第17話 初クエスト?①
錬金術師ギルドの女性職員ミリーさんが、応接室を出て行ってから何分すぎたのだろうか。俺とテトラは椅子に座って、彼女が戻ってくるのを待っている。
まだ十五分も経っていないと思うけど、俺は数十時間も待機している気分だ。
何故か? それは横に座るテトラが無言で、不機嫌そうに頬をふくらませて、チラチラと俺の様子を窺っているからだ。
いつもなら他愛もない雑談に花を咲かせるところなんだけど、先程の件――テトラを抱き上げて受付突入――で、声をかけにくい。というか嫌われた可能性もかなり高い。
時間が過ぎれば多少は機嫌が治ると信じて、俺はまだ腫れている左頬に氷嚢が気になってテトラの視線に気づいてないふりをする。今ならば、誰よりも上手くロダンの考える人を演じることができる気がする。
「お待たせしました。ここ最近、新規で登録された方がいらっしゃらなかったようで、資料の準備に手間取ってしまいました。申し訳ございません」
ミリーさんが、資料の束を胸の前に抱きしめる様にして、部屋に戻ってきた。
俺は安堵の息をこぼしながら、テトラの様子を盗み見る。凛とした表情と背筋を伸ばして上品に座る姿は、精巧に作られた人形の様な美しさがあった。澄んだ青い瞳は強い意志の光を宿しながら、真っ直ぐにミリーさんを捉えている。
再び緊張し始めたのかな、と思ったが、違うみたいだ。テトラは自分を律する余裕が出来たようだ。
テトラの姿に感化され、俺も居住まいを正して、ミリーさんを見る。
「フォフォフォ、緊張せずに肩の力を抜いてくれい」
小柄なミリーさんの横に、さらに小柄な老人が立っていた。
俺は全く気配を感じ取れなかった。武術の達人とか元暗殺者の類だろうか。
老人は、赤い布地のローブを肩に掛けるようにして羽織っていた。ローブは白で縁取りされ、黒い糸で幾何学模様が描かれている。金色や銀色を使っていないので、一目では高級感は感じられない。
でも、シノさんのローブのようにローブからは何か違和感を覚え、俺は目を細めて凝視してしまう。
カタン、と横から聞こえてきた音に、俺は我に返る。視線を向けるとテトラが椅子から立ち上がり、スカートの裾を摘みながら、左足を後ろに引いて首を垂れていた。
テトラの淀みのない流れるような動きに俺は一瞬、見惚れてしまうが、慌てて立ち上がり、深めにお辞儀をする。
「初めまして、ギルドマスター。私はテトラ=リリーシェルと申します。僭越ながらシノ=アキツシマを師と仰いでおります。本日は錬金術師として、ギルドに登録していただきたく、参上いたしました」
同行しただけで、ギルドに登録する予定のない俺も名乗るべきか? 悩んでいると先に老人――ギルドマスターが声をかけてくる。
「フォフォフォ、そうかしこまらんでもよいぞ。儂なんぞ、隠居した死に損ないの爺じゃて。話は聞いておるし、アキツシマの遣いでギルドに顔を出していたのを見ておる。気楽にせい」
「そういうわけにはいきません。ギルドマスターに指名される方々は、何かしらの功績を残されております。尊敬に値する錬金術師ばかりだと、私は思っています」
「ブハッ! ワッハッハッハ!」
突然、ギルドマスターが笑い始めた。小柄な体からは想像もできないほどの声量で、部屋全体がビリビリと振動しているように錯覚してしまう。流石のテトラも驚いた良いで、目を丸くしていた。
しばらく笑い続けていたギルドマスターだが、咳き込み始める。横のミリーさんが慌ててギルドマスターの背をさする。落ち着いたギルドマスターは、身なりを正してテトラに向き直る。
「すまん、すまん。お主があまりにも殊勝なことを言い出したもんだから、ツボにはいってしまったわい。あの傍若無人なアキツシマの弟子なのに――」
再び笑いが込み上げてきたのか、ギルドマスターの肩というか体が小刻みに震え始める。ミリーさんに呆れ顔で眺められる中、ギルドマスターは何とか笑いを堪える。
