第5話 最終選考その1

「それでは今から第三次オーディションを始めます」

 中田 正尚の声がオーディション会場に鳴り響いた。ユイは、なんと六人しかいない第三次オーディションに残ってしまったのだ。朝からずっと気が重く、一刻も早くオーディションが終わることを願って、会場に座っていた。

「まずは、今回の特別審査員をお呼びします。市沢先生、お入りください」

 そう中田が言うと、奥の方から小柄な女性が入ってきた。


「え!市沢 斗美子先生!?」

 隣に座っていた楠 佐奈子が大声を出した。ユイも、奥から登場してきた女性があの市沢 斗美子であることに気づくと、ますます混乱しだした。市沢 斗美子は女性脚本家の第一人者として広く知られていたが、人前に姿を出すことはあまりなかったので、その素顔は謎に包まれていた。

「皆様初めまして。脚本家の市沢と申します。私は普段はこのような場所に足を運ぶことはないんですけど、今回の朝ドラ『かもめ』はMGJさんにとってだけではなく、私にとっても本当に重要な作品なので、今回はこうやってオーディションに参加させていただく運びになりました」

 市沢 斗美子が話している姿を見るのは、もちろんユイにとって初めてであったが、すごく丁寧で柔和な方のように見える一方で、その裏には強い芯のようなものがあると感じられた。ユイはもちろん、ユイ以外の候補者も市沢 斗美子の存在感に圧倒されているようであった。


「市沢先生、ありがとうございました。それでは、今回のオーディションで行う内容について説明いたします」

 中田は相変わらず淡々と話を進めると、候補者一人ずつに資料のようなものを配った。

「今回は二つのシーンを実際に演じてもらいます。二つのシーンはいずれも、『かもめ』の中で実際に使う予定のものとなっています」

 ユイは、中田の話を聞いて資料を開いてみた。するとそこには確かに二つのシーンが書かれていた。一つ目は、かもめが十六歳の時の海でのシーン。もう一つは、第二次世界大戦中のシーン・・・。


「え、なにこれ・・・」

 ユイは思わず呟いた。周りの候補者たちも少し動揺しているようであった。二つのシーンは、どちらもユイたちにとって予想外のものであった。


 一つ目のシーンが海に関するものであることは、ある程度容易に予想がついていたものだった。しかし、その内容というのが、男を海に突き飛ばすというものであった。セリフが事細かに書かれていたが、津軽弁であるため読むのが難しそうであり、また、その内容から、という女性はかなり強気な女性であることがわかった。


 二つ目のシーンはさらに困難を極めた。第二次世界大戦に関連するシーンであるというところこそ、とても驚くことはなかったが、セリフが一切書かれていなかったのだ。そこに書かれていたのは、

「大切な人を亡くして泣きわめくを演じてください。話す内容や動きなどすべて自由です」

 ということであった。


 ユイは周りの候補者の様子を改めて見た。ユイは、朝ドラヒロインのオーディションを受けるのが初めてであったため、普通のオーディションがどのようなものかわかっていなかったからだ。しかし、ヒロインのオーディションを受けたことがあるであろう他の候補者が大きく動揺しているのを見ると、やはり今回の内容は特異なものであることを察した。


「オーディションの順番は、田辺さん、桑田さん、鈴木さん、月野さん、西中さん、楠さんの順番です。それでは田辺さん、衣装に着替えてスタンバイお願いします」

 候補者全員が動揺しているのを気にする素振りすら見せることなく、中田はそう全員に声をかけた。一番最初に名前を呼ばれた田辺 杏奈は、最初は困惑した表情をしていたが、すぐに切り替えると、衣装を持って更衣室に向かっていった。




 最初の三人のオーディションは一瞬で終わったようにユイは感じていた。三人とも難易度が高いオーディションにもかかわらず、全力で演技をしていた。ユイは、中でも田辺 杏奈の演技に惹かれていた。やはり、子役からやっていることもあり、表現の幅がかなり広かった。ただ、三人の演技中、市沢 斗美子は終始無言であった。


「次は、月野さん。準備をお願いします。衣装を持って更衣室にむかってください」

 いよいよ、ユイの番になった。受かりたいという気持ちが微塵みじんもないユイではあったが、市沢 斗美子の前でお粗末な演技はしてはいけないというプレッシャーを感じていた。ユイは深呼吸をした後、これまでの候補者も着ていた、漁師の作業着の衣装を持って更衣室に向かっていった。

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