第4話 二次選考
「ああ、広子がいないと心細いなあ」
ユイは二次選考の控室でボソッと呟いた。二週間前の一次選考で終わりだと思っていた、朝ドラヒロインのオーディションであったのに、どういうわけかユイは二次選考に残ってしまったのだ。同じ事務所の広子は一次選考で落選してしまったため、ユイは二次選考に一人で参加していた。
二次選考に進むことができたのは40人である。すでに、ヒロインに応募した人の一パーセントしか残っていないことになる。残っている人のほとんどは、テレビドラマに出演経験のある人であり、ユイは前回以上に場違いな感覚を抱いていた。
「あ・・・」
控室で楠 佐奈子と目が合った。楠 佐奈子はユイを見かけると、初めは驚いた表情を見せたが、しばらくするとニヤリと笑って別のところにいってしまった。
「何あれ・・・。清純派で売っているのに普段はあんななのね」
ユイは一次選考の時のやり取りをきっかけに、楠 佐奈子に対して嫌な印象を抱いていた。
「次37番の人、オーディションの会場に入ってください」
ユイの番号が呼ばれた。ユイは気が重くなっていたが、今度こそ通過できないであろうから、楽しんで終えようと気持ちを切り替えることにした。
「失礼します。37番の月野ユイです」
ユイが会場に入ると、十人ほどの人がユイの反対側に座っていた。一人は、以前大河ドラマで見かけたことのあるプロデューサーであったし、他の人も、業界では有名な人たちばかりであった。
「月野ユイさんですね。どうぞ座ってください」
オーディションをしている朝ドラの演出を担当することが決まっていた、
グループでの面接であった一次審査とは異なり、二次審査は個人面接であった。ユイは、一次審査と同じように自己紹介からするものかと思っていたが、どうも様子が違うようであった。
「月野さんは魚は好きかな?」
それが、中田がユイに向けた最初の質問であった。
今回ヒロインオーディションをおこなっている朝ドラ「かもめ」は、青森の貧しい漁師の娘かもめが主人公である。貧しいうえに、小さい頃に第二次世界大戦を経験していて、その後も苦労を続けながら成長していく、という部分は事前に知らされていたか、そのあとの話はまだ公表されていなかった。名脚本家・市沢 斗美子のオリジナル作品であり、謎につつまれている部分が多かった。そのため、ヒロインのオーディションでは、主人公に向いているかの適性を見ていると思われるが、どのようなものが主人公に求められているのか、予想するのが難しかった。
「はい、魚は好きでよく食べています。特にお刺身が好きですが、焼き魚も食べますね」
ユイは正直な回答をした。事務所の所長からは、地雷を踏まないように発言に気をつけろと言われていたのだが、ユイはまったく気にしていなかった。
「なるほど。それでは、今から刺身を出すので食べて感想を言ってもらいたい」
中田がそう言うと、部屋の奥からスタッフらしき人が刺身をもって現れた。刺身はマグロやヒラメなど多岐にわたっていた。
「うわ、すごい量・・・」
ユイは刺身の豪勢さに目を見張った。おそらく魚を食べるシーンが出てくるからこその審査なのであろうが、ユイは刺身をたくさん食べられる喜びしか感じていなかった。
「いただきます!」
ユイは刺身が目の前に並べられると、すぐに箸をもって刺身を食べ始めた。いつも白身魚から食べて最後にマグロを食べる習慣があったため、この時もオーディションであることは気にせず、ヒラメから食べた。
「うわ、おいしい!」
ユイは素直に美味しさを表現した。新鮮なヒラメ特有の香りが口いっぱいに広がり、朝ごはんを食べずにオーディションに参加していたユイは興奮していた。
三切ほど口にしたところで、ユイは我に返った。ここはオーディション会場である、そう思い返して周りを見ると、皆ユイの様子を真剣に見つめていた。何人かは少し怪訝そうな表情に見えたので、ユイは少しやらかしたと思った。
「すいません・・・。それではマグロの方もいただきます」
ユイはそう周りに声をかけて、マグロをゆっくりと食べた。
「うん?」
ユイは思わず声が出てしまった。マグロが思っているほど美味しくなかったのだ。ヒラメの時と違って、味も香りもあまりよくなく、少し古くなっているように感じられた。
「うーん」
ユイは何とも感想が言いにくく、マグロをもう一切れ口に入れて、目を閉じながらゆっくりと味わった。しかし、やはりマグロはあまり美味しくなかった。
「マグロも美味しかったです!」
正直に感想を言うのはさすがに良くないと思ったユイは、そう嘘をついて刺身を食べ終えたが、食べている様子が美味しそうに見えなかったであろうと感じていた。
「ありがとうございます。それでは最後にもう一つだけ伺います」
中田が無表情のまま話し始めた。おそらく中田はユイの様子に不満を持っているのだろう、とユイは感じ取った。ただ、ユイはもっと中田があからさまに表情を変えるかと思っていたので、ずっと無表情でいるのが不気味に思えた。
「月野さんは体力には自信がありますか」
最後の質問は、ユイの運動神経に関するものであった。
「自信があるとまではいいませんが、体力はある方だと思います。小さい頃は空手を少し習っていましたし、中学と高校ではバレーボールをしていました」
実際に、ユイは小さい頃からスポーツを得意としていた。この回答で中田の表情が少しは変わるかと思ったユイであったが、中田の表情はまったく変わらなかった。
「以上で本日のオーディションは終わります。お疲れさまでした」
中田はそう言うなり、立ち上がってどこかに言ってしまった。
「オーディションはやらかしたけど、刺身が食べられたのは良かったな」
ユイがそう思いながら、控室に戻って帰り支度をしていると、後ろの方で鈴木 真帆と田辺 杏奈が話しているのが聞こえた。
「杏奈ちゃん、オーディションどうだった?」
「うーん、まあまあだったかなー。まさか衣装も着替えさせられて魚を釣るシーンをさせられるとは思わなったけどねー」
「そうだよねー。私もびっくりした」
ユイは、自分がオーディションでしたことが、二人と違っていることを知った。これは、見込み無しと思われたのだろうとユイは思った。
「あ、そうそう。刺身食べさせられるシーンは最悪だったー。私、おさかな食べられないもん。」
「あれー、杏奈ちゃんそうなんだ。それならどうやって乗り切ったの?」
「うーん、まあそこは女優魂で頑張ったよ。私本当はマヨネーズとかも嫌いなんだよね」
田辺 杏奈のその発言にユイは衝撃を受けた。というのも、田辺 杏奈は、彼女が六歳の時にマヨネーズのCMで一躍有名になったからである。それも、マヨネーズのかかったサラダを美味しそうに食べている姿が可愛かったからである。
やはり、一流の女優は自分とは大きく違う、ユイはそのことを強く実感することとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます