刺し身はあたると腹を壊す

 渋谷の駅前にて、ひと目で慄くような光景が繰り広げられていた。

 屈強な現場作業員たちが、一人の若者を捕まえていた。

 右腕に一人、左腕に一人。若者は両腕を押さえつけられ、膝をついている。

 そんな若者の前に、大ぶりのハンマーを構えた作業員があらわれた。


「おらぁっ!」


 気合とともに、若者の顔面にハンマーが突き刺さる。

 うつむき気味であった若者の身体は、バカになる直前のバネもかくやな勢いで後ろにつんのめる。

 若者を支えていた二人が、必死の形相で若者の身体を抑えていた。


「チッ!」


 ハンマーを手にした作業員は、つまらなさをあらわにしたような舌打ちをする。

 あわれハンマーで殴られた若者は顔をべコりとへこませ気絶しているものの、それだけだった。

 目は潰れず、頭蓋骨は壊れず、頭も潰れていない。ただ気絶しているだけであり、ハンマーの形にヘコんだ顔面も徐々に戻っている。

 若者はハズレであった。


「次だ、次!」


 ハンマーを手にした作業員。彼がリーダーなのだろう。そのリーダーの合図に従い、別の男性が連れてこられる。

 一人だけではない。作業員たちは、そこらを歩いている通行人を手当り次第捕まえている。

 成人男性に限り、逃がすことなく捕まえている。

 渋谷の駅前で繰り広げられているのは、死なない公開処刑であった。

 ピーピーと、突如鳴らされた甲高い笛の音がこの場にいる全員の耳に入る。


「止めなさい! 今すぐに止めなさい!」


 殺到した警官隊が、公開処刑まがいのことをしている作業員たちを止めに入った。

 警官たちが作業員ともみ合う中、警官隊の隊長がリーダーに話しかける。


「いったい何を。誰も死なないとはいえ、許されることと許されないことが」


「決まってるだろ。死なない男を見つけるためだ。アイツを見つけるためなら、どんなことだって許される」


「だからと言って、人を捕まえて無差別にハンマーで殴るのが許されるとでも?」


「ああ、許される。顔をいちいち確かめるよりも早いんだから許される。間違っても謝れば済むんだから、許される。とにかくアイツをぶっ殺さないと、俺たちはどうにもならんだろ!」


