みずみずしい干物に七味をかけて

 人間が不老不死同然となってから10年。

 発展しようとする意志が不自然なまでに欠けたことにより、文明の形は2020年よりほとんど変わっていなかった。

 だが、衰退した職業や道具、変化により役割を終えたもの、形を変えざるを得なかったものは複数存在する。

 その影響は、社会の根幹に関わる仕事こそ大きかった。


「ひ、ひったくり!」


 街中に突如聞こえた声が注目を集めるものの、すぐに霧散してしまった。

 カバンを奪われ呆然としている老婆と、逃げるひったくり。

 人が行き交う都会の街中での犯罪。だが、周りの通行人の動きは鈍く、言ってしまえばほぼ無反応だった。


"命はどうせ無事なんだから騒ぐほどのことでもない"


"飢えて死ぬ時代じゃないのに、わざわざ物を盗むなんて元気なやつだ"


"年寄なんて10年前からずっとお荷物なやつに関わりたくなんてない"


 10年間の不老不死は人々の論理感も慈愛の心も、とにかく乾燥させていた。

 実際、飢えの感覚まで無くしたわけではないが、その感覚は鈍く、どんなに空腹でも餓死することはない。人は、何があっても死なないのだ。

 どれだけ追い詰められていても死なないという事実は、医療だけでなく福祉も停止状態寸前に追い込んでしまった。

 もし今の人類が、明日からすべての文明や文化を失ったとしても、彼らは野原に寝転んで生きていくし、生きていける。

 今現在、曲がりなりにも10年前の状態を保てているのは惰性によるものであり、未だ諦めていない人のおかげでもあった。

 逃げていたひったくりが、突如の爆音を合図に面白いくらいに跳び跳ねる。

 跳んだひったくりは、そのまま道路脇の茂みに飛び込んでしまった。

 無関心だった群衆も、あまりの事態にその足が止まる。

 彼らが見ているのは、突如面白い動きを見せたひったくりではなく、大口径の拳銃を構えた男性だった。


「銃を撃つのは久々だが、当たるもんなんだなあ」


「久々の抜き方と当て方じゃないですよ。それ。ああ、ご心配なく。我々は警察官です」


 男性の脇に居る似たような風貌の若者は、銃の代わりに警察手帳を取り出す。

 銃を撃った男は刑事であり、若者は後輩であった。

 刑事はゆうゆうとひったくりのもとに行くと、ひったくりが奪ったカバンを奪い返す。


「駄目だよ。こんな世界でも、犯罪は犯罪なんだから。やる気があるのは、いいことだけどさ」


 霞を食って生きられる時代に、わざわざ犯罪を犯すのだから大したものである。

 刑事の称賛に皮肉はなかった。

 茂みでもがくひったくりは、唯一自由な口で言い返す。


「ふざけんな! お前、さっき俺の足になにしやがった!」


「なにって。10年前なら、絶対お巡りさんが持ってたら怒られた銃を使っただけだよ」


 男はそう言って、胸のガンホルダーにしまった拳銃を見せつける。

 全体のサイズ。銃身の長さ。装填された弾丸。どれも複数の規格外である。

 まず、警官が携帯していい銃として規格外だ。


「昔だったら、こんなもん振り回してたら懲戒免職どころじゃなかったんだけどねえ。でもまあ、撃たれる方が丈夫になったんだ。だったら許されるよねえ」


 足を撃たれたひったくりのふくらはぎには、肉も骨格も歪めるほどの銃痕が残っている。いくら頑丈な身体であっても、こうも歪んでは走れない。

 だがもし、10年前のまだ死ねた人間がこの銃で足を撃たれたとしたら、足どころか下半身ごと吹っ飛んでいただろう。

 人が怪我と死を忘れたことにより、武器も加減や殺害の二文字を忘れてしまった。

 