「ギルドマスター、あんまり羽目を外してはしゃぐとぎっくり腰が再発しますよ。手続きだけなら、わたしだけで処理できるんですから、わざわざ顔を出す必要ないじゃないですか」
「何を言うか。アキツシマの弟子ならば用心して確認するのが当然の行動じゃわい」
「……シノさんは、いったい何をやらかしたんですか?」
「ん、そういえば横のお主は誰じゃ? ミリーからは登録者は一人と聞いておるが」
「俺は、相馬凛太郎です。訳あってシノさんの工房のお世話になってます。今日はテトラの付き添いです」
「ほう、アキツシマにしては珍しいこと……、お主は扶桑の出か? 珍しい響きの名前と思うたが、それなら納得できる」
「えーっと、旅が長かったんで、正確には違うんですけど、扶桑に縁のありそうなヤツということで……」
俺は思わず目が泳いでしまう。ずいぶんと露骨なやつ、と思われただろう。前準備なしで人を騙せるほど、俺は弁達者じゃないんだよ。一度、人に自分をどう説明するべきか、シノさんに相談した方が良さそうだ。
ギルドマスターは呆れた顔で「ま、人に言えないことの一つや二つ、誰にでもあるからな」と呟く。ミリーさんは「犯罪者じゃなければ問題なしですよ」と相づちを打つ。それ以上、俺に追求する気配はなく、二人はテトラに視線を戻す。
「さて、テトラ嬢の登録について話すことにするかの。ミリー、資料を渡してくれ」
「はい、わかりました。貸し出し用の資料だから、ちょっとヘタっているけど、大事に扱ってね」
「わかりました。『錬金術師ギルド登録手引き』……手作りですか?」
「本当は本部が作成した分厚い本があるんだけど、読んでくれる人はごく一部だから、支部で最低限必要なことを書き出して作成してるの。数年おきに見直して、作り直しているんだけど、最新版が見つからなくて」
ミリーさんはバツが悪そうに、小さな舌を出しながら苦笑する。
小柄で童顔なミリーさんのその仕草は、小動物的な可愛さがあり、俺にはかなりの破壊力があった。反射的に弛みそうになった頬を俺は氷嚢で押さえて誤魔化す。
涼しい表情で受け取った資料をペラペラ捲るテトラの方から、どえらい殺気のような気配を感じたが、たぶん俺の気のせいだ。きっとそうだ。
俺が手持ちぶさたになっていると思ったのか、ミリーさんがテトラに渡した資料を俺にも差し出す。
「ソーマさんも読んでみる? 秘密にするような内容は書いてないから、一般の方が目を通しても大丈夫なやつだから」
「お気持ちはありがたいんですけど、文字が読めなくて……」
「あら、そうなの。ずいぶんと流暢に喋っているから、読み書きの方も問題ないかと思ったわ」
謝るミリーさんに、愛想笑いで気にしていないことを伝える。
やっぱり読み書きは覚えた方が良さそうだよな。
ちらりとテトラの様子を確認すると、柳眉をわずかに歪ませていた。不満そうな雰囲気が伝わってくる。
パタンと手を合わせるようにして、資料を閉じるテトラ。一呼吸置いてから、彼女は口を開く。
「さっと目を通したのですが、『人に迷惑をかけない限り好き勝手やって良い』、『研究の成果を勝手にばら蒔くとトラブルになるからギルドに相談しろ』など、錬金術師としての心構えや世間に迷惑をかけないための一般常識的なことばかりで、錬金術の技術的なことが一切書かれていないのですが……」
「そうじゃぞ。技術的なことは、師に教わるか自分で身につければ良い。だが、人様に迷惑をかけないようにするための知識というのは、技術と反比例するもんだからな。見習いのうちにギルドが指導するようになったのだよ。一部のキチ――常識をどこかに捨ててきた連中のせいじゃ。ちなみにテトラ嬢の師、アキツシマも原因の一人じゃぞ」
「は、ハハハッ……」
ギルドマスターの言葉に、ミリーが乾いた笑い声をこぼす。きっとシノさんが常識度外視で暴れまくったんだろうな。
テトラは興味がない話題のようで、資料をテーブルに置くと、澄ました表情でギルドマスターに訊ねる。
「……で、私の登録は完了なんですか?」