 とにかく男を殺せばどうにかなると思っている作業員のリーダーと、度を越えた無秩序は許せない警官隊の隊長。

 二人の長は喧々諤々、平行線の議論を続けるものの、増える警官、いくら必要性があっても野蛮すぎる。これらの構図が、徐々に作業員たちを追い込んでいった。


「ここは我々が収める。そして我々も、かの男を渋谷より逃がすつもりはない。それで、手を打ってくれないか?」


「わかったよ。お前ら、帰るぞ!」


 リーダーの一言をきっかけに、作業員たちはぞろぞろと立ち去っていく。その手にある凶器は、すべて工事用品だ。

 おそらく工事中にでも死ねる男があらわれた報せを聞き、居ても立っても居られず駆けつけたのだろう。

 彼らのやり方にも動きにも、計画性なんてのはなかった。

 作業員たちがぞろぞろと帰ったところで、隊長は彼らに囚われていたサラリーマンに声をかける。


「大丈夫でしたか?」


「ええ……まあ……多少乱暴でしたが、気持ちはわかりますし。わたしも、あの男にはいろいろと言いたいことがあります」


「そう言っていただけると、話が進めやすい」


 隊長は小袋より小型のメスを取り出す。袋から出た途端、煌めきを放つぐらいに鋭いメスである。

 他の警官たちも遅れてメスを手にする。このメスは、警官隊の標準装備であった。


「すみません。彼と見分けるために、手首を貸してもらえますか。一応、その、あなたは背格好が似ているものでして……」


 隊長は、手首を斬らせて欲しいと頼む。10年前なら、お前を殺すに等しい物言いである。


「いいですよ。どうぞ」


 しかしサラリーマンはあっさりと手首を差し出す。

 ハンマーに殴られることに比べれば、実に効率的。さすがのお役所仕事だと、むしろ感心しているくらいである。

 隊長はサラリーマンに礼を言う。


「ありがとうございます」


「しかし、手のひらとかじゃ駄目なんですか? 血を出す、怪我で判断するのが目的ならば、そっちの方が楽では?」


「昔は手のひらだったんですが、前に誤魔化されたことがあったんですよ。なにせ、細工もしやすい場所なので」


「ああ……」


「なので今は、手首を斬らせてもらってます。判別と言うより、手首を斬られたらたまらないと出てきてくれる。そちらへの期待が主ですね」


「なるほど。昔に比べて、警官も随分と荒々しくなったものですが、それくらいしないと見つけられないんでしょうね」


「ええ。まったく。では」


 そう言うと、隊長はサラリーマンの手首に刃を当てて一気に引き抜く。

 そこには、判別や脅しのような躊躇など一切なかった。


「ひでえことしてんなあ」


 件の死ねる男は、そんな一連の光景をスクランブル交差点の向こう側から観察していた。

 その片手には湯気のたった缶コーヒー。その背では、数日前男を殺すために店に突っ込んだトラックの回収作業がおこなわれていた。


               ◇


 見つかったら、すぐに逃げるのが鉄則である。実際、男はそうして生き延びてきたし、一度渋谷から離れることに成功した。

 だが、協力者が架した余計なハードルのせいで、すぐに渋谷に戻ってくることになり、しかも隠れ家ごと見つかってしまった。

 なんとか追手を撒くことには成功したが、結果的に私的公的合わせ包囲網が完成してしまい、男は渋谷から出られなくなっていた。

 男は適当に街を歩きつつ、現状を確認する。

 凝った変装をしてどこかに隠れるより、付け髭ぐらいの変装で堂々としている方が見つかりにくい。人が多い、都会ならではの隠れ方である。

 普通、この程度の変装では切り抜けられるわけがないのだが、この10年で人々は不変に慣れてしまったせいかどうにも変装のような変化に弱くなり、人間関係も発展より維持、つまり他人に踏み込みにくくなっている。変装する側としてはだいぶ助かってはいるのだが、その結果が傷つかなければ偽物、死ねば本物の判別法である。狂気の沙汰ではあるが、男以外にとっては最も効率的な手段。つまり、正気だ。

 無理に外に出ようとせず内に籠もっておけばしのげるとは思っていたが、ああいう自警団もどきが出てきて警察も内に注意を払うようになると、タイムリミットは近い。

 かと言って、外に出るのが楽かと言われれば、全然。むしろ今が一番やる気のある時期だ。徒歩、車、電車。すべての交通手段に、検問が敷かれている。下水道を通って脱出なんてのは夢物語である。そういうところには、大穴狙いの無茶な連中がいたりしてむしろ危険だ。

 しばらく内でしのいで、もしかして渋谷から逃げたのでは? と周りが懸念し、包囲網が緩むタイミングで脱出を図る。

 このやろうとしていた計画は、のんびりとした非現実的な計画へと堕してしまった。おそらくもう、半日でも渋谷にいたら捕まる。つまり身を隠しやすい夜も待てず、日中の今、脱出するしかない――


「あ」


 思わず男の口から間の抜けた声が出る。そんなことを考えていたら、いつの間にか裏路地へと足を踏み入れていた。

 激しく雑な音で鳴く室外機。年季の入ったラブホテルの看板が、ちかちかと眠そうに輝いている。こういう、一人でいると目立つ場所より、雑踏にいるべきなのに。

 大通りに戻ろうと振り返った男の前に、二人の作業員が立ちはだかった。

 ならば直進と再び振り返ると、三人の作業員がそこにはいた。きっと、物陰に隠れていたのだろう。


「ちょっといいか」


 駅前でハンマーを振るっていた作業員のリーダーが、変わらぬ様子で再びハンマーを振るっている。


「よくはないな」


 当然のように断る男。だが、リーダーが、ハンマーを振るのをやめることも歩みを止めることもなかった。


「ことわるってことは、お前もしかして本物か?」


「何の本物かは知らないが、きっと俺じゃないな」


「能書きはいい。とりあえず、ぶん殴るだけだからよ。俺はお前が本物で、もしうっかり死んでもいいと思ってる」


 リーダーの歩みに合わせ、作業員たちはじりじりと男への包囲を狭める。

 男にできるのは、ただ彼らを待ち構えるだけだった。


               ◇


 SNSにある一報が入ったことで、まず渋谷が揺れ、続いて東京が、関東が、日本が揺れた。


『死ねる男を、ついに殺してしまった……』


 この短いつぶやきに添付された画像。裏路地で一人の男がうつ伏せで倒れており、血と脳みその破片が頭を染めている。

 すぐにでもBANされるべきグロ画像。だが、見る人が見ればわかる渋谷の裏路地。今現在、死ねる男は渋谷にいるという情報。死体の姿格好が、目撃証言そのものであること。そして何より、その刺激性と情報性により、画像と呟きは瞬く間に拡散された。