「だからと言って、そんな銃を使ってるの先輩だけですよ。普通の人じゃ、そんな銃、まともに使えません」


 後輩も銃を持ってはいたが、それは電極を発射するテーザー銃であった。

 人は不老不死となった。だが、超人的な体力や知力まで得たわけではない。

 いくら使っていいと言われても、それでちゃんと動く的を狙って当てられるのは、本人の能力の賜である。

 刑事はそそくさとひったくりの両手に手錠をかける。既に曲がった足も銃痕も戻りかけている以上、あまりゆっくりとはしていられない。

 ひったくりを茂みから引き上げたところで、刑事は後輩に話す。


「みんながテイザー銃を使っているからね、一人ぐらいこうやって拳銃を使ってもいいんじゃないかな」


 相手に瞬間的な激痛を与え筋肉を麻痺させるテーザー銃は、このような世界でも有効であり、後輩だけでなく多くの警察官が持ち歩いていた。

 しかしテーザー銃にも射程や狙いの正確性のような弱点があり、拳銃はこの点腕前でカバーできる。皆がテイザー銃を使うのであれば、自分は大口径の銃を使うことでテイザー銃の苦手な面をフォローする。

 刑事の言っていることは、正論である。


「それに、どうせ誤射しても、とりかえしがつくんだから。気負わなければ、こんなモン誰だって使えるよ」


 のんびりとした口調のまま、更に刑事は言葉を付け加える。

 たとえ通行人に当てても、謝るくらいでいい。なにせ、どうせ死なないし、治るのだから。

 だから、街で使うのには規格外の銃だとしても、なにも問題はない。どうせこれも非殺傷武器なのはテイザー銃と変わらない。

 刑事の言っていることはまたも正論だったが、今度は後輩も通行人もひったくりも、とにかくこの場に居た全員の背に冷たいものがはしった。


               ◇


 ひったくりを捕まえ、警察署に戻ってきた刑事と後輩。ひったくりを引き渡した二人の耳に入ったのは、捜査会議の知らせであった。


「捜査会議ねえ。随分と久々だ」


「そうですよね。何年ぶりでしょうか」


 警察官とは思えないほどに、呑気なことを言う二人。

 呑気なのは彼らだけではない。

 人を殺傷しても取り返しのつく時代において、自然と警察の空気は緩くなっていた。

 かつての凶悪事件は御免で済む話になり、そもそも殺人事件も傷害事件も成立しない。

 未だに警察官である義務を果たそうとしていても、成長せず向上心の無い世界においてルーティーン化しているのは世間と同じである。むしろ、警察で居続けることすら、ルーティーンの中にあるのかもしれない。

 そんな警察署の中が、まるで10年前のようにピリピリとしていた。

 刑事は前を通りがかった婦警の肩を掴んでたずねる。


「いったい、なにがあったんだい?」


「死ねる男ですよ。死ねる男が、渋谷で見つかったんです!」


 婦警は刑事の手を払いのけ、別室へと向かう。別室は、婦警に負けぬほど緊迫した面持ちの人々で埋まっていた。


「死ねる男ねえ。そりゃあ、みんな必死になるか……」


 はねのけられた手を振るいつつ、刑事は納得したように呟く。

 死ねる男。この誰もが不老不死となり10年前より不変となった世界にて、唯一の時を刻み続けている男である。

 この世界の誰もが、特別に劣っているこの男に興味を持ち、彼を殺すもしくは捕まえることで何かを変えようとしている。

 そして男の出現が刺激となるのは、警察組織も同じであった。

 一応、警察としての扱いは保護であるが、世間も警察の人間も男当人も、そんな二文字を信じていなかった。


「死ねる男……ついに出たんですね……」


 呆然としつつ、唇をかみしめている後輩。迷いと決意が入り混じった、実に人間らしい顔をしている。


「警察としては、死ねる男により色めき立つ群衆の制圧、さまざまな事故の後始末、そして死ねる男の保護をしなきゃいけないんだけど。いやどうにも、なにをしたいんだか。これじゃあ捕まえても、引っ張りあってバラバラにしちゃいそうだ」


 かたや刑事は、変わらぬ様子で署内を眺めていた。

 警察官としての任務を果たそうとする者。かたや死ねる男を狙う者。どっちつかずでただ喧騒に呑まれている者。誰もが同じ方向を見ているようで、その実、好き勝手に見ている。だからこんなに、無駄に騒がしいことになっているのだ。

