第20話 プチ冒険へ②

「お、気がついたか、ひよっこ」


 俺の焦点の定まらない視界に、ぼんやりと人のシルエットが映る。目を細めると、それが男性というのがなんとなくわかった。声をかけてきたのは、この人だろう。

 徐々に視界がクリアになり、見えているのが空ではなく天井だということに俺は気づく。さっきまで、平原でスライムに襲われていたはずなのに、と体を動かそうとするが、まるで水中にいるような感じで、上手く動かせない。

 何とか上半身を起こし、頭を左右に振って、意識の覚醒を促す。


「ここは……どこですか?」


 先程、声をかけてきた男性の気配がするので、俺は独り言のように訊ねる。まだ体が本調子ではなく、男性を探すのも億劫だったからだ。

 鮮明になってきた視界には、切り出してきた岩を積み上げて造ったような無骨な壁が見えた。街中で見かけるレンガ造りの建物と違い、頑丈そうな印象を受ける。

 空気は少し埃くさいが、ひんやりとしていた。差し迫った身の危険がない場所で、俺はホッと安堵する。


「南西門の詰所だ。もう大丈夫か?」

「……問題ない、です」


 軽薄そうな声を響かせ、革鎧を着込んだ三十代くらいの細身の男性――詰所の兵士が俺に近づいてくる。無精髭の締まりのない顔にあまり手入れの行き届いていない肩口まで伸ばした髪。真面目な兵士には見えないが、悪い人にも見えない。

 俺は仰向けに寝せられていた長椅子か立ち上がり、男性にお礼をする。


「面倒をおかけしました。ありがとうございました」

「いいってことよ。これもこれも仕事のうちだからよ。体の調子はどうだ?」


 男性の言葉に、俺は屈伸や体を捻ったりして調子を確かめる。今すぐに動いても支障はなさそうだ。


「大丈夫そうです」

「なら、医者を呼ぶ必要はねーな。しかし、驚いたよ。嬢ちゃんが、お前さんを担いで駆け込んできたからな。ガタイがそれほど変わらねーっても、意識がないやつを運ぶのは、なかなか骨を折るからな」

「テトラ――俺を運んでくれた女の子はどこに?」

「まだ用事が終わってないから、お前さんを預かってくれって言って、すぐ外に出ていったよ。ま、そろそろ昼だし、戻ってく――」

「失礼します」


 凛としたテトラの声が室内に響く。たった一言だったが、詰所に溜まっていた鬱蒼とした――男所帯特有――空気を一層した。

 メイド服の裾をはためかせながら、テトラがドアのない部屋にはいってくる。

 ツカツカと規則正しい足音がピタリと止まり、テトラは兵士の男性に、スカートの裾を摘まみながら、左足をひいて頭を垂れる。

 上流階級の挨拶に驚いたのか、男性は一瞬呆けたあと、露骨に慌て始める。パタパタと革鎧の汚れを落とし、衣服の皺を手で伸ばす。手櫛で髪を整えると右手を胸に、左手を腰の後ろに回して、恭しく首を垂れる。

 あ、もしかして、テトラの様子から貴族の関係者と思われたのかな。この世界も貴族に無礼を働いたら問答無用で首チョンパとかあるのかな。

 俺が考えを巡らせていると、テトラは踵を揃え、背筋を真っ直ぐな姿勢になる。手は右手を上にして体の前で揃えている。ただそれだけなのに所作の美しさに俺も男性も圧倒されてしまう。

 根本的な育ちの違いのより放たれる圧倒的な高貴そうなオーラ。やっぱりテトラは貴族の出だよな。


「リンタローの保護、ありがとうございます。お陰で無駄な時間を減らすことが出来ました」

「いや、そのー、なりたて冒険者ルーキーを助けるのも仕事ですから。ひょっ――坊っちゃんも、無事でなによりで……。もしかして、どこぞの貴族様の御子息様ですか?」


 揉み手を始めそうな兵士の態度に、テトラは怪訝そうな顔をする。

 貴族に名前を覚えてもらうだけでもアドバンテージが出来そうだもんな。俺は何となく男性の心情を察してしまう。


「私たちは、冒険者であり、それ以上それ以下ではありません。よろしいですか?」

「は、はい! 承知しました」


 テトラの言葉に直立不動で答える男性。

 うん、これは絶対勘違いしているやつだな。いや、テトラは元々貴族っぽいから間違いとも言い切れないのか。

 テトラは俺のそばに、ゆっくりと歩み寄る。彼女は手でちょいちょいと手招きして、俺に前に出るように指示する。

 俺が長椅子から二歩ほど前に出ると、テトラはじっと俺を睨む。頭の上から靴先まで視線を動かすと、トコトコと俺の周りを歩き始める。

 テトラの視線に恥ずかしさとむず痒さを感じつつ、俺はいつのまにか直立不動の体勢を取っていた。耳が赤くなっているのは確実だ。


「……なんのプレイなんだ?」


 耐えきれなかったのだろう、男性がぽつりと呟く。それがきっかけというわけではないだろうけど、僅かに口の端を持ち上げて満足げなテトラ。彼女は男性のそばに歩み寄ると、スカートのポケットから皮袋を取り出し、中から銀貨を一枚摘み上げる。

 無表情のまま、テトラが銀貨を男性に突き出す。どう反応していいのか困った男性は、片膝をついて首を垂れ、両手を揃えて自分の頭より高い位置に差し出す。

 テトラは、ポイッという感じで銀貨を男性の手のひらに投げ置く。


「リンタローがお世話になりました。次の機会があるか分かりませんが、そのときも手厚い対応をしていただけると助かります」

「任せてください、お嬢さま。わたくし、ウルベ=クロットにお声掛けください。必ずやお力になることを誓いましょう!」


 男性――ウルベは、飛び上がるような勢いで立ち上がり、先程のポーズ――右手を胸に、左手腰の後ろ――で、返事をする。あまりの勢いに、テトラは若干腰が引けていた。


「え、ええ、そのときはお願いします」


 かろうじて表情を保ったまま、そう返すテトラ。銀貨一枚で、やる気が漲っているウルベの態度に俺は呆れてしまう。

 再度、街の外の平原に向かうとテトラが告げると、ウルベは門の入り口まで、平身低頭で見送ってくれた。


「テトラ、普通は街の入り口って、すっげー混むんじゃないのか?」

「普通はね。でも、南西門は、"裏口"の様なもの。市民権がある者だけが利用できるの。不正なことに利用すると、罰せられたり、利用を止められたりする。あと、あまりにもひどい場合は市民権の剥奪とかもあるから」

「……俺って市民権ないはずだけど、利用して大丈夫か?」

「私と一緒ならね。申告しているけど、一人だと門はくぐらせてもらえないと思うわ。市民権関連は師匠に相談してみるしかないわ。それより――」


 門の入り口が見えなくなったあたりでテトラは立ち止まり、俺に向き直る。

 少し思案するような顔で俺を見つめる。憂いを帯びた彼女の表情に俺はドギマギしてしまう。


「ごめんなさい。配慮が足りなかったわ」

「へ? なんのこと?」


 テトラの謝罪に、俺は首を傾げてしまう。

 テトラに謝られるようなことは、何も思いつかない。強いて言うなら、詰所で、ウルベを前に視姦されたことくらいか。

 悩む俺の前で、テトラは胸のあたりでモジモジと指を動かしていた。テトラは俯きながら、申し訳なさそうに呟く。


「その、ちょっと受かれてて、注意が足りなかったから……。私が魔物を始末すれば、薬草の採取は安全だと信じてたから……」

「いやいや、テトラは何も悪くないから。スライムにビビった俺が情けないだけだから」

「リンタローは、記憶が欠落してるんでしょ。だから、魔物と戦ったりした記憶も欠落しちゃってるんだと思う。だから、実質あのスライムが初戦闘になるから……」


 スライムとはいえ、俺にとって初めての戦闘。命のやり取りは、想像以上の緊迫感に、俺はあっさり精魂尽き果ててしまった。情けないが、俺にとってはラスボスと戦っているのに等しい戦闘だった。

 ただ、テトラは俺の戦闘を見て、色々なことを考えてしまったようだ。彼女にとってスライム一匹は雑魚だろうし、スライム一匹と戦闘して疲弊して気を失うなんてありえないことだろうからな。

 たぶんテトラの中で、今まで魔物と戦った経験を失い、スライムと戦うことも儘ならない状態に俺が陥ってると勘違いしている。

 違うんだよ。俺の元の世界に魔物なんていなかったから、本当にさっきのスライムが初戦闘だったんだよ。と俺は心の中で弁解する。

 このまま話題が続けば確実にボロが出る。俺は、ぎこちなさを感じる表情筋を駆使して笑顔を作る。


「て、テトラが気にすることじゃないよ。まあ、失ったのなら、また経験すればいいだけだから。そんなことより、まだ時間もあるから薬草採取を続けよう」

「リンタローは……前向きね。私も見習わないといけないわね」


 うんうん、と頷いて同意するテトラ。彼女は尊敬するような眼差しを俺に向けてくる。

 チクチクと良心が痛む。これもシノさんの考えた設定のせいだ。と俺は責任転嫁をしておく。


「あの後、あの辺りの魔物は狩り尽くしたから安全のはずよ。薬草も採取しつくすわよ」

「お、おう……」


 俺はテトラの気圧されてしまう。

 それから俺たちは昼食を挟んで、日が暮れるまで薬草を採取するのだった。

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