 情報を元に、現場に急行する人々。人気のない裏路地はあっという間に人で溢れ、閑古鳥が鳴いていたラブホも、撮影目的の配信主やTV局によりあっという間に満室となる。鈍く動いていた室外機は、野次馬に蹴っ飛ばされることで寿命を終えた。


「本当に血だ……」


「久々に見た」


 駆けつけた人々は、道路を染める血を見て、ここで本当になにかがあったことを確信する。

 人が傷つかなくなった世界にて、血は動物を飼っていたり屠殺場にでも勤めていない限り、生活から程遠いものと化していた。人の血を吸うタイプの蚊は、とうに絶滅した。

 だが肝心の、死ねる男の死体は無い。それどころか、この情報をアップしたであろう何者かも居なかった。

 ざわめく人々の鼻孔をくすぐる、石鹸のほのかな香り。この喧騒の中では目立つものではなかったが、発している当人はとにかく小ざっぱりしていた。

 フケが出そうだった髪を洗い、無精髭を剃り、服をまるまる作業着へと着替え、プラスチック製のヘルメットを目深に被る。

 多少の変化と、ラブホテルから一人で出てきても平然としている胆力。これだけで死ねる男は堂々と自分を探す人混みを抜けてみせた。

 男は人混みを抜けた先で待ち構えていた軽トラに、そのまま身を滑り込ませる。


「おう、ちゃんと待っててくれたんだな」


 笑顔でひらひらと手をふる男。運転席で待っていたのは、憮然とした様子の作業員のリーダーであった。

 軽トラは彼らが渋谷への移動手段として持ち込んだ一台である。

 どことなく渋い顔のリーダーは、助手席に座った男にたずねる。


「あいつらは無事なんだろうな?」


「無事でなくても許されるだろ。俺にとっては、自分が生き延びることが最優先。だから、許される」


「……」


 本来、黙るべきではないのだろう。だが、駅前で自分が持ち出した理屈をそのまま持ってこられた以上、リーダーは黙るしかなかった。

 それに何より、駅前で自分がなにをしていたのかを、この男は知っている。もしかしたら、自分たちが男を囲んだのも今の状況もすべて男の仕組んだものではないのか。得体のしれない不安と懸念が、何をしても死なない人間の心を縛り付けようとしていた。


「冗談だよ。全員、ラブホの一室に押し込めてある。男だらけの団体客でも入れるんだから、無人受付ってのはいいもんだ。最先端のシステムと見せかけて、ラブホの伝統だよ、伝統。あとでバレたら問題なんだろうけどさ」


「もし誰かが外に飛び出したら、一瞬でバレるぞ。お前が生きていることも」


「いやあ、あんなもんその場しのぎだし。どうせすぐにバレるけど、お前らがバラすことはないだろ。だってお前ら、心折れてるだろ? それにいくらなんでも全裸じゃ飛び出せねえよ。あいつらの服、俺がもらったの以外、全部捨てちまったもん。血まみれになった自分の服と一緒に捨てちまった。今頃みんな、部屋の中でなにしてるんだろうな。全裸で」


 楽しげな男の物言いに、リーダーは何も言い返せなかった。

 殺せる男一人を取り囲んだ、不死身の男たち。切っても殴っても撃っても死なない複数人が、切っても殴っても撃っても死ぬ一人を取り囲む。

 このどう考えても圧倒的に有利な状況にて、リーダー含めた作業員たちは完膚なきまでに叩きのめされた。

 もうコイツには勝てないとわかるほどに叩きのめされた。

 そして男が、もしもの時のために持ち歩いていた豚の血液と牛の脳みそを頭から被ったところで、もう手に負えないと諦めた。

 言われるがままに、死んだふりをネットに流す手伝いをせざるを得なかった。


「そりゃ達人相手や数百人に勝てるわけはないけどさ、数人ぐらいなら負けねえよ。これぐらいは腕っぷしで処理できなきゃ、10年は逃げられない」


 全人類の多数を敵に回した状態でのサバイバルという、究極の実戦主義。この男は死なず傷つかず折れても戻る人間相手の戦いを、嫌というほど心得ている。でなければ、男の言うことは何でも聞くような情けない状況に作業員たちは追い込まれていない。服を全部取り上げられ、目の前で血を流すためのシャワーを浴びている男に手を出せないほどにヘタれてはいない。言われるがまま、男が渋谷から脱出するための手助けをするような状況になど、陥っているはずがない。

