人のためにということ

 誰かのために何かをするということは、立派で尊敬できること。「優しくするんだよ」「親切にするんだよ」という概念が常にあります。

 人は、弱いもので、他人の影響を受けたり、目の前の利益に負け、先のことが見えなくなることがある。勘違いや認知の偏りもよく起こす。自分にとって都合よく、楽なほうを選びたくなる。

 人のために何かをするよりも、人を絶望させることや、批判することの方が簡単なのではないかと。そして簡単に、あらゆることの積み重ねで、心が折れてしまうのではないかと。善意や正義よりも、悪意の方に影響されやすいのではないかと。使命感や正義や、こうするべき、こうしなくちゃ、という気力を持ったとしても、うまくいかないことがある。こうしなければいけない、と思って努力を続けるほど、周りや自分を客観視できなくなることもある。人のために何かをしたい、役に立とう、力を貸そう、という余地がないくらい、疲弊することもある。

 人に親切にする、誰かのために何かをする、そのことが何の意味を持つのか。社会は平等じゃない。善意は通じず返ってこないこともある。悪いことをしたら自分に返ってくるけれど、良いと思って、信じてやったことが、良いと思っていた考えが、間違っていたら?

 人は、長いものに巻かれやすく、少数より多数に流され、強いものに対して弱い。弱いものは諦めることのほうを選びやすい。

 

 それでも、世の中には、人のために行動することができる人がいる。それはどうしてなのでしょうか。

 もしかしたら、日常での小さな判断や選択の繰り返し、自分が選ぶ行動と、結果のフィードバックの繰り返しの中で、全ての解決にはならずすぐに効果があらわれにくくても、人のためにしたほうがいいことを学習しているのでしょうか。その人のこれまでの日常の経験と記憶が、人を助ける行動を起こすのでしょうか。

 一つわかるのは、そこに目的に向けた、自律した行動と判断の記憶、目的に向けた、連続性のある行動をする力や意欲があることです。それは経験の少ないこどもでも、持ち得ることかもしれません。必ずしも自分がした行動や判断の記憶とは限らない。友人や、父母や、身近な大人の経験など見聞きしたことを、取り入れているのかもしれない。

  

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