斉藤紀子の華麗なる休日

第1話

 斉藤紀子の朝は早い。正確には休日の朝は早く起きる。逆に仕事のある日はギリギリまで寝てたい。

 休日ほどスッキリ起きれてしまうのは、要は楽しみがあるかどうかだろう。


 いつもよりも足取り軽く、紀子は支度をする。さっぱりタイプの乳液をつけるところまではいつも通りだが、今日は化粧をする。普段しないのは、彼女の仕事はほとんど顔を覆うため必要がないからだ。

 下地でベースを整え、ファンデーションを丁寧に塗り、アイブロウを描く。髪の毛でほとんど隠れてしまうので意味がないような気がするが、そんな場所ほど気合を入れるのが好きだった。

 アイメイクは少し濃いめにする。そうしないと顔が服に負けてしまう。

 ロングマスカラのあとに付けまつげも乗せて、チークはふんわり薔薇色に。

 リップはぽってり感を出すのが好き。世間の流行りとかは知らない。知ってても多分やらない。流行りモノが必ずしも自分に似合うとは限らないからだ。


 すべて終わると、先に服を着る。今日はワンピース。袖は姫袖。

 姫袖というのは裾に行くにしたがって広がっていく袖の総称だ。肘付近から広がるゴージャスなものもあれば、七分まではピッタリしていてそこからふんわり広がるものもある。

 でも姫袖といえば、やはり肘付近からめいっぱい広がるものが紀子にとって一番好きなデザインだった。

 姫袖は腕を上げると肌が露出する。そこは手袋でカバーだ。なんせこの系統のお洋服は、欧州の貴族の服にインスパイアされている。紀子はなるべく肌を出さない方がそれに倣うだろうと考えている。


 一時期大流行りしたときに愛好家の人口はどっと増えたのだが、「流行ってるしモテるから」という謎理論で変に露出の高いアレンジを加えた新規もいて、紀子は首を傾げたものだった。

 むしろこの服、愛用すれば異性からは引かれるのだが。

 可愛くて好き、露出が高いほうが可愛くなる、という美学で肌を出すのならともかく、「エロいほうが男が食いつくっしょ」という理由で露出系なんちゃってを見続けた紀子が、愛好家の中でも着込むタイプになってしまったのは仕方ないことだ。

 そんななんちゃって愛好家は現在ほぼ姿を消し、真の愛好家の数は以前とほとんど変わらないほどの数に戻っている。

 以前よりも減っている、という話もあるようだが、紀子には分からない。紀子には同じ愛好家の友人というものがいない。変則シフトの仕事のせいで、作ろうにも作れなかったのだ。


 スカートの下にパニエを履く。パニエというのはスカートをふんわりふくらませるためのアンダースカートで、これがあることで綺麗なシルエットを作ることができる。

 ふーん、知らない見たことないって人でも、ウエディングドレスを着たことがある人なら"ドレスのスカート裏地にくっついてる嵩張る布"といえばだいたい同じものを想像してもらえる。


 紀子はこのパニエの下にドロワーズを履く。ドロワーズというのは、簡単に言えばこの系統の服専用の肌着のようなものだ。ハーフパンツのような形で、裾にフリルが縫い付けてあり、そのすぐ上をゴムで絞ってある。色は白か黒が多い。

 パニエの刺激から肌を守る役割もあるし、寒い時期は防寒も果たす。

 わざとスカート丈より少し長いドロワーズを履いて、スカートの下からフリルをチラ見せする着こなしもある。


 タイツはすでに履いていて、今日のはコルセットのような模様が入っているものだ。繊細なタッチが気に入っていて、どんな服にも合う。

 靴はこの柄が目立つようにシンプルなアンクルストラップのパンプスにした。

 こういう時はつま先部分がぽっこり丸い"おでこ靴"がマスト。厚底ならなおいい。脚が長く見える。


 髪型は長い髪をゆるく巻いた。

 これに幅のあるヘッドドレスを組み合わせるのが、紀子のマイブームだった。


 手袋の上から指輪をつける。このために2サイズほど大きい指輪をいくつか揃えてある。おもちゃみたいな、大きなプラスチックの宝石のついた、わざとらしいチープさが売りのアクセサリーがお気に入り。