 男の腕っぷしは、不死身かつ喧嘩慣れした男たちですら恐れるほどに心得たものであった。あんなものと対峙して、まともで居られる人間などいるのだろうか。

 リーダーの運転でゆっくりと渋谷を回る軽トラ。なにせ適当に走れ以外何も言われていない以上、こうするしかない。


「渋谷の風景は変わらねえなあ。いや、この間から街中駆け回ってるけど、こうやってゆっくり見るとね。少し違う。もっとも、どの街も10年前からそのまんまだけどよ。人も変わらなきゃ、街も変わらねえよ」


 男はずっと、作業員の一人から奪ったスマホをいじりつつ、どうでもいいことを話し続けている。聞き役でいればいいのか、返事をすればいいのか。どう対応すべきなのかがリーダーにはわからなかった。そんなリーダーの困惑を、男も察する。


「いやすまんね。なにせこうやって人と話すのは久しぶりなもんで、どうにも話したがりにね、なっちまうというかさ」


 ぺこりと頭を下げ、男は再び外に目をやる。

 リーダーは更に困惑を深める。自分は先程、男を殺そうとしていた。殺すことで世界の未来が開けると信じ切って行動していた。

 そんな相手に、なぜこの男は気安く接し、頭も下げられるのか。


「いやでもさ、正直、そっちには感謝してるんだよ」


 それどころか、ついに男は感謝の二文字まで口にした。

 車が赤信号で止まったところで、男は話し始める。


「俺は死にたくない。生き延びるためには、なんでもアリだと思っている。なんでもアリだと思っていても、やっぱルールがあるんだよ」


「ルール?」


「こうしなきゃいけない、こうあるべきだ。自分を縛る覚悟っつうかな? なんでもありをする上で邪魔なものではあるんだけど、この邪魔を放棄した瞬間、俺は終わる気がするんだよ。自分の中で美学があるから、逃げ延びられるし、生き延びられる。目的を得られる。そんなんだ」


 全人類が自分を狙っている状況で、美学を優先する。一体何をほざいているのか、リーダーは男の言いたいことが理解できなかった。


「これはな、俺の決まりの一つなんだが……なんでもありでも、他人を利用しようとはしないし、積極的に犯罪行為には走らない。逃げるために車を盗んだり、誰かを人質にとってみたいなことはしたくない。ただし、相手から仕掛けてきた時は、それに限らない。とにかく、しゃぶり尽くす。だから、お前らみたいに俺を殺しにかかってくる連中は、ありがたくてたまらねえんだよ」


