第9話 黒い噂の終焉

 ユイに大きく影響を与えていたヒロインオーディションの不正疑惑は、三日ほどお茶の間をにぎわす話題となった。ユイは、朝ドラヒロインとしての今後の打ち合わせが始まる予定であったが、無期限の延期となってしまった。ヒロインオーディションのやり直しは実際にMGJの局内で話し合われていたらしいし、中には「かもめ」という朝ドラ自体取りやめるという案もあったそうである。


 それほどまでにめた今回の騒動は、最終オーディションまで残っていた鈴木 真帆と田辺 杏奈のおかげで終焉を迎えることになる。

「ねえ、ユイ?鈴木さんと田辺杏奈ちゃんの動画見てごらん」

 一緒に一次選考を受けた河名 広子から連絡がきたユイは、メッセージの下に貼られていたリンクをクリックすると、二人がスーツ姿で語りだす動画が表示された。


「わたくし鈴木 真帆と田辺 杏奈は一緒に最終オーディションまで残ったものとして宣言いたします。最終オーディションで一番ヒロインに相応しい演技をしたのは、間違いなく月野ユイさんでした。私たちは彼女がヒロインになるべきだと心から思っていますし、彼女が『かもめ』で立派にヒロインを演じることを全力で応援しています」

 ユイにとってこの動画は衝撃的であった。ユイ自身、この二人とはオーディション会場で会釈した程度で、まともに会話したことがない。さらに、このような動画を公開することは、二人にとって何のメリットもないはずである。ユイは、動画を何回も見直したが、二人の行動力と意志の強さに感服する反面、この動画を公開した意図をつかめないでいた。


 ただ、この動画のおかげで、オーディション結果をおかしいという人はいなくなった。鈴木も田辺も人気があったし、演技力も評価されていた。その二人が断言したことに対して異を唱えられるようなものなどいるはずもなかった。この動画が公開された翌日は、動画の件を中心にテレビでも朝ドラヒロインのことを取り上げられたが、その日を境に、ヒロインオーディションがテレビで話題になることはなくなった。


 動画公開から一週間後、ユイの朝ドラに関する打ち合わせが再開した。

「やあ、月野さん。いろいろあったけどこれからよろしくお願いしますね」

 中田 正尚がニヤニヤしながらユイに話しかける。今回の騒動を通して、楠 佐奈子は世間からの印象を悪くしてしまい、すでに決まっていたキャストもいくつかキャンセルになったと聞く。しかし、同じく不正をしていたかもしれない中田はまったく影響を受けていないようで、相変わらず「かもめ」のプロデューサーを務めている。


「今後の予定だけど、他のキャストはまだ決まっていないから、それが決まって撮影の準備が整ってから、ようやくクランクインという形になります。おそらく、半年はかかるかなっていう感じですね」

 中田の話し方は丁寧ではあるが、どこかトゲのようなものをユイは感じていた。ユイがヒロインになったことを根に持っているのかわからないが、ユイは今後撮影を進めていくうえで、中田との関係が少し心配になった。


「ただ、それまでにやってもらうことはたくさんありますよ。まず、津軽弁を学んでもらって、それから体力づくりもしてもらう必要があります。ヒロインのは漁師の娘だから、体力勝負の撮影も予想されますからね」

 中田はユイの表情を気にすることもなく淡々と進める。

「そ、れ、か、ら。役作りは徹底的にしてもらいますからね。この朝ドラはMGJが勝負をかけているから、成功してもらうしかないですから。来月には最初の方の台本とか簡単なドラマのあらすじができあがっているはずだから、届き次第読んで徹底的にの役作りを始めてください。まあ、脚本家の市沢とかいうおばさんは、仕事が遅いくせに気難しいから、ちゃんと予定通り原稿をくれるか私も心配なんですけど・・・」

 中田は明らかに市沢 斗美子のことを嫌っているようであった。市沢本人の前では、かなりヘコヘコしていた印象だったので、陰でこのような言い方をしていることに少なからずユイはショックを受けた。


 オーディションの疑惑はなくなったが、ユイは今後に向けて心配事がたくさんできてしまった。役作りに加えて、方言の勉強やトレーニングを十分にこなせるのか、そして何といっても脚本家とプロデューサーの仲が悪くて良いドラマになるのか、ユイの頭の中はそのような疑問でいっぱいになった。

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