 イヤリングも同じ色で揃えて、ネックレスもつける。


 バッグは肩掛けタイプの、本のような形。一目惚れして買ったもので、同じシリーズのお財布もこの中に入っている。

 手には日傘。これは広げると傘の頂点がツンと尖るもので、パゴダ傘という。


 たくさんのフリルのついた姫袖ワンピースに身を包んだ紀子は、どこからどう見ても立派なロリィタ。


 紀子はロリィタ服愛好家だった。



 "ロリィタ服を着たときは走らない"という言葉は、愛好家から支持の厚い読者モデルがテレビで言っていたマイルールだ。

 紀子もそれにならい、ロリィタ服を着たらけして走らず、焦らず、優雅に歩く。

 何度も言うが、貴族のドレスにインスパイアされた服なのだ。

 ただ身に纏うだけでなく、それに見合った振る舞いをすべきだと紀子は考える。


 コツン、コツンと硬いアスファルトにおでこ靴の音が響く。パニエで膨らんだスカートのフリルが規則正しく揺れて、日傘の影が移動する。


 こうしてロリィタ服に包まれているとき、紀子は何もかもから解放される。

 誰かに見せるため、好かれるため、主張するため、身を護るため、社員としての当然の身だしなみ。そんな理由から一切離れて、ただ自分のためだけに用意した服と、それを着るための時間。

 それは紀子にとって特別な時間だった。

 どんな日常を送っていても、この瞬間は別人になれるのだ。


 靴音を響かせて、紀子はまずお店に向かう。お気に入りのブランドの新作をチェックするのだ。

 もちろんブランド側も新作情報をSNSで常に発信しているが、やっぱり直に見てみたい。


 今の仕事をしていて良かったなぁと思うのは、金額を気にせず買い物ができることだ。

 紀子の仕事は"キツイ、汚い、危険"と3拍子揃った肉体労働で、その分お給料がいい。

 柔道経験者なのも、今の仕事に有利だった。


 いくつかのワンピースを予約して、今日はヘアアクセサリーだけ購入した。ロリィタ服を着たときはあまり荷物を持ちたくない。優雅ではないというのもあるが、ロリィタ服というのは、その見かけの可憐さとは裏腹に、なかなか重量があるのだ。

 ドレスと言えるほど豪華なものは、普通にハンガーにかけてしまうと肩の部分が千切れそうになる。そのためウエスト部分を引っ掛けるのが定番だ。

 そんな服を重さを感じさせずに歩き回るのは、思っているより体力を消耗する。

 しかし、ロリィタ服に機能性を求めてはいけないのだ。過剰なまでのフリル、リボン、レース、チープなイミテーションや過度なメイクも、全て非日常を味わうための舞台装置で、その動きにくさすらもロリィタを存分に味わうためのスパイスだ。

 そうしてようやく、汗臭い労働に閉じ込められた現実から抜け出せるのだ。


 ショッピングの後はティータイム。アフタヌーンティが用意してあるお店でもあればいいが、あいにく紀子は地元では未だにお目にかかったことがない。


 全国チェーン店に入ってもいいけれど、インスタ映えの事しか考えてないような女子が集まる珈琲店は苦手。盗撮されるなんていつものことだが、だからといって気持ちいいものではないのだから。

 どうせなら裏道でひっそり営業している喫茶店がいい。


 テキトウに歩いて見つけた蔦だらけの喫茶店に入る。まるで「さっきまでエアロビクスをしてました」と言わんばかりの格好のおばさまは、紀子を見て一瞬ギョッとした顔をしたが、大人しく窓辺の席で食事をする紀子を見て「いいわね、絵になるわね、若かったら着てみたかったわ」と顔をほころばせた。