 後輩もまた、そんな喧騒に当てられ、とにかく興奮していた。


「僕たちも行きましょう! 先輩!」


「どこに?」


「どこにって……」


「捜査をするにしろ、会議をするにしろ。みんな馬鹿踊りだねえ。僕は踊りなんて知らないから、今日は帰るよ」


「帰る!?」


「じゃあね」


 そう言った刑事は、騒がしい署内に背を向け、本当に帰ってしまった。

 刑事の背を、ただ見送る後輩。その冷めきったように見える背は、どんな冷水よりも冷え切っていた。

 そんな後輩の背を、誰かが叩く。


「ほっとけ、ほっとけ」


 叩いたのは、刑事の同期の同僚であった。


「お前は10年ずっとアイツと付き合っているわけじゃないから知らないだろうが。アイツはな、芋虫の世話で忙しいんだ。それに比べりゃ、死なない男絡みの話なんて、どうでもいいんだろ。関わっちまったら、しばらく署に缶詰で、家にも帰れないだろうしな」


「虫を飼ってるんですか? そんな話も聞いたこと無いし、そんな素振りも見たことないですよ」


「ああ。デカい虫を飼ってるんだよ。可哀想にな」


 人が死ねなくなったこの世界ではあるが、人以外の生物には生死もあり怪我もある。

 もし動物や植物まで不壊で不死となっていたら、今頃人類は空腹感との戦いに神経をすり減らしていただろう。

 自分たちが失ったものを持つ動物に惹かれ、ペットを飼う人間はむしろ往時より増えている。

 好きでやっているのに、可哀想とはどういうことなのか。

 後輩のそんな無垢さを、同僚はニヤニヤと笑って見ていた。


               ◇


 刑事の自宅は、警察署より車で20分。静かな住宅街の一軒家であった。

 まず門を掃き清め、次に庭を見回し草むしりなどの手入れをおこなう。

 これが刑事の日課となっているだけあって、その自宅周りはどことなく清廉である。

 日課を終えた刑事は、鍵を開け自宅へ入る。もう使っていない2階と階段の前を通り、一目散に向かったのはリビングであった。


「帰ったよ」


 リビングに居る家族にそれだけ言うと、刑事は洗面台に向かい手を洗う。

 ついでに部屋着に着替えようとしたものの、そこでまだ外に用事があったことを思い出した。

 刑事はお気に入りのグレーのロングコートを脱いだ後、そのままリビングに戻ってきた。


「今日はね、こんなことがあったんだよ」


 もぞもぞと動く家族に、刑事は今日あったことをつらつらと語る。

 朝、職場で上手く挨拶ができたこと。

 昼、塀の上の猫にぷいっと顔を背けられたこと。

 夕、後輩と一緒にひったくりを捕まえたこと。

 ゆっくりとやわらかく刑事は話し続ける。

 刑事は家族の世話をしつつ、語ることを止めなかった。

 そして、刑事はついに、今日あった最も珍しいことを口にする。


「どうも渋谷の辺りに、あの男がいるんだってね。あの、昔のままの男。死ねる男だよ」


 おそらく、日本国民全員が聞けば色めき立つ名前。

 だが、男の家族は特段変わった反応を見せなかった。


「多分というか、十中八九なんだけどね。きっと、また誰も捕まえられない。僕は、そう思うんだ」


 獲物を追う前に諦めてしまう。警官としてあるまじき態度ではあるが、それでも刑事の目に弱々しさはなかった。


「これが鬼ごっこだとしたら、大人数が一人の人間を追えば、すぐに捕まえられる。鬼は捕まえる、そうでない人は逃げる。ルールはそれだけだからね。あの男を追うのも、その点、鬼ごっこと変わらない。違うのは、鬼の方に捕まえた後のことや捕まえ方を考えてしまうような、雑味があることさ。大多数の人間は、男を殺せばいい、そうすれば今の無意味に停滞した状況を打破できると思っている。でも、男を捕まえて研究することで変えようとする人間や、男を守り通すことで救いがあると考えている人間も少なくはない。この雑味が、鬼の足を引っ張っているんだよ」