「仮登録は出来ておるぞ。ほれ、仮登録カードを渡しておくかの」
「仮登録?」
首をかしげなから、テトラはギルドマスターから黒いカードを受け取る。横からカードを覗いてみると、文字――工房の値札に書いてあるものと同じなので数字と思う――が表に一文字だけ書かれている以外になにもない。
表にしたり、裏返したりして、確認するテトラ。柳眉が徐々に中央に寄っていく。
「偽物のポーションとか品質が悪いポーションが出回ると色々と危ないでしょう。だから、一定水準のポーションを錬成出来るまでは、仮登録なの」
「え、聞いてない……」
「うん、そうだと思ったわ。アキツシマさんは、めったにお弟子さんとらないから。受付で仮登録カードを提示すれば、錬成室を借りたり、素材の保管もしてくれるわよ。あ、素材はあくまでもポーション関連に限るけど。それ以外は有料になるわ」
「その、あの、私、ポーションの錬成とかやったことないんですけど……」
「錬金術師になれば、ポーションだけでなく、様々なモノを錬成するんじゃぞ。そうなれば、誰も錬成したことないモノを作り出すこともあるんじゃぞ。なに逃げ腰なことを言うておる」
「でも、何もわからない状態では……」
声が弱々しくなっていくテトラ。まだ表情は崩れていないが、だいぶ弱っている気配がする。俺はお節介とわかりながらも、ミリーさんに質問する。
「ミリーさん、ポーションって一般的なアイテムで、大量生産で安定供給が必要なものですよね?」
「はい、そうですよ。冒険者の方が大量購入して大量消費されますので、安定供給が必須ですね。ポーションが安定して購入できなければ冒険者の方々が拠点を移されることもありますから」
「ですよね。なら、図書室とか資料室みたいなところで、ポーションのレシピって公開されてないですか?」
「ギルドの図書室兼資料室に、一般的な錬金術のレシピは所蔵してますよ。でも、錬金術師ではないソーマさんは入室許可を出せませんよ」
「俺は錬金術師のなる予定はないので、入室出来なくても問題なしです。テトラが入れればよいだけなので」
ミリーさんは「ああ、なるほど」と呟いてニッコリと微笑む。三文芝居のようなやり取りを、テトラのためにやってるとわかったからだろう。慣れないことをしているので、恥ずかしさで背中がむず痒い。
「リリーシェルさん。正式登録に向けて、不足している知識などがあれば、ギルドに相談していただいて問題ありません。我々は志のある者を排斥するために存在しているわけではないので。でも、まずは師事している錬金術師の方に相談することが筋だと思います。一度アキツシマさんに相談してみてください」
ミリーさんが優しい声で、テトラに告げる。
よし、口頭だけど「困った時はギルドがバックアップする」という約束は取り付くことが出来た。ギルドマスターはわからないが、ミリーさんが自分が口にしたことを反故することはないだろう。
むず痒さを感じて視線を向けると、テトラが困ったような顔をして俺を見ていた。
これ以上、ここにいても話が進展することはない。俺は椅子から立ち上がる。
「仮登録が終わったのなら、一旦帰ります。ギルド登録について、シノさんの認識にもずれがあるみたいなんで確認したいので」
「アキツシマは集会にも滅多に参加せんから、色々と知らんじゃろうな。ギルドの説明は正式に登録するときでも構わんじゃろ」
「はい、構わないです。テトラ、急いで帰ろう」
「う、うん。わかった」
ギルドマスターとミリーさんに、お礼を述べてから、俺たちはアキツシマ錬金工房に急いで帰ることにした。
しかし、ギルドにしばらく新規登録がなかったって、大問題じゃないだろうか。人が増えない業界は衰退するっていうし。
そんなことを考えていると、テトラの背が小さくなっていた。テトラを見失うと迷子になる恐れがあり、俺は必死になって走る速度をあげた。
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