第16話 いよいよクランクイン!

史明ふみあきくんのバカ!!」

 朝ドラ「はるの夏」の主題歌が終わると、いきなりが泣きながら叫んだ。「はるの夏」は先月から始まった朝ドラであり、今主人公は高校を卒業したものの将来やりたいことが見つからず、ひたすらバイトに明け暮れていた。その中で、幼馴染おさななじみの史明が、の働くコンビニで万引きをして捕まったのであった。


「はるの夏」は最初の月こそ視聴率20%以上を維持していたが、5月に入ってから毎日のように視聴率が下がってきており、今は17%くらいになっていた。ヒロインを演じる春田はるたみくは、お菓子のCMをきっかけに一躍有名になった女優であり、オーディションなしで選抜されていた。事前の期待は高かったが、いざ始まってみると脚本があまり視聴者には受け入れられず、かつ春田の演技に対する評価も低くなってしまっていた。


「うーん、これじゃあ、ますます視聴率さがってしまうかもな・・・」

 中田が眉間みけんしわを寄せてつぶやくと、横にいたアシスタントディレクターの川崎が苦笑しながら言った。

「これで下がった後、次の朝ドラは『フーアーユー?』ですからね」

「フーアーユー?」は「はるの夏」の次に予定されている朝ドラであるが、脚本がお笑い芸人のであることから、放送開始前から視聴者の期待が大きく分かれてしまっていた。ファニーは、あくの強い芸人であることから、そもそも好き嫌いが分かれるタイプであり、しかも脚本経験はなかった。また、ヒロインはイギリス人の予定であるが、まだ発表はされていなかった。


「月野さん、そろそろ役に切り替えて」

「はるの夏」をぼーっと見ていたユイに、急に中田が話しかけたので、ユイはハッとした。ユイは、現在の朝ドラを見に来たのではなくて、自身の朝ドラのクランクインのために、ここにいるのであった。

「はい、すみません。朝ドラの放送が終わったらどうすればよいのでしょうか」

 慌ててユイは切り替えて、「かもめ」の役に入ろうとした。

「今の放送が終わるころに、合図をかけるから、始まったらいきなり『なんだばや。きまやげるじゃ!』って叫んで、武役の彼、もっとも彼は本当の武役ではなく、代理なんだけど、を海に突き飛ばせばいいよ。練習なしでいくからよろしくね」

「え、そんな激しいことを練習なしで・・・?」

 ユイは、生放送でいきなり激しい演技を要求されたことに少し動揺した。もちろん、セリフは覚えていたし、海に突き飛ばすシーンがあることは知っていて、頭の中でイメージはしていた。しかし、あくまでも何回か打ち合わせがあってから、行うものだと思っていた。

 不安そうな顔をしているユイを見て、中田は急にニヤニヤしだした。

「そんなに今は心配しなくて大丈夫だよ。クランクインの、まだ演技も少しつたないけど一生懸命なヒロイン役のを視聴者に見てもらうのが目的だから。みんなにこの娘なら応援したいなって思ってもらえれば問題ないよ」

 完璧である必要はないことは理解したユイではあったが、視聴者の好感度を高くしなければいけないということはプレッシャーに思えた。ユイはもともと人に好かれようとして行動するタイプではなかったので、どのようにすれば好感を持たれるのかよくわかっていなかった。


 8時12分になった頃、ついに近くにいたバスのドアが開いた。そこから一人の女性が降りてきた。クランクインが生中継される「ファーストモーニング」の司会も務めるMGJアナウンサーの田中美鈴みすずであった。アナウンサーらしからぬ大胆な発言で人気の田中は、少し遠くにいるからかもしれないが、思っていたよりも小柄な女性であった。田中は、ユイの方を一瞥いちべつしたものの、仏頂面ぶっちょうづらのまますぐにバスの近くでスタンバイに入った。

 おそらく、彼女の役目は両親役のキャストをサプライズで伝えることなのであろう。ふと、ユイは肩の力が軽くなった気がした。もともと、ヒロインである自分の演技が生中継のメインかと感じていたが、おそらくMGJの方では両親役を生放送で伝えることに最大の意義を見出しているのであろう。ユイが演技をするのは、あくまでもヒロインであることから建前でおこなっているのに過ぎない、そう思えてきたのであった。


「本番30秒前です!」

 川崎が再び合図をする。ユイは周りを見渡して、深呼吸をした。中田を始め、周りのほとんどの人は、田中アナウンサーとその隣のバスを見ていて、ユイの方を見ているのは、仮の相手役である男と、一人のカメラマンだけであった。

「周りがどうであろうと、私は自分のことをするだけだ」

 そう言い聞かせて、ユイはかもめになりきることにした。

「本番5秒前、4,3,2,1・・・」

 ついに、「ファーストモーニング」の時間になった。ユイの最初の演技が始まる・・・。

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