 食事のあとは、のんびりと散歩を楽しむ。

 こういう時に行くのは有料庭園だ。入園料は大した事はないが、お金がかかるぶん、比較的客層が良い気がする。

 ここはシーズンによっては花畑を見ることもでき、ゆっくり歩けば2時間は過ごせる。

 休憩所や喫茶店もあり、疲れたらそこによればいい。

 誰にも邪魔されずにする散歩は、リフレッシュにはもってこいだ。


 景色を眺めながらたっぷり散策を楽しんで帰路につく。本当はこのまま夕食でも食べて帰りたいが、あいにく明日は出勤日だ。疲れが残るのは困る。



 家に帰ったらまず、服をハンガーにかける。一般家庭の洗濯機で洗えるものではないから、これはクリーニングに出さないといけない。

 パニエは除菌スプレーを吹いて、靴下やドロワーズは浸け置き洗い用の洗面器へ。アクセサリーは元の場所へ、ヘッドドレスはどうしよう、洗えるタイプだけど今度でいいかな。


 最後にとっておきのクレンジングクリームを顔にたっぷり塗って、メイクを落とす。

 クレンジングはメイク時間の倍かけるべき、と言っていたのは誰だったっけ。

 肌の上でクリームの感触が変わっていくのを感じながら、ぼんやりと考える。


 時間をかけてメイクを落とし、お気に入りのバスソルトを湯船に突っ込み、身体をねぎらう。

 明日からまた仕事だ。沢山リフレッシュしたから、頑張らなきゃ。


 コンビニでちょっとだけ奮発したお弁当を食べて、今日はもう就寝。





 次の日。

 目覚まし時計の音でいつものようにゆるゆると起きる。

 スキンケアだけはしっかりやって、メイクは日焼け止めだけにする。どうせやったって汗で全部流れてしまうのだが、通勤時の紫外線を馬鹿にしてはいけない。


 ちょっとくたびれたビルに入ると、そこはシェアオフィスになっている。新進気鋭の小さな企業がジャンルお構いなしにちまちまと入っていて、休憩室で営業たち(会社も立場もごちゃまぜだ)が仲良くコーヒーをすすっていたりする。

 紀子はよくは知らないが、ここからコラボの話が立ち上がり、新商品ができる事もあるそうだ。

 そして事業が大きくなっていくと、専用のオフィスを構えるため出ていく。

 そのため入れ替わりが激しく、このビルに長くいる会社は殆どいない。


 紀子の会社を除いて。


 エレベーターに乗り込むと、紀子は至って変哲のない操作ボタンをいつもの順序でリズミカルに押した。

 このエレベーターは、ある特殊な操作をしたときだけ地下へ移動する。


 ガコン、と大げさな音を立ててエレベーターが止まり、紀子は職場に足を踏み入れる。

 今日は外での仕事だ。仕事着に着替えなければ。

 仕事着はまるで全身タイツのようにすっぽり身体を包み込むデザインで、実際顔もヘルメットで覆う。当然、紀子の大好きなフリルやレースなどといった装飾は皆無だ。

 最初に着たときは何かの罰ゲームかと思ったが、これが仕事には最高の威力を発揮する。

 今ではすっかりお気に入りだ。


 体育館のような空間に移動すると、同僚はすでに集まっており、上司が壇上に上がっていた。大げさな身振り手振りで演説が始まる。


「今日こそあの憎きクイックマンの息の根を止めるのだ!!」




 世界征服を企む悪の組織レイティリア。

 正義のヒーローと呼ばれるクイックマンさえいなければ、その目的はすでに達成されていたであろう。

 血なまぐさい裏金や胡散臭い事業、お子さまには絶対に見せられないであろうそのやりくち。


 その悪の組織の戦闘員、斉藤紀子。



 私にとっては、こちらが日常なのだった。





 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

斉藤紀子の華麗なる休日 @soundfish

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