 リーダーが男の言葉に反応するより先に、その顎が金槌で殴打された。

 この世界における人間の体は壊れない。傷もつかないし、骨も筋肉も歪むことはあってもすぐに戻る。

 だが、気絶からは逃れられなかった。顎は砕けなくとも、意識はこうして一時的に失うのだ。

 運転席でブレーキに足をおいたまま気絶したリーダー。男は器用にエンジンを切った後、こっそり車から降り、目の前にあった横断歩道を渡る人の波に紛れ込んだ。

 信号が青になっても、動かない軽トラ。後続の車がクラクションを鳴らしても、当然動く気配はない。

 そんな軽トラの元に、猛スピードで複数台の車がやってくる。人を跳ねかねない勢い、というか、実際に何人か通行人が轢かれた。

 車から降りてきた人々は軽トラの荷台を確認する。荷台には、いつの間にか男が使った豚の血液の残りと血で汚れた男の服が積み込まれていた。


「ふざけやがって!」


 やってきた一人が、運転席で気絶したままのリーダーをむりやり引きずり下ろす。


「う、ううん? なんだ……」


 荒く扱われたことで、リーダーはゆっくりと目を覚ます。

 道路に投げ出されたリーダーを取り囲むのは、大多数の怒りであった。


「いくらなんだってひどすぎる。やっていいことと、悪いことがある」


「何が楽しくてこんなことしたのよ!」


「俺たちが、どれだけ必死に、あの男を追ってると……」


 誰もがリーダーにとにかく怒りをぶつけている。しかもリーダーを取り囲む人の輪は、どんどんと大きくなっていた。

 微睡みから冷めたリーダーに言える言葉は一つだけだった。


「違う。違うんだ」


 何も分かってないが、今の自分の置かれている状況はおかしい。

 とにかくリーダーは否定するしかない。だがその程度の言葉が、通じる状況ではなかった。リーダーを囲む人の数は、ゆっくりではあるが増え続けていた。

 リーダーにぶつけられるガラスの瓶。瓶が割れ、中に入っていた豚の血液がリーダーを真っ赤に染める。

 誰かが荷台から拾った血液を、怒りのままにリーダーにぶつけたのだ。


「だから、違うんだ……」


 リーダーはただひたすらに、誤解だと呟き続ける。

 それでも周りからの敵意と怒りは止むことがない。血まみれのリーダーめがけ、人の悪感情がいいように浴びせられる。

 不死身の肉体を持っていて、たとえ心は鈍くなっていても、人は人のままである。肉体とは違い、心には限度がある。

 つい数時間前まで、意気揚々とハンマーを振るい、人を殴っていたリーダー。

 その勢いは見るも無残に砕かれ、もはやただ「違う」と連呼するだけの生き物となっていた。



 

 男は少し離れたところで、一連の騒ぎを見ていた。


「ちと可哀想だったか?」


 男はそう言うと、スマホの画面に目をやる。

 『釣りでした~』との呟きと、豚の血や牛の脳みそを撮った写真のセット。

 他の呟きには、特定しやすいような位置情報や軽トラの話、移動中に撮った写真も載せておいた。

 これだけあれば、呟いた人間を特定できるだろう。そして軽トラに載っている者が、悪ふざけの主犯と思われるはずだ。まったくSNSとは便利な発信装置だ。

 

「しゃあないな、うん。身から出た錆だ」


 自分で冤罪をかけておいて、この言いぐさである。

 しっかりとした包囲が街に敷かれているのであれば、中身をグズグズにするしかない。騒ぎを起こせば、当然人は大きく動き、警察も動かざるを得ない。そうすれば、どうしたってスキが生まれる。

 人の数は、もはや有限なのだ。

 男は次なる手を考えつつ、黙々と人混みの中を歩く。

 ゾンビや怪物とは違い、人にはルールと知性がある。男はそんな知性のくすぐり方と、騒ぎの起こし方を熟知していた。そうでなければ、人間社会のほぼすべてを敵に回し逃げ延びられるわけがない。

 もう少し騒ぎを起こしたいが、派手に動いて見つかってしまえば元も子もない。

 ならばぎりぎり見つかってないこの辺りで、渋谷からの脱出を図るべきか。

 横断歩道を渡ろうとした直前で信号が赤になる。

 男は、渡るのではなく方向転換をする。特に考えはない、なんとなくだ。

 そしてそのなんとなくが、男を救った。

 甲高い爆発音とともに、近くに立っていたOLが横殴りで吹き飛ぶ。

 間違いない。これは銃声だ。

 知覚するより先に、男は人の中に飛び込む。突き飛ばす形となったカップルが、流れ弾に当たりどうと倒れた。


「やばいやばいやばい!」


 思わずそう口にするほどの危機。

 この銃声の音に、当たった相手の激しい反応。不死だからいい、もし自分のようなまともなままの人間が当たれば、半身が吹き飛ぶような銃を相手は使っている。こちらを殺してもいい覚悟に、男がSNSを使って起こした騒ぎに気を取られず、なおかつ男を発見し、静かにつけてみせる落ち着き。

 間違いなく、自分を狙っているのはやばい相手。恐ろしい相手である。そう考えている内に、通行人に次々と流れ弾が当たっている。

 男は必死に逃げつつ、ちらりと後ろを見る。

 視線の先には、くたびれた風情を持ちつつも、ただならぬ瞳でこちらを睨む刑事が居た。構えている銃は、人を殺すための銃であった。

 

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