気はなかっただ。最初から正直に話していれば、こんな事件にすらならなかっただろうよ」

 今度は嘉介の頭を小突きながら、清次が心底迷惑そうに文句を言う。

「そのときはそこまで頭が回らなかったんだ。今こうやって正直に話してるんだから勘弁してくれや」

 鼻の下を人差し指でこすりながら嘉介がバツの悪そうな表情を作る。それに苦笑しながら、織居が全体に言い渡す。

「さて、これで、ここで起こったことは大体分ったかと思われますが、他に何か質問は?」

「あっそうだ、お嬢ちゃんが嘉介から三尸を出すために虫下しを呑ませたってのは分ったんだが、嘉介はそんなに天帝に告げ口されちゃ困るようなことをしたのかい?」

 なつはばっと顔を赤らめる。

「その、嘉介さんの家柄も考えずに私なんかが……」

「そうじゃねぇだろ、どうせお前はあの日のことを気にしてるんだろう?」

 嘉介があっけらかんとのたまう。

「そう、そこだけは私も気になってたんですよ。なつさんは何をそんなに気に病んでいたんでしょう」

 織居の後を受け、嘉介が引き継ぐ。

「だからな……」


 嘉介があけっぴろげに語った話に商家の旦那連中も清次もあきれ返ってしまった。嫁入り前に関係を持つとは、江戸の風紀も落ちたもんである、とかなんとか。実際は自分たちのころと事情に大差はないのだが。

「いいっすね、なんか!」

 小十郎だけが阿呆のように騒ぎ立てる。

「それで、嘉介が親の言いつけを守らず、家格の低い自分のような女と関係を持ち、あまつさえ駆け落ちだのなんだのと、そんなことを言っているのが罪悪だ、と思ったわけですか……」

 織居は目を閉じて頭を横に振る。

「なつは……頭はいいんですが少し真面目過ぎるきらいがありますね……」

「そうだったのか……」

 肝心の嘉介ですら驚いている。

「俺はてっきり、態度の煮え切らない俺に腹が立って、毒でも盛ろうとしたのかと思ったぜ。そうでもなきゃ、あんな臭いのする猪口なんか飲み干さないってもんよ」

 そういえば、そんな問題が残っていた。あの薬は水に溶けると臭いがするはずなのである。それを飲み干した、ということは、嘉介側にも毒を避ける意図がなかったということになる。

「しかし、なつもどうしてこんな男に惚れちまったんだろうなぁ」

「いやそれよりも、こういったらなんだが、嘉介もなんでなつに惚れちまったのか」

 旦那連中が恨み節をこぼす。それも当然だ。目の前に、彼らの縁談と面子をつぶした男と女が、そっくりそのまま二人そろって座っているわけだから。しかし、その表情は心底から憎々しげなものではなかった。

「ところで、嘉介。なつはお前のせいでこんな風に思いつめているようですが、なにかお前にしてやれることがあるんじゃないですかね?」

 嘉介はしっかりと何回か一人で肯くと、さも自信ありげに、いたずらっぽく笑いながら言う。

「要は、俺の両親の言いつけに背かないようにして、やっちまったことにも責任とれって言うんだろ? ……簡単じゃねぇか」

 嘉介はにやにやと笑みを浮かべると、なつのもとに歩み寄ってその手を取った。


「おい、なつ。うちの頑固親父でもお前のとこの母親でもなんでも、どれだけ時間が掛かろうと説得してやる。こんなんでもよければ、俺の元に嫁に来てくれないか」


 なつが顔を真っ赤にしてうなずくと、その日の庚申講は、そのまま彼らを祝う宴となった。

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恋の Koinobiont 田村らさ @Tamula_Rasa

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