 一対多。余程の条件でない限り、多が勝つだろう。だが、多の勝利条件がそれぞれ違った場合はどうだろうか。勝利条件が相反するのであれば、おそらく多同志での争いが始まり、一に勝ち目が見えてくる。


「それに人間って、たとえ家族でも意見が違ったりするものだからねえ。ここでこの男を殺してしまったら、この男を守ろうとしている妻はどう思うのか? この男を捕まえたとして、男をとにかく恨んでいる息子を納得させられるのか? 警察の方針は保護でも、自分はその命令に従いたくない。人間関係が迷いとなって、躊躇となるんだよ。でも、男の方は簡単だ。誰にも捕まりたくない。とにかく逃げよう。単純で一途だから、有利なはずの多数がたった一人の人間を捕まえられない。なにせこちらは、複雑でバラバラなんだから」


 もし強烈な指導者や法律ができれば、一気に状況は変わるのだろう。だが、そんなものが出来るのを待っていてもしかたない。それに、このなんとなく不老不死になってしまった生ぬるい社会で、そのような熱量を持つものが生まれるのだろうか。強いて言うなら、死ねる男の存在自体がそうだと言えるが、しょせん一人の人間かつ普段はなかなか見つからない以上、生み出す熱量は一過性と言うしかない。

 刑事はその手で直に家族に触れると、静かに宣言する。


「でも。僕なら捕まえられるかもしれない」


 警察は彼を捕らえられないだろう。だが、自分なら捕まえられる。

 ある種の傲慢ではあるが、刑事の内にはそう思えるだけの確信があった。


「僕は、とにかくあの男を捕まえる。なるべく生かしてはおきたいけど、なんなら、手足の一本ぐらい奪ってもいい。最悪、生死は問わない。そして、ここに連れてくる。それだけだよ」


 刑事はそう言うと、外出の準備を始める。

 ロングコートを羽織ったところで、その顔は家庭人から賢しい狼の如き油断ならぬものへと変わった。

 準備を終えた刑事は、家族の元に戻り、最後の誓いを口にした。


「僕があの男に求めるのは、真実だ。君がこんなことになってしまった時、彼は間違いなくあそこにいた。そして、真実を語らぬまま、ずっと逃げ続けている。きっと、自分が生きるためなら、真実なんてどうでもいいと思っているんだろう。僕はあの男に真実を語らせるためなら、なんでもするよ」


 刑事は最後に「じゃあね」と付け加え、家を後にする。

 家族は刑事に何も言わなかった。正確には、言葉を言えなかった。

 ただむーむーと、息のような音を漏らすだけだ。

 その家族には、手がない。

 その家族には、足がない。

 その家族には、声帯がない。

 ただあるのは、命と意志だけだ。

 刑事の家族。妻である女性には手足と大半の臓器が無かった。

 おそらく本当ならば、存命できないのだろう。

 だが10年前、人類が唐突に不老不死になったせいで、彼女は生き延びてしまった。

 医療制度も崩壊した世界、満足な治療という言葉が消えた世界にて、ただ生き続けている。

 本来ならば、彼女を救いたい、彼女を楽にしてやりたい、そんな気持ちで刑事は動くべきなのだろう。

 だが、妻がこんなことになった時、あの場所に件の男がいた。

 この疑惑、いや確信に近い状況が、刑事を刑事のままでいさせた。

 きっと、この世界の大半の人間が、人一人の状態などあの男が死ねることに比べたらどうでもいいと言うだろう。きっと、警察ですらそう言うし、実際このような目的で動いている警察官などいない。

 だが刑事は妥協を許さなかった。

 容疑を抱えて逃げている以上、捕まえねばならない。きっちりと、何があったのか吐かせねばならない。

 あの男の命ではなく、真実。真実を解き明かすことで、自分たち夫婦は先に進めるのだ。

 刑事の真実を追い求める姿には、かの男に負けぬ一途さがあった。


               ◇


 家を出て、愛車に戻る刑事。ふと、忘れていたことを思い出し、先に車のトランクを開ける。


「どうだい。気分は」


 刑事はトランクに押し込められていた同僚に声をかける。彼は刑事が家に帰る際、まるで忘れ物を取りに戻ったかのような気軽さと共に拉致されていた。

 そんな同僚は、トランクが閉められているうちからずっとうごめいていた。


「両手足が自由にならず、ろくに動けない。なかなかにキツイだろう? うちの妻は、ずっとそんなんなんだよ」


 ロープだけではなく、ビニールテープやガムテープをとにかく散々使うことで、拘束はどんどん厳しいものとなる。道具の多様性が人の自由を奪うのにつながるのは、なんだか皮肉めいていた。

 両手足をこのように縛り上げられ口と鼻ににガムテープを何重も貼られた同僚の姿は、刑事の妻と何ら変わらない。いやむしろ、刑事の妻よりも遥かに苦しげである。


「ああ。飲み込めなかったか。いやまあ、飲み込むと更に大変なことになるんだけどね。なにせ、単一電池なんて身体のどこにあってもいいものじゃない」


 ガムテープで呼吸を塞がれているからではない。同僚の喉には、巨大な単一電池が二本ほど詰まっていた。

 息ができなければ、人は死ぬ。しかし、この世界の人は死ねない。結果的に、息ができない苦しさと共に生き続けなければならない。


「今の僕たちは、昔に比べてとにかく強い。切り傷みたいな血が出るような傷はとにかくできないし、撃たれてもちょっと凹むだけ、腕や足が曲がってもすぐに元通りになる。毒も効かないときたもんだ。まったくねえ、人は強くなったもんだ。強くなりすぎて、手術も投薬もできないんだけどね」


 喉に物が詰まった状況ならば、まず病院に駆け込むべきだ。

 しかし、人が全員不老不死となったことで、医療はほぼその役割を終えてしまった。

 更にメスも通らない身体、毒どころか薬も効かない体質。手術をする必要が無い世界は、手術が出来ない世界でもある。

 つまり、同僚が喉につまらせている単一電池を取り除ける医師も病院も、そして手段もないのだ。切開手術なんてもはや不可能。出来るのは頑張って吐き出すくらいだ。だが電池はあまりにきっちりと喉に詰めてあり不動だった。

 現状を察した同僚は、必死に呻く。それは糾弾でもあり、懇願でもある。

 刑事はそんな同僚の耳に口を近づけ、そっと囁いた。


「君は僕の妻を侮辱した。実はね、全部聞いていたんだよ。芋虫呼ばわりも、一度や二度なら許そう。だが、今日で三回目だ。なら許されないよね?」


 刑事は優秀であり有能であった。聞こえていないふりをする仕草を熟知していた。それは、同じ職にある同僚ですら見抜けぬほど巧みであり、我慢が効いていた。だからこそ、遂に気づいた同僚は、息ができないことも忘れガタガタと震え始めた。


「少し離れたところで降ろすよ。その後、署に戻ってきてもいいし、僕に何をされたのかを叫ぶのも構わない。もっとも、その喉じゃね」


 刑事は同僚の反応を待つことなく、車のトランクを閉める。

 おそらく、彼を捨てた後、その姿を見ることは二度と無いだろう。

 今まで何度かこうしてきたが、戻ってきた者は皆無だ。

 警察官が行方不明者となる。10年前ならおおごとだったが、人間関係も緩慢になった今では、あっさりと流れることである。

 長く無為に生きていれば、唐突に消えるのも、それを探すのが面倒なのも、ままある話だ。

 刑事は真実を思い求めている。刑事は侮辱を許さない。

 この行為の中心には、常に妻がいる。

 なんとなく救いを求めている人々と違い、刑事の中には明確な指針があった。すべては妻のためであり、一直線に突き進む。

 そんな刑事の意志が、同じく意志のみで逃げ続けている、死ねる男に突き刺さろうとしていた。

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